かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

機械じかけのカナリア(掌編)

機械じかけのカナリアを飼っている。

 

ほんとうはあたしは猫を飼うつもりでいた。モラトリアムがおしまいになってもう一年が経ち、いい加減独り暮らしにも労働にも慣れてきて、さあ、そろそろ生活の空虚を埋めてみようか知らん、猫を飼おう、だなんて思いたち、しかし、いざペットショップに猫を買いに行ってみると、思ったよりも数段高くてとても手が出ずに、悄然と帰ろうとするあたしの、その背中を見て哀れに思ったのでしょう、店員さんが声をかけ、あたしに教えてくれたのが、この、機械じかけのカナリアだった。トランプのケースほどのおおきさの箱が平積みにされていて、店員さんは、そのうちのひとつを手に取り開けると、剥製のような黄色い鳥が入っていた。これが、(と店員は言う、)これが、機械じかけのカナリアです。機械だから死ぬこともないし、止まり木型の充電器も一緒に買えば、自律式のカナリアだから、勝手に充電してくれて、餌をやる面倒も無い、それに、とても良い声で鳴くんです…、と、彼がウットリしたような目をするから、なんだかやたらに気になって、でもあたしはあまりお金がないんです、と言いかけると、彼は笑いながら、大丈夫です、まずは無料で、三十日間お貸しします、三十日後、気に入らなかったら返品しに来てください。もし気に入ったならお買い上げいただいて、お代はそのあとで結構です。きっと気に入ってくれるでしょうから。何故って?だって、このうえなく、うつくしい声で鳴くんですよ。それを聴けば、あなたはもう、お金のあるなしに関わらず、お金を何とかして作らざるを得なくなるでしょうから。

とてもうつくしい声で、鳴くんですよ…

 

家に帰り、止まり木のかたちをした充電スタンドをコンセントにつなぎ、その上に、カナリアをしずかに乗せると、ぴたり、と、止まり木に吸い付くように留まって、化石していたカナリアの目がパチリ、と開いた。そのままおもむろに鳴きはじめたカナリアの、その声は、すばらしくうつくしい、と言いたいところだったけれど、正直なところ、期待していたほどに良いというわけではなかった。悪くはないが、あの店員が言っていたほどに、ウットリするほど、うつくしい、というわけではない。まァ、三十日間あるのだから、暫く置いておいてみようか…

 

翌朝、目覚ましの鳴る五分前に目が覚めた。カナリアが鳴いていたからだ。南の島国の弦楽器を想起させる調子で綺麗に鳴いていた。なにか佳い夢を見ていた気がするけれど、それが夢だったのか、夢から覚める瞬間の心地よさそのものだったのか、今ではもう判別が出来ず、ただ、カナリアが気持ちよさそうに鳴いている。あたしはすこし微笑むように、朝食の準備を始める。

 

その日の夜、十時頃、すし詰めの電車から吐き出され、ほうほうの体でアパートにたどり着き、鍵を開け、玄関に倒れこむ。あたしは、どうして、こんな、どうしようもない苦役を毎日毎日、いったい、なにが哀しくて、…なんて、フローリングの冷たさを頬に感じながら、泣きそうになっていると、パタパタと羽音が近づいて、私の視線の先、私の左の手の甲に、機械じかけのカナリアが止まる。こうして見ると、ほんものの鳥のようだ。カナリアはあたしをすこし見つめたあと、キュルン、とひと鳴きして、ふたたび飛んでいった。あたしは妙に嬉しくなって、起き上がると、スーツの皺をなおしはじめる。

 

来る日も来る日も、あたしは機械じかけのカナリアと共に生活した。仕事のない日は一日中カナリアの声を聴いていることだってあった。鳴いたり、鳴かなかったり、カナリアは気まぐれなようで、それでいて、あたしがもう何もかもやるせない気分のときは、決まってあたしの近くに飛んできて、ひと鳴きする。あたしはどんなにか、この機械じかけのカナリアに救われたろう。もう、毎日が、カナリア無しには過ごせない気がした。

 

 

三十日目がやって来た。その日はたまたま仕事が休みで、あたしはカナリアのお代を払いに、ペットショップに、まさに行こうと準備しているところだった。カナリアは今日も鳴いていて、あたしは無性に嬉しかった。これからも、ずっと、宜しくね、なんて、声をかけてみたりした。それに応えるかのように、カナリアはうつくしくひと鳴きする。

インターホンが鳴る。あたしはハーイ、と返事をして、でも念のため、スコープを覗いてみると、ニコニコとした、壮年の、だが、どうも胡散臭い、詐欺師みたいな男が立っていた。トランプを持たせれば立派な手品を披露するだろう、スーツを着せれば立派に人を騙せるだろう。そんな、不定形の、胡散臭い男が、顔に笑いを貼り付けるようにして、立っている。

あたしはおそるおそるドアを開ける。彼はニコニコとしながら言う。

 

「どうもこんにちは初めまして、エス工業から来ましたマエダと申します、本日はその、機械じかけのカナリアのアップデートの件で伺いました次第でございます。こうしてアタクシども、機械じかけのカナリア保有していただいているお宅にお伺いして、カナリアのアップデートをさせていただいているのですが、…突然ですが、貴女、もしそれが同じ大きさだったとして、冷凍庫がついていない冷蔵庫と冷凍庫つきの冷蔵庫、どちらのほうが欲しいですか?…ええ、ですよね、冷凍庫つきの方がよろしいですよね!ときどき冷凍庫なんて無くて良いなんて言う方がいらっしゃるのですが、無いよりもあるほうが望ましいのは言うまでもないですよね、いやあ、貴女がもののわかる方で良かったです、そんな貴女にぴったりのアップデートをお待ちしたんです、すこしお宅にお邪魔させていただけませんか?カナリアのアップデートをこちらのデバイスでインプットするので、いや、お手間は取らせません、一分で済みます、貴女にもきっと気に入っていただける機能を更新させていただきます、あいすいません………、はい、これでカナリアは最新状態にアップデートされました。我々の技術の限りを尽くしたカナリアの最新アップデート、どうぞお楽しみ下さいましね。では、お邪魔しました…」

 

玄関を閉じ、しばし茫然とした。つむじ風みたいな人だったな。なんだかわけのわからないうちに終わっていたけれど…、とにかく、要は、機械じかけのカナリアがアップデートされてますます良いものになったということなのだろう。ますます良くなったならば、なおのこと素晴らしい。あたしはカナリアに視線を投げかける。すると、カナリアはあたしをじっと見つめ、嘴をひらく。

 

「よう、お嬢さん。アップデートされておれは、ピヨピヨ鳴くだけの木偶じゃあなく、人間みたく話せるようになったんだよ。最新型のAIと膨大な文字データによる、現代技術の贅を尽くしたソフトさね。いや、もちろん、今までどおり鳴くことだって当然出来るよ?ピーヒョロロ、ピーヒョロロ、ほらな?だが、今の時代、鳴くことが出来るだけじゃあどうしようもないさね。そんなもん価値がない。この時代には、こうやって話し相手になったり理屈を語ってみたりするのが重要だろう、なぁ、そう思うだろ?なにごとも無いよりかは有るほうが優れているんだから、おれが鳥の鳴き声しか出せないより、人の言葉を話せるほうが、それは良いってわけだ。さあ、…、おい、おれのことを握るな、やさしく扱えよ、おい、どうするつもりだ、ひっくり返しても何もな

 

 

あたしは、機械じかけのカナリア、このガラクタの電源を切り、ペットショップに返しに行った。