かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

北海道を一週間旅した話(紀行文)

 

カネが無くて呻いていた。

旅行へ出発する半月ほど前、一月末の無職の私は、どこへ行くことも何をすることもできずにいた。現金の持ち合わせがまるで無かったのである。四月からの労働者生活が始まるまえのラスト・モラトリアムたる貴重な期間、値千金たる時間が、行動と結びつかずにそのまま延々と腐っていた。時間が有り余っているならせめて本でも読めば良さそうなものだが、徹底したカネの無さは心の気力を根こそぎにして、ページを開く気力もわかず、日中はもっぱら昼寝で寝飛ばしてしまうか、或いは狂ったように何時間も散歩をしていた。もとい、そうでもするほか無かった。(バイト? 冗談はよしてくれ! 四月からイヤってほど働かされるってのに、よりによっていま賃労働なんて!)

奇跡のように何かが変わりやしないかと思って一度、財布のなかの貴重な数百円を使い、ファミチキとポッカレモンを買って公園に夕陽を眺めに行ったことがある。当然なにが変わるわけでもなくて、ただ小銭を無駄に浪費して終わった。全財産の半分を用いた気分転換の失敗だった。こうなればますます不貞腐れて横臥のうちに日々を送るほかなかった。

とにかくカネが全くなかった。大学を一年留年し、卒業後も就職が決まらずに、二年間も人より多くぷらぷらしていた生活の、最後の余暇が終わりつつあるにも関わらず、私は何もできずにいた。ラスト・モラトリアムの区切りとして、せめて最後に旅にでも出られればと、叶わぬ願いばかりを膨らませながら部屋でひとり腐っていた。

不愉快な日ばかりが続いていた。何をすることも出来ないそんな日々のうちに、いよいよ諦めムードが漂って、このまま身動きが取れずにモラトリアムは終了し、懲役数十年の労働者生活に突入するのか……と、空っぽの財布とおしまいのような自意識の狭間でなかば絶望しきっていた、そんな一月末のある日の晩、しかし、突然に! 思いがけない臨時収入が入ってきたのだ!(ご都合主義のような運の良さ!)

というわけで私はその日、臨時収入を用いて旅へ出ることを決心した。

こうやって旅への展望が開けることもあるものだ。

 

 

*一日目(成田→新千歳、札幌)

日時は飛んで二月十二日の朝七時ごろ、私は成田空港に居た。記念すべき旅、一人旅の第一日目だ。旅へ出られるのは素直に嬉しく、空港までの道中の北総線の運賃だって笑って許せる心地だった。

一人旅、……そういえば一人旅らしい一人旅をするのは大学二年生の初夏以来で、あのときは講義を一週間ほどサボって四国へ行ったものだった。大学の同級生がすし詰めの講義室で授業を受けているその一方で、私は四万十川沿いを自転車でくだり、誰もいない沈下橋を独り占めにして碧い水面に見入っていた、あの時間はほんとうに、他に代え難い幸福だった。そんな四国以来の一人旅が今回の旅で、可能なら今回だって私は夏を旅して回りたかったが(私は夏が好きなのだ)、お天道様に文句を言っても仕方がない。今は冬なのだから。

そう、他ならぬ冬だから、私は今回の旅先を選ぶのにすこし迷った。雪国以外の冬はどこを回っても夏に比べて精彩を欠くような気がしたし、かと言って雪国へ行ったところで何をするあても無いように思われた。温泉地へ行くことも考えたが、温泉地の旅館は一人客を歓迎してはくれないだろう。それに、温泉地で結構な費用をはたいて一泊なり二泊なりを過ごすなんて、それこそ社会人になってからすれば良いことだ(果たしてそんなことが出来るようになるまで私が労働に耐えられるか、それはまた別の話だ)。私はモラトリアムの有り余った時間を活かして長々と(、と言っても一週間程度ではあるが)旅行をしたくて、となれば費用もわりあい切り詰めなければならず、そのうえ旅行先としてある程度の期待が持てる地域を選ばなければならないわけだから、どうしたものかと、諸々考えた挙句、結局今回の旅の行き先として、北海道へ行くことにした。大学時代の五年間を札幌で過ごしていたのだから、今さら北海道へ旅行へ行くのもどうかとは思ったものの、しかし冬の北海道を一人で旅した経験は無いわけだし、それに何より、周遊きっぷが安かった。六日間特急にも乗り放題で12000円の切符の存在を知った時点で、私の心は決まっていたようなものだった。

そういう訳で二月十二日の朝七時ごろ、新千歳行きの飛行機に乗るべく成田空港に到着した。なんと言っても久方ぶりの一人旅だ。チケットの発券や搭乗手続きを済ませ、第三ターミナルの搭乗口で飛行機を待つ私の心は、これからの旅の素晴らしさを予感して、いやましの期待に打ち震えていた……! なんて調子でいけば良いものの、しかし私はそんな調子では全くなかった、生憎なことに。もちろん、道中の電車や、空港内を第三ターミナルへ向かって歩いている時などは単純にわくわくしながら過ごしていた。しかし、諸々の手続きを済ませ、出発ロビーで格安航空の飛行機を待つ段階に至った私は一転、旅への期待に震えるでなしに、航空機の運休や条件付き航行への不安に打ち震えるに至ったのだ。というのも、私が乗る飛行機よりも前の便が、どうやら条件付き航行、つまり新千歳の天候不良で着陸が出来なかった場合は成田へと引き返す運航になっており、それを知った私は『もし私が乗る便も条件付き航行や運休になってしまったら……』などと、初っ端から旅程が崩壊してしまう予感に戦々恐々としていた訳である。『ああおれの生涯はいつだってこうやってケチがつく』だとか、『初っ端から不穏な旅行なんてまさにおれらしいじゃないか、ケッ、全く結構なこった!』などと自らの巡り合わせを呪いつつも、アナウンスが流れるたび誰も彼もが会話を止めて耳を澄ませる出発ロビーで、おっかなびっくり過ごしていた。

そして結局、飛行機は数十分ほど遅れはしたものの無事に飛び、昼前に私は安堵とともに新千歳空港へ着陸した。心配が杞憂に終わる瞬間の、気が楽になる情動はいつだってありがたい。

新千歳空港からは鉄道で移動し、昼過ぎには札幌駅に到着した。念願の北海道、懐かしい札幌駅だ。

 

 

(ここで札幌駅の写真があると良いのだが、撮影していなかった。札幌駅の写真なぞ撮ったところで仕方がないもの。)

 

 

札幌駅から一歩踏み出すと、ほんとうに何一つ変わっていない街並みだった。それもその筈で、最後に大学生活のこの街を後にしてから未だ一年も経っていないのだから、街並みが大幅に変わっているわけもない。駅の北口は相変わらず工事をしていて不便だし、溶けた雪の水溜まりは厄介だった。

懐かしい、で片付けてしまうにはあまりに記憶に新しい札幌の街を、大学の構内へ向かって歩いていった。(せっかく五年も大学生活を過ごした札幌の街へ行くのだから、旅の最初の昼食は大学の学食で摂ることにしようと、旅程を立てた時点から決めていたのだ。) 私はうきうきしながら札幌の街へ踏み出して、旅人の身分として訪れる札幌の、だが、これは、……そう、はっきりと書いてしまおう。札幌の街を歩いているうちに、どういう訳だか旅情はガリガリとすり減ってゆき、それどころか学生として札幌を歩いていた時分の堪らない気分までもが次第次第に思い出されて、私は不愉快になってきてしまったのだ。(せっかくの旅だというのに!) というのも、思い出というものは時間を経るに従ってセピア色へと霞んでゆき、愉快なのもそうでないのも大概は『懐かしさ』の名のもとで何か良い経験であったかのように錯覚されるものであるが、久々に札幌の街を一歩一歩進んでゆくうちに、私の札幌に対するセピア色の懐かしさは剥がれ落ち、窮乏や孤独のうちに札幌の街を歩いていた学生時代の不愉快が、あまりに露骨に蘇って、……要するに、この街には私の生活の匂いが染み込みすぎてしまっていたのだ。ちょっとそこいらを歩いただけで、学生時代の数多の苦痛の面影が、街の空気や景色のうちに、頼んでもないのにちらついて、こうなってしまえば旅情も糞もありはしない!

