かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

雑記

 大学生は赤ん坊の次によく眠る。そう直観する程度にはカラッポな、眠ってばかりの大学時代を送っていた私だが、あの頃のように眠りに満ちた日々を今更送る羽目になるとは思ってもみなかった。新しく飲みはじめた薬のせいかもしれないし、薬を要請する私の病状のせいかもしれない。扇風機に揺れる錠剤シートのぬけがら、飲みかけの飲料水のペットボトル、……どうだって良い。

 

 仕事で精神を病み療養休暇を取得している。当初の予定、もとい診断書では一ヶ月の休暇になっているが、恐らく延長することになるはずだ。療養休暇として延長できるかどうかは医者の判断になるのだろうが、少なくとも私はあと十日程度の休暇で回復できるとは思えない。なに、もし療養休暇の延長が叶わないならば有給を消化し切って仕事を辞めてしまえば良いし、……そもそも、精神が元に戻ったところであの職場に戻ることが果たして可能なのか、今の私にはわからない。前々から辞めたい気持ちはあった。辞めたあとに何か当てがあるわけではないが、そうして私のような人間に再就職は困難だろうが、それでも今の環境はどうにも耐えがたい。職場を退職したいこの感情、それも全くの向こう見ずにただ辞めてしまいたいこの感情は、果たして治療の対象なのか?

……きっと、そうなのだろう。

 

 療養休暇。自宅療養。蟄居、軟禁。夕方には散歩に出る。ちょっとした散歩が健康に寄与するのは論を俟たないだろうから、別段気にせずに散歩に行く。文句を言われたら、そのときはそのときだ。

……まっとうな労働者なら働いているか退勤の最中である時間帯に若い男が私服でフラフラ歩くのは難しい。二日連続で犬の散歩の奥様二人組とすれ違う。すれ違いざま、怪訝な顔でヒソヒソ話しているような気がする。

散歩コースを変えた。

 

日に何度か眠っている。眠りに入るとき、或いは眠りと覚醒の狭間にあるとき、これまでの貯金を使って何ヶ月か国内を放浪できたらどんなにか素敵だろうと考える。当日の宿を取らずに列車に乗って、理由のない駅で降りてみる。当然誰も私を知らないし、下調べをしていないからそこがどんな街なのか、宿泊施設があるかすらわからない。街を歩き、スマホで調べて、結局何もないからふたたび列車に飛び乗ってゆく。或いは列車は数十分後かもしれない。それだって良い。

そんなことをしばらくして、それきり生涯には終わってほしい。

 

もう、文章の書き方を覚えていない。

現代の非英雄(小説)

 光永(ミツナガ)とかいう縁起のいい苗字とは裏腹に蛇の巣穴じみた薄暗い、気色の悪い人間性しか獲得し得なかったあの男の書いたものを公にしてみたところで、かれのためにあたしを責めるひとなんてたった一人も居ないだろう。外ヅラも内面もまるきり醜悪なあいつをひとつの個人として尊重する他者などありはしないから、仮にあたしの行為が責められるにしても、それは敬意に値する一個人の文章を無遠慮に公開したことに対する批判ではなく、言うなればゾッとする昆虫の死骸を公衆の面前に放り出したことへの非難であろうから。

 あの男の悪口であればいくらでも書けそうな気がする。ただでさえ調和の崩れた、戯画化された胴の長い駄犬のような見た目のくせして、恰好にお金も時間も気配りすらも払わない無頓着さがまずひとつ。安物を履き潰したせいで形がくずれかけているうえにろくすっぽ手入れもしていないから馬糞じみた見た目と化した革靴、表面の合皮がまだらに剥がれてぼろぼろなベルト、アイロン掛けをまともにしていないのだろう、いつも皺がちなワイシャツ。神は細部に宿るというが、あの男は細部がいちいち涜神的だ。いや、神なんて持ち出すまでもなく、人間一般を馬鹿にしている。念入りに着飾った身だしなみは礼節以上にみずからの気持ちを高揚させ、敵(=あたしを舐め腐っている連中や、遅れを取るまいとする意気込みとは裏腹に容易に損なわれうる体調)と戦ってゆくのに役立つが、最低限の身だしなみすら整えないあの男は、ただ単にすべての人間を、目の前の他者を、あたしを、馬鹿にしている。

 社会的・儀礼的な、世間話じみた会話を発展させようとしない無神経さがひとつ。せっかくこちらが気を遣って、潤滑油じみたコミュニケーションとして会話を振ってやったところで、光永はそれを膨らませる気などさらさら無く、当然こちらに対する礼儀も感謝もありはしなくて、あいつ自身に何らかの言いたいことがあるときは別だが、大概が二言かひとこと、ひどい時には喉の奥で何か音を鳴らしただけで会話を終わらせてしまう。その辺の野良猫だってもう少し愛想が良さそうなものだ!

 あれとあたしが同じ年齢であるという単純な事実ですらあたしをひどく苛立たせる。仮にも二十六年ものあいだ生き続けているならば、たといどんなに時間がない朝だろうが、最低限寝癖を整えるだけの分別は持っているべきではなかろうか? あるいは、宴会の席で下座に置かれた取り皿を、その真ん前に座っていながらボーっと見つめているだけではなく、せめて自分のぶんを一枚取って横に回す程度の、これまた最低限の気配りを要求することすら、あの男に対しては酷なことか知らん?

 そして、何よりもあの目! 見るたびに、見られるたびに、言い知れぬ不愉快を、憎悪を相手に惹起する、フクロウじみたあの円い目だ! 腐った脳味噌の覗き穴、絶えず溢れる無気力が周囲に胸焼けを引き起こす、澱みきったふたつの泉!

 そもそも、最初の対面からして違和感だった。今でもよく覚えている。

 糠雨が頭を重くする四月の暗い朝だった。低気圧で頭の痛い雨の朝はいつだって澱んだ沼を想起させる。鬱蒼と茂る低木や蔦科の植物に囲まれた、湿度の高い水際の、まとわりつくような空気。不吉なカラスがとおく執拗に鳴くのが聞こえる、そんな沼畔に立つあたしがジッと凪いだ水面を見つめていれば、にわかにボコボコと泡立ちはじめ、ぬらりと姿を現した、その沼底の化け物が光永だった。

 始業直前に課長が全員の注目を促し、前に立つ光永の紹介をはじめる。彫りの深い鼻梁周り、目蓋に影を落とす眉根。(あの日のあいつは髪が短くてまだ見ていられた。その後あいつは二、三ヶ月は髪を切らず手入れもせず、みっともなさが天を衝くころになってようやく髪を切りに行く、そんなことを繰り返していた。) 新入職員二年目の光永君です。ご縁があってこの課のメンバーになってくれました。じゃあ光永くん、ひとこと挨拶を。

「ミツナガです。よろしくお願いします」

 目を上げもせず、裂きイカでもしゃぶるような調子でボソボソとそう言えば、起こる拍手も戸惑いのうちにまばらになる。背の高い、というよりかは胴の長い光永の、ドアの枠や電車の乗降口へ頭をぶつけないようにと身につけたのかは知らないが、陰気な猫背がちなその姿勢を一層強調するような、俯きながらの喋りかた。何だこいつは、とあたしは思う。

 そんな光永の新しい席はあたしのはす向かいで、妊娠を機に半月前に辞めてしまった志波さんの座っていたところだった。四年前、新卒で入ったあたしを志波さんはよく気にかけてくれて、あのひとのおかげであたしは男ばかりのこの職場でも何とかやってゆけるようになった。勤務中は一本芯を持って機先を制するあざやかさを、ふたりぼっちの課内女子会では居酒屋や、時にはバーなんかにも連れていってもらいながら、気の置けない話をつうじて息の抜きかたを教えてくれた。

「そこ志波さんの席だったんだよ。志波さん知ってる?」

「知りませんが……」

「あたしの先輩だったひと。光永くんの前の課にもよく調整に行ってたから、たぶん見たことあるんじゃないかな。ほら、背が高くて凄みがあってカッコいい、その、女性なんだけどさ」

「わからないです」

「ここで女はあたしと志波さんだけだったから、頼りになったし、ずいぶん良くしてもらってたんだ」

「そうなんですね」

 志波さんが使っていたキーボードや受話器を除菌シートで拭きながら、目も上げずそう返事した光永の姿に、一緒に働き始めた一日目の朝九時早々、こいつとは上手くやってゆけそうにないなと直観した。(しかし、身だしなみに気を遣わない奴が何だって除菌シートなぞ使っているのだろう!)

 とは言えうまくやってゆけないと直観した、というその理由だけで同じ課の、それどころか同じ係の人間を丸ごと跳ねのけてしまうわけにもいかない。そんなのはあたしの信条に反する。だからあたしは、なるべくこいつと親しくなれるように、あるいは親しそうな振舞いをするために、ジメジメとした怪物たる光永との共通項を、その沼底から宝石を手探りで見つけ出すようにして、募ってゆく苛立ちとやるせなさのうちに、何とか探り当てようとするのだが、結局こういう類いの人間と交友関係を築こうとするのは全くの無駄だと気がついて終わる羽目になる。

 たとえば、好きなものの共通項があれば話は早いはずだった。

 あたしはファッションが好き。なかでもコスメやネイルが特に好きだ。唇や爪なんて、野暮な男のひとからすれば何でもないことかも知れないけれど、そんな変化に気がついて褒めてくれるひとがいるのは嬉しいし、……いや、そんなのは副次的なことに過ぎない。爪や唇を飾るのは他人よりも自分に大きく作用して、つまり爪の色、唇の色を変えることで、キッチンに迷い込んだ蟻すら慈しみたいようなやわらかい気分にも、あたしの稟議を無碍にするなら死者が出るまでやりあってやる、といった戦闘的な気分にもなれるのが良い。入り用だからと化粧品を安物で済ませてはいけない。多少値が張っても気に入ったデパートコスメを使うのが肝要で、単に高いものを使うのが良いって訳ではないけれど、上等なものは肌にも合えば発色も良いことが多いから、細部からあたしを丁寧に、強くしてくれる。

「化粧品の話をされてもよくわからないです。身につけるものにしたって、安くて長持ちするなら何だって良い。もし日本に頑丈な国民服のようなものがあって、毎日着るよう義務付けられたら、こんなに楽なことはないだろうと思います」

 あたしは映画が好き。あまり詳しくはないけれど、詳しくなければ好きと言ってはいけない、なんて法はありはしない。最近の映画も時々観るが、いちばん気に入っている映画は大学生の頃に観た『ティファニーで朝食を』だ。オードリーヘップバーンの惚れ惚れするようなうつくしさや小悪魔じみた愛嬌は言わずもがな、一度逃がした飼い猫を大雨のなか見つける演出をとおして自分の居場所はここにしかない、と自覚するあのラストシーンが琴線に触れた。どこへ逃げ出したって仕方がない、青い鳥じゃないけれど、あたしが愛してゆくべきもの、あたしの幸福はいつだってあたしのすぐ近くにあると、あの映画は教えてくれる。あるいはそれは簡単に得られるものではなく、あたしが勝ちとるべきものなのかも知れないが、とにかくすぐ隣にあるものに違いない。

「古い映画だったら僕も時々観ますよ。最近観たなかではルイ・マルの『鬼火』が良かった。アルコール中毒患者の病院から抜け出した中年の主人公が、昔の友だち連中に会った挙句、自分の居場所がどこにも無いことを悟って自殺する話なんですけど、背景にずっとサティのジムノペディが流れていて、綺麗なんです」

「へえ。それで、そんな映画から光永君は何を学んだの」

あたしがそう訊き返すと光永の、わずかに光が差していた目はあの胸糞の悪い無気力に曇って、

「そんなに教訓が欲しいなら、いっそ自己啓発本でも読んでいれば良いんじゃないですか」

「自己啓発本も読むよ。たまにだけれど」

「そうですか」

 ……あたしは読書が好き。勉強のために自己啓発本を読むこともあるけど、繊細な感受性をうつくしい、沁み入るような文章に落とし込んだ小説やエッセイがとくに好きだ。丁寧な生活を淡々と綴る、祈りのようにしずかな文体。今のあたしの生活は残念ながら丁寧さや祈りとはほど遠いが、ああいった素敵なものを読むと、窓から清涼な風が吹き込んできたような心地になり、些細な手間を億劫がる性質がほんのいっとき消え去って、そんな土曜日にはたとえば牛すじの煮物なんかを時間をかけて作ってみたりする。端正に書かれた文章はあたしの生活をも整えてくれる。

「小説は僕も読みますよ」

「ほんとう? 何を読むの」

「海外文学を読むことが多いです。最近はラテンアメリカ文学をよく読んでいて、集英社の文学全集を図書館で借りるんですが、ドノソとか、コルタサルがとくに凄かった」

「全然知らないや! 文学かぁ、あたしには難しいかもしれないね。あたしが読むのは、」

「ええ、そうかも知れませんね」

 あたしがどんな作家を読んでいるのか話しはじめる前に、光永は会話自体を殺してしまう。あたしが読むのは最近の日本の作家ばかりだが、だからと言って海外の小難しい小説を読んでいるおまえが特別に偉いわけでも何でもないのに、ひとの話を遮るように傲慢に会話を殺している、おまえ自身が殺されてしまえよ!

 多少なりとも光永と親しくなろうとする試みは完全に瓦解し、当初あいつに抱いていた戸惑いも不安も、すぐに冷たい憎悪として固着した。だが不思議なことに、あたしが光永を憎悪している程度に、もとい、あたしが抱く悪感情のほんの十分の一ほどにもあいつを悪く思っている人が、この部署にひとりでも居るのかすら疑わしかった。

 光永が勤務時間外の雑談に付き合うことも、手伝う仕事が無いか周りに訊ねることもなく、定時になるや否や聞こえるか聞こえないかくらいの声で「お疲れ様でした」と言ったきりサッサと帰ってゆくのにも慣れたあたしたちの係のところへ、ある日の定時後(たしかゴールデンウィークの直前だった)、ふと課長がやってきて訊ねた。

「光永くん、どう?」

「いや、多少変わってはいますけど、心配してたよりはしっかりやってくれてますよ。志波さんが抜けて実質人員一人減だと思って絶望してたのが、まぁマイナス三分の一人くらいで済んだ感じですね。佐々木ちゃんも、志波さんから引き継いだ業務を慣れないながらに頑張ってくれて」

 係長がそう答える。ちゃん付けで呼ばれるのは嫌だとこれまでに何回も会話のなかで仄めかして伝えたはずなのに、一向に理解してくれない。

「なるほどね。毛利さんと合わなかったのかも知れないな。ほら、あの人色々と細かいし、光永くんみたいなタイプは頭ごなしに嫌うだろうから」

「ああ。あそこの課長毛利さんでしたっけ、よりにもよって。そりゃ駄目ですよね」

 毛利さんが女だからだ、とでも言いたげな調子だった。

「佐々木ちゃんはどうよ、光永くんのこと?」

 課長があたしに話を振る。苛立ちと不信が混じった調子で話し始めてしまったあたしは、

「もちろん居ないよりは良いんでしょうけど、人として基本的なところが出来てないような気がします。このあいだだって、」

 このあいだだって、あたしが、……しかし、光永への不満をぶちまけてみたところで、却ってあたしが変に思われるだけだろうし、彼らは光永が来てこの係が何とかなったという方向に話を持ってゆきたいだけなのだから、舌の先まで出かかっている言葉を飲み込んで、何でもないです、と口を噤むほかない。普段はどうしようもない盆暗のくせにこういうときだけは抜群に気を回す係長が、

「へ、へ、へ! 佐々木ちゃんも厳しいからねぇ!」

とあたしをからかって、課長もへ、へ!、と笑い、一連の会話は私を不愉快にしただけで終わる。(駄菓子太りしたとっつぁん坊やと電球ハゲの醜悪なセッション。) それで、光永が帰ったあとの長い残業の時間が始まりを告げる。

 ……直截に書いてしまうのがいちばん早い。あたしがこうまで光永を嫌うのは、もちろんあいつの風貌や挙措のせいでも、光永みたいな人間に対して寛容な職場のせいでもあるのだが、結局のところ呪いを振り撒くあいつの目の、まなざしのせいだった。

 光永のあの目、諦観か無感動以外の感情を表象しない、不吉なフクロウのようなあの目! 

 たとえばあたしが窓口の面倒な客を何とかあしらって自席に戻ると、光永があたしをジッと見ている。ただでさえ気が立っているというのに、椅子を引き、腰掛けて、机に向き直るその過程のすべてをマジマジと、胸糞の悪いあいつにずっと見られているのは心底、ほんとうに心底我慢がならないから、ほとんど叫び出したくなるのを何とか堪えるように発話すると、絞り出すような声が出る。

「あの、何か?」

「いえ別に」

 あたしが「あの、何か?」と訊いたのはそうやってジロジロ見るのをやめてくれという意味以外の何物でもないというのに、伝わっていないのか、「いえ別に」と言ってなおもこちらから目を離さない光永の、あの凝視する癖は、普段は大してひとと視線を合わせないあいつの、奇怪極まる癖だった。

 あいつはそれを何度かやった。

 殺してやりたかった。

 あいつは昼休みにいつも本を読んでいた。決して親しくなれないとわかっていて、かつ親しくなりたいと微塵も思っていなくても、同じ係の同僚と一日中、ひとことも口を利かないのを、そんないじけたガキじみた振る舞いを、あたしはあたしに許せない。だから精いっぱい無邪気な好奇心を装うような調子で、「なに読んでるの?」と光永に訊く。するとあいつは泥のような目をあげてあたしを見、

「レールモントフ」

とだけ呟いて本に戻る。まるで、聞き慣れない音に顔を上げたひとが、なんだ風の音か、と気がついて元やっていた作業に戻る、ちょうどあんな調子だった。あたしの存在は風の音のように黙殺され、そんなことをされてしまえばこれ以上何かを訊くわけにもいかず、あたしひとりが昼休みの静寂の中空に取り残される。その恥ずかしさは光永への腹立ちとして析出し、とくにあの目、無気力に濁ったあの目に対する憎悪として集約される。呪いを振り撒くあんな目は、レール何とかとかいうよくわからない本もろとも、永遠に焼き捨てられちまえば良い!

