かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

ゆきどまりの町(短編)

どこまでも格子状の道路が張り巡らされている国だった。道路と道路の幅はぴったり50メートルで、そんな道路が南北に並行に、無数に引かれており、それらと直角に、東西にも無数の道路が、ぴったり50メートルおきに引かれていた。要するに、延々と続く方眼用紙を想像してくれれば良い。誰が引いたのか分からない罫線、もとい道路が等間隔に、ひたすらに続いていて、東西南北、それがどこまで続いているのか、また、この国がどれほど大きいのか、誰も知らなかった。

この国の、北の端を極めてみようと思った。幸いなことに、道路は東西南北の方角ととぴったり並行に延びているから、私はコンパスを持って、いや、コンパスを持たずとも、ただ一直線に、北へ向かう道路を進んでいけば良い。

……私のしようとしていたことは、或いは意味のないことだった。私は、街の、もといこの国の中心部の、(いや、それがほんとうにこの国の中心なのかは誰も知らないのだけれど、「中心」という地名があって、そこを基準に番地名が決まっているのだ。たとえば「中心」から北へふたつ、東へみっつ進むならば、その場所を北二条東三丁目、というように。閑話休題、とにかく、)「中心」を囲むように位置する教育機関、「大学」に私は通っていて、「大学」さえ無事に卒業できれば、私はこの街の上流階級として、収入に何の心配もなく、平然と暮らしていける筈だったのだ。そんな「大学」に通っていながら、街での平穏な暮らしを保証されながら、有るとも知れぬ北の端を目指してどこまでも歩いて行こうとすることなんて、ひたすらに酔狂なことであった。しかし、あなたにはわかってほしい。私は気が狂った訳ではない、正当な理由があって、そのために、苦労して入学した大学を離れ、北の端を目指すことを思い立ったのだ。

それはつまり、要するに、私は、大学では、そうしてその先の生涯では、決して幸せにはなれない、そのためであった。

私は大学で、全くの孤独であったわけではない。友人と呼べる存在も少ないながらも居たし、大学で学ぶことも、つまらないわけではなかった。しかし、それだけだった。それ以上のことは、何もなかった。

機械的な地名の区切りかた、林立するアパルトメント、なにも言わずにうつむいて足早にすれ違う人々。それに重苦しい灰色の空、これがこの街の全てだった。私には、どうしても、いや、どうしようもなく満たされない心の部位が存在した。今は些細なその部位も、このまま生活していたならば、いずれ私の総てを飲み込み、私を灰燼に帰してしまいそうだった。そして私は私の生涯の、そんな終わりかたを望みはしなかった。

そういうわけで、私は北の端を極めることを決意した。北の端を極めたところで、私の心の虚無が満たされるとは限らないし、それに、何もかもを投げ出して北の端を極めることは、どうしようもなく馬鹿げたことであった。けれども、私はこの街では絶対に幸せにはなれない、そういう直観があったし、それに、私は生涯に一度でもいい、何かを成し遂げてみたかった。それによって、きっと私は幸せになれる筈だと、そう信じずにはいられなかった。

私はいつも大学に背負っていったバックパックをひっくり返して、中身の教科書やらルーズリーフやらをかき出して、代わりに、超小型缶詰や、水生成機(これらさえあれば食事には困らない、)それに、中古で買ったぼろぼろのキャンプセットを詰め込んだ。一人きりで住んでいたアパルトメントの一室を引き払い、僅かばかりの小銭をポケットに突っ込んで、私はこの街を後にした。

北へ向かう。


この街を後にした、北へ向かう、なんて言いながら、街を出るまで、しばらくかかりそうだった。私は、私の住んでいた場所から北へ三十分ほど歩いた。未だに街は続いていた。けれども、林立するアパルトメントはまばらになって、一軒家が多くなってきた。

そういえば私は生まれてこのかた、この街の外に出た事がなかった。それはこの街の中心部で生まれ育った人が例外なくそうであるように。アパルトメントのダウンタウンに生まれ落ちた人間は、大概そこから出ることなしに、ひっそりと働き、死んでいく。