 

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不運は続く。旅情の無さに文句を言ったところで仕方がないから、苦々しい心地で雪道を歩き、いざ大学の学食へ着いたは良いが、肝心の学食が閉まっていた。無職生活も10ヶ月になると、曜日感覚が無くなって、その日が日曜日だということを失念していたのだ。ほんとうに、私はいつだってこのザマだ。(自らの愚かさを取り繕うためという訳ではないが、コロナ禍以前は日曜日でも学食は開いていたことを記しておく。コロナ禍以降は学食の営業時間も曜日もよくわからなくなってしまった。)

ただ無駄骨だった大学構内の散歩を済ませ、昼飯にありつき損なった私の足は、かつて自分が暮らしていたアパートの方へと向かっていた。在学中は一度も入ったことがなかった近所の飲食店へ、折角だから行くことにしたのだ。(叶うことなら大学時代に行きつけだった定食屋に行きたかった。在学中の私にもそんな店が一軒だけあって、しかし大学四年生の時分に火事で閉店し、ふたたび行けなくなってしまった。私の生涯も、私の生涯をめぐる環境も、そんな風なことばかりだ。)

 

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昼食に選んだ店は二階にあった。学生時代はいつも俯いて通り過ぎるばかりだった道を見下ろすような格好の窓際席に案内されて、なるほどこんな眺めもこの街にはあったのかと思いつつ、暖かい店内とおいしい料理のために、旅情をすこし取り戻した。

さて、そうやって旅情を取り戻した私は次にどこへと向かったのか? 観光? いいや違う。 ……そう、札幌の駅前まで戻り、何やらうるさい店に入って、レバーを叩いたりリールを回したりしながら時間を潰すことにしたのだ。実は、その日は友人と会う予定が夕方にあり、空いた時間が手持ち無沙汰で、本来ならばこの空き時間で在学中に行き損ねた札幌の落ち穂拾いのような観光でもするつもりだったのだが、いざ札幌を歩いてみればかつての生活の匂いが染み込みすぎていたために、観光する気も失せちまって、それなればもう、パチ屋にでも行くほかないのだから、いったい旅先で何をやっているのだろうと思わないこともなかったが、そういった心の声を黙殺するようにレバーを叩き、ボタンを押して時間を潰した。三時間ほど過ごして負けずに済んだのだから、暇潰しとしては上出来だろう。旅情はふたたび消し飛んだが、まあ良いさ、私は札幌を目的にやって来たわけではないのだから。

そうして、十七時ごろにはスロットを切り上げ、地下鉄で西28丁目駅へと移動した。駅から十数分ほど歩き、マンションをエレベーターで上がれば、目的の部屋に到着する。ピンポンを押してドアが開けば懐かしい顔、札幌に暮らす友人だ。去年の三月、私がこの街を引き払う日に会ったのもこの友人で、長い別れを惜しんだものだが、まさかこんなにも早く再会を果たすことになるとは思ってもいなかった。それどころか別れの際、今生でふたたび会うこともあるまいと私のほうでは内心思っていたくらいで、そのことを目の前の彼に伝えると、そんなこと思ってたんだ、ひどいなあ、と言って笑った。兎にも角にも、尻すぼみになってゆくだけの私の交友関係の、数少ない友人のひとりに、札幌の地で再会したわけだ。(ちなみに、彼とは旅の六日目にもう一度会うことになる。)

旅行前、私は彼に、北海道の周遊きっぷの確保と、その日かれの部屋に泊めてくれるようにお願いしていた。そんな厚かましい私のお願いのいずれをも彼はこころよく承諾してくれて(ほんとうに有難いことだ)、私は一日目の宿と、これからの北海道旅行の周遊きっぷの確保に成功した訳である。そのお礼として夕食は私の奢りで彼と寿司屋へ赴いた。トリトン円山店だ。


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取るに足らない話をしながらトリトンの寿司を食べた。取るに足らない話をしながら美味いものを食うのは楽しい。取るに足らない話のできる、気のおけない友人と会うのは久々だった。

その後、彼の住むマンションへと戻り、酒を飲みながら話したり、トランプを切ったり、或いは私の書いたものを彼に読んでもらったりしているうちに、名残惜しいが夜は更け、翌日以降の旅程のために私は眠りの床についた。

旅というよりかは学生時代を思い出す一日目だった。

 

 

*二日目(札幌→帯広→釧路)

早朝六時にアラームが鳴り、起床した。友人宅をあとにして、西28丁目駅へと向かう。

 

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冬はつとめて、と言うがまったくその通りだと思う。とくに今から旅の実質が始まるというその瞬間に、まだ陽の昇らない雪道を進んでゆくのは気持ちが良い。私以外に出歩く人の姿もほとんど無く、心なしか空気も澄んでいるような気がして、学生時代の思い出の亡霊も私の邪魔をしなかった。(学生時代、日中こそ不愉快のうちに街を歩いてばかりの私であったが、深夜や早朝に出歩くのはもっぱら友人宅からの帰路の愉快な心地であった。そのためだろう。)

西28丁目駅からは地下鉄を経由して札幌駅へと辿り着く。さあ、周遊きっぷで旅立ちだ!

 

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このきっぷを用いて北海道を旅してゆく。

(ところで私は大学一年生の夏にもフリーきっぷを用いて北海道を鉄道で巡ったことがある。そのときは一部区間を除き鈍行にしか乗車ができないきっぷを使ったから、私の旅程を組む能力の拙さもあいまって、あまり都市を見て回ることが出来ず、移動時間ばかりが長い旅行だった。だが今回のきっぷでは特急列車に乗車することも可能だから、前回の旅では取り逃がしてしまった諸都市の観光、帯広だとか網走だとかに降り立つことも出来そうで、朝に目が覚めた瞬間から心が踊りっぱなしだった(、と思う)。)

 

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さんざ見慣れた駅名標の写真なぞを撮ってしまうくらい浮かれていた。

 

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七時五十八分発の特急列車に乗った。目指す先は帯広だ。

(余談だが、私はいくつかの写真をツイッターに上げながら旅をしていた。とうぜん自分が乗る列車の写真をツイッターに上げることもあったのだが、それを目にした鉄道に造詣の深い友人に『列車の撮り方がまるでなっていない』とリプライでお叱りを受けてしまった。私は鉄道を利用することや写真撮影を殊更に喜ぶところのものではないから、構図のことなど何ひとつわからなくて、そのために以下の紀行文には『まるでなっていない』写真や文章がたくさん並ぶことになる。(とくに写真についてはそうだ。)鉄道に詳しい皆々様におかれましては、どうかあまり目くじらを立てず、ああ下手くそな写真だなぁ、列車の良さをまるきり殺しちまってらぁ、と鼻で笑いながら読んでいただければ幸いだ。へへへ、……駄目ですかね?)