 とにかく目だ、光永の目だ! 負の感情以外何ひとつとして表象せず、かつ過剰すぎるほどに雄弁な、光永のあの目! まるで無意味な二重まぶた! 胸糞の悪いあの目に代表される光永のすべてが許せなくて、職場だけではなく私的な時間までもが光永への憎悪に満たされていた。平日の朝、目が覚めて一日が始まれば、あたしは光永のことを思い出して、アラームの携帯ごと一日を叩き壊したくなる。退勤後、夜眠る前、ウッカリ仕事のことを思い出してしまえば、それは否応なしに光永の記憶へと繋がり、鵜の目鷹の目、汚泥じみた光永の目、胸焼けがあたしを窒息させて、こうなればもう寝つかれない。

 ……直截に語るつもりが、かえってわからなくなってしまった。光永の目にすべての責任を負わせるのは、書いていて気がついたことなのだが、どうもあたしの気分をうまく説明していない。たしかにあたしはあいつの目を、ネガディヴな感情の表象器官を、反吐が出るほど嫌っていたが、それだけを理由としてあいつをこんなにも憎悪していたと断言してしまうのは、正直なところまったく正確とは言いかねる。或いはあたしが光永のことを同じ人間としてほとんど理解できなかったから憎悪していた、とこう表現したって良くて、これだってあいつの目ゆえにあたしがあいつを憎んでいたと表現するのと同程度には正確で、不正確だ。

 ぜんぶで一年半もの期間、光永とあたしは一緒に仕事をしていて、あたしは光永のことが全然分かりはしなかった。

 なぜそうまで身だしなみに無頓着なのか。なぜあたしの話にまともに取り合わず会話を膨らませようとしないのか。あたしだけではない、お前が話しているひと全員とだ。なぜお前はいつもそんなにも無気力で、お前の目は無気力や諦観を表すときだけ雄弁なのか。お前はあたしなんかより物事を知っていて頭も良いのだろうが、どうしてその能力を仕事へ向けようとしないのか。一体なぜ、お前はこんなにも気に障るのか。

 それらの答えが得られるまえに光永は、唐突に仕事を辞めてしまった。

 その朝、出勤すると課内がごたついていた。デスクに鞄を置き、何かあったんですか、と訊くより先に、係長が「佐々木ちゃん!」、とあたしを呼び止めて、(佐々木『ちゃん』!)

「朝方、人事課に電話がかかってきたんだよ。誰からだと思う? 光永くんからだよ。いや、光永くんの代理の、退職代行からだよ。辞めるんだとさ。有給はすべて消化した計算で給料を支払ってください、だとよ!」

 あれだけ憎悪していた光永と今後金輪際顔を合わせなくて良くなったとわかったにも関わらず、あたしのなかには喜びも安堵もありはせず、呆気なさばかりが心を満たした。

 逃げられたような心地だった。

 焦ったような表情の課長がしきりにどこかへ電話をかけたり、係長がぶつくさ文句を言いながら人事課とあたしたちの課を行ったり来たりしているあいだ、あたしは光永の机を掃除していた。係長がそう指示したのだ。

「『私物は全部処分してください、使えそうなものが残っていたら勝手に使ってください、とのことです』だとよ、退職代行のやつ! 人事も急いで人員補充を検討してくれるってことだから、佐々木ちゃん、悪いんだけど光永の荷物を片付けちゃって。まあ一日二日で誰か来るわけでもないだろうけどさ」

 机の上から片付けはじめた。卓上カレンダーやシートの下の内線表をゴミ箱代わりの段ボールに放り込み、書類立てに挟まれた何冊かのファイルはあとで要るかを判断するため脇のほうにのけておいて、それだけで机の上は済んだ。さてここからが本番だ、とお腹の部分の引き出しを開けると、そこに光永の手記があった。

 光永の服装のように薄汚れた手帳だった。最初あたしはそれを仕事用の手帳だと思い、先ほど脇にのけておいたファイルの上に置いておこうとしたのだが、ふと気になって中をペラペラ捲ってみると、そこには一般的な手帳に付きもののカレンダーが無く、要するに全てのページが罫線付きのメモ書き用紙になっていて、全体のおよそ三分の一ほどのページに光永の細かい字で書き込みがされていた。仕事用の手帳でも、備忘録でもないことは、内容を一瞬読めば明らかだった。

 あたしは頭を上げ、周囲を見回す。係長は席を外していて、課長は長いメモを取りながら電話をしている。ほかの係の面々は黙々と仕事を続けていて、要するにこちらに気を配る人間はひとりも居ない。あたしは何気ない調子で光永の席から立ち上がって自席に戻ると、鞄に手記をソッとしまい、まるで飲み物のために一旦戻ったのだと誤魔化すように、水筒のコーヒーを飲んでから、ふたたびあいつの席の片付けに戻った。

 さて、そういうわけで今、あたしの手元には光永の手記がある。使えるものは自由に使ってください、とのことだったから、あたしがあいつの手記を使ってやろうと思う。ただ単にあいつの手記だけを公開したところでどうにもなりはしないから、どんな人間の手によって書かれたものかを示す序文をあたしが書いてやった。

 あたし自身、まだほとんどこの手記を読んでいない。これから光永の手書きの文字をパソコンに打ち込みながら読むつもりだ。

 意地の悪い楽しみで心が満たされているのを感じる。あの醜悪で不愉快極まる無気力人間、最後には引き継ぎも予告もなしに仕事を辞めたあの屑が、日々何を思い、どんなことを考えて過ごしていたのかが、多少なりともわかるのだから。

 ここまで書いたあたしの序文に、光永の手記を読んだあとで手を加えるつもりはない。あたしが書いてきたのは光永に対する率直な印象である。もちろん、あたしの文章や表現力の及ぶ限りでの率直さではあるのだが。

 これ以上あたしが出しゃばることもないだろう。光永の人間性については大体書いたつもりだ。あたしも早くあいつの書いた文章を読み始めたい。そしてその内面を大笑いしてやりたい。

 

* * *

 

 惨めさ。たとえば今まだ僕は若い、もとい、若いということになっているが、僕なぞの若さが惨めさ以外の何らかであるとは思えないし、歳を重ねたら重ねたで、若さとはまた別な調子の惨めさが力を増してゆく。何物にも夢中になれない若さは惨めさに他ならず、何かに夢中になった経験もなく中年になった人間の生涯は言わずもがな惨めだ。とは言えしょうもない物事に夢中になっている若さも極めて惨めだから、(夢中になるのも夢中にならないのも惨めな若さ、)直観主義論理を信奉しない僕は排中律を採用して、若さはそのまま惨めさへと繋がる。

 この推論は言わずもがな誤りである。夢中になるに値するものを持つ若さは惨めさを伴わず、……それで、僕が惨めであることに変わりはない。最低だと思う。

 惨めさのうちに孤独に老いてゆくことは、惨めな若さよりも恐ろしい。ただでさえ僕は今ですら孤独で、しかし若いうちの孤独はぎりぎりのところで格好を保っていられる(と信じたい)が、歳を重ね、老いがその重さを増してゆくにつれ、(頻繁な消化不良、肩や腰の痛み、ヘルニア、目のかすみ、判断力の欠如。巷に溢れる数多の老いのサンプルを見よ!、)孤独までもが力を増して、他者からの不審や軽蔑は言うまでもなく、自身の心にもきっと絶望と呼ぶべき感情が固く根を下ろしているはずだ。続けるに値しない生涯を続けるためだけにストレスに耐えつつ労働し、夜遅く家に帰れば自分が散らかしたままの部屋、酒のマヤカシにも飽き飽きしながら日を、晩をやり過ごして、たまの休日にもすることがなく、また何をする気にもなれない。辟易している休日が、しかし終わったところで平日が始まるだけなのだから、どうにもならず、何も楽しくありはせず、惨めな若さが行き着く先の、惨め極まるひとつの隘路。勘弁してくれよと思う。誰も勘弁してくれやしない。

 だが、何十年も生き続けた人間が、ただ孤独と惨めさのうちに老いたというそれだけのために、僕が恐れるほどの悲惨に成り果ててしまうのだろうか? すこし楽観的に考えてみたい。たとい年老いた独り身だとしても、いや年老いた独り身だからこそ、経済的には余裕があるはずで、その余剰した資本でどこか旅に出るのも良いだろう。ふだんは決して訪れやしないようなところへ、思い切って有給を繋げて旅する三泊四日、新幹線から一歩降りれば陽の差しかたすら普段とは違うような気がする。そのままローカル線へと乗り継げば、閑散とした車内の空気が、ボックスシートの埃っぽさが、何もかもがみな初夏の雰囲気を纏っていて、ああ今旅をしているんだ!、という実感で僕の心は満たされる。そんな充足した想いを抱いたまま旅を続け、られたらどんなにか良いのかわからないが、中年の旅先が日常よりもなお惨めであることは想像に難くない。観光地の人混みや視線は一人旅の中年の心を事あるごとに傷つける。旅館にチェックインする際に独り身を申告するときのいたたまれなさ。晩飯をひとり貪るのはむなしい。テレビを付けて無理にニギヤカさを演出すれば尚更だ。何とか楽しくなるために酒を頼んでみたところで脳髄はキンと醒めるばかりでちっとも酔えず、(酒を、料理を運ぶ仲居の訝る目、)そうやって無茶をした飲み食いの報いは翌朝にすぐ返ってくる。旅程は丸々二日残っていて、胃もたれと宿酔の合わせ技、旅に出たことを早くも後悔することになる。或いは旅程を組む段階から、一人旅の中年男なぞはどの旅館からも跳ね除けられて、旅立つ気を無くして終わる羽目になるやも知れず、だがそちらのほうが余計な出費も後悔も避けられるぶん、まだマシかも知れない。

 ……僕の生涯が絶望以外の何だというのか? こんなことばかり考えている僕の若さが惨めさ以外の何だというのか?

 

 

 誰かから呼ばれた気がして目が覚めて、苦笑いした。誰も僕に用なんてあるはずがないのに。

 日曜日の十三時過ぎだった。腹を満たすためだけのインスタントの昼飯を無感動に終わらせて、浅く眠り、それから起きた。

 やることも、やりたいことも何もない、惨めな休日の昼下がりだった。本にも映画にも食傷していた。周期的なこの食傷が来てしまえば、ほんとうにもう、どうしようもない。どうしようもないながらにどうにかしようと、すこし散歩でもしてみるか、と着替えて外に出、歩いていれば、当然のようにパチ屋の前に着いている。仕方がない。まるでゾッとしない休日の街で、パチ屋がいちばんマシなのだから。休日の街は忌まわしくすらある。

 ああ、休日の街の忌まわしさたるや! たとえばショッピングモールを考えてみれば良い。あれこそは休日の街の不愉快の坩堝に他ならず、もし誰かが折角の休みを台無しにしたいと望むなら、ショッピングモールで過ごすことほどに期待を満たしてくれるものはないだろう。あんな場所に居る一秒ごとに神経がガリガリと削れてゆく。泣きじゃくる幼児を金切り声で叱る母親、唐突に明後日の方向へ走り出して衝突事故を起こさんとする小学生、申し訳程度に置かれたベンチに並んで座り、その全員が死んだ目で携帯を弄っている家族連れ。わけてもあの人混み、意思を持っているんだかいないんだかわからない集団や個人がてんでばらばらに動き回る、あの混雑と来たら!

 最近では屋外でもしきりにイベントを実施して建物内部の地獄を外側へと拡張せんと試みる、あんなショッピングモールなんかには近寄りたくもないから、出だしからして方角が限定されてしまう。近所にはおあつらえ向きの公園があるのだが、そんなところに散歩と称して赴くのも鹿爪らしくてつまらない。かと言ってほかにぶらつく場所などありはせず、ショッピングモールの方も駄目、公園も駄目となってしまえば、この街の街並みは死んでいるから、無機質なチェーン店ばかりが居並ぶ国道沿いを延々と行くか、歩道もろくに整備されていない県道沿いをエッチラホッチラ歩いてゆくしかないわけだが、そんなものは散歩とは呼べない。電車に乗ってどこかとおい街へ行くことも考えたが、午後からの遠出も損な気がする。要するに、八方塞がりでどうしようもなく、そうなれば馴染みのパチ屋へ向かうほかない。仕方がない。散歩に出よう、と外に出た時点で決まっていたことだ。

 パチ屋における居心地の良さ、徹底的な寛容性。(とおい思い出。) 職が決まらないまま大学を卒えた最初の春、あれは間違いなく四月の七日か八日のことだったが、何らかの用事があって僕は、降りたくもないターミナル駅に降り立っていた。たしか夜に人と会う予定があって、早めに着きすぎたのだと思う。駅を出て、いや改札を出てすぐさま僕は違和感を抱き、というのも高校生くらいの集団が、それも互いの距離感が定まらず無理にはしゃいでいるような男女数人からなるそれが、そこいら中に高い声で喚いていたり、或いは連絡先の交換をしていて、アアしまった、高校の新入生の、それも下校時間と鉢合わせてしまったと合点がゆくまでにさしたる時間はかからなかった。

 幼い希望や若さ、無遠慮が甲高い笑い声を伴って渦巻いている駅構内を、外の広場を、俯きながら縫って歩いた。僕の日々にはついぞ無かった青春の形がそこいらにあった。千々に乱された心はたやすく平静を失って、(駅から離れてもそこら中にばら撒かれている高校生の喧しい声、)勘弁してくれ、勘弁してくれと思いながら、拒絶をむき出しにしたその街を無鉄砲に歩き回り、ようやく見つけた高校生の決して入れやしない場所、すなわちパチ屋へ二もなく飛び込めば、……すぐに安堵が身を包む。若干の、或いは胸いっぱいの苛立ちとともに機械と向き合う人々には、先ほどの若者連中のような新鮮な希望なぞ微塵もありはせず、四月の平日の夕方からパチ屋にしけこんでいる彼らはみな、誰もが僕の同胞だった。訪れたことのない店ではあったものの、銀玉やメダルや効果音のぶつかりあう聞き慣れたやかましさのうちに日常を思い出す僕の心は落ち着いて、居心地の悪い街の居心地の悪い駅に降り立って以来、はじめて深呼吸が出来た。

 翻って現在、日曜日の午後、通い慣れたパチ屋に僕は居た。日曜日の午後のパチ屋には日曜日の午後にパチ屋に居るような人間しか居ないから、過ごしやすいことこの上ない。(ショッピングモールのひとつの対極。) 見慣れた並木通りを散歩するような気分で店内をフラフラと歩き、或るスロット、これまで打ってきたなかで一、二を争うくらいに僕が好きな機種に座る。この店には一台きりしか置かれていないし、全国でも置いている店がそう多くない機種で、要するに人気が全然無い台だ。だがそれも仕方がない、大衆は常に愚かで知性に乏しく、彼らの趣味の標準なんてまるであてになりやしないのだから。愚かな大衆はこんなにも良い機種の良さをわかろうとせず、派手な台ばかりに飛びついて、打ち手がそんな調子だから近頃の台の粗製濫造っぷりは云々云々、そんなことを考えながら打っていれば、まともな当たりへ入らずに終わる。どんなに良い台であろうが当たらなければ楽しくも何ともない。一台目、負け。

 どうにも良くない流れだから打つ台を変えた。数年前に一世を風靡していた古い台の生き残りで、僕がスロットを覚えたてだった大学生のころ、狂ったように打ち込んだ思い出の機種だ。大学に行く前、大学が終わったあと、或いは大学をサボってまで打ちに行き、仕送りがこの機種をつうじて僕とパチ屋の間を何往復も行き来した。一週間のあいだ白米とふりかけだけで生き延びる羽目になったのはこの機種のせいだし、バイトもしていないのに友人連中と一週間の旅に出られたのはこの機種のおかげだった。戦いを三回突破すれば当たりに入るという明快さが何よりも素晴らしい、さあひと勝負!、と意気込んで打ち始めた一時間後、一戦目すら突破できずに終わっていた。二台目、負け。

 どうしてこうなった? 時間は十七時すこし前、よりにもよって明日は月曜。行く必要のないパチ屋に行って日曜日は暮れ、おまけに収支も凹んでいれば、このまま帰るなんて選択肢は頭の片隅にもありはせず、大して回りもしないパチンコの台に逆転を託して着席する。奇跡を願う僕の心、しかしこの程度の逆転は、つまりスロットで負けたあとのパチンコで逆転する程度のことは奇跡でも何でもなく、それなりの頻度で起こりうる。そして投げやりのパチンコですら負けて怪我を大怪我にしてしまうのは逆転勝ち以上によく起こりうるから、要するに、今日は良いとこ無しの大負けで終わった。

 退店の自動ドアの押しボタンを殴ってやりたい心地だった。とうに真っ暗な外は日曜日の終わりをことさらに喧伝するようで忌まわしく、コンビニで缶チューハイやら弁当やらつまみ代わりの菓子やらを買い込んで帰った。向こう一週間のタダ働きへの苛立ちを、一刻も早く安い酔いで上書きしたかった。

 パチ屋なんてサッサと潰れてしまえば良い。

 

  *

 

 パチ屋なんてサッサと潰れちまえば良い! ほんとうに! 今すぐ全店舗潰れちまえ!

 だが僕はパチ屋がすべて潰れたところで僕の生涯がどうにもならないことを知っている。

 たしかに僕は今日も負けた。このあいだに引き続き今日だってボロ負けしちまった。お蔭でここ半月の平日は実質的な無賃労働に成り下がって、(潰れろパチ屋!、)そのために機嫌が悪いわけだが、単に財産の増えた減ったに動物のように反応している表層的な喜怒哀楽の膜を剥がせば、習慣のようにパチ屋へ行かざるを得ない僕の、僕自身の生涯に対する絶望が、生々しい心臓のように脈動しているのがわかる。この絶望はパチ屋の収支なんかとは比べ物にならないほどの重要事だ。もちろん、僕の生涯がこれまでに僕が負けてきた額よりも価値を持つとしての話だが。

 誰もが知っていることだが、パチ屋に行くのは時間の無駄だ。(パチ屋で過ごしたすべての時間の累計が、旅先の夕方の路地のうつくしさにフと目を惹かれて眺めていたあの瞬間よりも価値を持つと言い切れる人間が果たして一人でも居るだろうか?) もしお前が通算で負け越しているならそれは時間の無駄に留まらず、カネの無駄をも意味している。平日の時間を犠牲に得た爪の先ほどの賃金を、休日の時間とともに台無しにする。労働に時間を搾取され、パチ屋に時間とカネを搾取される、最も愚かな資本の使いかたであるわけだが、そうとわかっていたところで僕はパチ屋へ行かざるを得ず、もといパチ屋へ行く以外の過ごし方を知らない。もちろん本やら映画やら時には美術館やら、そうしたものの受容によってしばらくは満足していられもするが、創作物に対するあの周期的な食傷が来てしまえばおしまいで、僕の足はパチ屋へ向かう。行かざるを得ない。そのことに僕の絶望がある。愉快そうに暮らす人々を尻目に退屈と孤独の生涯を這いずってゆくばかりの人間、下らない労働者としての生涯に耐え得るだけのしあわせな思い出の蓄積を持たず、かつ現状を変えうるだけの才覚も気力もありはしない人間。それが僕だ。ブレヒトの三文オペラじみたハッピーエンドも僕のところにはやって来ず、前も後ろも真っ暗闇と決まっている生涯に、あまりにもひとりで居る時間が長かったせいで生じた歪みによって、(泣きたくなるようなみっともなさ、)僕はパチ屋へ向かっている。それはパチ屋でなくたって構わない、要するにインスタントな欲望の充足装置、刹那的カタルシスの発生源でありさえすれば良いのだ。仮にパチ屋がすべて潰れたとしても、パチ屋の代替になりうる別の退廃に僕は向かってゆくだけで、つまり僕の生涯の醜い歪みを変えないことには根本的な解決にはならないのだろうが、そんな根本解決は誰にも出来やしない。僕自身には言わずもがな、医者にも、薬にだって。

 (そしてその医者の頼りなさたるや! 大学生のころの僕は今のような理性的な絶望ではなく、精神が参るたぐいの絶望に支配されていたものだから、月に一度、メンタルクリニックにかかっていた。

「寝付けない?」

「ええ」

「抑うつ感は?」

「相変わらず」

「辛いですか」

「はい」

「薬は」

「欠かさずに」

「ウーム、身体を動かす趣味なんかがあると良いんですけどね……、ちょっとした運動とか、ボランティアなんてどうですか」

 ボランティア、と来たものだ!