こんなことがあった。私の部屋のすぐ隣、壁一枚を隔てた部屋で、独身男が首を括って死んでいた。それというのも、彼は死ぬ直前、死体遺棄業者にしっかりと連絡していたものだから、(自殺の直前に死体遺棄業者に連絡するのはこの街の人間の義務である。)(首を括って死ぬのはこの街では最も多い死にかたであり、たとえば、初等教育で読み書きを習うより前に、私たちはロープの結び方を学習する、)私は大学から帰ってきて、死体遺棄業者が私の隣室から死体を運び出すのを見かけた。鬱血した顔面の、隣人の顔を、そのとき初めて目にしたのだった。

一軒家が多い地域に出てきてから、気づいたことがひとつある。それはつまり、すれ違う人々は、北へ進むにつれて、比較的に血色が良くなり、前を向いて歩く人ばかりだった。「中心」の近くでは、誰もかれもみな、こけた頬に青白い顔をして、うつむいてそそくさと歩いていたにも関わらず、それに、私はあいもかわらず同じ街のなかに居るにも関わらず。

そうして街は唐突に途切れた。ある道路を境に住宅街は途切れ、その道路より北は一面の更地、しかし道路は変わらず等間隔に、どこまでも続いているようだった。街と更地との境の道路には看板が立っていたものだから、見ると、私は北二百三十条に居るらしかった。だいたい十キロ弱歩いた計算になる。私は特に感慨もなく、振り返りもせずに、二十年ほど住んでいた、生まれ育った街を後にした。


一面の更地がいつまでも続いていた。私はもう、何日歩いたのか覚えていない。この国はいつまでも、曇り空、うすぼんやりと明るくて、時計も持って来ずに更地に居る私は、空腹を感じると超小型缶詰を開け、眠くなるとキャンプセットを組み立てて眠り、それ以外のときは歩いていた。十条北へ進むごとに看板が立ててあり、どうやら私は北一万二千条辺りまで来たらしい。一万二千条「辺り」、と言うのは、看板の文字は北へ進むほど掠れていって、(当然のことだ、なぜなら更地に立つ看板は、いつからそこにあるか判らないほどに放置されているのだから、)十条ごとに看板があっても、読める看板はほとんど無くて、辛うじて読めるそれは、それでも文字が擦り切れて、一万二千◯◯条、までしか読み取ることが出来なかった。


もう何ヶ月も、人の姿を見ていない。更地をひたすらに歩いているのだから当然で、ときどき声の出し方を忘れていないか、ひとり大声で叫んでみたりするのだけれど、しかし、この道路は、どこまでもひたすらに、無意味に、等間隔にある道路は、一体誰が、何のために引いたのだろうか。

いつだったか私は大学で、物知りな知己のひとりに尋ねてみたことがある。この国のこれらの道路は、いつから有って、誰が何のために作ったのだろうか。

すると彼は不愉快そうに、早口に答えた。そんなことはさして重要なことではない。誰も知らないことであるし、知りもしようとしないからだ。いずれにせよ、どうでも良いことだろう。この国の、恐らく果てまで、どこまでも道があり、それはつまり、この国の果てを知っている人間が居たということだ。それで充分だろう。道の存在は、人類がその土地を知っている証拠だ。それ以上のことはどうでも良いだろう。満足か?……なあ、いったい君は何を知りたいんだ?

それきり、その知己とふたたび口を利くことはなかった。


更地、荒野、どこまでも続くかのように思われた虚しさに、しかし、遠くに僅かに、胡麻ほどの大きさの隆起が見える。近づくにつれてそれは大きくなり、そうして、ああ、なんと、それは一軒の建物だ!私は半ば発狂状態、興奮に身を任せて道路を早足に、いや、もはや駆け足になって走ってゆき、だけれどすぐに落胆した。その建物はボロボロで、廃墟であるように見えたからだ。

私は建物の前にたどり着いた。入口の上の立て看板は今にも崩れ落ちそうで、もう二度と点くことの無いであろう電飾の残骸が蔦のように絡まっているその看板には、しかし、辛うじて読める文字で、「北30,000条映画館」と書いてあった。