定刻通りに特急列車は動きはじめ、札幌駅をあとにして進んでゆく。成田から飛行機で飛び立つときよりも、列車で札幌を離れるときのほうが旅の実感が強いのは、やはり長々と過ごした札幌での学生生活のためだろうか。

 

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これまでずっと用いたことのなかった札幌駅の駅弁屋さんではじめて買った駅弁を車内で開けた。特急列車のスピードで流れる車窓を眺めつつ、こうやって駅弁をぱくついていると、いよいよ旅の心地になる。旅、ひとり旅、北海道のひとり旅!

 

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(車窓の景色。)

 

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十一時前に帯広駅へ到着した。車窓を眺めているだけで乗車時間は過ぎ去った。

帯広に着いたらすぐにしようと思っていたことがある。そう、昼飯だ。いくら平日とは言っても、昼時の飯屋は混むだろうし、私は人混みが何よりも嫌いだから、なるべく早く、店内が空いていて快適なうちに昼飯を済ませてしまいたかった。そうして帯広といえばまず豚丼が思い浮かぶ。(安直!) だから私は、あらかじめ調べておいた駅の近くの豚丼の店に直行した。

 

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これがその豚丼である(豚丼の『はなとかち』)。時間も早いからか店内も空いていて快適だった。帯広で豚丼を食べることが出来たのは嬉しい。可能ならいくつかの店を食べ歩きして回りたかったが、そんなことをするだけの胃袋の容量が私にはなかった。

豚丼を食べ終わり、時計を見ると、帯広を離れる予定の列車が来るまでザッと四時間強の時間がある。こうなれば観光をするほかない。帯広と聞いて一番に思い浮かぶのが豚丼だとすれば、二番目に思い浮かぶのは一体なにか?

 

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言うまでもない、ばんえい競馬だ!

駅前の豚丼屋から競馬場まで歩いて行った。雪道で三十分ほどかかったが、よく歩く無職にとってはこの程度の距離、平気の平左だ。

ばんえい競馬、というより競馬場に来ること自体が初めてだった。馬という生き物は綺麗で格好良いものだから競馬場では馬の姿を見ているだけでも十分に楽しい、なんて言説を耳にしたことがあったから、今回の訪問は楽しみだった。もちろん馬を眺めるだけで終わらせる気は更々なくて、100円単位でチョビチョビと賭けて遊ぶつもりでいた。あわよくば今日の夕食代くらいは稼ぐことが出来れば、なんて都合の良い期待もしていた。

 

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(こんな様子でコースは一直線になっていて、道中には二箇所の障害物(小高い丘)が設けられている。)

 

第1レースは十三時の出走だった。 何も分からないながらに単勝馬連三連単をぜんぶで千円購入し、出走を待つ。(馬券ってマークシートで購入するんですね。私はそれすら知らなかった。) 馬を間近に見られるように、馬場に近いところへ陣取ると、陽射しがぽかぽかと暖かい、小春日和だった。

 

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そうして十三時がやってきて、いざ出走と相成った。スタートゲートをくぐり抜けた馬たちは矢のように、あっという間に私の目の前を通り過ぎ、ゴールゲートをぶち抜いた! ……といった調子を私はなんとなく想像していたのだが、実際は全く異なっていた。

まず、橇を曳く馬の速さは我々が歩くのと同程度か、速くても小走りくらいのスピードで、事実われわれは馬の先頭集団と並走、もとい並歩しながら競馬場を進んでゆき、ゴールまでを見届けるといった調子だった。こんな陽射しの暖かい日に丁度良い、幾分のんびりとしたレースだった。

そのうえ馬はよく立ち止まった。もちろん立ち止まるのにも理由があって、障害物の前で馬は立ち止まり、手綱を引いて反動をつける騎手とタイミングを合わせ、その勢いで障害物を乗り越えてゆくのだ。はじめて見たときはどうして立ち止まっているのだろうと疑問に思っていたが、騎手とのコンビネーションが為せる技と知り、なるほど凄いものだと嘆息した。(ただ、障害物の無いところで立ち止まることも度々だった。あれは何だったのだろう。サボタージュ? 『労働環境の改善を!』)

第一レースを制したのは忘れもしない、フンコロガシという名前の馬だった。私はフンコロガシの馬券を買ってはいなかった。千円ぶんの馬券は紙屑になった。

負けっぱなしじゃいられないと、私の心に火がついた。ずぶの素人であるくせにこうなってしまえば事の顛末は知れたものだが、一度熱くなった以上、自分ではどうにもなりはしない。火照った脳髄をそのままに、第二レース、第三レースと賭けてゆき、結局五千円弱も負けてしまった。(投資が5300円、回収が410円だ。)慣れないことをするものではない。

騎手を乗せた橇を力強く曳くばんえい馬を、興奮とともに並んで進み応援するのは、しかし得難い経験だった。だがまあ、ふたたび賭けることはないだろう。

その後、駅前に戻り、十七時四分発の列車で帯広駅を後にした。

 

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釧路駅には十八時四十分ごろ到着した。大学一年生の夏の旅行の際も釧路を宿泊地にしたものだが、そのときは道路を封鎖して何やらお祭りをやっていたことを覚えている。

駅の近くのビジネスホテルにチェックインして荷物を置き、夕食を摂るためすぐ外に出た。帯広からの特急列車に揺られつつ調べて決めた或る店へと赴いた。

 

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泉屋だ。ここのスパカツ(鉄板のスパゲッティにカツを乗っけた食べ物)が釧路ではお勧めだとインターネットに書いてあった。なのでここで夕食にした。

(余談。もし私の書いたこの紀行文を読んでいる人がいるならば、或いはこうも思ったかもしれない。曰く、『帯広では豚丼で、釧路ではスパカツの泉屋か。結構結構、おまえは全く結構な俗物だな。インターネットのグルメサイトのお勧めに則って動くのは大いに結構なことだが、食べるものにせよ見る場所にせよインターネットのおすすめどおり、旅の本質たる偶然性を殺しちまって、人様の作った安全な橋の上を渡って歩く確認作業のようなそれが、今まさにお前がしているその行為は、ほんとうに旅と言えるのか?』云々、云々。それに応えて私は言う。曰く、『へへぇ、まったくもって旦那のおっしゃる通りでさぁ! へ、へ、へ! あっしはね、旦那、まるで怠惰な人間ですから、なぁんにも予定を決めずに旅にでもゆけば、それこそどこにも出歩きもせず、ビジネスホテルに篭りっぱなし、メシだってコンビニ弁当で済ませちまうような屑なんです。持っている気力の量が根本的に人よか少なくて、すぐ楽なほうへと流れちまうんだ。だからこそ、せっかく旅に出たのなら、たとい人が作った安パイのような道であっても、それをしるべに予定を立てて、見る場所、食べるもの、いくつかは決めて、マァある種の心地良い拘束とでも言えらぁね、そういった旅程に則って動くのが、あっしのような愚図にとっての精いっぱいで、同時にそれが楽しみなんだ。……なぁ旦那、はばかりながら申し上げるが、あんたはご存知ないでしょう、あっしのように学殖や生気に欠けた愚図にとって、旅にせよ生涯にせよ、『自由』なんてものは苦痛以外の何物でもありはしないんですよ。旦那の言うような偶然性を楽しむ余裕も、偶然性を楽しめるだけのあらゆる資本も、決して持ち合わせてはいないんです。だから旦那、そんなあっしを、そんなあっしの凡庸な旅を、どうか勘弁しちゃあくれませんか』、と。)

 