「ボランティアですか。気が進みませんが、しかし、考えてみます」

 僕がそう言うと先生はウンウンと頷いて、

「それが良い。じゃあ、お薬は前と同じのを一か月分出しておきます」

「ありがとうございました」

「お大事に」

 ヘロヘロにヨれた黒のリュックを引っ掴んで僕は診察室をあとにする。ボランティアと来たものだ!、と思いながら。)

 とは言えパチ屋通いは今度こそ止す。絶望だの何だのを一旦措くとしても、良い加減僕は負けすぎた。幾度目かの最期。今度こそ止めると決意しながら何度パチ屋通いを再開したか。久坂葉子も草葉の陰で腹を抱えて笑っている。止められる筈がないとは思うが、しかし金輪際止す、ということにする。少なくとも向こう数週間くらいは止したい。

 

  *

 

 僕の現在がこのザマだから、たまには僕の思い出に救いのよすがを求めたい。

 むかし、近所にスーパー銭湯があった。わりあい規模の小さなところで、風呂の設備のほかには食事処、マッサージ室、理容室、数人が横たわれるくらいの休憩処、それと申し訳程度のゲームコーナーがあるくらいのものだった。

 規模が小さくて、それでいて随分と居心地の良いところだった。小学生の時分は親に連れられて、中学生からは自分の小遣いを握りしめて通っていた。こんなつまらない街のくせしてちゃんと温泉が出るらしく、舐めるとしょっぱい渋色の湯を薄く張った寝転び湯、ぬるめのそれに横たわって目を閉じているのが気持ちが良くて好きだった。ひとり用の壺風呂はその次に好きで、陶器の縁に頭を載せて仰ぎ見る空の、雲が形を変えながら流れる様子は十分も二十分も見ていられた。髪を切るときも決まってここで、金曜日の夕方は上手なひとの当番だと気がついてからはその時間帯ばかりを狙って行った。ゲームコーナーで熱くなって、財布の千円札と百円玉を使い切ったと気がつくや否や青くなったのは、あれはきっと中学生の頃のはずだ。一度だけ家族全員で行ったときの夜飯の、甘い味付けの薄っぺらステーキ。湯上がりの間接照明と心地よい賑わいのなかでそんなものを食べればまるで夢か旅のようだった。

 あんなにも良いところだったのに、高校二年の頃に閉店した。客も少なくなかったから経営がまずいわけでもないはずだった。

「ここが無くなるの、ほんとうに残念です」

「皆さんそう言って下さって、本当にありがたいです。でも経営母体が土地の処分を決めたみたいで」

「つぎは何になるんですか」

「マンションが建つそうです」

「マンションが」

「ええ、マンションが」

 こういうわけでスーパー銭湯はマンションになった。僕が好きだったものはいつだって失われてゆく。

 

  *

 

 前の課の課長に嫌われて異動した。次の課長は男だから、ずいぶん気が楽で良いだろうと思っていたら、同じ係に女が居て、しかも前の課長を優に越えるほど訳のわからない女だった。訳のわからないあの女、或いはあれこそが女全般、とくに若い女の訳のわからなさの典型的な表象なのかも知れない。僕の生涯に女の影が射すことは、混雑したバスでたまたま隣に乗り合わせたりだとか、それこそ職場での関わりを除けばきれいな絶無で、だから僕は女一般のことを何も知らない。数少ない接点がたまたま外れ値だったと思いたい。ああいうのが女の典型だとは考えたくない。

 新しい課のその女はいかにも最近の女の見た目をしていた。肩まで伸ばした髪にはゆるくウェーブがかかっていて、デコが見えるようにする為か知らん、薄く梳いたような前髪の、

 ……これを書いていて思い出した。小説を読んでいて時々疑問に思うのだが、こうやってひとの見た目をいちいちあげつらって書いてゆくことに何の意味があるのだろう? もちろん、風貌の描写をとおしてかれの人間性を婉曲的に書き出すという目的に基づく行為ならば仕方がないが、ただ単に細かいだけの服装の記述や、『うつくしい』で引いた類語辞典の単語の羅列のようなそれが続くのを読書の際に目にすると、心底ゲンナリしてしまう。そもそも視覚表象としての優位性でいうならば、小説は映画やアニメ、マンガに対して圧倒的なハンディを負っているわけで、人物描写や情景描写が単なる外見の説明に終始するなら、そんなものは小説でやる必要がない。もっと言うなら、すべての小説は活字という媒体が持つ独自の優位性を意識したうえで書かれるべきであり、ナボコフの『カメラ・オブスクーラ』、あれは良かった。盲人になった主人公がかつて愛した女を殺そうとして返り討ちに遭うあのシーン、視覚を伴わない描写がずっと続いたのちに突如走馬灯としてよぎる海の青さの、あの美しさたるや! 僕だってああいうものが書ければ良いのにと思う。とにかく、ダラダラと外見の描写をすることは止したい。

 (こうまで僕が外面の描写を嫌うのは、もしかすると僕の目が内側に向かって付いているからかも知れない。僕が興味を持つものといえば専ら自分の内面やそれを語る手段としての文章に限定され、僕のまなざしが外部に向くのはそれが僕の内面と関わりを持つ限りにおいてのみであるから。)

 職場の女の話に戻りたい。あの女は俗悪さを絵に描いたが如き女で、かつその俗悪さを維持するために躍起になっているような女だった。いかにも軽そうなその頭にはきっと、第一には自分がいかに俗悪に見られるか、第二には自分がいかに俗悪に思われるか、この二つの関心ごと以外には何もなく、しかも彼女にとって俗悪さはある種の名誉か勲章であるらしかった。

 容貌。彼女は偏執的に自分の容貌を確認しなければ気が済まないような人間だった。携帯の内カメラを鏡代わりにして日に何度も覗き込むのはもとより、夕暮れのオフィスの窓に顔が反射するようになった時分や、或いはパソコンを操作中唐突に画面がブラックアウトしたようなときにさえ、みずからの顔を映すものを見つけるや否やその手は前髪のあたりに伸び、顔の角度を調整しながら、退屈な容貌のメンテナンスに入るのだった。

 内面。わざとやっているのかと思うくらいに彼女はキッチュなものを好んだ。感受性豊かと表現すれば聞こえは良いが、気色の悪い句読点の打ちかたや体言止めの連発をとおして作者自身の過剰なナイーヴさを露悪的に記したような醜悪極まる文章を、彼女はことさらに称揚した。そのうちのひとつのブログを随分と僕に薦めるものだから、それなら、と読んでしまった僕の、多少なりともまともなものが読めるのではと期待していた気持ちごと、携帯の通信量を返してほしかった。ああいったポエジーの出来損ないへの憧れは中学生か、遅くとも高校生のうちに卒業しておくべきではなかろうか?、と直截に問うわけにもゆかず、好意的な返事が返ってくると信じ込んでいる彼女に向かって、僕にはあまり合わなさそうです、と返事をするほかなかった。

 映画の趣味も最悪だった。今でも僕は信じられない、『ティファニーで朝食を』などという原作の企図を踏みにじった最低最悪の映画を、あろうことかその原作改変の箇所ゆえに好きな映画の第一のものとして挙げる人間が、この世に一人でも居るということが! 文章や映画の趣味を知っただけで僕は、彼女とは金輪際、決して、何があろうとわかり合えないだろうと察知した。そのことには当然向こうだって気がついているのだろうが、それにしては理解に苦しむ振る舞いで、要するに彼女は特に職務上の用事がないようなときにさえ僕に話しかけてくることが何度もあり、……そう、会話だ。

 俗悪な趣味を持つだけではなく、会話をとおして俗悪さをひけらかすことをも彼女は好んだ。取るに足らない雑談だと、そう言い切ってしまえばそれまでのことだが、彼女はまるでみずからと同等以上に俗悪な人間を探しているか、或いは彼女自身の俗悪さに対する称賛を求めているかのような話ぶりをした。そして話しかけた相手が自分ほどに俗悪でもなく、その俗悪さを褒めてくれるわけでもないとわかるや否や、用が無くなったと言わんばかりに会話を打ち切るか、悪いときには相手が自分の気に入った反応を示すまで繰り言のように同じような話をし続けるのが常だった。

 要するに、僕は彼女を何ひとつとして理解できる気がしなかった。これが女の標準なのか? だが女と男が理解しあうことは決してないとも聞く。彼女が女の標準なのかもしれない。女の標準とこれから働いてゆくことになるらしい。まるで気が滅入る思いでいる。

 

   *

 

 パチ屋に行かないで済むように思い出を辿って時間を潰そうと思う。今の僕には思い出しかない。

 むかし駅前にレンタルビデオ屋があった。これといってどうというものでもない一般的な店だったが、そもそも我々の思い出のほとんどは、感傷にしろ愛着にしろ、そういった一般性との関わりから生じてくるものではなかろうか?

 僕がまだ十代だった頃だから、サブスクリプションサービスは今ほど普及しておらず、……もとい、当時そんなものが多少なりとも普及していたかを僕は知らない。どうだって良い。とにかく、あの頃に音楽を聴くといえば、もっぱらCDから取り込んだ曲をウォークマンかiPodで聴くことだった。そのためのCDを借りていたのがその店で、というのも近場にレンタルビデオ店がそこぐらいしか無かったためだ。

 あの店のことは今でもよく思い出せる。入り口には自動ドアが二枚あって、一枚目のそれを抜けると埃を被ったカプセルトイのガチャガチャがいくつかと、景品を取らせる気のまるで無いクレーンゲームが置かれている、店員も持て余しているのがよくわかるちょっとしたスペースになっていた。いま思えばあれは風除室だったのだろう。そこのクレーンゲームで千円を丸ごと無駄にした苦い思い出を振り払いつつ二枚目の自動ドアを抜けると、(ボロのドアだからか開閉のたび大げさな音を立てていた、)そこがようやく店内で、CDレンタルという精神的闘争の始まりを告げる玄関口だった。

 CDを借りるということ。棚から気になった何枚かを取ってカウンターに向かい、貸し出し日数を告げてカネを払い、店を出る。たったそれだけのことがあの頃の僕には大した重要事だった。新作や準新作なんて滅多に借りなかったから、金額でいえば一枚あたり百円か二百円程度で済んだはずだが、中学生の時分の数百円は大金だったし、出費に加えて自分のセンスに対する意地も絡んでいた。『ものの価値がわかる』人間を以て自らを任じていた中学生の僕は大衆が聴くポップソングを端から軽蔑していた(これについては今でもそうだ)し、同時にカネのない中学生でもあった僕は借りる物量で攻めるわけにはいかなかった。となれば動画サイトで見知った『良い曲』の入ったアルバムを無難に借りるか、帯やジャケットで内容の良さを直観したものをレンタルするほかなく、とりわけ後者が肝要だった。奥まった棚に並んだジュエルケースをいくつも取り出しては仕舞いなおし、これは、と思うものをいくつか選んでカウンターへと持ってゆく。そんなしかたでみずからの琴線に触れるアルバムに出会えると信じていたし、また実際に何度か出会いもした。

 貸出手続きもひとつの鬼門だった。その日のレジの担当が音楽に詳しくないのが見て取れる人の良さそうな中年の主婦や、趣味も知性も乏しそうな盆暗顔の男子学生だったら気が楽で良いのだが、音楽に造詣の深そうな二人の店員、ピアスを耳許にいくつも付けた色白で華奢な女店員か、北欧のメタルバンドのベーシストのような見た目の大男がレジを打っているときは、彼らが僕のセンスの審問官のように思えて恐ろしく、現に一度、貸出のラインナップを女店員に鼻で笑われた(ような気がした)ときは人生を丸ごと否定されたような気分になった。

 吟味とレジの二つの関門を越えてしまえば一気に心は楽になる。支払いを終えて手に持った貸出袋のなかのケースがカチャカチャと音を立てるのはいじらしくって愛おしかった。自転車で、ときには徒歩で帰路に着くその歩調は自然と早足になる。急いだって音が変わるわけでも何でもないのだが、借りたCDを一刻も早く聴きたくて仕方がなかった。家に帰ってパソコンを立ち上げ、ウォークマンに取り込んだ曲をいよいよ聴けば、だいたいは悲喜交交の心地になり、これは当たりだ良くやった!、と膝を打ったかと思えば、次のアルバムは能面のような表情で聴き流す千変万化、その後も通学の折や帰宅後に何度も聴きかえし、そのなかでもとくに気に入った一曲二曲はとっておきのプレイリストに追加して、……しかし、ほかの誰に聴かせるわけでもないのに、あの頃の僕はどうしてウォークマンのプレイリストの選曲や順番にあれほど拘っていたのだろう。プレイリストにしろ音楽にしろ、今の僕にはまるで無い熱量でもって愛していた、僕のあの熱情はどこへ消えてしまったのか?

 大学の街から半年ぶりに帰省したある日、ひさびさにCDでも借りようかと思い行ってみると、かつてのレンタルビデオ屋の面影は跡形もなく、ノッペリと白く塗られたドラッグストアになっていた。レンタルビデオ屋は僕の中高生の時分の思い出になり得たが、一体誰がドラッグストアに感傷や愛着を抱きうるというのか? 何にもなりやしないだろう。そんなものばかりが街に増えてゆく。

 

   *

 

 職場での一幕。

「ねえ、さっきから言ってるけどあんまり失礼じゃないの? ひとの名前を間違えるなんて」

「ええ、この度はほんとうに、」

「あたしの、ヒヤマのヒの『しんにょう』の点はふたつじゃなくてひとつなの。どうせ登記簿なり何なりを取ったうえでこれ郵送してきたんでしょ、だったらちゃんと何遍でも確認してから発送しなさいよ」

「おっしゃる通りです、ほんとうに申し訳ありませんでした」

「じゃあさ、あんたが名前間違えられたらどう思う? あんた何て名前なの?」

「ササキと申します」

「ササキさんね。ほんとうに、ひとの名前を間違えることほど失礼なことってないからね」

「ええ」

「さっきも言ったけど、たとえばあんたが自分の名前を間違えられたらどう思うかって話よ。たとえばね、あんたがこうやって、仕事の関係でも役場からでも何でも良いんだけど、自分宛てに郵便物が送られてきて、住所は合ってるのに名前が、……ええと、」

「ササキです」

「ササキさんね、わかってるよ。ササキって書いてあるべきはずのところが、たとえばササバヤシって書いてあったらどう思う?」

「嫌だと思います」

「そりゃそうだよ、嫌だし、何より腹が立つよ! 住所は自分宛てなのに、名前が間違ってるなんて、気味が悪いし、本当に自分に向けて来たのかなって、ちゃんとした手紙なのかなって、不気味で、腹が立つよね」

「おっしゃる通りです」

「だよねえ! じゃあどうすんの、今回あたしの名前を間違ったことに対して、どう責任取ってくれるのよ。ねえ、ササバヤシさん!」

「あの、ササキです」

「ああ? ……あんたの名前なんかどうだって良いんだよ! いまあたしが怒ってるのはね、あたしの名前が間違えられて送られてきたってこと! ほら見てよ、しんにょうの点が一個余分に付いててさ、あたしの戸籍じゃちゃあんと一つしかないのにだよ!」

「ええ、ええ、ほんとうに、この度は申し訳ありません」

「さっきから何っ回も言ってるけどね、ひとの名前を間違うことほど失礼なことって無いんだからね。こんなもの一回やっただけでアウトなんだよ。わかる?」

「おっしゃる通りです」

「だよねえ。じゃあさササバヤシさん、あんた、」

「ササキです」

「ああ?」

「ササバヤシじゃなくて、ササキです」

「ササキだろうがササバヤシだろうが似たようなモンだろ、どっちだっておんなじようなモンだろうよ! あんたの名前がササキだろうがササバヤシだろうがニラバヤシだろうが知ったこっちゃないんだ、あたしはあたしの名前を間違えられてんだよ?! ……あんた今笑ったか? 何がおかしかったよ? 嬢ちゃん、あんたふざけてんの? あたしのこと馬鹿にしてんでしょ? もう良いわ、あんたじゃ話になんないから上の人呼んで。……早く呼んでよ!」

 その後、窓口に出て来た『上の人』たる係長のなだめすかし術に敗れ去った客は、とは言えさんざん二人を怒鳴り散らしたあと、『まあ、今度こそ気をつけなよ』と吐き捨てて帰っていった。係長はもとより、佐々木(同じ係の例の女だ)があまりにも不憫だったから、どうにも馬が合わない相手とはいえ、ひとこと労いの言葉でもかけようと思ったものの、普段やり慣れていないから良い言葉がすぐには思い浮かばず、マゴマゴしているうちに機を逃してしまった。彼女は係長と少し話したあと、不機嫌そうな表情のまま椅子に座り、そのまま一分間ほど携帯の内カメラを鏡にして髪を整えていた。

 いつだったか係長が、『この職場に居ると、こころのやわらかい部分がすこしずつ削れて駄目になってゆくのを感じる』と言っていたのを思い出す。今回こそこちらの不手際であったわけだが、手落ちが何もなかろうがこういった類の来客が少なくとも月に一遍はやって来るこんな職場にずっと居れば、係長の言うとおり、自然と神経はすり減ってゆく。幸い僕の業務は窓口や来客に関わってこないものだから、他の職員よりかはマシなのだろうが、それにしてもあんなやりとりが耳に入ってくるだけで心底げんなりしてしまう。

 ここで働くの辛くないですか?、と、一度佐々木に訊いてみたことがある。前々任者かその前の担当が一切整理せず書庫に投げっぱなしにしていた文書を時系列順に整理し直すとかいう、係長曰く『非常に名誉な』業務を『光栄にも』佐々木と僕が仰せつかったとき、カビ臭い、というよりはアンモニア臭い書庫の段ボールをひっくり返しながら、業務上の用事があるときは格別、普段は滅多に自分から話しかけない僕からそう質問されたことに対し、彼女は幾分驚いてすらいるようだった。

「ん? どうしたの、急にさ」

 僕は僕以外のひとがこの職場を、労働をどう思っているのか知りたかった。とは言え課長や係長はあまりに永くここの風土に馴染みすぎているから、彼らの意見なぞ参考になりはしない。この職場に所属していながら若く、歳が近いひとの話を僕は聞きたかった。佐々木は軽佻浮薄の典型のような女だが、少なくとも係長よりは客観的に労働への判断を下せるだろう。果たして僕の感じかたが異端であるだけなのか? 僕の人生に対する絶望の、惨めさのひとつの原因であるこの職場が、労働が、彼女にとっては何ともないのか?