廃墟のような映画館のなかで、それでも映画は上演されていた。壊れた壁の隙間から光が差し、埃っぽい場内に光線をつくっていた。そのせいで、本来暗くあるべきであるシアタールームは妙に明るかった。そんなことはお構いなしにモノクロの無音映画は繰り返し流れていて、木張りの安っぽい長椅子に腰掛けながら、私はひたすらにリフレインするその映画を眺めていた。

この国の道路が出来るまでの歴史を、その映画は物語っていた。まだこの国が、今とは比べものにならないほどに栄えていて、どこに行っても人が居て、土地が放棄されるようなことがあり得なかったころ、ある強権の支配者が、その一生を通じて国の全土に道を作らせたらしい。どこまでも、等間隔に、方眼紙のように。

話のだいたいの筋がつかめて、それに、くりかえし何度も同じ映画を観るのにも飽きたから、打ち止めにしてロビーに出ると、そこには一人の老人が居た。風貌からして、この映画館の支配人であることが何となくわかった。おそらく、ここをひとりきりでずっと切り盛りしているのだろう。

私は彼に、あの映画で描かれていることはほんとうか、と尋ねた。彼は、そんなことは重要ではない、自分はここでひたすらに映画を流しているだけなのだから、と答えた。

私は次に、この映画館には人は来るのか、と尋ねた。彼は、自分がここに勤めはじめてから数十年、お前がはじめての客だ、と答えた。私が映画の料金は幾らだ、と尋ねると、彼は、そんなものは要らない、結局はマネーなぞ我々の真の孤独を救いやしないのだから、と答えた。私はそれを聞くと、私が私のズボンのポケットのなかにお金を持ってきたことが、なんだかとても浅薄であるように思われて、すこし腹が立ったものだから、ああそうかい、と言って映画館から出ようとした。すると彼は、取り繕うかのように、だがちょっと待て、お前がくれると言うのならおれは料金を申し受けよう、と言った。私は笑いながら、彼にポケットの中の現金をすべて差し出した。彼は笑いもせず、売店のほうを指差して、もし必要なものがあるなら何だって持っていってくれ、と私に告げた。私は、そこにあるだけの超小型缶詰をバッグに詰めて、彼に会釈して立ち去った。


荒野が続く。道路は相変わらずあるけれど、もはや十条ごとの看板は朽ち果てて、その残骸が何とか残っているばかりである。



ああ、神よ、神よ!私は強く神の存在を信じた。もうどれほどの時間歩き続けたのか、私は覚えていない。最後に人と話してから、つまり、あの映画館を後にしてから、数か月、何なら数年の時が経ったようにも思われて、私は漸く、ようやく、街を発見した。私がもともと住んでいたあの街とは比べものにならないほどに小さい街で、なんなら、村と表現したほうが適切であるかも知れない。街、もとい村の入り口には、「ようこそ、北百九十万千七十条」と書かれた看板が、風化せず、……いや、これはきっと、字が消えそうになるたびに、月日によって崩れ去るたびに、村人によって立て替えられているのだろう、綺麗な看板が、立てられていた。

村に入ると、唐突に、ひとりの少女と遭遇した。私は久しく声を出していなかったものだから、なにか喋ろうとしても喉が引きつって、彼女に挨拶することすら出来ずに、だが彼女は私を見ると目を真ん丸く見開いて、「あら、ええ、ねぇ、……ようこそ!あなた、すごい風貌をしていますよ!どうかうちに来て、お風呂に入って、服を着替えて……」

と言うものだから、私は彼女に連れられるまま、彼女の住む家へ、風呂へ直行した。


生まれ変わるような気分で風呂から出て、彼女が用意していた服(、これは私の街の服とは随分と異なっていて、最初その着方がわからなかった)に着替え、居間にいる彼女のもとへ顔を出した。彼女は笑って、

「ああ良かった。お風呂に入れば、あなた男前じゃない。最初会ったとき、ミイラか死人か、そんな何かみたいだったわよ。ねぇ、一体どこから来たの?」

中央の街から、と答えると、彼女は、中央?と、きょとんとするから、北零条、と答えると、彼女はけらけらと笑いながら、(よく笑う娘だ、と私は思った。魅力的だった。)