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階段を昇って店内に入った。平日とはいえ夜七時過ぎの飲食店だ、多少の待ち時間は覚悟していたものの、入店するや否や四人掛けのソファー席に通され、こうなれば脳裏に『名物に旨いものなし』といった言葉がちらついてくる。いささか不安になりながらもスパカツを頼むと、あまり待たされることもなくやって来て、(ジュージューと音を立てる鉄板、)いざ手をつければこれがしっかりと旨かった。なんと言っても上に乗っているカツの柔らかさには驚かされた。ふたたび釧路に訪れる機会があればまた行きたいが、ボリュームがそれなりにあったから、歳を取って胃袋が脆弱になるよりも前に再訪できればと思う。(これを書きながら涎が出てきた。)

夕食後、ビジネスホテルに戻って眠った。旅はまだ始まったばかりだった。翌朝の出発に寝坊するわけにはいかない。

 

 

*三日目(釧路→網走→北見)

朝の七時二十分、ビジネスホテルのベッドに附属のアラームに起こされた。

 

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(ビジネスホテルの窓から撮った釧路駅。)

 

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朝食はホテルのバイキングで摂った。バイキングの盛り付けには美的センスが如実に顕れる。昔からずっと美術の成績が悪かった。

朝食後、身支度を済ませて釧路駅へと向かい、列車を待つ。私が乗る予定の列車のホームでは早くも人が列をなしている。こんなにたくさんの人に待たれていれば列車のほうでもやって来ないわけにはいかない。なので列車は到着した。しれとこ摩周号という名前らしい。こんにちは。

 

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八時五十七分にしれとこ摩周号は釧路駅を発車した。釧路湿原オホーツク海を車窓に臨んで網走へと向かう列車だ。夏の釧路湿原は以前の旅行で目にしていたから、冬の湿原がどう様変わりしているのか楽しみだった。が、どこまで行っても雪景色だから、冬の湿原に感じるところはほとんど無かった。(地理や植物学の素養があれば、或いは車窓の冬の湿原だって楽しむことが出来たのかも知れない。私にはできなかった。)

 

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(道中、車窓に鶴を見た。)

 

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網走へと近づいた車窓からはオホーツク海が見え、そこには氷が浮かんでいた。たぶん流氷だろうと思う。海に氷が浮かんでいるのを目にすると、いよいよ北海道に来た気がする。流氷にお目にかかるのは初めてだった。

 

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昼前に網走駅へ到着した。滞在時間は五時間強の予定だ。

北海道へ旅に出る前、冬の北海道で何をするのがお勧めか、幾人かの人に訊ねた。すると流氷船を推す声が多かったから、網走では流氷船に乗ろうかと思っていたが、インターネットで予約しようと調べたところ、生憎なことに締め切られていた。或いは予約が無くとも当日席やら何やらでなんとかなったのかも知れないが、すっぱりと諦め、網走監獄へ行くことにした。

 

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バスに乗り、網走監獄へ到着した。バスは立ち客が何人も出るほど混んでいて、人いきれの湿度のなか、私は勘弁してくれと思いながら、縮こまって揺られていた。

 

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入監料を払って監獄へ入り、すぐに私は料金所で貰った地図を開いた。まずは昼食を摂りたかったのだ。網走監獄では網走刑務所の監獄食を食べられると聞いていて私はそれを楽しみにしていたから、地図で場所を確認すると、食堂はなんと料金所の外にあった。現在時刻は十三時前、食堂のラストオーダーは十四時半。監獄を急いで回って退監し十四時半に間に合わせるか、それとも一度引き返してまず食堂に行き、再入場して監獄を巡るか、どちらにするか逡巡した挙句、先に昼飯を済ませることにした。時間に追われて監獄を巡るのも馬鹿らしかったし、腹の虫がうるさかった。(監獄の広さに鑑みるに、この選択は大正解だった。) ぽつぽつと門をくぐって入監してゆく観光客とは反対に、私ひとり順路を逆走して退監し、監獄食堂へと赴いた。

 

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監獄食だ。麦飯なんて口にするのはいつぶりだろう。案外ふつうに食べられるものだなぁと思いつつも、どことなく味気なさを感じてしまうのは、……サンマの身が痩せていた。サンマの不漁のせいなのか、監獄食としての気分を出すための演出なのか、(サンマ、サンマ、サンマ苦いかしょっぱいか、)いやそもそも美味いサンマを目当てに監獄食を頼んだわけでは全くないから、要するに、たといサンマの身が痩せていても、網走監獄の情緒を微塵も損ないはしない食事だった。

腹ごしらえを済ませて網走監獄へ再入監した。少なくとも二時間弱は監獄の施設を見て回った筈だ。事前に想像していたよりも見て回る場所がたくさん有って、帰りのバスを一本ぶん遅らせた。(もう少しだけゆっくり見て回っても良かったかもしれない。逐一写真を上げることはしないが、施設として非常に充実していた。)

十五時半よりもすこし前のバスに乗って網走駅まで戻った。本来乗る予定だった列車にはまだしばらく時間があったが、一本早い鈍行に乗って北見へ向かうことにした。(要は一時間ほど早く網走を切り上げた。)ほんとうなら市街地のほうも見て回りたかったが、網走監獄のバス停でバスを待つうちに身体の芯まで冷え切って、観光の気分ではなくなってしまった。

 

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(これに乗った。愛嬌のある顔つきの列車だと思う。)

 

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十七時半よりもすこし前に北見駅へと到着した。ビジネスホテルに荷物を置いて、晩飯を求め北見市街へと繰り出した。

 

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(晩の気温は-8.0℃だった。翌朝七時に確認すると、-13.0℃まで下がっていた。)


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北見市街は歩道を庇(雁木?)で覆うような格好になっており、お陰で非常に歩きやすい。そんな歩道を煌々と照らす蛍光灯の白い灯りの、しかし立ち並ぶ建物はシャッターを降ろした店が多く、午後六時だというのに人影はまばらだった。人混みが苦手な身としては混雑よりかは有り難いが、市街地にこうも人が少ないのはいささか淋しく感じられて、誰もかれも皆、いったいどこへ行ってしまったのだろう?


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誰もかれも皆、焼肉屋に居た。北見が焼肉の街であるというのはどうやら嘘ではないようで、閑散とした市街地の様子とは裏腹に、『味覚園』の店内は人にあふれて賑わっていた。事前に予約を取っていたから良かったものの、もし予約をせずにいれば或いは北見の焼肉にありつくことが出来ずに終わっていたかもしれない。

 

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五千円で食べ飲み放題のコースを選ぶ。まずはビールを一杯飲みつつ、肉が来るまで北見式焼肉の説明を読んでいた。これまで私は、焼肉といえばタレ!、程度の単純な感性で生きていたから、下味をつけない肉に塩コショウを付けていただく北見式焼肉のやり方に、期待半分、疑い半分の心地でいた。やったことのない焼肉の食べ方は楽しみだけれど、何だかんだ言ってもタレのほうが美味いんじゃないの?、などと疑念を抱きつつ、ビールも二杯目にさしかかる頃にやって来た肉を実際に塩コショウで食べてみると、なるほど塩コショウで食べるのも悪くない。……いや、悪くないどころか、タレと塩コショウで食べ比べてみたところ、下味のない肉にはタレよりも塩コショウのほうがふさわしく感じられ、要するに、これは、美味い!