「へえ、光永くんでも仕事で悩んだりするんだね。ちょっと意外かな。へへへ。……あたしはね、うーん、もちろんこういう仕事だから嫌なことも多いけど、同業他社と比べてウチはキャリアパスがかなりしっかり示されてるほうだし、今でこそほら、こんな誰でも出来るような雑用だって多いけど、将来やりたい仕事のためだと思えば、まあ我慢できないこともないかな」

 労働に苦痛以上の何らかの価値を見出している人間、労働を単なる苦役どころか自己実現の手段、或いはそれ自体をひとつの目標として捉えている人間の感覚が、僕には一切わからない。そんな人間の話を聞いていると、アメリカン・ニューシネマ以前のハリウッド映画のべとべとしたハッピーエンドを観ているような、端的に言って最悪の気分になってしまう。いったい労働なんてものが、その身体を除いて何ひとつ資本を持たない人間が時間を無駄にし心身を摩耗させる代償として金銭を得る手段以外の何だというのか? もちろん、男一匹、もとい人間ひとりが生涯を捧げるに値する仕事が、数少ないながらに存在するだろうことは僕にだって想像できる。だがそれは我々が現在従事しているような、或いはこれから先従事することになる『労働』なぞでは決してないだろう。

「ずいぶん難しい言いかたをするんだねえ。つまり、あたしは自分のやりたいことがはっきりしてるけど、光永くんにはそういうのが無いってことでしょう? やりたい仕事を考えるのなんて、ほんとうは就活のときの自己分析で済ませておくべきものだと思うけどね。……でも、仕事にやりがいを見出せなくても、たとえばプライベートの趣味のために働くとかさ、そういうのはあるでしょう? 何かやりたいこととかさ、そういうもののために仕事を頑張るの。頑張るまではいかなくても、我慢してやっていったりさ」

 やりたいこと。私生活。そういった言葉が僕を楽にすることはなく、労働も生活も、終わるまで続く不愉快以外の何らかであるとは思えない。労働という苦痛に耐え、労働の狭間には生活という苦痛に耐えてゆく、その繰り返しで日々は過ぎる。それだけの惨めな生涯だ。働くことも働くこと以外も辛いならば、何故この世に見切りをつけてサッサと身罷ってしまないのかと、そう訊かれるかもしれないが、単に僕が臆病だから、そのせいでだらだらと生き続けているだけのことに過ぎない。いつの日か生の苦痛が死への恐怖を上回り、この世への暇乞いの覚悟が決まる瞬間、そんな甘美な一瞬間が訪れるのを心待ちにしながら、続けるに値しない生涯を今もなお続けている。そんな惨め極まる醜悪さが僕だ。或いは不条理な暴走トラックに殺されるのだって構わなくて、むしろ死ぬ覚悟も何も必要とせず、一瞬で命を奪い去ってくれる暴走トラックに撥ねられるほうが、どんなにか気が楽で良いだろうと思う。

「『明日のことは明日みずからが思い煩う』ってわけでもないけどさ、もし仮にいま仕事にやりがいとか、私生活の張り合いとかがなかったとしても、そんなに悲観することもないと思うけどなあ。志波さんって覚えてる? 光永くんが来る前に一緒に働いてて、妊娠して退職したひとなんだけどさ。今でもときどきやりとりしてるんだけど、こないだ赤ちゃんの写真が送られてきて、正直ひとの赤ん坊なんて可愛いのかそうじゃないのか全然わからないけど、いっしょに写ってた志波さんがほんとうに穏やかで、幸せそうな顔してたんだよね。子どもを産んで育てることだけが幸せだなんて思わないけど、憧れっていうか、ちょっと良いなぁって思った」

 ああ、出生! 出生とかいうひとつの不条理、人間の愚かさによって今に至るまで連綿と続けられてきた、この不愉快の連鎖ほどに僕が憎むものはない。なぜ人類は僕を産み落とすまえに出生の連鎖を止めておいてくれなかったのか? そもそも、不幸にも産み落とされた人間が、かれ自身の生涯というひとつの地獄をなんとか耐えようとして創られてきたのが歌や文学や、或いは遊園地なんかであるはずなのに、そういったものの面白さゆえに生涯そのものを楽しい何物か、それこそ遊園地のようなものと勘違いした他の馬鹿どもが、まるでお花畑が自分の頭のなかにあるだけでは不足だとでもいうように別の馬鹿とつがいになってガキを作る、この本末転倒は何だろう。安直にガキをこしらえる連中、『可愛いから』だとか、『子どもを育ててみたいから』だとか、そんな理由で可哀想なガキをこしらえる連中は、自ら考え絶望し嘆く一主体をこの悲惨な世の中に産み落とす罪の重さを少しでも考えたことはあるのか? ベネターのように全称量化子を付ける必要こそないが、自分らの子どもの生涯はかれ自身にとって始めるに値するものだと、果たして彼らは信じているのだろうか? 信じている、とむきになって彼らは言うだろう。この子はね、あたしたちに愛されるために生まれてきてくれたんです、なんて馬鹿げたたわごとすら口にするかもしれない。続いて人類の種の存続だとか、本能だとか、あまつさえ社会制度を維持するためだとか、思いつく限りの愚かさが彼らの口から溢れ出る。赤ん坊が泣いて産まれてくる理由を、シェイクスピアに訊ねてみれば良かろうものを!

「志波さんみたいに子どもをつくるのが良い、って言っているんじゃないよ。つまりね、光永くんが結婚だとか、子どもを作ったりだとかをどう思ってるかなんてわからないし、そういうのは個人の自由だと思うんだ。あたしもね、やりたいことが出来るようになるまでは仕事を頑張りたいと思ってるのに、実家に帰ると両親に結婚はいつになるんだとか、死ぬまでには孫の顔を見たいだとか、そういうことを言われるたび、心底腹が立つの。ただ、いつかは結婚するんだろうなっていうのはぼんやり思うし、収入との兼ね合いもあるだろうけど、もしかしたら子どもを育ててみたいってなるかも知れない。はっきりしたことはなんにもわからないけど、なんて言えば良いのか、つまり、学生時代も、社会人になってからも、辛いことだってあったけど、それ以上に楽しいこともあって、だからこれから先もそんな感じで人生は進んでゆくんじゃないかって、なんとなくあたしはそう思うんだ」

 話がここに至ってようやく僕は、相談を持ちかける相手をこれ以上ないくらいに間違っていたことを確信した。年齢が同じくらいである事実を丸ごと駄目にしてしまう特大の差異、要するに彼女にとって人生は、僕には信じ難いことだが、『楽しいことのほうが多い』ものであるらしい。人生に対する根本的な認識が食い違っている以上、いくら話をしたところで何の参考にもなりやしない。宇宙人相手に俳句を聞かせてやるようなものだ。

 自分から話しかけたにも関わらず途中から気のない合槌を打つだけの機械になってしまった僕をどう思ったかはわからないが、しばらくすると佐々木はその長広舌を器用に畳み、「あたしの話はあんまり参考にならなかったみたいだね」と言ったきり口をつぐんだ。あとには淡々と書類の順番を整理する水と油のふたりが残り、その日はそれで一日が終わった。

 ……しかし、今にして思えば、人の怒鳴り声やクレームが決して聞こえてこない薄暗い書庫の整理とかいう労働は、これ以上ないくらい僕に馴染んでいた。あんなことばかりしていられたらどんなにか良いだろうと思う。またいつか係長が書庫の用事を言いつけてくれないだろうか。もっとも、今度は僕ひとりにやらせてくれれば良い。僕は誰にでも出来る書庫の片付けをして、佐々木は彼女が将来やりたい労働の下積みをする。そうやって人生は暮れてゆく。それで良いじゃないか。

 

  *

 

 ひさびさに、ほんとうにひさびさにパチ屋で勝った。こんなに嬉しいことはない。生きていて良かったとすら思っている。ああ、幸せだ。

 例によって週末だった。先週末にどれだけ負けていようが、労働と安酒と眠りの平日を挟めば気分は丸ごとチャラになり、これまでのマイナスなど無かったかのようにパチ屋へ行きたい土曜日が来る。行きたい気持ちが大して湧かなくても、週末にカネと時間があったところでやりたいこともこなす予定もありはせず、それなら、と寝巻きを脱いでシャツを羽織り、パチ屋へ向けて出かけている。そうやって打ちに行った数時間後にはボロ負けし、世界への呪詛と恥ずかしいくらいの惨めさを抱いて家路に着くのが定番の流れと化していた近頃の週末の、しかし今日だけは違っていた。

 思うに、確率や疑似乱数の神がもし存在するならそれは女神であるはずだ。こちらが夢中になって入れ込んでいるうちはどんなに真剣になったところで、またどんなに貢いだところで眼差しのひとつすら返してくれず、かと思えばあるとき急に踵を返してこちらへ近づき、猫のようにすり寄って僕を浄福へと導いてくれる、この移り気が女神のものでなくして何だろう! 無慈悲さが気まぐれな恩寵へとスイッチし、却ってこちらが冷静になってしまうほどの過大な返礼がいっときに与えられ、さてどうかしら、と言わんばかりに僕の膝のうえで微笑んでいる、我がファム・ファタルのいじらしさたるや!

 台数こそこなしたわけではないが、打つ台打つ台何もかもみな初当たりが早く、かつまとまった出玉に結びついた。あまりに出来すぎているものだから、やってもいない不正を疑われるのではないかと終いにはビクビクしながら打つ羽目になった。僕があたらしい台に座り、レバーを叩いてボタンを押すのを百度ほど繰り返しているうちに、見えざる女神の華奢な手の、その袖が僕の頬をくすぐりながら台のほうへと伸びてゆき、指先が台にソッと触れるか触れないかの一瞬間、全てが切り替わったかのように、レア役の連続、チャンスゾーン、初当たり。或いはロングフリーズ。いつもは何をしようが石のように押し黙っているだけのスロットマシーンが、今日は従順な犬のように腹を見せて僕に(僕らに?)媚びていた。日に二回もロングフリーズを引くのなんて、きっと今日限りのことだろう。

 幸運の女神には前髪しか無いというが、凡俗の人間たる僕はこうも勝ちが続くと後ろ髪を引かれてしまい、もう一台、もう一台と未練打ちする、その一台ごとに勝ちの金額が嵩んでいった。そんな都合の良いことがあるのか? 実際にあったのだから仕方がない。何かに憑かれているようだった。憑かれている、だなんて言えば疑似乱数の女神は怒るだろうか。

 今日のほんの一日だけで、ちょっとした海外旅行に行けるくらいの勝ちだった。或いは今年に入ってからの負け額を丸ごと捲れたかもしれない。逐一記録を取っているわけではないから正確なところはわからないが、とにかく、これだけの額をふたたびパチ屋のサンドへ返すのは勿体無い。せっかくの臨時収入だ、懐かしい友人連中に声でもかけて、どこか旅にでも出ようと思う。

 

   *

 

 旅に出ようと何人かの友人に声をかけたが、結局誰の予定も空いてはいなかった。最近はいつもそうだ。僕がいつだって暇をつくることができる一方、彼らはといえばやれ仕事だのやれ恋人だの、僕がとうに登るのを諦めた階段を着実に登っている最中で、週末のパチ屋の勝った負けたに一喜一憂している退屈なオロカモノは僕だけだった。何が疑似乱数の女神だ、浮かれやがって。馬鹿じゃないのか。

 安物の長財布がパンパンになるくらいあった勝ち分も、今では半分になっていた。半分になったところで額が大きいことに変わりはないが、せっかく浮いていた勝ち分の大半を失ってしまったことがとにかくやるせなく情けなかった。あの大勝ちのあと何回か打ちに行ったのだが、付け焼き刃の期待値稼働も負けばかりだし、ヤケになって適当に打てば当然のように大負けした。減った勝ち分を打って取り返そうとするたびに、いたずらに財布を薄くして終わる、そんな調子の今となっては正直、カネが減るだけの旅になんて出たくも何ともないのだが、しかしこのまま打ち続けていれば折角の臨時収入を全額パチ屋へ返納することになるのは火を見るよりも明らかだから、後々後悔しないためにも、パチ屋よりかは有意義な金銭の使い方である(とされている)旅へ出ざるをえない。ひさびさの淋しい一人旅、中年の惨めさの先取りだ。

 大学時代、あれほど対等にはしゃいでいて、一緒に何度か旅に出ることもあった友達連中の、しかし僕だけがこうも惨めに落ちぶれてしまった。パチ屋に象徴される退嬰と僕が乳繰りあっているあいだ、彼らは現実の人間と『生産的に』親交を深めるか、或いは労働に心血を注いでいる。旅に誘ったうちのひとり、毎月何十時間も残業をしているそいつなぞは、僕の誘いを断ったあと、お愛想で言った最近どう?、の問いかけに対し、「忙しいけど、でも仕事は楽しくて毎日充実しているよ」などと宣った。仕事が、もとい労働が楽しいなんてことがあるのだろうか? 僕にはまるで想像もつかない。働いている時間も職場に居る時間も短ければ短いほど良いだろうと思う。シラフで目が覚めている時間だってそうだ。いつだって酩酊するか眠るかしていたいのに、平日の朝は僕にシラフの労働の一日を命じる。だからこそ朝は絶望でしかないと思うのだが、しかし労働が楽しい彼にとって、朝とは希望や生気に満ちたものでもあるというのか? 流石にそんなはずはないだろう。朝に、あらゆる始まりに、希望なんてありはしない。

 

   *

 

 あらゆる始まりに希望なんてありはしないが、多少はマシな始まりはいくつかあって、たとえば旅の始まりの朝がそれだ。数日かけてそこいらじゅうを移動しては飯を食い、カネと体力を減らしに行くだけなのがわかっていても、新幹線のプラットフォームにうすぼんやりと立っていれば、知らない場所へ訪れることへの期待に胸が満たされてゆくのを感じる。木・金と有給を繋げた三泊四日で旅程を組んだうえに、何となくのおまけで月曜日も休みにしたから、多少の文句や嫌味は覚悟していたものの、もとより僕がさして期待されている人間でないのもあってか、職場の人間に何か言われることもなかった。唯一佐々木だけは幾分不満げな様子だったが、労働による自己実現とやらを達成したいなら休みが取りづらいのも仕方あるまい。そう睨むなよ、と思った。

 大宮から新幹線で北へ行き、本数の少ないローカル線や路線バスを乗り継いだあとの午後三時過ぎ、その日の宿の最寄のバス停に辿り着いた。人の少ないほう、少ないほうへと鉄道やバスを経由してゆき、ついには僕ひとりしか乗客のないバスから外へ降り立てば、周りにはコンビニはおろか自動販売機も、当然人影もありはせず、寂しさの果てなむ国とはここのことかと思いもする。事実、日常の、たとえば休日の街の人混みは、僕に孤独を否応なしに意識させて心を苛み続けるものであるが、一方のこんな山奥のひとりぼっちは単にどこまでも気楽なだけで、人混みのなかの寂しさからは逃れていられる。『私が孤独であるとき、私は最も孤独ではない。』キケロはきっと東北の山奥へ来たことがあるに違いない。

 順調な旅の始まりで気分が良かった。願わくば、このままいつも僕に付き纏ってくる淋しさや孤独を、この旅の間じゅうくらいは感じずにいられたらと思っていた。しかし突然そう上手くはいかない。僕の生活の数少ないイベントはいつだってやるせない結末に終わる。

 バス停から歩いて宿にチェックインしたときにはまだ僕以外に誰も訪れていないようで、或いは今日は僕だけの貸し切りでは、なんて期待もしていたが、勿論そんな筈はなかった。四時ごろから車で来るお客さんで混むだろうから早めに温泉に浸かっておいで、との女将の言葉に従い、部屋に荷を解いて貸切の湯へ浸かりに行く。その後、部屋に戻って良い気持ちでゴロゴロゴロゴロしていれば、じきに晩飯の時間がやって来るから、ノソノソと起き上がって浴衣を整え食事の場所に赴くと、楽しげな声で賑わう大広間へと通される。宿の予約の際に個室食と会場食を勘違いしていたことにようやく気がつき、青くなる。

 旅館の会場食。一人旅の惨めな男のひとつの受難。会場食にもマシな会場食と辛い会場食の二種類があって、今回は残念ながら後者だった。たとい会場食であったとしても、たとえば酸ヶ湯温泉のような、大勢の人間を捌くことが前提とされているああいった大規模な旅館のそれであるなら、一人客が珍しくないのも相俟って人目もさして気にならず、惨めな思いもしないで済む。問題は今回のような小規模な旅館の、こぢんまりとした宴会場での会場食で、実際に行ってみればわかることだが、それぞれの団体でテーブルが分かれてこそいるものの、その多くをカップルやら夫婦やら親子連れが占めるなか、彼らのすぐ近くで独りぼっちの食事を摂るときの居心地の悪さったら無い。幸いなことに僕のテーブルは部屋の隅で、前のテーブルはまだ誰も来ておらず、左のテーブルは僕と同じような独り者の中年男だったから、最悪よりは幾分かマシでいられたが、それにしても打ち解けた調子で話す比翼連理の恋人や、子どもの無邪気さを優しく笑う家族連れ連中と同じ場所で、独りぼっちで黙りこくって酒を飲んでもうまく酔えるはずがない。

 その点、隣のテーブルの中年男は上手いことやっていた。どうやら旅館の常連と見えて、親しげに従業員に話しかけてはバイクの話や旅行の話、適宜酒の注文を差し挟んではそれを起点に別の話を始め、要するに、営業妨害とならない程度に会話欲を満たすそのやり方が手慣れていた。今でこそ会場食に怯えながらも無害に、或いは不気味に黙々と飲み食いしている僕だって、いつかはあんな中年に、或いはあれよりももっと酷い中年になってゆくのだろうか。この先の生涯の孤独はどこまで僕を狂わせてゆくのだろう。ほら見ろ、隣の男が「飲み比べセットの、うーんと、この四種類のやつが良いかな」なんて頼んでいて、飲み比べの、地酒飲み比べセットは僕だって気になっていたやつだ。けれども他の客への説明を盗み聞くにどうやら面倒な形式を取っているようで、何やら一回席を立って日本酒のラインナップだか何だかを確認する必要があるらしいから、結局頼まずに終わった。僕が注文したもの? 生ビール、生酒、生酒。いずれの注文も、女所帯の旅館の仲間内で居心地の悪そうな男の仲居に声をかけてお願いした。

 惨めさに押し潰されそうな心地だったが、飯を途中で切り上げて部屋に戻る気力もないから、押し黙って飲み食いしていた。それで、生酒も二本目に差し掛かり、食い物ももうすぐ無くなりそうになった頃、空席だった前のテーブルにやって来た男女二人組、彼らが僕の目を惹いた。と言うのも、宴会場に居る大体の客が浴衣を着て出てきているなか、彼ら、そのカップルだけは街で見るような洋服で、とくに女のほうの格好、オーバーサイズの黒いシャツに、これまた少し大きめの灰色のジーンズの格好が、この上なく僕の目へ印象的に映り、また彼女によく似合ってもいた。肩までの黒髪で耳許は隠れて見えなかったが、きっとピアス穴がいくつも開いているはずだ。

 (余談。身だしなみで武装しているような女が僕は好きだ。たとえばパンク系統の格好をしてピアスをいくつも開けている女、或いはゴシックロリータじみた衣装で全身を着飾った女。系統こそ真逆であるものの、彼女らはいずれも鋭利な刃物じみた端整な危険そのもので、まるで隙がなく、おいそれと近寄れやしないひとつの粋だ。我々を縛っている退屈な常識の範疇からいとも軽々と逸脱し、一定の嗜好に則った服装に身を固めた彼女らは、並の男じゃ太刀打ち出来ないほど最高にクールだと思う。ああいった格好良い女たちに男として真っ正面から戦えるのは在りし日の、『酔いどれ天使』の三船敏郎くらいのものだろう。格好良いは女を示す形容詞だし、女々しいのは専ら男ばかりだ。)

