かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

日常最終日(掌編)

殺人事件のニュースのあとは地球滅亡のニュースだった。どうやら今夜の十二時ちょうどに、一瞬で地球は終わるらしい。

そのニュースがテレビから流れたときに僕ら家族の三人は、テーブル囲んで朝ごはんを食べていた。誰も言葉を発さなかった。箸と食器だけがカチャカチャと音を立てる食卓に淡々とニュースキャスターが地球滅亡の予定を伝える、静かな朝だった。ゆいいつ母だけがボソリと、最近暗いニュースばかりね、と呟いた。誰も返事をしなかった。

すこしして父が、じゃあ会社に行ってくるよ、と言って席を立った。半分も朝食を食べていなかった。今夜の晩ごはんはうちで食べるの?と母が訊くと、ごめん今日も残業で遅くなる、と返事をして家を出た。母は深くため息をついた。

ひじきをちょびちょび食べながら、僕はテレビをぼんやり見ていた。地球滅亡のニュースはとっくに終わり、エンタメ情報に変わっていた。僕が好きな女の子(北里さんのことだ)に似ているアイドルの、熱愛報道が特集されていて、とてもおどろき、それからなにやら悲しくなった。(ぼくはこのアイドルのことも気になっていたのだ。)理由は違えど僕も母も悲しくて、つまり食卓は悲しみの膜で覆われた。いたたまれなくなっちまったから、僕は朝食の残りを大車輪でかき込んで、いつもより早く家を出て学校に向かった。玄関のドアを閉めるとき、家の中から、母のふかいため息が聞こえた。

学校に着くと教室はいつもどおりうるさかった。僕が自分の席に座ると、どこからともなくタケシのやつがニヤニヤしながらやって来て、昨日のプロ野球の話をマシンガンみたいに喋りはじめた。これもいつものことだった。僕は野球に興味がないから、ペン回ししながら適当に相槌うってやり過ごすのだけど、ふとタケシのマシンガンは止まり、声をひそめて僕に訊いた。

「そういえば今日で地球が滅ぶらしいな」

そうみたいだね、と僕が言うと、タケシのやつが更にニヤニヤしながら言った。

「じゃあお前、北里さんにコクっちまえよ」

僕はタケシを引っ叩いた。タケシはしばらくヘラヘラ笑ってからまた野球の話をしはじめて、僕は相槌も適当に北里さんのほうをチラチラ見ていた。(今のが北里さんに聞こえていたらどうしよう。)そのうち担任が入ってきてみんなじぶんの席に戻った。朝のホームルームは文化祭の出し物についての話だった。

 

夕方だった。特筆すべきことのない授業が済み、帰りのホームルームもつつがなく終わって、教室を出ようとするその瞬間、ちょうど僕は呼び止められた。振り返ると声の主は北里さんだった。(北里さんに話しかけられるのは初めてだった。とてもびっくりした。)僕のびっくりをよそに北里さんは、文化祭の連絡事項とかを伝えられるように僕の連絡先を知りたい、だとかそんなことを言っていて、僕はびっくり醒めやらぬうちにアアだかウンだかそんな冴えない返事を返した。それから、急に去来した緊張、心臓が口から飛びだしてしまいそうな緊張をなんとかこらえるようにして、何気ないように振る舞いつつ連絡先を交換した。(連絡先を交換するために携帯と携帯を近づけるとき、ふと携帯をもつ北里さんの手と僕の手がふれ、北里さんの手は柔らかかった。おもわず僕は叫んでしまいそうだった。)それから北里さんは、じゃあね、と(僕に対して!)笑いかけて、(僕に対して!)手を振って、僕はふたたびアアだかウンだかそんな感じのなんとも冴えない返事をして教室を出た。要するに僕は北里さんとはじめて会話をして、連絡先も交換したのだ。

 

北里さんと話せたことや、北里さんの連絡先が僕の携帯のなかに存在することへの、不滅の歓びに包まれながら帰路を辿り、ルンルン気分のまま家のドアを開けると、途端に家から深い悲しみが溢れ出して、それにあてられて急速に僕の歓喜も萎んでいった。そこには朝の悲しみがあいもかわらず垂れこめていた。もう真っ暗になりかけている居間で母はひとり、テレビも電気もつけることなく、俯いて、何もせずに腰掛けていた。痛々しいほどに打ちひしがれている母を見て、僕の気分も地に落ちた。

母は帰ってきた僕に気づくと、ひとつため息をついてから、無機質な機械のように、

「ごめんね、今日の晩ご飯はピザで良い?」

と訊いた。僕はそれで良いよ、と言った。深い悲しみに沈んだ母とこれ以上一緒にいることに耐えられそうもなかったから、僕は居間の電気をつけ、それから二階の自分の部屋へと撤退した。

ピザが来たみたいだから一階に降りると、母とピザ配達員が揉めていた。どうやらクーポンの使用条件について揉めていて、「併用不可」の字の小ささについて母が不平を述べていた。配達員は戸惑っていた。聴いているとどうやら母の主張に無理があるように思われた。しかし配達員の心が先に折れたようで、明日以降使えるクーポン(これは併用可能なやつだ)を多めに母に渡すことで事をおさめようとした。母もそれに納得した。こうして揉め事は解消された。

一悶着をトッピングしたせいですこし冷めたピザを食べながら母に、けっきょく今回ぶんのピザは安くならなかったんだよねって訊くと、そうよ、と母はしずかに言った。つづけて僕は母に訊いた、今日の十二時で僕らみんなおしまいなのに明日以降のクーポン貰ってどうすんの?母は僕をちらりと見て、ため息ひとつ吐いて言った。

「私はずっとこうやってきたの。あと三十年生きようが、明日を待たずに死ぬことになろうが、私がやることは変わらないわ。明日がどうなろうが、ただ淡々と、これまでやってきたように、いつだってやっていくだけなの。配達の彼だって同じだわ。いつだって同じようにピザを届けて、揉め事がおこればクーポンを多めに渡して解決するの。誰だって、私みたいに明日以降使えるクーポンを貰うか、或いは彼みたいに明日以降使えるクーポンを渡す、それだけよ、その繰り返しなのよ。あんただって例外じゃないわ」

「そういうもんなの?」

「そうよ」

「そういうもんかなぁ」

僕の返事を聞くと母は静かにうなずいて、間髪おかずにテレビをつけた。テレビの中では芸能人がゲラゲラ笑って騒いでいた。母と僕とはふたたび話さなかった。

夜だった。僕はじぶんの部屋に居て、布団をかぶって携帯の連絡帳をニヤニヤ見ていた。

僕は北里さんにどんなメールを送ろうかと妄想していた。無難に挨拶でも送ろうか。それともなにか、つぎの休日に遊びにでも誘ってみようか。けれどもそれはいささか急すぎるかな、でも僕は北里さんともっと親しくなりたくて、或いは、そう、つまり、……。

突然かつ一瞬にして地球じゅうが真っ白な宇宙光線に包まれて、次の瞬間にはもう地球は無くなっていた。予定どおり、夜の十二時ちょうどだった。僕は妄想でニヤニヤしながら、母は悲しみに沈みながら、父は不義を働きつつ、北里さんは恋人とメールをしながら、タケシは眠りにつきながら、みんな一瞬で滅んでいった。