私が北見式焼肉の虜になるまで、そう時間はかからなかった。

 

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肉が旨ければ酒がすすむし、酒がすすめば旨い肉を食べたくなる。ただでさえ舌も喉も潤っているこんな状況に加えて旅の心地、つまり、日本の北の極寒の地の焼肉屋で私ひとり、何に気兼ねすることもなく焼肉を喰らっているという、旅特有の心地が加われば、心身ともに満ち足りて、もう何も言うことは無かった。

(そういえば一人で焼肉屋に行ったのもこれが初めてのことだった。最初の経験がこれほど充実していて果たして良かったのか、私は知らない。)


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(食べ放題セットについてくる、高い肉の一枚ずつ。)

 

飲みたいだけ酒を飲み、食べたいだけ肉を食べ、満ち足りた心地で味覚園をあとにした。満ち足りた心地でいれば夜の北見をすこし散歩したくなる。そうして呑気に散歩をしていると、歩道の境目でツルンと綺麗に転倒し、おまけに迷子になりかけた。二十一時過ぎにビジネスホテルへたどり着き、風呂等済ませ翌日に備えて早く眠った。

総じて北見は良い街だった。(ただこの頃には私は既に旅の終わりの影に怯えつつあった。私が何か楽しいことをしていれば、いつだって余計な考えが水を差す。)

 

 

 

*四日目(北見→おんね湯、留辺蘂旭川)

翌朝もそれなりに早かった。たしか早朝六時には起床した筈だ。

この日はバスで出発した。北見バスターミナル始発の七時十六分のバスに乗って、目指す先は終点、『道の駅おんね湯温泉』だ。

晴れた冬の朝の雪道をバスはひた走り、八時半ごろ終点に到着した。(路線バスにこれほど長いこと乗車するのは久々のことで、念のため酔い止め薬を用意していたが、幸いにも必要なかった。) 私を含め三人が終点で降りた。残りの二人はすぐにどこかへ消えていった。

……さて、列車であれば乗り放題のフリーきっぷを持っているにも関わらず、一体何のためにバスに乗って温根湯温泉へやって来たか、疑問に思う人も居るかもしれない。もちろん、列車のみでは温根湯温泉までたどり着けないためではあるが、ではなぜ私は鉄道で行ける他の場所ではなく温根湯温泉を選んだのか? 聡明な読者諸兄は既に気がついているだろう。ご推察の通り、温根湯温泉に訪れたのはこのためだ。

 

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そう、北きつね牧場の観光だ。北きつね牧場とは名前のとおり北きつねがたくさん飼育されている場所で、北きつねがたくさん居る場所があるならば、これはもう、行くしかない。

(昼過ぎまでこの辺りで過ごしたが、温泉にはもちろん入らなかった。)

 

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(バス停から北きつね牧場までの道中の眺め。見渡す限りの雪景色に、見渡す限りのひとりだった。)

 

バス停から歩き、十分ほどで北きつね牧場の建物の前に到着した。他に観光客が待っているかと思ったが、私以外には誰も居ない。開場の九時までにはしばらくの待ち時間があった。まだかなぁまだかなぁと入り口の前で待っていると、なんと時間より前にも関わらず、係の人がやってきて、どうぞ、と中へと入れてくれた。(嬉しい!) ありがとうございます、とチケットを買い、牧場内部に入場する。

 

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入場してすこし歩くとこういった感じの順路があって、

 

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きつね、


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きつね、


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きつね!!!

従業員のかたを除いて誰ひとり居やしない北きつね牧場を、マスクの下でニヤニヤしながら歩いて回った。きつねが、たくさんのきつねが、遠くに近くにたくさん居て、雪の上で朝陽を浴びるきつねの毛は金色なんだ。きつねの体毛はふわふわしていて、しかしきつねにお触りすることはできないから、遠くから、あるいは近くのきつねをじっと眺めることしか出来ず、というのもきつねは写真を撮ろうとスマートフォンを取り出すと、ムクッと起き上がってとおくへ去ってしまうことばかりで、これはもう、下手くそな写真を撮ることなんぞ早々に諦め、多数のきつねと一人の私のこの環境を満喫し、きつねをたくさん目に焼きつけたほうがお得だろう。

(とは言え写真も何枚も撮った。撮った写真を後々になって見返すことが、旅先での気楽な呼吸を思い出すためのよすがとなって、全き苦痛に他ならない日常生活の心痛を幾分やわらげてくれることを、身にしみて私は知っている。)

何てったって誰もいないこの北きつね牧場の独り占めの、幸福な(、幸福だった!)、その独り占め状態はしかし、ちょうど朝九時を境に破られた。中国語を話す大集団がやって来て、私の幸福な孤独は永久に失われた。(北きつね牧場を去るときに、大きなバスを目にしたから、どうやら彼らは観光バスでやって来たらしい。こんな辺鄙な北きつね牧場を訪れるプランが海の向こうで組まれているのかと思うと、なんだかすこしおかしくもあった。)

 

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(人間用の順路にお座りしているきつねだ。前脚を揃えて可愛いねえ。)

 

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(このきつねは私の靴をスンスンと嗅いで去っていった。)

 

順路を一回りするだけなら五分とかからない北きつね牧場に、四十分ほど滞在した。(人が増えるときつねもそわそわしはじめて、私ひとりのときよりも活発に動き回っていた。) 一生ぶんのきつねを目にした気がする。わざわざとおくバスに乗ってまで温根湯温泉にやって来た甲斐があるというものだ。

北きつね牧場から道の駅のほうへと戻り、次に私は水族館へ訪れた。北の大地の水族館だ。

 

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規模の小さい水族館とのことだから、どんなものかと思っていたが、これが存外に面白くて、たとえば滝壺を下から眺める趣向の水槽があった。温根湯温泉を訪れる際、北きつね牧場については多少調べていたものの、この水族館についてはほとんどノーマークの状態だったから、事前に期待をしていたわけでもなく入った水族館が趣向を凝らした展示をしているのを目にして、まず驚かされたのを覚えている。

 

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(水面が凍った水槽。)

 

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(なにやら可愛い両生類。)

 

この水族館には私以外にも数人の客が居た。バスはしばらく来ないはずだから、みんな自家用車やレンタカーでここまで来たのかなぁ、良いなぁと思いつつ、展示をひと通り見て回った私は、大部屋の隅のドクターフィッシュのコーナーでひとり、魚に手の皮を食わせていた。こうやってぼーっと魚に手の皮を食わせるのは楽しい。しばらくそうしているうちに、右手にも左手にもドクターフィッシュが寄りつかなくなったから、仕方がない、と観念して水族館をあとにした。乗る予定のバスが来るまでには二時間はある。結果はわかりきっていたが念のため一本早いバスがあるかを調べてみる。案の定そんなものは無かった。

北きつね牧場と水族館を見て回り、やることはもうなにもなかった。想定よりも長く暇な時間が出来てしまった。散歩して周囲を歩いてみるのも手だったが、雪深い道をすすんでゆくのにどれほどの時間がかかるかわからないし、バスの本数もまばらだから、結局道の駅からとおく離れるわけにもいかなかった。時間は二時間残っている。

腹が減っていたからスマホのマップで飯屋を探すと、幸いなことに道の駅の近くに一軒だけラーメン屋の表示があって、朝の十時からオープンしているという。ああ有難い、目が覚めてから何も口にしていないんだと思いつつ行くと、ラーメン屋は開いていなかった。なみひととおりでなく気持ちが凹んだ。

未練がましくその辺りを見て回ったり(、土産物屋などいくつかの店が軒を連ねている場所だった)、道の駅まで戻ったりしているうちに、時刻は十一時前、行くはずだったラーメン屋のすぐ近くの店が開いて、見ると飲食店のようだった。救われるような心持ちで二もなく入店した。先客はひとりも居なかった。

 

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豚丼を注文し、ゆっくり食べた。可能ならバスが来るまでのあいだ過ごしていたかったが、長居するのも恐縮で、三十分ほどで引き払った。その後は道の駅の建物内部のベンチのひとつでうたた寝をしながら一時間弱もの時間をつぶした。(屋外は耳が痛いほどに寒いが、屋内の窓際は陽射しがポカポカで良い気持ちだった。) そうしてようやくバスの時間が近づいて、乗り損ねるのが怖かったから十分前にはバス停の前に陣取った。雪に埋もれかかったバス停の前に佇んで、……佇んでいると寒くて仕方がなかったから、バス停の前をウロウロしていると、時間通りにバスは来て、ああ、二時間ものあいだ待ちに待ったバスがやって来た!