 惨めさと退屈に取り憑かれていた宴会場の僕の関心は前のテーブルのカップルに向きはじめていた。ああいった類の男女はどんな話をするのだろう? 耳をそばだてて待っていると、酒の注文を済ませた彼らは静かな声で話し始めて、喧騒まみれの宴会場の、幸いにも僕のところまではかき消されずに聴こえてくる、低く落ち着いた女の声、の、しかしこんな旅館にはまるでそぐわない会話が始まり、その気だるく話す魅力的な調子と相俟って、僕は彼女に聴き惚れていた。

「……銀行強盗なんてきょうび現実的じゃないの。餃子の無人販売店を襲撃して回るのが良いわ。じぶんの店を守る最低限の費用を削って利潤を得ていながら、いざ強盗の被害に遭えばいっぱしの被害者ヅラして警察に頼る、ああいうたぐいの人間があたし、心底我慢ならないの。あいつらが再起不能になるくらい徹底的にやりましょうよ。全国で餃子の無人販売店を襲撃して回るの。まるであたしたち、令和のボニーとクライドみたいね」

 続いて、くぐもってモゴモゴ言う男の声。

「強盗なんてとんでもない。たしかに俺らはここまで、褒められたものじゃない方法でやってきたが、」

 男の話を遮って、ビロードのようにますます深くうつくしい女の声。

「あら、そう。それなら強盗じゃなくたって良いわ。深夜のワンオペのコンビニを狙うことにしましょう。それなりに田舎で、冴えない男がひとりで店を回しているようなところがちょうど良いわね。あたしが先に入店して、そのあと少ししたらあんたが入るの。夜中のコンビニはきっと品出しやら賞味期限切れの商品の撤去の最中だから、店員は棚をゴチャゴチャいじっているはずよ。そんな店員にあたしは酔っ払ったフリして話しかけて、それからちょっと身体に巻き付くように触れてやれば、店員は良い気分でデレデレして、勤めの一部を忘れちまうだろうから、その隙にあんたは単価が高くて軽いもの、電子タバコの本体や携帯の充電池とかアダプタとか、そんなものをいくつも持って店から出なさい。あたしは店員にキスでもして、缶ビールを一本奢ってもらって出てくるわ。口付けの見せかけの対価としてね」

 聞きたくもない醜悪極まる男の声。

「いや、たとえ俺らがやってゆくためだとしても、俺はお前が他の男と親しげにするのは我慢ならないよ」

 ああ、素晴らしい女の連れ添いのくせにどうにも冴えない盆暗な男よ、どうかその場所を替わってくれ! 君らがほんとうに犯罪を企図しているのか、或いは単なる恋人同士の罪のない戯れに過ぎないのか、そのどちらなのかはわからないが、いずれにせよ僕はその男よりも気の利いた振る舞いをする自信がある。罪を犯して生きてゆくにしても彼女とどこまでも堕落してゆくし、無害な空想であるならば彼女の身体が火照るくらいに夢中になることを言ってやれる。くぐもった、聞くに値しない声でもて、同じく聞くに値しない返事ばかりのそんな男と、哀しい一人旅たる僕の立場を丸きり交代させちまうのが良いんじゃないか? だが、女のほうがどう思うかはいざ知らず、好き好んで僕のような惨め極まる境遇と立場を交換したがる男なんかはどこを探しても居ないだろう。これほどまでに魅力的な女の連れ添いともなれば尚更だ。

 そんなことを考えながら興味深い向かいの男女、とりわけ女の会話に耳をそばだてているうちに、視線までもが向いちまって、ウッカリと、低い声のその女と目が合ってしまった。(抜けるような白い肌に、挑むような強い眼差し。服装に加えて顔も良いのか、と愕然とする。) 僕に気がついた彼女はしかし、驚くでも不審げな表情を浮かべるでもなく、僕にだけわかるような調子で口角をかすかに上げて見せると、より一層声を低く、男に頭を近づけるようにして話し始めたから、ついに会話を聴けなくなってしまった。しくじった、男に告げ口でもされるか? そう逡巡した僕のみみっちさをよそに、彼女らは静かに話し続けていて、連れの男がこちらを振り向く素振りすら見せない様子に鑑みるに、彼女はそういった野暮とは無縁の、徹底的に粋な女であるようだ。(『ねえ、あんたが聴いたことは誰にも黙っていてね。あたしもあんたの盗み聴きをきっと忘れるから!』)

 あんなにも良い女が、あんなにも退屈そうな男と一緒に居るなんて!

 ……宴会場のテーブルは二列ずつの並列になっていた。僕の左には独り旅の中年が、僕の前には通路を挟んで件の男女が話していた。彼女らの左隣は老齢の夫婦だ。その更に左隣は家族連れ。そんなのがずっと続いている。一方の、僕の左の中年の、さらに左の奥のほうは柱を挟んでいてよく見えないが、どこまでも独身者の中年や、僕のような惨めな男が並んでいたっておかしくない。独身者の列とつがいの列、畢竟これが、二列の間のこの隙間が、僕らと彼女らの差異なのだろう。幸福な家庭は似通っているが不幸な家庭はみなそれぞれに不幸であるとトルストイは指摘したが、家庭を持つにすら至らない人間の不幸はこれまた一律に似通っているようで、つまり左隣の中年男と、まだ若者ということになっている僕とは、少なくとも惨めさという一点においてどこまでも通底しちまっている感がある。低い声で犯罪計画を企てる例のふたりも、一人前の日本酒飲み比べセットをふたりで分かち合う老夫婦も、スクリーン越しに観ているようであまりに遠く、左隣の中年の虚勢や孤独ばかりが僕の心に近すぎる。どのみち独りで老いてゆくなら、二十六歳は四十とも五十とも全く同じい。惨めさと幸せの境目の河を僕が越えることは決してなく、シームレスに哀しい老齢へ移行してゆくのが分かりきっている僕の生涯、あんなにも粋な女が存在すると知りながら金輪際そんな女と額を寄せ合って話すことのない生涯の、このやるせなさを思えば、ほんとうに、どうしようもない気分になる。

 飯の残りを食い尽くし、生酒を飲み干して仲居を呼んで、ご飯を持ってきてもらった。いたたまれないから急いでご飯を食べていると、どういうわけだか佐々木の俗悪な挙措のいくつかが頭をよぎった。ごちそうさま、と宴会場を出るその直前、最後に向かいの女を見ようと視線を向けたが、男に隠れてよく見えなかった。他の客がご飯を食べ終わってやってくる前にと思って急いで風呂に入りにゆき、それから部屋でしばらくボケっとして、眠った。

 淋しいだけの一日目の晩だった。

 

 毛並みの良い黒犬が僕にだけ何度も吐瀉物を浴びせかけてくるとかいう悪い冗談のような悪夢を見て目が覚めた。旅の初日は惨めさのうちに終わったが、旅程はあと二泊分残っているから、どちらか一日でも良いものになってくれたら、という僕の願いに暗雲漂う、幸先の悪い寝覚めだった。まったく勘弁してくれよと思う。とうぜん誰も勘弁してくれやしない。

 朝飯を済ませて九時前には旅館を出た。そこから路線バスと鉄道を乗り継ぎ、十一時には今日の宿泊地たる地方都市へと辿り着く。今朝の宿の山の中とは打って変わって大都市で、古い城下町でもあるところだから楽しみにしていた。歴史にはほとんど興味がないものの、訪れた先の名所旧跡を巡るのはいかにも旅という感じで良いものだ。加えて、職場の人間が普段のように働いている平日に、一方の僕は知らない街をフラフラしているという、この事実が何とも言えずに嬉しい気持ちを掻き立てる。

 プランも特に立ててはいないが大丈夫だろう、平日だし人もさして多くはないだろうから気の向くままノンビリと観光出来ればいい、などという甘い目論見を抱いてやって来た僕に対し、例によって現実は厳しい顔を見せてくる。どこへ行けども人混みに次ぐ人混みで、……しかしどうしてあれほど人が多かったのかまるでわからない。金曜日とはいえ平日の、近くでイベントがやっているわけでもない地方都市のあの人混みは、僕への嫌がらせのためだけの人混みとしか思えなかった。

 或いはあの街が平日でも人が集まる素敵な場所であるという、単にそれだけのことだったのかも知れない。素敵な場所には人が集まり、人が集まれば集まるだけ素敵な場所は台無しになる。それにも関わらず愚かな量的人間どもはひとつところにどんどん集積していって、ついにはそこを地獄へと変えてしまう。下灘駅なんかが良い例だ。そしてその日訪れた城下街も下灘駅同様、人混みに台無しにされた『素敵な場所』であるようだった。

 せっかく買った周遊バスの乗り放題チケットは一度きりしか使わなかった。城へ向かうバス停で突っ立っているうちに後から後からひとが来て、やって来たバスも立ち客で溢れている始末、どうして満員電車の再演を旅先で味わう必要があるのか理解できなかった。やっとの思いで城に着けば、そこだって人で溢れていて、(『駐車場 満車』の看板の文字、)なんだかもう、心底厭になっちまった。観光なんかどうでも良い。天守だか何だかが見えもしないうちに来た道を引き返し、近くの、今ひとつ冴えないくせに値段ばかり立派な飲食店で昼飯にした。

 何にもならない旅の二日目の昼過ぎだった。馬鹿みたいだった。どこへ行きたくもありはせず、旅先でどこへ行きたくもなければパチ屋にでも行くほかない。だから行った。パチ屋で勝ったカネで行く旅先のパチ屋。ペトロだかペドロだかいう名前のパチ屋だった。幾たびもペドロ、幾たびもパチ屋。

 それで、パチ屋だけは良かった。ほんとうに。誇張でなしに良いパチ屋だった。歴史ある街には歴史あるパチ屋があるようで、どこであろうが同じようなシステム、同じような台が並んでいるパチ屋ばかりの近頃に、ああいったパチ屋、打つまえにあらかじめパッキーを買わなければならないパチ屋を訪れるのは僕の生涯で初めてのことだった。ねえ、わかるかい、たとえば五百円玉を入れればそれだけの玉を貸し出してくれるパチンコ玉の貸し出し機の、古ぼけた機械の、どれだけ新鮮だったことか! こんなものを目にしたなら人混みばかりで最低のこの街の評価を丸ごと改めねばいけなくなる。……たとい、その日の宿の宿泊料の何倍もの負けをそこでこしらえたとしてもだ。

 際限なしに負けを膨らませていくのに耐えられそうもなかったから、チェックインが可能な時間になるや否やホテルへ向かった。部屋の風呂で身体を洗い、ベッドの上でゴロゴロする。そうすればじき夕方の六時ぐらいになっているから、晩飯までの時間を潰せた嬉しさと旅先で何もしなかったやるせなさを同時に抱えつつ、服を着て晩飯を摂りに外に出た。素泊まりのプランにしていたから畢竟自分で飯の場所を見つける必要があった。

 緯度が高いのもあってか普段の街の同時刻帯よりも明るい気がする晩だった。行く店に目星はつけておらず、ただ街をフラフラ歩いて気になった所へ入ろうと思っていて、と言うのも自分の直感と旅先の偶然性を僕は大事にしたかった。スロットにせよ飲食店選びにせよ、多少の選択の技量は関わってくるにしろ、最終的には運や偶然に左右されるものが僕は好きだ。勝率なんてどうでも良い。たとえばほら、気がつかずに通り過ぎそうになったが、日本酒専門店とかいう暖簾がかかったあの店はどうだろう。近づいて看板を見てみると、いかにも美味そうな料理の写真と日本酒へのこだわりが書いてあって、その上に目立つように『おひとり様歓迎』と書いている。気に入った、ここにしよう、と引き戸を開けて目が合った店員に、一人です、と告げると、(後ろを向いて厨房と何やら言い交わす様子、)ごめんなさい、今日満席なんです、とのこと。そうですか、と僕は路上に放り出される。仕方がない。周りを見渡すと、向かいの焼き鳥屋なんかも良さげだから、これまた引き戸を開けて入り、一人です、と告げる。

「ご予約はされていますか?」

「してないです」

「申し訳ありません、本日満席でして」

少し歩いてチェーン店風の居酒屋へ入る。旅先の店として格は落ちるが、地のものも扱っているようだからここだって悪くない。

「ごめんなさい、本日満席で……」

僕の街にだってある、全国展開している居酒屋。流石にここなら大丈夫だろう。

「満席です」

定食屋。

「今日は貸切なのよ、ごめんねぇ」

 ……昼の混雑の時点で想定し対策を取っておくべきだった。偶然性だの馬鹿げたことを言っていないで、スロットを打つ代わりに適当な店を予約しておくことだって出来たはずだ。もっとも、今さら何を言ったところで後の祭りでしかない。あと何軒か探してみればスッと入れる居酒屋がどこかにあるかも知れないが、しかしもう、心が折れちまった。コンビニで弁当とつまみと缶チューハイと、あとは旅先の最低限の意地として地酒を買い込み、ビジネスホテルへと戻った。ローカルテレビを観ながら飲み食いし、飲み終わって、寝た。

 

 ぼろぼろに崩れた惨めな豆腐のような睡眠だった。昨晩は旅の疲れに心の疲れが重なってひどく弱っているところにヤケになって飲んだから、変な具合に酒が入って、深い眠りに入りそうになるたび目が覚めるのを繰り返し、ようやくまとまった眠りにつけたのは空が白みかけてきたころだったが、その眠りだって二時間ほどしか保たなかった。

 チェックアウトのデッドライン間近にホテルを出た。直前まで動く気が起きなかったのだ。疲れているにも関わらず眠れなかった身体に青空も日差しもひどく堪えた。寝不足と二日酔いの吐き気が混ざって最悪だった。まったく僕の一人旅は、将来こうなるだろうという中年のそれとして想定していたのと同等、いやそれ以上に惨めなものだった。今ですら充分耐えがたい実存なのに、歳を重ねていや増しに惨めさを重ねてゆくこれから先の生涯で、僕はどれほど醜悪な化け物に成り下がってゆくというのだろう。

 駅の近くの牛丼屋に入り、遅すぎる朝食にした。何も身体に入りそうにはない気分だが、ここで味噌汁を飲んでおくだけでだいぶ楽になることを経験上知っているから、朝定食の一番安いものを注文し、味噌汁だけでも、と食い進めれば思いのほか上手く回復して、恐る恐るではあったものの結局全部平らげた。

 Q.どうして僕は旅先に居るのに、どこにでもある牛丼屋で二日酔いからの回復を図っているのか?

 A.どうしようもない馬鹿だから!

 吐き気や体調の悪化に怯えつつ、電車に乗って新幹線の駅へと向かった。新幹線の駅、と言っても別に今日帰るわけではなく、そこから別のローカル線に乗り換えて最後の宿の最寄り駅に向かうのだ。別に帰ったって良いくらいの気分だったが、旅館のキャンセル料が勿体ないから帰れやしなかった。

 新幹線の駅に着いたのは昼過ぎだった。ホテルを出たのが遅かったせいで余剰した時間も大して無ければ、観光する気力も体力も尽きていた。そのくせ今日このあとローカル線で向かう旅館は着いた駅から一時間ほど歩いたところに位置していて、送迎もやっていないというのだから、旅の最終泊にそんな旅館を持ってきた自らの見通しの甘さに愕然としたが、今さらどうこう言っても仕方がなく、せめて一時間は歩ける程度に体調をどうにかする必要があった。最悪の場合はタクシーでも呼んで向かうほかないが、旅先の歩ける距離のところへ向かうのにタクシーはなるべく使いたくない。つまらない意地だ。つまらない意地やこだわりに引きずられてばかりの生涯だ。

 朝に引き続いて昼もどこにでもあるチェーン店に入った。旅先の名物には強烈な食べ物が多いから、万一そんなのを食べて体調が悪化したら目も当てられない。だからあらかじめ品物をよく知っているカフェへ入り、どんな味か知り尽くしているホットドッグにアイスコーヒーを注文して、嘔気の機嫌を伺いながら時間をかけて胃に入れた。旅先なのに馬鹿みたいだった。だが実際馬鹿なのだから仕方がなかった。

 それから、宿に向かうのにちょうど良い時間になるまで店に居座る口実として残しておいたアイスコーヒーをほんの少しずつ飲みながら、傍目にはそれとわからないように気を配りつつ数十秒の仮眠を繰り返して、十四時すこし前には店を出て列車に乗った。(掌で額を支え、肘をテーブルに立てて杖とし、もう片方の手で携帯を持つのが一番良い仮眠の体勢だった。寝ていたのがバレていなかったと信じたい。)

 こま切れとはいえ仮眠を取り、カフェインを身体に入れたから、朝よりはだいぶ元気になっていた。座席に眠りこみそうになるのを必死でこらえているうちに列車は目的の駅へ辿り着き、有人駅の、駅前につけているタクシーを無視して僕は旅館へ歩き出す。

 移動。思うに、あらゆる移動のうちで最も人を満足させるのは自らの足による歩行だろう。我々が歩いたぶんだけ周りの景色は変わってゆき、そして、疲れる。この『疲れる』というのが肝要で、つまり精神的に充足した状態での疲労は満足感の元になるから、旅の気分でもて景色を眺めながら歩けばそれだけで我々は何かをしたような心地になる。自動車や鉄道による移動はその点で、つまり疲労をあまり伴わない点において徒歩のような満足に欠ける。加えて徒歩は単に疲れるのみならず、我々の五感を刺激するから、(今日限り訪れない川の水面の陽射しのきらめき、汗ばんだ身体にそよぐ風、とおい煙と野焼きの匂い、)そこにおいても我々を満足させてくれる。徒歩の選択が満足よりも後悔に終わることなんて滅多になく、それこそ道中のちょうど半ばぐらいの距離で歩道が無くなり、掠めるような近距離を猛スピードですり抜けてゆく車の数々に戦々恐々としながら車道の端を歩いてゆく羽目になったときくらいのものだろうか。

 旅館の看板が目に入ったとき、どれほどホッとしたことだろう! もし車線のほうへとよろめきでもしたら、瞬く間に跳ね飛ばされていたはずだ。それも即死なら別に構わないが、中途半端に跳ねられて大怪我で済んじまったらと思うと心底ゾッとする。とにかく無事にその日の旅館に辿り着いた。(徒歩で来ました、と言うと、受付の仲居は絶句していた。)

 チェックインして部屋に入り、まずは翌朝のタクシーの予約をした。復路もあんな道を歩くのは金輪際御免だった。それから温泉で汗を流して、部屋に戻れば晩飯の時間にアラームをセットし、布団に潜り込んだ。朝からずっと辛かった今日の旅程がようやく終わり、もうどこにも移動する必要がなかった。やっと、やっとひと息つける!

