かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

河鍋暁斎展を見に行ったよ!

吉田健一が何かで語っていたことだが、いや、語っていないかも知れない、まあどうだって良いのだけれど、要するに、酒を飲んで酔い心地になっているときには、優れた芸術品、たとえば焼き物の皿、絵画や、唄いなど、そういったもののうち、より優れたものを摂っていると、ええ、その、ああもう、ああ!

 

止めよう。

 

酒を飲んだとき、或いはそうでなくとも、なにか正気を無くしているとき、静画の人物や模様など、動くはずのないものがどういう訳だか動いて見える、そんな経験をしたことがありますか。

私は、ある。

私の場合は、睡眠薬抗鬱剤を飲んだ晩がそれだ。数粒きりの錠剤を水道水と飲み下し、そうして、寝ずにしばらくぼんやりしていると、なんだか妙に気分が昂ぶって、それが合図だ。床に敷いたマットの端や、ケーブルの類、自ら動くはずのないものが、軟体動物の脚のように、どういう訳だかゆらゆらと蠢きはじめる。不気味さは気分の高揚に掻き消され、奇妙な好奇心と共に携帯を開けば、文字は踊り、画像は妖しくきらめきはじめる。

河鍋暁斎の絵は、そんな狂気の入り口の晩に眺めていたい絵である。

 

六本木で電車を降り、改札を抜け、きょろきょろしながら歩いていると、道案内が出ている。スマートフォンで道を調べることなしに、案内表示だけで目的地に辿り着ける、これは有り難いことだ。私の一生もそんなふうであったなら、どんなにか気が楽だろう。

道案内に従って歩いていると、駅から直結の或る建物に導かれる。年がら年中死を想っている人間にはどうにも縁遠い洒落たビルヂングの三階、そこに、その入り口はある。

河鍋暁斎展。

 

今日ここに来たのはほんの気まぐれだった。千葉の田舎からわざわざ東京くんだりまで一時間強かけて赴くことを気まぐれと呼んでいいのなら、ほんの、全くの気まぐれだった。だが、気まぐれとは時に桁外れな力をひとに与えるものであり、それに鑑みれば、私の気まぐれだって、そう奇妙なものでも無かろう。閑話休題、そんなことはどうでも良くて、とにかく、気まぐれを起こした私は、昨晩その存在を知ったばかりの展覧会に、千葉の片田舎からゴトゴトと電車に揺られ、東京都心、洒落たビルヂングの三階に訪れた。

私は決して絵画に造詣が深い者ではない。寧ろ、素人も素人、全きの門外漢、まだ三歳児の方が芸術の何たるかを識っているだろう。三歳児未満の感性もて、そのくせ歳ばかり無意味に二十年も重ね、偏見を専らの常識と履き違え、気心の知れた知己もなく、狷介、偏屈、そんな私の、どうしようもなく凝り固まった心、そんな心すら動かすようなところが、河鍋暁斎の絵には有った。

まず一番記憶に新しいのは『五聖奏楽図』である。磔にされたキリストの下で、日本の神々や孔子が歌えや踊れやしている絵、こうして文字に書きおこして了えば味もそっけも有りゃしないが、それはひとえに私の力が及ばぬゆえであり、一瞥しただけでその異様な構図に引き込まれ、趣旨がわかれば思わず微笑まずにはいられない。その機智、愛嬌には頭が上がらない思いである。

他にも河鍋暁斎の機智が遺憾なく発揮された絵が多々展示されていた。彼は幕末から明治にかけて活動した画家であるが、たとえば日本古来の妖怪が学制のもとひらがなを学んでいる絵は言わずもがなの愛おしさ、奪衣婆や閻魔大王が美男美女に平伏している絵には、本来怖ろしいものである地獄の彼らが、どこか憎めず愛嬌のあるものに描かれている。

だが、河鍋暁斎の魅力はその機智だけではない。彼の真骨頂は、ぞっとするほどの美しさを、不気味な題材を選びつつ、そのうえでうつくしく描く点にあるのでは無いか。

 

ひとつの幽霊画がある。片隅に行灯、その横に、老婆の幽霊がぽつねんと居る。乱れた着衣、骨ばった身体、こけた頬、うすく細く開かれた目が、じとりとこちらを睨めつけている。身体の左側は行灯に照らされ、足下はうすく、しかし、身体の右側、闇が濃くなるにつれ、その姿は存在を増し、右眼の恨めしげな視線に、すべては集約される。

 

ひとが、平日の昼間にもかかわらず、ひとが私のほかにもかなり居た。だから私は、人の流れに逆らうようにひとつところに留まることが、私は気が弱いからできず、そのかわりに、すべり台を何べんも滑る子供のように、幾度もその絵の前を流れる列に加わっては戻り、だが、どうして皆様、数十秒やそこらで、あのぞっとするようなうつくしさを観終わって次に行けるのだろう。

 

美女が骸骨を夢に見る絵がある。生き生きとした骸骨の骨の一本一本の白さ、精緻さが目に染みるほどにうつくしい。

 

頭蓋骨の両目の空洞をくぐっている蜥蜴の絵がある。蜥蜴の色彩の艶かしさ、頭蓋骨の陰影、曲線のうつくしさ。

 

 

帰りの電車に揺られている。

疲れ切った身体を座席に沈め、眼を閉じる。

脳裡に浮かぶのは今日観た絵、美女の夢に出た骸骨たちはカチャカチャと一斉に踊り出し、白くちらちらと妖しくひかる。行灯の横に立つ老婆の幽霊は、切れ長の目の黒目を動かし、こちらを見つけ、睨みつける。頭蓋骨の空洞をくぐる蜥蜴はするりと抜け出し、爬虫類の空虚な目でもて私を視つめる。