私は温根湯温泉をあとにした。

……多少無理をしてでも温泉まで歩いてゆき、日帰り入浴でもしてくれば良かったのかもしれない。

 

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昼下がりの空いたバスで留辺蘂駅までやって来た。ここから特急列車に乗って、旭川駅へと向かう。

 

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留辺蘂駅は無人駅だった。そういえばこの旅行で無人駅を利用するのはこれきりだった。


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(プラットフォームには私の足跡しかない。)

ホームの待合室には私ひとりしか居なかった。冬の無人駅にひとりぼっちで列車を待つのはなんだか心細い。風が吹くたび待合のドアはガタガタ鳴り、それがまた言いようもなく寂しかった。到着時刻が近づくと、駅のホームに放送が入って、定刻より十数分ほど遅れるという。放送が切れればふたたび私は一人ぼっちで、そのうちにもし列車が来なければ、なんて不安な心待ちにもなってくる。

その後、列車は予告どおりの遅れと共にやってきて、私は無事に留辺蘂をあとにした。事前に取っていた指定席へ向かうと、指定席車両の人の多さは満席に近く、まったく勘弁してくれという思いだった。無人駅でひとりぼっちも淋しいが、特急列車にたちこめる人いきれもまた煩わしく、なかなかままならないものだ。


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(この列車に乗って旭川へ向かった。やって来る列車をきちんとスマホで収めるつもりが、シャッターが遅れてとんでもなく見切れてしまった。下手っぴ!)

 

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(夕暮れの車窓。)

 

旭川駅へ着いた時刻は覚えていない。おそらく十七時よりは前だろう。モダンで巨大な旭川駅を脱出し、駅の近くのビジネスホテルへチェックインする。すこしだけ休憩し、夕食をとるため街へとくり出した。(夕食は旅の醍醐味の一つだ。酒を飲むようになる前はそのことが実感としてわからなかった。)

さて、旭川で私は、どの店に夕食へ行くのか事前に決めていなかった。というのも、旭川で食べたいものとして『新子焼き』(=若鶏を焼いて甘辛いタレを付けたもの)に目星をつけていたのだが、新子焼きを出す店は市内にたくさんあるようで、となると一つには絞れない。どうしたものかと迷いつつ調べていると、どうやら旭川には『ふらりーと』なる呑兵衛のための路地があるらしく、そこには新子焼きを出す店が何店舗か集中しているという。それならばまあとりあえずは『ふらりーと』まで行ってみて、それからは店構えやら何やらでピンと来たところに入れば良いかと考えるに至った。(『ふらりーと』なる路地がどういうものか、気になっていたのもある。)

 

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『ふらりーと』に到着した。夜の帷にとおく呑み助をいざなう黄色い灯りがつづいている。さあ、どの店に入ろうか。

 

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そうして私は『べてい』に決めた。こういった店構えの居酒屋、つまり外から店内の様子がわからないような店は入るたびに緊張する。若干の覚悟と共に引き戸を開けて、

……ああ、素敵な店だ!

店内を一目見てすぐに気に入った。昭和の雰囲気のある店内で、……とはいっても私は昭和を知らないから、昭和風の、とでも書いたほうが適切かもしれない。昔ながらの店構えで、……しかし、昭和風だとか昔ながらだとかそういった類いの形容をいくら重ねたところで説明にはならない。何と言えばいいのだろうか、つまり、何十年も前からずっと焼き鳥屋としてやっていた店が今もなお続いているといった風情の店で、当世に媚びるところの一つもない、飲み屋のなかの飲み屋、或いは、……どうだって良いや。要するに旭川に一軒の焼き鳥屋があって、その内装が琴線に触れた。(写真でもあれば良いのだが、写真をパシャパシャと撮り散らかすような雰囲気の店では無かった。)

私が訪れたのは十八時過ぎで、まだ晩も浅かったからか、店内はカウンター席に常連客の一人きりだった。(女将がひとりで切り盛りしている、ちいさな店だ。) 私もカウンター席に腰掛けて、まずはビールを頼んでから、おすすめが何かを尋ねてみると、チャップという部位が良いという。言われるがままチャップを頼み、お通しをつまんで備え付けのテレビを見ながら注文品を待つ。それからチャップがやって来て、爪楊枝でチャップを食べながら、最初のビールを飲みきった次は熱燗にした。それから私は、そうだそうだ、新子焼きを食べに来たのだからと思い出し、新子焼きを注文して、出来上がった熱燗をコップに手酌で注いで飲みながら、チャップをつまんで、……

 

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(新子焼き。)

 

……なにやらひどく寛いだ心地で酒を飲んでいたことを覚えている。新子焼きは多少値が張ったが旨く、しかしどんな味だったかは覚えていない。たぶん甘辛い味だったろうと思う。(とにかく旨くはあったはずだ。その上に量も多くて嬉しかった。) 熱燗をちびちびとやりながら、チャップと新子焼きのほかに焼き鳥を何種類か頼んだ筈だが、それも記憶があやふやだ。夜が更けるにつれて店内の客は徐々に増え、だが酒も進んでいたから人が増えても気にならなかった。新子焼きを食べては熱燗を飲み、焼き鳥を食べては熱燗を飲み、ああ熱燗のお代わりを下さい。あと焼き鳥の、××を二本……、店の空気はやわらかく、肩肘張ることもまるでなくて、しまいには私、最初から居た常連客と酒を飲みつつなにか話をしていたようだ。

旭川の冬の飲み屋で、良い具合に酔っていた。

 

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ビール一杯と熱燗三合、チャップと新子焼きと焼き鳥数本で『べてい』を、『ふらりーと』をあとにした。二軒目に行こうか迷ったが、翌朝もまた早いから、ビジネスホテルまで戻り、翌日に備えて早々に眠った。(気持ちよく飲んだあとの帰り道は、冬の夜の雪道だろうと心身ともにポカポカとして、心地良かった。)

 

 

*五日目(旭川→(札幌)→函館)

早朝の六時前には起床した。本日は午前中を丸ごと使って函館までの大移動だ。

 

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(早朝の旭川駅。遠くからズームで撮ったところボケボケになってしまった。)


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六時四十五分発の特急に乗って旭川を後にし、まずは札幌駅へと向かった。この列車は自由席を利用したが、人がほとんど居らず快適だった。


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札幌駅に到着後、二十分弱の乗り換え時間を経て、八時四十七分発の函館行きの特急に乗る。函館までの乗車時間は長かったのであらかじめ予約しておいた指定席を利用した。指定席車両はほとんど満席で、或いは完全に満席だったかも知れないが、そんなことはいちいち確認していない。

 

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札幌駅の乗り換え時間で購入した駅弁を車内で食べた。加熱式の駅弁も気になってはいたが、満席に近いであろう特急列車の車内で加熱式弁当を温めることを想像すると気後れし、そのために寿司を購入した。しかしいざ車内に乗り込むと、加熱式の駅弁を購入していたツワモノがすぐ近くに居て、ああ私もそちらにしておけば……、などと多少の後悔をしながら、朝飯代わりの寿司を食った。

この日の午前中については他に語るべきところはない。景色を眺めたりうたた寝をしつつ、とにかく列車で移動していた。

 

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デデドン! 函館駅に到着した。時刻は十二時半をすこし回っている。乗り換え時間も含めれば六時間弱も移動していたことになるが、別段身体が痛くなるようなこともなかった。きっとまだ若いからだろう。

函館には大学二年生になる直前に一度訪れたことがある。鉄道に造詣の深い大学の友人ふたりに連れられて、関東から札幌までの旅の道中だった。その際に市電で各地を回ったり函館山に登ったりと、多少の観光はしていたから、今日は函館を見てまわるつもりは別になかった。では一体なんのために函館へ?