 アラームに叩き起こされた頃には部屋は薄暗くなっていた。目をこすっていると内線が鳴り、お食事お持ちしてもよろしいですか、とのこと。お願いします、と伝えて受話器を置き、電気を灯けて布団と浴衣を整えた。三時間ほど眠ったから体調は元通りで、お腹も空腹になっている。三泊目にしてやっと個室の会席料理だ。

 部屋の座卓の前に座って待っていると、仲居が料理を持ってきた。夕食の旨そうな旅館を選んだから、目の前に並べられてゆく先付けやら刺身やらを眺めているだけで楽しくなってくる。この三泊四日の旅程のうちで最も楽しみにしていた夕食だ。飲み物は、と訊かれたから、逐一持ってきてもらうのも面倒だと思って生ビールと生酒と辛口の純米酒をお願いした。

 後から来る料理以外が出揃い、酒も手元にやって来れば、ようやく気楽な宴会が始まる。宴会、宴会だ! 人の目を気にする必要がなく、周りの複数人連れに心をかき乱されることもない、個室食や部屋食こそが一番良い旅先の晩飯だ。自家製梅酒の食前酒をひと息で飲み干してから、まずは刺身を醤油にひたし、これまたひと口でパクリとやると、海からそう遠くない場所なのもあってか、やはり美味い! さて次は何を食べようか、と行儀の悪い迷い箸、だが誰が見ているわけでもないから構やせず、煮汁が染みていかにもご機嫌な煮魚に箸をつけると、よくほぐれていた身に箸先がスッと通って、ああ素晴らしい、食べる前から美味しいことが確約されているその煮魚の、スッと箸が通るという事実の、……何故だか、妙に淋しかった。

 生ビールを呷るように飲み干した。最終泊の旅先の、気楽な部屋の晩飯である! 上げ膳据え膳の素晴らしさ、それも部屋から一歩も動かずに済むのが良い。加えてこの料理の美味さだ、刺身も煮魚もしっかりとした出来だったから、たとえば今しがた音を立てはじめた陶板の焼き物の、蓋の中身で焼かれてゆく肉の何切れかだって間違いなく舌鼓の出来のはずだ。昨晩飲み過ぎたから酒は控え目にしようと思っていたが、この調子で料理がどこまでも美味いなら飲まないのは勿体ないから、日本酒を一回くらいは追加で頼んでも仕方がない、どうせ明日は帰るだけだし、と、そう考えながら手酌で注ぐ生酒を飲み、杯をテーブルに置けば、コトリと鳴るその音の、……些細な音が、いやに大きく響いて聴こえる。

 これはどうしたことだろう。料理は美味く、体調も悪くないはずなのに、どうにも気分に歯止めがかかる。帰路の明日は日曜日で、月曜日も有給にしたから直近の仕事が嫌で気持ちが乗らない訳でもなく、充実した行程でもなかったから旅に後ろ髪を引かれているわけでもないはずだ。だとすれば何がこうも僕の心にわだかまるのか? 馬刺しをモチャモチャ噛みながら、食べ慣れていないから美味いのかどうかは分からないが、きっとこれが美味い馬刺しなのだろうと思いつつ、外では蛙が鳴いている。フと咀嚼するのも止めて耳を凝らせば、蛙の声と、陶板の肉の焼ける音、それがこの部屋の全てだった。あとは僕の浴衣が時々擦れて、僕の、僕なんかが何になるのか。

 じき仲居がやって来て、揚げ物と小皿の二、三を追加で置いていった。そのときに、もう食べごろですよ、と陶板の蓋を開けて持っていったから、サシの細かい半焼けの牛肉の、一切れを取って口に入れれば、それはもう、いかにも出来のいい肉の旨味がして、美味しい肉の、美味しさの、

 美味しくて、それだけだった。

 そう、それだけだ。僕ひとりが美味しいものを食べ、僕ひとりが酔っ払って、それだけだった。僕の旅は、僕の生涯は、結局どこまでも僕ひとりの『それだけだった』でしかないと、急に悟った。

 すべて何にもなりはしない。酒の味を、料理の美味さを、誰と分かち合うわけでも、誰に話して聴かせるでもなく、僕は僕ひとりの淋しい体験をして、食った分だけ太って酔い、眠る。それだけだ。それだけなのだ。どこまでも、僕ひとりのために用意されたこの食事はすべて、煮魚のやわらかさも肉の出来の良さも、むなしい僕が独りぼっちで俯きながら黙って食べて平らげるその限りにおいてまったくむなしい。それだけの旅だ、それだけの人生だ。

 そう気がついて、飲み食いする気が失せてしまった。

 まるで馬鹿げた旅だった。

 

   *

 

 普段の日々へ戻っても、あの旅のショックが僕の臓腑に厭らしく突き刺さったままだった。日頃から漠然と抱いていたやるせなさや惨めさに、より明確な形をとらせて精神的自傷の精度を上げてゆく、結局はそんなところの旅でしかなかったわけだ。気晴らしの意味合いを自明に内包していたはずの旅ですらこうまで傷つき気を滅入らせてしまう、みずからの生存への不適格性に泣きたくなるような気分だが、たといどんな生涯であろうが、終わらせる覚悟がつかない限り、淡々とこなしてゆくほかない。首を括って身罷るのだってある種の才能を必要とするが、僕にはそれがまるで無いから、才能の欠如を埋め合わせてくれるほどに絶望が大きく育つまで、ジッと待ちつつ生涯をやってゆくほかないだろう。それか事故、それか病気。苦しんで死ぬのは嫌だから、やはり暴走トラックが良い。

 首を括ろうとして括り損なった大学時代を思い出す。無知と若さの組み合わせは往々にして青年にかれ自身の能力を過信させるものであるが、御多分に漏れず僕もみずからの自殺する才能を過信していた。事実それなりに気が滅入っていた当時の僕は、これまでの生涯で最も死へ近い場所にあったものの、それでも足元の台を蹴飛ばせるほどに死へ肉薄してはいなかった。この『足元の台を蹴飛ばす』というのは単なる比喩に他ならず、というのも僕がやろうとしていたのは高さを必要としない首吊りだったから、血流を塞いで意識を失うのを待つだけで良かったにも関わらず、縄をビニール紐で代用しようとしたのがいけなかったのか、そもそもやり方を誤っていたのか、トライアンドエラーを繰り返したわけではないからはっきりとした理由はわからないが、どうにもうまくいかなかった。

 遺書を破いて紐を捨て、シャワーを浴びながら考えた。調べたなかでいちばん苦しまずに死ねそうな手段はついに絶たれてしまった。ほぼ確実に死ねる手段、飛び降りだとか轢死だとか、そういうのはあまりに痛そうでやりきれない。苦しんで生きたすえに最期まで苦痛で終わるのは嫌だ。意識が遠のいてスッと逝けるはずだった今回の首吊りが最適な方法だったはずで、しかし全然駄目だった。となればもう、飛び降りにしろ轢死にしろ、どんな手段を取ってでも身罷る気になるほどに絶望が深まるまでのあいだ、この生涯をやってゆくほかないのだろう。これからの生涯は暫定的なおまけの生だ。不愉快やら苦痛やらがギッシリ詰まった余剰の生を、あと何年、十何年、あるいは数十年、どれくらいかはわからないが、とにかく諦めてこなしてゆけば、どうにもやりきれず一歩も進めなくなる日がきっと来る。それまでの辛抱だ。

 そうやって自殺を保留してから早や五年以上は経つ。慢性的な惨めさと突き刺さるような淋しさが僕の心を少しずつボロのゴム毬のようにしてゆくのを傍観しながら、しかし一向に身罷る機運が高まってこない。言うまでもなく僕の生涯は不愉快で辛く、この先に改善の見込みは一切無いにも関わらず、だ。

 可能なら苦しまずに身罷りたいが、みずからの踏ん切りや努力を必要としない死にかたであるならばこの際病死でも構わなかった。珍しく舌に出来た口内炎がしばらく長引いたとき、果たしてこれは大丈夫なのか、とインターネットで調べてみると、一週間以上続く口内炎は癌かもしれないから早いところ病院に行ったほうが良いとの記事が出てきたものだから、二もなくそれを放っておくのに決めたことがある。ひとつの賭けのつもりだった。或いはこれが僕に死を運んできてくれるかもしれないと期待しながら、しかし一方では死出の旅路の苦痛を不安に思いつつ、淡々と働いたりパチ屋へ行く日々を繰り返しているうちに、件の口内炎は綺麗さっぱり消えていた。(天才は神様に好かれて早逝するというが、神様どころか人間にすら好かれない僕は引き取り手が無く長生きする。)

 病気は僕に訪れそうもなかった。暴走トラックはひとつの運に他ならず、運はこのあいだの大勝ちですべて使い果たしちまったところだ。そんな僕がくたばるにはやはりみずから身罷るほかないようだが、覚悟の決まらない現段階ではそれも難しい。どうにもならないパチ屋通いと悲惨極まる一人旅、間隙をやり過ごすためだけの読書と映画、それと当座の食い扶持を稼ぐために漫然とこなしてゆくだけの労働、結局のところ僕のすべてはこんなもので、こんな調子の生涯が長ければ今後何十年も続いてゆくらしい。勘弁してくれと思う。誰も勘弁してくれない。

 ほんとうに、ほんとうに勘弁してほしい。

 

   *

 

 ……ああ、とうとう僕は勘弁された! 勘弁してくれ、勘弁してくれと頻りに言っていたのが誰に届いたのかはわからないが、とにかく僕は勘弁された! 苦痛を耐えてゆくだけの生涯とは今日限り永久に訣別だ!

 もし僕が産み落とされた日を最低の日、僕が死ぬ日を最高の日とするならば、今日は生涯で二番目に良い日である。これからが僕のほんとうの生涯であるような心地だ。ああ、なんて素晴らしい日だろう! こんなに良い気分だったことはかつて無い。通り慣れた路地すらいつもと違って見えるようで、夕陽に照らされた雑草までもが印象派の絵のように美しい。

 雑草へのまなざしを百八十度転換するように、僕の生涯を一言で丸ごと変えてくれたあの女、佐々木への評価についても改める必要があるだろう。いくらかの文学的素養がありこそすれど依然凡俗である彼女は、僕の生き方を変えてくれた点において余人をもって代え難き存在であり、少なくともかつて僕が痛烈に非難したほどに酷い人間というわけではなかった。とにかく佐々木には感謝していて、しかし直接には伝えがたい類の感謝だから、どうしようかと思う。だがほんとうに、彼女には感謝してもしきれなくて、ああ僕は、ねえ!、……と、こうやって興奮ばかりしていても仕方がない。順番に書いてゆこう。何か良いことがあったとき、文章を書いてそれを反芻することの楽しさったらほかに無いのだから。

 例によって話は職場から始まる。不愉快な労働と更に不愉快な労働を繰り返しながら定時を待つだけの、やるせない職場の業務に最近チラチラと姿を現すようになったオアシスは、しかし蜃気楼のような幻で、係長の魔法の言葉による実体化を待つ必要がある。曰く、「悪いんだけど光永くん、書庫の片付けなんだけどさ……」

 前前任者かそれよりも前の担当者の文書の仕舞いかたが酷かったことは前にも書いたが、僕と佐々木による部分的な整理と調査の結果、僕らの係の書庫の資料はある特定の担当者による特定の期間だけに留まらず、全体として褶曲と断層が何度も繰り返された地層から成るジオパークと化していることが判明した。端的に言えばヒッチャカメッチャカな状態だ。元々整頓されていたはずの資料が乱雑に掻き回された挙句もとの順番なぞお構いなしに再収納されているその様子は、僕らの係の先代に少なくともひとり、節操のない台風のような人間が居たことを示唆していた。佐々木がそれを係長に告げると、係長は、あいつか!、と一声叫び、続いてうめき声をあげながら机に突っ伏してしまったから、僕と佐々木は顔を見合わせ、係長を放っておいてそれぞれの席へ仕事に戻った。

 それから何ヶ月かあと、書庫の惨状や係長の絶望を僕がスッカリ忘れ去っていたつい先日のある日、係長が僕を席に呼び、あらかじめ準備していたような表情を張り付け、あらかじめ準備しておいたような口調で話し始めた。定時に帰りすぎることを注意でもされるのではないかと恐れていた僕の心配をよそに、婉曲表現やらお愛想やらをふんだんに取り入れつつ、時に声を潜めたりして長々と係長が話したそれをまとめると、『どうしようかと長い間考えていたが、やはり書庫の惨状をこのまま放置しておくわけにはいかないから誰かに整理をお願いしたい。とは言え係内の仕事も多いから人員を多く割り振るわけにもいかず、佐々木さんか光永くんか、若いふたりのどちらかにお願いしたいところではあるのだが、佐々木さんはこういった雑用じみた仕事ををほんとうに嫌がるし、あまりやらせると人事課に相談でもされかねないから、光永くんに書庫の整理を頼まれてほしい。もちろん係内の、そして光永くんの仕事の様子を見計らいつつ自分から声をかけるから、そのときに急ぎの仕事がなければやってほしいのだが如何』とのことだった。

 断る理由がどこにあろう? 書庫の整理のような労働ほどに僕に向いているものはない。誰とも話さず、誰の怒鳴り声が耳に入るわけでもなく、一切のストレスから解放された気分で淡々と資料を取り出して確認し、並べなおしてもう一度仕舞う。ちょうどこんな労働だけをしてゆきたいと常日頃から思っていたところだ。何なら毎日朝から晩まで書庫の整理でも構わない、と係長に告げると、彼はそれを冗談として受け取ったようで、「いや、光永くんにも仕事があるんだから、自分が声をかけたときに少しずつやってくれれば構わないよ。別に急ぎじゃないんだから」と笑いながら言った。僕がこんなにも本気で書庫の整理をしたいにも関わらず、まともに取りあってくれやしない。

(余談。係長は若いのがどうだのと言っていたが、僕が書庫の整理係に任命されたのは畢竟あの係でいちばん業務を受け持っていなかったからだろう。こういう幸運があるのだから、日頃から労働はなるべくしないでおくに限る。)

 それからの僕はまるで餌待ちのお座りの犬だった。退屈な席でやりたくもない仕事をこなしながら号令を待ち、係長からの声がかかるや否や二もなく書庫へ向かっていった。声がかからない日も何日もあったが、それはそれで別に構いはしない、普段どおり定時になれば帰るだけのことだ。もとより職場に対して一切の期待は抱いていないわけだし、……とは言え書庫の整理を命じられた日のほうが勤務時間は短く感じられ、夜の寝付きだって何故だか良かった。

 書庫の整理を進めれば進めるほど、まったく素晴らしい保管状態であることがわかった。この間佐々木と整理していたところなんて、混沌のほんの簡単な一部でしかなかったわけだ。同一段ボール内でも書類に一切の統率が取れていないのは言わずもがな、年度・業務の双方を飛び越えて旅している書類が散見されるケース、目録には確かに記載されているにも関わらず特定の業務の書類が丸ごと集団失踪しているケースなど、問題のパターンは多岐に渡った。そのおかげで、ともすれば単調になりがちな書庫の片付けに思考や創意工夫の余地が生まれ、また業務自体も当初僕が想定していたよりも複雑なものと化しており、多少は面白くもあった。

 今日も午後から書庫の整理をしていた。(ようやく話が今日に追いついた。) 本日僕が挑もうとしていたのはコルタサルの『石蹴り遊び』じみたフォルダで、或る長大な稟議書に、その稟議に多少関係するのであろういくつもの細かい稟議書が入り混じっているものだった。『石蹴り遊び』のようにひとつの企図に基づいた挿入であれば良かったのだが、あいにく現実はそうではなく、と言うのもクリップやホチキスの外れた複数の稟議書が、何箇所もの断絶を起こしてぐちゃぐちゃになっているものだから、他の稟議書の混入や断絶を経てもなお辛うじて命脈を保っている一本の長大な稟議書の内容を把握したうえで、その全てを個別に復元してやるという、これまでの書庫業務のなかで最高難度のそれをこなす必要があった。はっきり言って胸が躍った。いったいどういう手段でこの大仕事を片付けてやろう、と方針を探りながら、渾然とした稟議書の塊を非常に愉快な心地でパラパラと捲っていると、突然、誰も来るとは思っていなかった入り口からノックが聴こえてきて、続いてドアが開く音、隙間からニュッと伸びる佐々木の顔。不審そうな表情で中を覗き込む彼女は僕の姿を認めると、困ったような笑顔を浮かべて「係長がね、光永くんを手伝ってこいって」と言いながら中へ入ってきた。

 台無しだった。僕の生涯はいつだってこうだ。何かを楽しもうとすれば決まって横槍が入り、すべてを駄目にしてしまう。

 そんな僕の内面の変化なぞつゆ知らぬ佐々木は、『石蹴り遊び』を覗き込みながら「なぁに、それ」などと呑気に訊いてくる。訊かれれば答えるほかないから、仕方なくこのフォルダの惨状を説明し、続いてこれをどうやって整頓しなおすかの方針を聴かせてやる。つまりこうだ:この渾然とした稟議書のひとかたまりには長大な稟議書の鑑のコピーが何枚も入り混じっており、このコピーどもは自明に長大な稟議書の一部ではないから、細かい稟議書それぞれの構成物であることが推察される。続いて、個々のコピーをよく見てみると、右下にページ数が記入してあるもの、穴開けパンチの穴がひどく斜めに開けられているものなど、一枚一枚に言わば『表情』とでも呼ぶべき特徴のあることがわかるから、似通った表情を持つ紙ペラを取り集め、細かい稟議書の何セットかの骨格を復元してゆく。そうやって細かい稟議書の大部分を除くことが出来れば、長大な稟議書の輪郭もだいぶはっきりしてくるだろうから、そこからは書類の内容をもとに順序を並べ替えてやったり、小骨のように刺さったままの細かい稟議書の破片を適宜引き抜いてやる。おおよそこんな調子でやってゆくつもりだ、と佐々木に話してやると、存外に興味を持った表情をしながら、

「なんだかポーの『黄金虫』の暗号みたいだねぇ。面白そうじゃん」

と言う。その比喩が今回の事例に相応しいかはさておき、自己啓発本やらポエジーのなり損ないばかりを好んで読んでいたはずの彼女が、古い小説を多少なりとも読んでいるのが僕には意外だった。だからその旨を彼女に伝えると、

「光永くんほどじゃないけど、あたしも小説が好きだから」

と、満更でもない表情を浮かべながら、胸を張るポーズでおどけてみせる。

「こうやって断片が差し挟まれるのは、僕はコルタサルの『石蹴り遊び』みたいだと思いましたね」

「コルタサル? コルタサルはわかんないや。……アッ、でも、その人って前に、すごく前に光永くんに勧めてもらった、高速道路の話のひとだっけ? あれさ、頑張って読もうとしたけど、登場人物が多くてすぐに読むのをやめちゃった」

 何てことのない調子で佐々木はそう言い、一方の僕は内心ひどく驚いていた。僕が勧めた小説を読もうとしてくれる人間が、この職場に一人でも存在するなんて! いや、この職場どころか、これまでの僕の生涯ですら珍しいことだった。

 手伝いに来たと言うのだから何かしら任せないわけにもいかず、佐々木には稟議書の後ろ半分の整理を手伝ってもらうことにした。どうやら彼女は口から先に生まれた人間のようで、アッまた鑑のコピーが出てきたよだの、紙の折れかたからしてこれとこれは一緒の稟議だよねぇだの、しきりに話しながら作業を進めようとするのを、かつて勧めた本を読もうとしてくれた嬉しさの手前、邪険に受け流す気にはならなかったから、気を遣って彼女の話に乗っかったり、或いは自分の意見を挟んだりしつつ文書の整理を進めていた。

