かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

就活で書いた作文です(随筆)

ままなりませんね、就活。ほんとうにもう、如何ともしがたい。とくに面接が駄目、まったく駄目、一次面接をこれまでに一回も突破できていない。わたくしの就活は一次面接すら突破できずに終わるんではないでしょうか。そうしたら一体どうするんでしょうね。首でも括るんでしょうか。しかし、よしんばどこかに滑り込めたところで、わたくし程度の人間が入社できるような御社は真っ黒な、薄給激務のクソ職場であるのは今からもう、わかりきっているのですから、わたくしの生涯、過去にもろくな思い出がなく、そうして未来も真っ暗な、そんな生涯なんてもう必要ないし、いっそ就活が最後までうまくいかず、そのせいで心の調子を完全に崩して、シレッと死んじまえたら、それがおそらく一番マシなわたくしの生涯の終えかたなのでしょう。もとい、そんな終結をわたくしはいま、望んですらいる。わたくしが今こうして生きているのは、ただ死ぬ勇気が足りないという、まさにそのためだけなのですから、希死念慮が死の恐怖を大きく上回り、或いは絶望の力を借りて、つと死んでしまえるのが、いちばん良いように思われます。生きていたところですべて、何もかも、ろくでもないのはわかっている。かと言って死ぬる勇気も今は無い。ならばいっそ、貴社どもが、とことんまでわたくしをコケにしてくれれば良いと思います。わたくしが確実に死に至れる手段を取るほどに、わたくしのなかの希死念慮と絶望が増大するためには、ぜひともあまたの貴社どもの不採用が必要なのである。ですからどうか、これからわたくしを落とす貴社ども、どうかよろしくお願いします。

さて、ところで、一次面接を受けた貴社のひとつから先ほど不採用通知が届きました。また駄目だったんですね。残念です。それで、その貴社は書類選考で作文を課していたんです。面接で落ちてしまえばエントリーシートも作文も何もかも無意味でしかないのですが、時間をかけてせっかく書いたわたくしの作文が、貴社のシュレッダーにかけられてそれきりおしまい、なんてどうにも味気ない。ですからまあ、ちょうどこうして(誰も読まない)ブログを開設していることですし、折角ならインターネットの片隅にでも遺しておこうと思う所存です。

作文のお題は「好きな本」、指定字数は原稿用紙二枚。わたくしが作文につけたタイトルは「吉田健一『汽車旅の酒』」です。以下本文です。

 

 

 吉田健一の書く文章にはどうも、深刻さが欠落しているように思われる。と言ってもそれは、専ら肯定的な意味での欠落である。

 私がはじめて彼の文章に出会ったのは、大学の前期試験を終えた翌日の、新千歳空港においてであった。実家から遠路はるばる受けに行った入学試験の手応えがなく、私はずっと悶々としていた。新千歳空港で復路の飛行機を待ちながら、私の頭の中は「後期試験」や「浪人」といった言葉で埋め尽くされていた。

 ひどく気分が落ち込んでいた。今にして思えば大げさな反応だが、私は半ば絶望してさえいた。入学試験の失敗は、それほどまでに当時の私にこたえたのだ。

 そんな憂鬱を少しでも取り除こうと、縋るようにして入った空港のなかの小さな本屋で、偶然手に取ったのが『汽車旅の酒』だった。パラパラとめくって中身を見てみると、どうやらエッセイ集のようだったから、あまり考えもせず(またさして期待もせず)購入した。これなら今の気分でも読むことができ、或いは少しは気を紛らしてくれるかもしれないと思ったのである。

 過小評価だった。いざ読みはじめてから吉田健一の文章に引き込まれるまでに、ほんの数分もかからなかった。主題である旅や酒や食べ物の味わいをこの上なく引き立てる彼特有の文章、深刻さや陰気の代りに機知や諧謔をたっぷりと盛り込んだ彼の文章は、私の憂鬱をいともたやすく霧散させた。一冊の本がこうも易々と私の憂鬱を消し去ってしまったことが信じられず、だがそんなことはどうでも良い、今はみずからの機微を彼の文章に委ねようと、夢中になって読み耽った。一つのエッセイ、あるいは際立った一文を読むたびに嘆息させられ、しばしの間恍惚として余韻に浸った。

 吉田健一楽天的な、人を酔わせるような文章のために、当時の私は確かに救われたのだ。