 

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一つ目はここ、ラッキーピエロに行くためだ。前回函館を訪れた際は昼食も夕食もラッキーピエロで食べたのだが、とても美味しかったことを覚えている。あれから五年、もう随分とご無沙汰だから、フリーきっぷもあることだし、ひさびさにラッキーピエロを食べにやって来たという訳である。

 

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さあ昼飯だ。チャイニーズチキンバーガーは相変わらず美味しくて、私の写真だとしょぼくれてしまっているが、こればかりは写真の下手さが恨めしい。(前回訪れたときは昼にはチャイニーズチキンバーガー、夜にはたしかカレーを食べた。あのときのカレーも美味しかったから、折角ならばバーガーだけでなくカレーも注文すれば良かったのに、どういうわけだか私はそれをしなかった。今これを書きながら、カレーを注文しなかったことを非常に後悔している。私がふたたび函館へ行くことはあるのだろうか。ラッキーピエロのために三日ほど函館へ行きたい。)

ラッキーピエロをあとにして、ビジネスホテルのチェックイン開始までの時間を、手近な場所のパチ屋で潰した。今回函館は食べ物のためだけに来たのだから、観光をする気は毛ほども無く、事実私は函館を去るまで一切の観光をしなかった。

(余談。今回の旅行で私は北海道のいくつかの都市を回ったが、同じ道内でも寒さの度合いは全く異なった。もちろん日によって差はあるのだろうが、たとえば函館や札幌は分厚いダウンでは暑いくらいで、前を開けたり腕にかけつつ街を歩いた。その一方で北見や留辺蘂はしっかりと(?)寒く、ダウンだけでは覆えない耳が冷たく辛かった。あれほど寒い地域へ行くならヘッドホン型の耳覆いを持参するのも無駄ではないのかも知れない。)

十五時になったのでホテルにチェックインをした。部屋でしばらく休憩し、それから今日の夕飯を買いに出る。

 

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ハセガワストアだ。これも函館にやってきた理由のひとつで、と言うのも前回の旅で函館に来たとき食べ損なってしまったから、今回はそのリベンジも兼ねてやって来たというわけだ。リベンジとは言ったものの、購入自体はあっけなく済み、名物のやきとり弁当を持ってホテルの部屋へと戻った。

 

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やきとり弁当! 夕飯はやきとり弁当だ。その他にもセイコーマートで酒やら菓子やらを買い込んだから、それらを食べたり飲んだりしつつ、函館でひとりぼっちの宴会をした。

(せっかくの函館にも関わらず、どこも見て回らなかったが、旅の中にも一日くらいはこういった日があったって良いだろうと思う。)

 

 

*六日目(函館→森→札幌)

翌朝、目が覚めてひどく気分が悪かった。やらかした、典型的な二日酔いだ。閉じ切った空間でひとりで酒を飲んでいると、どういうわけだか調子が外れて限界間際まで突っ走ってしまう。大学時代も私は頻繁にこんな調子で飲んでいた。とりわけ留年以降の日々はそれが顕著で、数少ない友人のほとんどが卒業・就職し日本各地に散ったなか、私だけが大学五年生をやっていて、後輩に知り合いもいないから、ほとんどひとりぼっちでいた、そんな日々の退屈や孤独や希死念慮のうちに酒量は増え、日が沈むや否や酒を身体に流し込んだ。値段が安いストロング系飲料や、紙パック入りの一リットルワインは私の強い味方(敵)だった。……不愉快な二日酔いの日はこうやって、不愉快な大学時代を思い出してしまう。

ちょっと勘弁してくれよ、と思うくらいに調子が悪かった。函館に来た目的のひとつに海鮮丼を食うことがあったのだが、そんな気分では更々なかった。だが食べずに帰るのももったいなくて、しかしそれほどたくさんの量を食べられるはずもない。ビジネスホテルをチェックアウト後、リビングデッドのような心地で海鮮市場を徘徊し、量のすくない海鮮丼を出してくれる店を探した。食品サンプルや店先の写真を眺めつつ、行けども行けども威勢の良い盛りかたの店ばかり、普段ならこういったものに喜んで飛びつくが、今はただもうその半分で良いのに、勘弁してくれよ、どこか安息の地はないか、客引きは止してください、なにか二日酔いに効く薬はないか、とにかく座って落ち着きたいが、助けてくれ、助けてくれ、そう思いつつふらふらと歩いているうちに、ここはと感じる店がある。店先のメニューによるとハーフサイズで出してくれるうえ、乗っけるものも選べるらしい。さあどうしようと悩んでいると、「すぐ入れますよ」と声をかけられ、アアでしたらそうしますと、特に逆らわず入店した。(もとい、逆らう気力も店を探す気力も残っていなかった。)

 

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グッタリしたまま注文し、しばらく待つと海鮮丼がやって来た。味噌汁の器と比べてもらえば分かると思うが、ご飯茶碗よりもすこし大きいくらいのサイズだ。ありがたい大きさではあるものの、この大きさですら今の状態で食べ切ることができるかわからない。残したら申し訳ないなぁと思いつつ、まずは味噌汁に口をつけ、

……そうして私は生き返った。あまりに急で、嘘のような話だが、温かい岩海苔の味噌汁がてきめんに効いて、みるみるうちに私は二日酔いから復活したのだ。ほんとうに。自分でも驚いてしまうくらい急に、岩海苔の味噌汁は二日酔いの影響を私のなかから消し去ってしまった。

 

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こうなれば途端に海鮮丼はその本来の輝きを取り戻す。ウニもイクラもとても美味しく、すぐに完食してしまい、今度は量が足りなかった。もっと海鮮丼を食べたかったが、何がきっかけで二日酔いの苦しさがぶり返すかもわからない。これから列車に乗るのだから、リスクの高いことは避けたくて、二杯目の海鮮丼を諦め私は駅へと向かった。結果的に満ち足りて終えた朝食だった。

(惜しむらくは私はこの店の名前を覚えていない。私を二日酔いから救ってくれたあの店は、なんという名前だったのだろう。)

 

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十時五分函館発の特急に乗った。途中下車の森駅まではすぐなので指定席を取らずにいたが、自由席は空いていた。人の流れを見るにむしろ指定席ばかり混雑していた。


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十一時前に森駅へ着いた。列車に乗っても問題はなく、二日酔いからは完全に助かったようだ。

森駅での滞在は四十分程度、つまり次の特急列車がやって来るまでの時間を想定していた。というのも、ここに来たのはたった一つの目的のためで、

 

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そう、森駅へはいかめしのためだけに立ち寄ったのだ。子供のころから桃鉄で森駅のいかめし屋は何回も独占してきたものの、実際に食べてみたことは一度もなく、どんな食べ物かずっと気になっていたものだから、これを機に現地に行って食べてみることにした。

 

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『いかめし』は想像していたよりも小さな折詰の駅弁だった。柴田商店にて購入した『いかめし』を駅の待合室に持ち帰り、開いてみると、中には二匹のイカが居る。イカのなかにはモチモチとした米が詰まっていて、なるほどこういう仕掛けなのかと思いつつ、改札待ちの時間のあいだにモッチャモッチャと完食した。