「あたしね、光永くんってもっと取っ付きづらいひとだと思ってた」

「まあ普段はあまり話しませんからね」

「普段から話してくれていいのにさ」

 そうやって話しながら作業をしているうちに細かい稟議書が完璧になり、いよいよ長大な稟議書の中身の並ぶ順番を考える段階に至った。いよいよですね、と言いながら、佐々木のほうに目をやると、……しかし今までニコヤカだった彼女が急に真面目な顔をして、僕のほうを見ながら言う。

「ねえ、光永くん。あたしさ、最初に、係長に手伝いに行けって言われた、って伝えたでしょう。あれ実は嘘なの。スパイじみたことするのほんとうに嫌だから言っちゃうけど、光永くんがシッカリ仕事してるか様子見てこいって言われて来たの」

 佐々木にそう告げられるまでもなく、そんなことだろうとは思っていた。係長は僕に書庫の整理を頼むとき、しきりにおだてるようなことを言い、『頼りになる』だの『こんなこと光永くん以外にはなかなか頼めない』だの、口ではそう伝えながらも、本心では僕のことを一切信用していなかったわけだ。だが、僕は普段からあまり仕事をしているわけでもないから信用されていないのも当然といえば当然で、言い返すべきことは何もない。或いは僕を書庫へ行かせること自体が周りの士気を下げる人間に対する厄介払いかも知れず、厄介払いしたは良いが書庫でサボられていたらそれもそれで気に障る、とでもいった理由で佐々木を差し向けて来たのだろうか。いずれにせよ構やしなかった。

「あたしも最初は係長とおんなじ風に思っててさ、つまり光永くんが書庫でサボってるんじゃないかって。あたしと係長だけじゃなくて、口にこそ出さないけど、みんな多かれ少なかれそう考えてたと思うんだ。でもさ、実際に見にきたら、書類の片付けみたいな仕事ですら、光永くんはほんとうに頑張ってやってるじゃん。係長に押し付けられた仕事なのに全然サボりもしないでさ、あたしは自分が恥ずかしくなっちゃったよ」

 滔々と話し続ける佐々木の顔。前々から思ってはいたことだが、佐々木は目だけは美しかった。服装も容貌も何もかもが俗悪さに染まりきってしまうのを水際で食い止めている、その最後の防波堤が彼女の目で、またその目に時折りよぎる知性のひらめきの残滓であった。瞳の色合いも素晴らしく、すこしでも斜めから覗き込めばほとんど黒く見えるのが、正面から見据えると明るい茶色をしている。気を抜けばボンヤリと見とれてしまうような、彼女の目にだけは文句のつけようがなかった。

「ねえ、光永くんは悔しくないの? ただでさえ書庫の整理みたいなひどい仕事をやらされてさ、そのうえ仕事をしてるか疑われてすらいるなんて、あんまりじゃん。……もちろん、今日光永くんとこうやってふたりで書類を分別したりしたのは結構楽しかったけど、でも普段はひとりぼっちでこんな埃っぽい書庫の整理なんて、可哀想すぎるよ。係長に抗議しようよ、あたしも一緒に行ってあげるからさ、ね?」

 その目の美しさとは反対に、どうあっても受け入れ難いのが彼女の独善混じりの行動力だった。清潔な執務室で凡俗な同僚に囲まれ修羅のように働くことよりも、アンモニア臭い書庫で独り書類の順番を整理していることに大きな喜びを感じる人間が居るなんて、彼女にはきっと想像もつかないだろうし、そう伝えたところで決して理解してもらえやしないだろう。だがこのまま黙っていれば僕は僕だけの楽園をみすみす失うことになる。だから僕は、僕自身書庫の整理を気に入っているから余計な口出しをしないでほしい旨を、あくまでやんわりと佐々木に伝えた。すると彼女はあからさまにガッカリした表情をし、幾分苛立ちすら滲ませた調子で言った。

「光永くん、キツいこと言うようだけどさ、そうやって何もかも諦めたように拗ねて生きてるの、ほんとうにみっともないからやめなよ。書庫の整理を一人でやりたい人間なんて居るわけないじゃん。なのにそんな調子で自分に嘘ばっかりついてるから、係長に良いように使われちゃうんだよ。自分の殻に閉じこもってばっかりで、それでプライドを守ってるのか何なのか知らないけどさ。そんなちっぽけなプライドも、過去の自分自身も『ぜんぶ投げ出すつもりで』、少しでも仕事に、人生に向き合ってみなよ! さっきも言ったけどさ、あたしも係長に、……」

 『ぜんぶ投げ出すつもりで』! そう、それを聴いた瞬間だった! 脈絡など何ひとつありはしない霊感の閃き、シナプスを走る一閃の稲妻が僕を貫いたのは! 日頃から抱いていた希死念慮やら絶望やらと佐々木の言葉が奇跡のように繋がった。そうだ、ぜんぶ投げ出してしまえば良いんだ!

 もはや書庫の整理なんてどうだって良く、もっと言えば労働なんかしている場合ではなかった。閃きが消えないうちに考えを深めておく必要があった。話を続けようとしている佐々木を遮って書庫を去り、突然の早退を告げられて呆気に取られている係長を後に職場を出、めちゃくちゃに歩きながら考え続けた。そうだ、そうだ! どうして僕は自分自身を、もといこれからのどうしようもないに決まっている自分自身の生涯を後生大事に守っているのだろう! 首を括る機運が高まるまで生き続けるなんてあまりに悠長な誤りだ! ああ、彼女の言うとおり、ぜんぶ投げ出すべきなんだ!

 佐々木よ、気づかせてくれてありがとう! あの学生の日に僕が自分の首をついぞ括れなかったのは、当時の僕に戻る場所があったからだ。仕送りもあって、何より大学を中退すらしていなかったじゃないか! 深層心理で逃げ道を確保して、そんなんだから死ねなかったんじゃないか! 今だってそうだ。定年まで生きてゆく基盤を作り上げて、そんなんじゃ死ねるものも死ねやしない。

 だから何もかも投げ出してしまおう、いっそ死ぬほかないほどに全部を無くしてしまおう。そうだ、彼女の言うとおり、全部投げ出すことこそが涅槃に至る唯一の道だ! 手始めに仕事は賞与の時期を見計らって早々に辞めて、賃貸のアパートを引き払おう。いや、引き払うのは面倒だから、自動振り込みの口座から現金を全額引き払って、部屋の処分は大家にやらせておけば良い。携帯は最後まで必要だから、これは引き落とし口座を変えておく。そうして、最低限のものだけバッグに詰めて、死ぬためだけの旅に出よう。銀行の通帳とカード、服の着替えの三日分ほど、携帯の充電器とモバイルバッテリー。ロープにナイフ、こんなものか?

 死出の旅路は素晴らしい旅、カネが尽きるまで何をしたって構わない旅だ! 全国のパチ屋を巡っても良いし、高級な旅館に泊まっても、ビジネスホテルに何連泊もしたって構わない。一人旅の淋しさが何だ、殴り殺してやれ! 僕の生涯の惨めさが何だ、じき死ぬのだから関係あるか! 中古の車を調達して、旅の道連れにするのも宿代が浮いて良いかもしれないが、そのぶん身ひとつの気楽さが減るから、しかしこんなのは旅に出てから考えよう。もしいつかの旅館の彼女のようなアウトローじみた良い女と会うようなことがあったら、彼女と一緒に餃子の無人販売店を襲撃して回っても良い。

 ああ、やっと旅が、人生が、身に迫って楽しく感じられてきた!

 好き勝手に旅をした挙句の果て、どれくらい先になるかはわからないが、独りぼっちのこの世の名残り、最後の千円札を使い切ったら、そのときこそいよいよ死ぬときだ。すべてを投げ出してさんざ楽しんできた僕は最後の千円をどう使うのだろう。豪華な旅館の一泊の一部か、それとも安価な缶チューハイとコンビニ飯か? 自分でも想像がつかないから面白い。だが死ぬときは首を括って死ぬのだろうという確信がある。大きな橋の欄干に縄を結んで首を掛け、飛び降りて首を骨折させるか、ドアノブに縄をかけて窒息するか、足場を蹴って宙吊りになるか。おそらくドアノブに縄をかけることになるのだろうが、いざ首を括るときにどの手段を選ぶかはやはりわからなくて、これもひとつの楽しみだ。いずれにせよ、戻る場所もカネも何にもありはしなければ、生涯への絶望に退路の無さが加わって、いくら僕でもようやく身罷ることができるだろう。ようやく、ひと息つけるわけだ。

 だが、それでもついに死ねなかったら? もし僕が、僕の想像を何倍も超えるくらいに醜悪で生き汚く、鼻水垂らして泣きじゃくりながら、奈落へ一歩踏み出すことが出来なかったら? 何もかも失ってもなお、命が続く限り生に縋り付くような本性だったら?

 ……それは、その時考えようじゃないか。

雑記

たとえ気が滅入るような日々が続いていて、かつそんな日々がこれから先もずっと続いてゆくことがわかっていても、パチンコやスロットで大勝ちしたその日のうちは、もとい、大勝ちから数日間のあいだは気分も晴れるものだから、久しくオシマイの心地が続いている精神状態の改善を希って朝10時からパチ屋へ向かい、(届かない神頼み、)例によってカネを減らしただけで終わった。オシマイの労働者が運にすら見放されて帰路につく土曜日の夜。カス。ゴミ。

いつもの晩、あまりにもありふれたいつも通りの晩だ。ただいつもと違うのは、(この違いは近ごろ急に顕れてきたものなのだが、)今回の負けを私自身大して悔やんでもいないということで、たとえば今日だって私は結構な額を、つまり北関東の温泉地に2泊の旅が出来る程度のカネを失ったのだが、旅ひとつ分の金銭を失くしたことを悔しがるかつてのような気力が一切湧かず、……或いはこれは私の金銭感覚の唯一の物差しであった筈の旅が、私に対する支配力を喪ってしまったからかも知れない。

まるで空しかった大学を卒業後しばらくの無職期間を経て結局は一介の労働者に成り下がった二年前の四月以来、私の懐には多分に余裕が生まれた。まとまった休みこそ頻繁には取れないものの、賃労働の苦痛を嫌がるあまりカネのない時間を持て余してばかりいた大学時代にあれほど望んでいた旅に、いくらでも、とは言わないまでも、結構な頻度で出られるようになり、そうして出る旅も最初のうちは楽しかった。乗ったことのないローカル線に乗り、知らない街を歩き、温泉に浸かる。旅館の飯の部屋食なんかは特に好きで、生酒をガブガブ飲みながら上げ膳据え膳の佳肴をつまみ、良い気持ちで酔っ払って、……しかしそんなことを結構な頻度で繰り返せば、終いには鼻につくようになってくる。もとより地理や歴史に興味が無いうえに体力もさしてありはしないから、旅先の楽しみと言えば専ら食事か温泉しか無いのだが、そういった貧しい旅を三ヶ月や二ヶ月に一度のペースでやっていると、虚しさが私の胸を満たし、旅先の街やら旅館やらで抱く虚しさったら無い。そんな独りぼっちの旅先の虚しさがあまりに怖くて、今や旅館の予約サイトを開く気力も起きやしない。

カネの無い大学時代にあれほど親しんでいた読書や映画鑑賞も今となってはからきしだ。本、映画、或いは美術、あらゆる上質な創作物は受け取り手に体力や気力を要求して、……ねえ君、知っているかい。読書や映画鑑賞は創作物の受容であるわけだが、スロットやパチンコは現在進行形で生成される濃密な原体験に他ならないんだよ! たとえば負けが嵩んだパチ屋の休日、もう駄目だオシマイだ、という気持ちで投げやりにパチンコを打っていると突如鳴る先バレの、そのまま当たりに繋がってあれよあれよと逆転するあの幸福感。或いは次のゲームで三分の一の確率を引けばとんでもない恩恵があるスロットのあの祈りじみたヒリツキの、……パチンコやスロットは、旅に伴う予約や移動の手間も無ければ、読書や映画や絵画鑑賞の際に要求される気力や体力を必要としない、あまりに簡便で、あまりに感情を揺さぶり、そしてあまりにカネのかかる、気の狂った遊技の、……気の狂った遊技に、……気の狂った遊技しか、私は楽しめなくなってしまった。

私の生涯はどうにもならない。労働をヒタムキに頑張る気も無ければ、家庭を持つこともないだろう。旅に飽き、創作物を受容する気力も失って久しく、趣味もありはしない私にとって、結局のところ銀行口座の数字なんてどうだって構いやせず、生きてゆくことだってどうでも良い。パチンコの先バレ、スロットのヒリツキ、こんなものだって、もしかするとどうだって良いのかも知れない。

ぜんぶどうだって良い心地でいる。助けてくれと思う。とうぜん誰も助けてくれない。誰も助けてくれないから休日が来るたびパチ屋へ行く。パチンコで数万発、スロットで数千枚出せば少なくとも数日の間は精神的に苦しまずに済む。どうせ、どうせ有ったところで何にもなりやしないカネだ。少しでも気が楽になるならそれで良い。そういう気持ちで打ってほとんどは負け、ごくまれに大勝ちする。採算は取れやしないが、だから何だと言うのか。

どうにもなりやしない。どうせ明日もパチ屋に行って負けるのだろう。

どうにもなりやしない。首を括る勇気も無い。

どうにもなりやしない。

ペイル・エンジェル(小説)

 ともすればフィクションにのめり込み過ぎるきらいがあった私は、幼い頃、物語の主人公の感情をあまりにそのまま受け取っていたものだ。たとえば、母が大切にしていたスワロフスキーの小さな置物をうっかり壊してしまった主人公が居たとする。おまえが壊したの、と問いかける母に、「違うよ、ぼくじゃないよ。弟がやったんだ」と彼はとっさに嘘をつく。叱責されるかと思いきや、母は心底悲しそうな顔をして、そう、とため息をつき、「せめて正直に言ってほしかったな」とだけ呟いて、主人公を解放する。そういったシーンを読むだけで私は、私までもが何か取り返しのつかない嘘をついてしまったかのような、曰く言い難い気持ちになったものだ。

 要するに感情移入があまりに強かった為か知らん、みずからの感情までもが登場人物の境遇に強く引きずられてしまっていた、そんな感じやすい私はしかし、いつからか、小説を読みながら主人公の感情にみずからを重ね合わせそうになるたびに、『これは私の体験ではない、これは私の感情ではない』、と思いおこし、自分の心や情動を守るようになっていた。あまりに健気な子供時代だった。

 懐かしい純情すぎた幼少期から十数年、誰もがそうなっていくように、単なる一介の労働者に成り下がり、心象の豊かさや機微の複雑さを失った私は今や、みずからの日々、他ならぬ自分自身の生涯すらも薄い膜を隔てたように、他人事のようにしか感じられなくなっていた。退屈な長い小説を、途中まで読み進めてしまった勿体なさのために読み続けているような、そんな生涯を続けているうち、私はみずからの生活に対して、こう思うようにすらなっていた。『夜、眠っている最中の私が死んだとして、それが一体私にとって何だというのか?』

 幼い頃の純情のむき出しから一転してこんな調子の救いがたい人間になってしまった報いなのか、そんなことは分からないが、ある晩、悪い冗談のような私の生涯よりも、更に悪い冗談のようなふざけた天使が、これまたふざけた友人によって、唐突に私のもとへと置き去られ、そのままそいつと暮らす羽目になったのだ。

 

 日曜日の晩だった。電子レンジで温めた冷凍坦々麺の封を切り、ラップを敷いた皿へと移しはじめたまさにそのとき、部屋のインターホンが鳴った。続いてドアを叩く音と、「おい、居るか。さっさと開けろ」と問いかける声。こんな乱暴な友人を私は一人きりしか知らない。

 坦々麺を皿に移しきってから玄関を開けると案の定、トチが居た。左隣にはトチの彼女が泣き腫らした目をして鼻をグズグズいわせている。そして後ろにはぶかぶかのパーカーを着てフードを深く被った見慣れない人影があった。トチの日焼けした肌、彼女の赤らんだ目元と見比べて、華奢なそいつの口元の肌は夜闇に妙に白かった。

「旨そうな匂いじゃん。おれのぶんもある?」トチはクンクンと匂いを嗅いでから、卑しい大型犬のように言った。

「自分のぶんしかないよ。それに、夜なのに急に押しかけて面倒を持ち込んできて、痴話喧嘩か何か知らないけど、しかも三人も……」

「人間ふたりとヒトデナシ一個だよ。すぐ説明してやるから、まあ上げろや」

 そう言うが早いかトチは、私が許可を出すよりも先に、パーカーの手首を掴んで玄関へと上がり、かかとを潰した靴を脱ぐと、私を押しのけるようにして部屋へと入った。(そこで初めて私はパーカーの奴が靴を履いていないことに気がついた。絶句!) それに続いてトチの彼女が、迷子になりそうな子供のように、ねえ待って、待ってよぉ、と鼻声で言いつつ私の部屋へと上がりこんだものだから、ドアを開け放った玄関に、私ひとりが取り残される始末だった。

 静かな夜がぶち壊しだった。呆れながら部屋へ戻ると、トチの彼女とパーカーは既にちゃぶ台の片一方に並んで座って待っていた。チラチラとしきりにパーカーのそいつに目をやって意思疎通をはかろうとするトチの彼女の意図はしかし、深く被ったフード越しには届いていないようだった。そんな二人の交渉なぞお構いなしに台所を覗き込んでいるトチは、私の坦々麺を見て、

「なんでこれ皿にラップ敷いてんの?」と問いかけた。

「こうすれば洗い物をしなくて済むからね」

「相変わらず女にモテそうもねえなぁ。でもまあ洗い物なんて、これからはこいつにやらせれば良いから」

 そう言ってトチはパーカーのそいつを親指で指し示した。

「言ってる意味がわからないけど」

「そう急ぐなって。すぐに教えてやるから」

 それで私は、今日トチが持ち込んだ厄介ごとがどうやら単なる痴話喧嘩で済まないことを悟ったわけだ。

 付属の花椒をかけた坦々麺を持って居間に戻り、三人が並ぶ向かい側に座ると、すぐにトチが口を開いた。

「客に茶も出さないのか、この家は」

「塩をまかれないだけありがたいと思いなよ」

 そう言って坦々麺をズルズル啜りはじめる私にトチは、ヘッ、まあ良いさと言い、続けて、

「おれにとって悪い話と、おれにとって良い話があるんだよ。まずは悪い話から始めようと思う。そのしょうもない飯を食いながら聴いてくれ」

「きっと私にとってはどちらも悪い話なんだろうね、聞きたくないな」

「今日おれが仕事から帰ってきたとき、」

 私の意見なんか無視して話を始める。トチはいつもこれだ。

 