「あたしを無学な村娘だと思ってからかっているんでしょう。言いたくないのなら良いけれど、……でも、いつかほんとうはどこから来たのか、教えてくださいね。今日はとりあえず休むと良いわ。亡くなった父のベッドが空いているから、死人のベッドなんて厭かもしれないけれど、貴方は私の父に似ていて、優しそうだから……」

云々、とりとめのないことを彼女は喋り続けて、私は彼女の話を聞きながら、数年も歩き詰めの生活だったから、彼女の、ひとの温かさに触れて、アパルトメントの生活にはあり得なかった温もりに包まれて、こくりこくりとうたた寝を始めてしまい、それに気づいた彼女は、

「あら不可ない、さあ、ベッドに案内します!」

と言う彼女に連れられて、私は数年ぶりに、しっかりと眠った。


眼を覚まして居間に行くと、少女は料理を作っている最中で、

「お早うございます、もうお昼の時間だけれど!よっぽど疲れていたのね、ほんとうに貴方は北零条から来たのかも知れないわね」

って、昨日に引き続きけらけらと笑って、私も彼女の笑いかたに、悪い気はしなかった。

そういえば、と、私は言葉を発した。この街の名前は何と言うんだい?

私の街にも名前が有った。わたしの街の人びとは、以前に語ったように、その街から出ずに一生を終えるから、自身の住んでいる街の名前を意識することなく一生を終えるのだけれど、私の街にもたしかに名前が存在して、たしか、ロポッサとかいう名前だった。

「この街の名前?この街、……ここは街っていうほど立派なところじゃないけれど、(ここで彼女はけらけら笑って、)そうね、この街の名前は、」

と言って彼女は街の名前を発音した。だけれど、私は彼女が発した街の名前を聞き取れずに、何度も訊き返した。それでも、どうやっても聞き取れないから、しまいには私は諦めて、そんな私を見て彼女は微笑みながら、

「たしかに難しい発音だから、聞き取れなくても仕方ないわ。私も、お爺様からこの村の名前を教えてもらったとき、それを聞き取って発音できるようになるまでに、どれくらいかかったかわからない。でも、むかしの人たちの言葉で、たしか、『北の入り口』って意味の言葉だった筈よ」

なんて言ったものだから、今度は私が笑う番だった。ここまで来て、私が北を極めようとして数年歩いて、そうしてようやくたどり着いたのが、『北の入り口』!私はげらげらと笑った。少女は目を真ん丸にして驚いていた。


私と少女は、彼女が作った料理を食べながら、まるで親友か、或いは仲の良い兄弟であるかのように親しく話した。彼女は冗談の上手い、それでいて聡明な少女だった。私が彼女に、大学では何を勉強しているのかを尋ねると、彼女は三たび目を真ん丸くして、

「ダイガク?って、なに?」

と尋ねてくるものだから、私はびっくりしたけれど、しきりに大学について知りたがる彼女を前に、私は微笑みつつも口をつぐむことにした。彼女は、この街は、それで良いのだと思った。


「……もし良ければ、貴方、ここで私と暮らしませんか?この街には男手が少ないし、私の畑にも、貴方みたいな人がいれば、きっと助かるわ。お爺様だって、貴方がこの街に住むこと、喜んでくれる筈よ。何より、私は貴方がここに住むことを望むわ。ねぇ、どう?」

私達の昼食の皿を洗いながら、彼女は私にそう提案した。私は一瞬戸惑った。私は、北の果てを極めようとして、私の住んでいる街を後にした。この街の先も、道はどこまでも続いている。さいはてを目にせずに、ここで旅を終えてしまって良いのだろうか?

だけれどもう、私の心は決まっていた。もはや、北のさいはてに行くことなんて、さして重要でなく思われた。この街で出会った少女、彼女が私を認めてくれている限り、私はこの街で過ごしていようと考える。

私は少女に、彼女の言う通り、この街で過ごそうと思っていることを告げた。すると、私に背を向け洗い物をしていた彼女は振り向いて、とびきりの笑顔を見せてくれた。私は、私の決意が間違っていないことを確信した。