 

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(森駅からすこし歩いたところの道路。気持ちの良い冬の朝だ。)

 

駅舎のなかで待っていると、そのうちに改札の時間になったから、駅員にきっぷを見せてホームに出た。これでもう旅の行程はほとんど終わったようなもので、あとは札幌に戻るだけだった。そうして明日には千葉へと戻り、以降は就労の準備が始まってくる。四月からは労働者になるのか、ああ嫌だなぁなどと考えつつ、ふと目を上げると、

……ホームの景色に心を打たれた。何の気もなしに、ただ列車を待つために出たプラットフォームは、先ほど下車した際には気が付かなかったが、素晴らしい雰囲気の場所だった。

 

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ホームの奥には低い壁を隔てて海が見えた。とおく海には船が浮かび、すぐ向こうにはカモメが飛び交っていた。


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向かいの乗り場には函館へ向かう鈍行列車が停車していた。ゴウンゴウンと音を立てる鈍行列車と、ときおり鳴きかわすカモメの声、それ以外はまったく静かな場所だった。私以外の誰も居ない。(直前になってひとりの男が同じ列車に乗るため現れた。)

 


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跨線橋内部の空気は昼前の陽射しで柔らかかった。窓には海が見える。


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特急列車が来るまでの時間を、おだやかに感じ入るような心地で過ごした。もっぱら駅弁を買うためだけにやって来た森駅のホームが、こうやって風情のある場所だとは思ってもいなかった。

何よりも人が居ないのが素晴らしかった。駅舎には何人かの人が居たが、ホームにはほとんど私ひとりきりだった。駅にしろちょっとした景勝地にしろ、その場の情趣を精いっぱい感じ取りたいならば、周りに人は少なければ少ないほど良い。その点において森駅は言うことなしだった。(もちろんこれは旅行者の勝手な言い分だ。)

(余談。現地に赴き情趣を楽しむ、これは旅の醍醐味のひとつだが、情趣のある場所であろうと人が大挙して訪れればまるで台無しになってしまう。その良い例が下灘駅で、もしあの場所に独りぼっちの情趣を求めて夕方にでも赴けば、ホームにひしめく人混みに、居た堪れなくなること請け合いだ。人の姿を避けるようにして画角を切り取り、『映える』写真を撮るだけならばそれでも大いに結構だろうが、今や下灘駅は旅情を期待して行く場所では決してない。私は救いがたいほど愚かだから、四年前の初夏に四国を一人旅した際、そんな旅情を求めて下灘駅に降り立って、激しく後悔する羽目になった。あんな場所には行かないほうがマシだった。)

 

十一時三十八分発の特急に乗って森駅をあとにした。もう少しだけ森駅のホームの雰囲気を感じていたかった。

その後、十五時前に札幌駅へと到着した。旅先での最後の夜だ。ホテルへとチェックインし、シャワーを浴びてひと休みして、夕方になってから出かけた。

人と会う約束があった。

私は旅の締めくくりを、札幌に居る友人らと会って終わらせることにした。

 

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友人二人を伴ってスープカレー屋に訪れた。彼らは大学の頃からの友人であり、また私が留年しても札幌で会うことの出来た唯一の友人たちでもあった。(片方は同じ大学の大学院へと進学しており、もう片方は卒業後も札幌に暮らしていた。)(すでに卒業しているほうの友人が、一日目にも会った彼だ。) 私が北海道に居ることを知った友人が私に連絡を取って、三人で会う運びとなった。

彼らと会って話していると、まるで大学時代に戻ったような気分だった。それもそのはずで、我々の境遇は昨年度からほとんど変わっておらず、唯一わたしだけが留年大学生から無職へとジョブチェンジを果たしていたものの、留年大学生と無職の差異など無いに等しいものだから、畢竟我々は昔と同じ状態だった。大学五年生の頃、彼らと会っていた時分とほとんど同じ心持ちで、スープカレーを食べながら、とりとめのない話をして、それがなんとも懐かしかった。

晩飯を終えれば二次会だ。コンビニで酒やつまみを買い込んで、大学院へすすんだほうの友人宅へとなだれこむ。さんざ訪れたアパートの部屋で、しかし彼は大学院を卒えれば地元で働くらしいから、この部屋もこれで見納めになる。(友人たちが一年早く札幌を引き揚げていった際にも思ったことだが、慣れ親しんだ知人の部屋に今となっては赤の他人が住んでいることを思うにつけ、いわく言いがたい寂しさを覚える。座標が同じ部屋であろうとそこは見知った友人の住居ではなく、とうぜん私たちが集まる場所でもない。)

そうして私たち三人は彼の部屋で、これまた昔と同じように過ごした。気兼ねない大学生の心地で過ごす、最後の機会があの時間だった。私は無職の生活を終え、部屋の主たる彼も地元へ帰ってゆく。北海道と宮城と千葉、我々三人で会うことは或いはふたたび無いかも知れず、しかしそんなことなど忘れたように、ケラケラと笑って過ごしていた。大学生活の落ち穂拾いか、ふいに訪れるロスタイムのような、この上なくありがたい時間だった。

あっという間に夜は更けた。円山に住む友人が地下鉄の終電に間に合うように、日付の変わる前に解散した。地下鉄の駅まで友人を送り届けたあと、ビジネスホテルへの帰路に私はひとりきり、札幌の深夜はやはり静かで、……不愉快な思い出で満ち溢れていた筈の札幌を、こんなにも懐かしいような寂しいような心地でふたたび歩くことになるなんて、想像してもいなかった。

ビジネスホテルにたどり着き、支度を済ませて眠った。旅の終わりの最後の夜はいつだって寂しいが、大学生活の追想のような今晩はその寂しさもひとしおだった。

 

 

 

*七日目(札幌→新千歳→成田)

七日目は単なる帰路に過ぎなかったから、何一つ書くべきことはない。目が覚めてチェックアウトし、空港まで移動して時間を潰して、それから飛行機で成田へ帰った。それだけだ。無理になにかを書こうとすれば不愉快ばかりが溢れ出て、たとえば土曜日の新千歳空港の人混みは心底耐えがたかった。

この日唯一の良かったことは帰路の格安航空が珍しく定時運行をしていたことで、これまでも私は成田新千歳間は格安航空で何往復もしてきたが、定時で到着地に着いたのはこれが初めてだったような気がする。それが唯一の良かったことだ。

 

 

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これが私のモラトリアム終焉直前の旅行の全てだ。在学中はさして見てまわることの出来なかった冬の北海道を、多少は堪能できたと思う。平日の期間を主として各地を回ったお陰か、人の数の煩わしさに辟易することも多くはなく、また札幌の友人らと大学生の頃のように会って話せたのは素敵だった。

四月から私は働き始めることになる。働きはじめれば旅に出られる機会は格段に減るだろうし、またそういった機会に恵まれた際にも土日を用いた旅行が主となる筈だ。そうやって土日を用い、いざ旅先に赴いたところで、旅先は同様の考えの社会人らで混み合っているだろうから、人いきれのなかきっと私はいたたまれなくなるだろう。旅に出たことを幾分後悔する羽目になるかもしれない。今回のような旅、平日を主として一週間を用いた気楽な旅はふたたび出来ないのではないかとすら思う。

何か明るいことを書いて締めくくりたかったが、旅を終えてしばらく経った今の私には、就労への不安と諦観ばかりが残っていて、明るいことなど書けそうにない。……ただ、この旅の局所局所に、いくつかの忘れがたい、素晴らしい瞬間が存在していたことは確かだ。そういった記憶をよすがとして、これからの労働者としての生活を、まあ、結局のところ、やっていくほかないのだろう。