 トチが仕事先から早上がりして帰ってくると、家のなかが妙にガタガタと騒がしかった。家に帰った途端こうやって慌ただしい物音がすることはこれまでにも何度かあった。(『こいつは頭の悪いウサギみたいにすぐ盛りやがる!』、とトチは彼女の頭を小突いて言った。) カッとなったトチが居間に飛び込むと、息もきれぎれな彼女が押入れを背に座っていた。間男が襖一枚隔てて隠れているのは火を見るよりも明らかだった。お帰り、今日は早いんだね、と言いながら押し入れの前を退こうとしない彼女を無理やり押し除けて襖を開けると、案の定、パーカーのこいつ、『このヒトデナシ!』が全裸で納まっていたという。ああ、また間男か!、と怒髪天のトチがそいつを引っ張り出し、首をへし折っちまうつもりで思いきり横っ面を張り倒してやった。すると、

「なんと、そのままこいつの頭が吹っ飛んでいったんだよ! 頭だけ、ポーンと! あの瞬間ほど肝が冷えたことは他に無いね。今までも力加減を間違えたことは何度かあったが、とうとう人を殺しちまったと思ったものだから」

「はあ」

 私は、どこか得意げな表情をしているトチの顔をまじまじと見た。酔っ払っているのか? するとトチは私の疑惑に気がついたように、

「信じられないって顔をしてるな。おれだって最初は訳がわからなかったんだ。ほら、よぉく見てろ!」

 そう叫んだトチは突然、パーカーを着たそいつのパーカーを無理やり脱がせた。トチの彼女はうめき声のような悲鳴をあげ、肝心のそいつ自身は諦めたように、されるがままになっていた。トチに脱がされたそいつはパーカーの下には何も着ておらず、要するにパーカーを剥がされて裸になった。(目が覚めるような白い裸体だった。) 思わず視線を逸らす私にすかさずトチは、「ほら見てろ、このヒトデナシの腕を折るぞ!」と、そう言うや否や、裸体の左腕を持ち、肘の部分を右手でおさえ、関節を逆方向に折ろうと力を入れたその瞬間、パキッと音がして、……肘から先が折り取られた。

 血が出ることも、骨がむき出しになることもなかった。折り取られた断面は全き平らで、アメジストのような色をしていた。

「さあここからが更に凄いんだ」とトチは、折り取った腕を見せびらかすように振り回しながら、やくざな路上販売員か何かのように言った。それから折り取った腕をもとのように肘へと押し付け、数秒待ってから手を離すと、身体から完全に離れていたはずの腕が、そいつの腕としてたしかに元どおりくっついていたのだ。折り取った跡も残っていない。

「さあ、これでわかったろう。頭だろうが腕だろうがどこを折っても石みたいに取れて、しかもくっつけりゃすぐに治る。ビックリ人間どころじゃない、こいつはまったくヒトデナシだよ、血の通わない気色の悪いバケモノだよ」

 トチの彼女は泣きだした。パーカーだった裸体はそのまま死骸のように横たわっている。私は言葉が出なかった。

 号泣も絶句もお構いなしにトチは続ける。

「それで、おれは最初に『おれにとって悪い話と、おれにとって良い話がある』って言ったよな? ここまでが悪い話で、ここからは良い話だ。良い話というよりかは多少はマシな話ってだけなんだがな」

 トチがろくでもないことを口にしようとしているのは分かっていた。だから私は、

「ああ、言わなくていいよ」と告げた。とうぜん私の抗議はトチには届かない。トチは言う、

「このバケモノをお前の家に置いていくことにしたから、よろしくな」

 トチの彼女の泣き声がいっそう高くなった。

「悪い冗談だね」

「ああ、悪い冗談! (そう言ってトチは何やら大げさな身振りをしてみせた。) 悪い冗談なのはこっちだよ! 盛りのついたこのアホ(、と言いながらトチはふたたび彼女を小突いた)、このアホのお相手が人間だったら百歩譲ってまだ許せる! 間男を殴ってカネを出させてそれで終いになるんだから。場合によっちゃその間男とどういうわけだか仲良くなることすらあるものな。このアホを家に残して二人で酒を飲みに行って、もちろんそいつの奢りでだ。しかしこのヒトデナシ、こいつはどうにも我慢がならないね。おれはおれの女をこんな気色の悪いバケモノとまぐわうような人間に教育した覚えはないし、それがまずひどくショッキングだね。それにこのバケモノは殴ったところで痛くも痒くもないときた! とうぜんカネも持っていないし、どこでこんなバケモノを拾ったのかとコイツに訊いたら、道端でぼろ切れにくるまって座り込んでいたんだと。ほんとうに『拾って』きやがったわけだ! となればこの馬鹿女がまた拾ってこないとも限らないから、捨て犬のように捨てるわけにもいきやしない。どうせヒトデナシなのだから、粉々にしてやっても良いんだが、それはそれで捨てるのが面倒だ。ああでもない、こうでもないと悩んでいる時にフと思いついたのがおまえだよ。いやあ、持つべきものは友人だね。

 というわけで、おまえの家でこのバケモノを飼ってくれ。それでもしこの女が一人で会いに来ても、絶対にこのバケモノには会わせるなよ。よろしくな。これがいちばん丸い解決だ」

 

 来たとき同様、トチは強引に、乱暴な熊のように帰っていった。何とかしてトチが連れてきた、この、……なんだ、この、得体の知れない存在を連れて帰ってもらおうとする私の懇願もお構いなしに、『これはおれのパーカーだから』と、トチはそいつが着ていた服だけを持っていって、泣きじゃくる彼女の手を無理やり引っ張り、行ってしまった。

 それで後には全裸のそいつが、トチに腕をくっつけられたときのまま、うつ伏せで床に横たわっていた。死体を投げ込まれたような気分だった。そちらを見るまいと何度思っても、吸い寄せられるように目が行く裸体、痩せぎすの、深夜の博物館の大理石のように蒼白い素肌のそれは、しかし先ほど目にしたとおり、人ではない。

 正直なところ、私にはそいつが恐ろしかった。トチにああやって乱暴狼藉を働かれ、全裸で横たわっているのだから、せめて服の一枚や二枚持ってきて着せてやるべきであるところを、先ほどの折り取られた腕の記憶が邪魔をした。人でないのに人の形をして人のように動いていたこいつは、要するに一体何なのか? そもそも今こいつはピクリとも動きやしないが、トチに腕を折られたショックでくたばっちまったのではなかろうか? 人の家で? 勝手に死んだのか? 死体は、人でないこの死体は、折った断面は鉱石のようだったから燃えないゴミになるのだろうか?

 そうやって私がまごまごしていると、唐突に、すべてを諦めたようなため息が聞こえた。

 他ならぬ、全裸のそいつのため息だった。(まずそいつが生きていたことに私は安堵した。)そのままそいつは起き上がり、片膝を立てて座ってこちらを見、悲しいほどに澄んだ声でこう言った。

「さあ、見世物小屋ごっこはもう終わった?」

 その時になって私はようやくそいつの、もとい、かれの顔を直視したわけだ。かれの顔! ……そう、思わず目を逸らしてしまうほどにまばゆい顔立ちがあるとするならば、かれの容貌はそれと対照に、思わず見入ってしまうような、まなざしを離そうとはしない顔だった。端的に、安直に言ってしまえば、それ以上を考えがたい美しさだった。人ではないかれへの恐れも一瞬で吹き飛んだように、現に私はその顔、ひどく飽き飽きしたような表情で、そのまま舌打ちでもしかねないかれの不機嫌な容貌に釘付けられたまま、永遠のような数十秒が経ってから、あまりにかれを見つめすぎていたことに頭が回り、それでようやく目を逸らすような始末であった。

「ジッと見つめたかと思えば生娘のように目を逸らしたりして、いったいどうしたの」

 鼻で笑うようにしてかれは言った。ブグローの『クピド』にも似た容貌のかれは、しかしブグローが決して描かないような表情で私を嘲弄している。

「身体は大丈夫なの」と、かすれた声でそう訊くと、

「さっききみも見たとおり、ぼくは血の通わないバケモノだから、これくらいはなんともないんだよ」

血の通わないバケモノ、を強調するようにかれは言った。

「それで? 何だってきみは未だぼくをジロジロ見ているのかな」

「いや、私の服でサイズは大丈夫かなと思ったんだ。いま持ってくるから」

「ふく? そんなもの要らないよ。あんなものわずらわしいだけだもの」

そう言ってかれはみずからの腕をそっと撫でた。肌の擦れる音が夜に染み透るようだった。(いったいなんという身体だろう!)

 生唾を飲み込んで私は言う、

「しかしそれだと私が困る」

「ぼくは一向に困らないよ。きみが気にさえしなければぜんぶ済む」

「でも、……しかし、」

「うるさいなあ。じゃあこうしようか」(と言ってかれは狡そうな目で私を見すえ、)「もしどうしてもぼくに服を着せたいんなら、きみが手ずからぼくに着せてくれれば良い。それなら着てやらないこともないね」と言った。

(この時点でかれは、かれの意志を押し通すために最も効果的な方法を見透していたことになる。)

 ギョッとしながら私は言った。

「また腕が折れたりしそうで、さわれないよ」

「きみのオトモダチみたく、首をへし折るような調子で殴ったり、腕を逆に曲げたりしなけりゃ壊れないよ」

「でも、」

「なあ、その歳で童貞ってわけもなかろうね? こっちに来なよ、ぼくが怖いならまず触れてみれば良い。『ヒトデナシ』のぼくの身体も、女のように柔らかいんだ」

 そう言ってかれはみずからの片頬を下から押し上げるように触りながら、探るような目で私を見た。誓って言うが、私は同性愛者ではない。しかし、たとえ私の性的傾向がどうであろうが、この世で間違いなく最も美しいかれの容貌が、人間のように柔らかそうな、そんな様子を見せたならば、ほかにどうしようもありはしない!

 吸い寄せられるように私は、ちゃぶ台を回りこみ、かれの向かいへ寄って座った。するとかれの表情に一瞬、まるで仕事を苦にして首を括ったはずなのに気がつけばまた仕事の朝がやってきた永劫回帰の労働者のような、あまりに悲痛な調子がよぎった。或いはこれは私の見間違いであったかもしれない。すぐに皮肉な表情を浮かべたかれは私の手を取り、右の頬へと引き寄せて、

「ほら、これがぼくの頬っぺただよ! 血の通わない身体なのにあたたかくて柔らかいだろう!」

と言って触らせた。そのままかれは私の手を首もとへ滑らせて、

「さあ次はぼくの首だ! きみの友だちに折られた首だよ。首を折っても、あるいは締めても、しかしぼくは決して死なない、そんなぼくの、なんにもならないただの首だ!」

 かれは私の手を腹部へ移す。

「ねえ、いったいぼくの臍はなんだというのだろうね。ヒトデナシのぼくは母を持たない、そんなぼくの紐帯のきずなでもなんでもない、この、臍を模しただけの、ただの穴というのは! ……ああ、きみの手はなんだかくすぐったいね」

 私の手は鼠蹊部に達する。

「ぼくは結局、きみの友だちが言ったとおり、どこまでもヒトデナシでしかないから、こんなものも飾りでしかないんだよ。……ねえ、きみが見るのを恥ずかしがったところのこれは、どうだい、ちゃんとできているかな。見てみても、触ってみても、ひととおんなじような出来かな」

 私はかれから手を払いのけた。……いや、正直に言えば払いのけるというほどに力強くはありはしなかった。私はかれの陰部から、やっとの思いで手を抜いて言った。

「申しわけないけれど、私は同性愛者ではないんだ」

 百万遍も問われた質問に答えるように、つまらなさそうにかれは言った、

「まるでぼくに性別があるかのように言うんだね。首が取れようがくっつく相手、血のかよわないバケモノに、性別なんてナンセンスだとは思わないの」

「きみは、いや、私は、その、」

と言い淀んだきり言葉を無くした私をかれはじっと見た。(まばたきをすれば音がしそうな長い睫毛だ。) 何か言わなければと思いつつ私は、しかしまた吸い寄せられるようにかれの顔に見とれてしまい、何を言うべきか、何を言おうとしていたのか、そんな考えはすぐさま蒸発してしまった。

 そうやってどうしようもなく見つめていると突然、かれはニッと口角を上げ、そのままケタケタと笑いだした。かれの笑い声を聞きながら、私の頭は熱病に浮かされたようなままだった。ひととおり笑ってからかれは、

「ああ、つまらないなあ。きみはほんとうにつまらないねえ。……そうだ、ぼくはせいぜい、きみの部屋の端っこに暮らしていることにするから、どうかお互いに、しずかにやっていこうねえ」

と言ったきり、裸のまま居間の隅までゆき、私のことを気にも留めずに、猫のように眠ってしまった。長い髪は顔をつたって、いやらしさのかけらもない、うつくしいばかりの裸体だった。

 トチは居なくなり、かれは眠って、ふたたび静かな晩が戻ってきた。だが、静かな晩が今さら何になるというのか!

 私は感情のすべてを使い果たしてしまった。何もかも忘れたように眠りたかったし、またそうするほか出来そうになかった。すべてトチとかれのせいだ。私は食べさしの坦々麺を放ったまま、電気を消して、歯も磨かずにベッドに入った。

 何にせよ今晩は仕方がない、かれを家に泊めてやるほかないだろうが、明日以降どうしてゆくのか、そこのところを一度かれとシッカリ話さなければならない。そう思いつつも、かれの容貌や白い裸体が、かつて見たことのない美しさの残像が、しきりに目蓋の裏にちらついて、膨大な心的疲労と混ざり合い、すぐに私は寝入っていた。

 

 翌朝、アラームよりも二時間早く目が覚めた。月曜日にはいつも私は、アラームの不快極まる音に叩き起こされ、胸が悪くなるような不愉快を吐き出すように、呻きながら、頭を掻きむしりつつ身体を起こすわけなのだが、今日はただ単に寝床から出て、プールへ入るときのようにそっとフローリングへ足をおろすと、そのまま一日が始まった。認めがたいことだが、ひどく気持ちの良い寝覚めだった。

 肝心のかれはとうに目を覚ましていた。開けたカーテンの前で横になり、日向ぼっこをしているかれの、言うまでもなく服を着ていないその身体は、陽光のなかで一層白くうつくしかった。

 そうやって、月曜日の朝には信じがたいほどの長閑な様子で、目を細めるようにして陽を浴びているかれを目にした瞬間、何の脈絡も根拠もなく、唐突に私は直観していた。つまり、かれが出ていこうとしない限り、こうやって私はかれと暮らしてゆくほかないのだろう、と。いや、そう言うよりかは、かれのうつくしさに屈服してしまったと言ったほうが近いのかも知れない。かれはあまりに自然な調子でくつろいでいたし、私はそんなかれを追い出す心積りが自分のなかに微塵もないのを発見した。同じ屋根の下で暮らしていくうえで、言うまでもなくかれは私の意見など聞きやしないだろうが、それで構わないとすら思っていた。

 かれは、あまりにうつくしかった。

 そのまま私はかれに見とれていた。動かないでいればかれはまるで彫像のようにただうつくしく、それこそ美術館にいるような心地で嘆息しつつ眺めていられるのだが、ひとたびかれが身体を動かし自らが彫像でないことを示しはじめた途端、その身体はむきだしの、あまりに現実的な裸体として迫ってくるものだから、うつくしさよりも露骨さが勝り、(昨晩のかれの身体の感触!、)目を逸らすほかできなくなる。

「おはよう、よく眠れたみたいだね」と、こちらへ振り向いてかれは言った。表情に昨晩の悪辣さはない。

「おはよう。ところで、やっぱり服を着てもらうわけにはいかないかな。私のをあげるからさ」

 だが試みにそう提案した瞬間、かれの表情は皮肉めいた調子を帯びて、

「ねえ、きのうぼくが言ったとおり、きみが直接服を着せてくれるのでもない限り、ぼくはこのままやっていくつもりなんだけれどねぇ! それとも、きのうの再演をしたいというなら、ぼくはしかたなしに付き合ってあげるけど」

 意地の悪い調子であっても、或いはそういった感情を帯びているからこそ、かれの容貌はうつくしかった。あわてて私はかれに言う、

「いや、無理にとは言わないよ。それで、ちょっと朝ごはんのことをききたくて。私は買い置きのパンを食べるけど、きみはいったいなにが良いかなと思ったんだ」

「お気遣いどうもありがとう。ぼくはべつに何を食べる必要もないんだ。君らのように肉やら何やらは食べなくて、ただ、しいて言うなら、つめたい宝石のかけらだとか、ビロードのきれはし、ほかにも無機物をほんのときおり口にするくらいかな」

 そう言うんなら、と私は台所から、いつか割ったきり新聞紙にくるんで放っておいたままのガラスコップの一片を持ってきて、かれに手渡した。

「たとえばこういうのを食べたりするの」

 するとかれは、ためつすがめつ破片を眺めてから、おもむろにそれをひと口かじってポリポリと食べ、

「うん。こういうのだったら悪くないね」

と私に告げた。唖然とする私をよそに、朝日にますます透きとおるような白い肌だった。昨晩のことは悪い夢でも何でもないし、かれはほんとうに人ではない。

 そのままかれは陽を浴びながら、傍らの私を忘れさり、みずからの内奥へ沈んだような表情をして座りながら、ときおり思い出したかのようにガラス片をかじっていた。私もいつまでもかれの横に突っ立っているわけにもいかないから、昨晩の坦々麺を片付けたり、買い置きの惣菜パンを食べたり、着替えをしたりしながらも、台所から、居間のそこここから、日向ぼっこのかれに見とれてばかりいたものだから、随分な早起きをしたはずなのに、労働へ赴く準備が整ったのは結局ほとんどいつも通りの時間だった。

 

 スーツを着た私を、かれはどうでも良さそうな顔で眺めた。

「それじゃあ私はもう行くけど、きみはどこかへ行く用事でもあるかな。もしあるなら鍵を預けておくから、出かけるときにポストに入れておいてくれれば良いから」

「そんな顔とそんな格好で、葬式にでも行くの」

「葬式のような顔で労働に赴いて、葬式のような生涯を続けていくんだよ」

「よくわからないね」

 職場へ赴く準備が整ってゆくごとに、私の脳裏には今日の仕事や上達すべき悪い報告、叱責や嫌味、下卑たヒキガエルのような上司の顔が渦巻きはじめていた。かれのうつくしさですら私の不愉快を食い止めはしなかった。これがあと丸々五日も続くなんて!

「ともかく月曜日の朝だから、仕事へ行くほかないんだ。そういうものだから」

 私がそう言うと、かれはふぅん、と言い、続けて、

「仕事へ行くまえにすこしだけぼくの話を聞いてくれないかな。ちょっとしたお話なんだけど」

と言った。

「べつに構わないけれど」

「ありがとう。

 うん、そうだね、たとえばきみが高校生だったころの話をしようか。今よりもまだずっと若く、がんじがらめの自意識に苦しめられながらも、しかしまだ多くを諦める必要のなかった時分だね。誰にだってそういう時期があるように、いつかきみにもそういう時期があった。

 そんな高校生のきみは平日の昼過ぎ、海沿いを走る電車に乗っているんだ。きみの隣にはきみの友達が座っていて、空気までもがうっすらと青い昼下がり、高校の息苦しさにいよいよ耐えかねて、どうやらきみらは二人っきりで学校を抜け出してきたらしい。

『なあ』と、きみの友だちはおもむろに言うんだ。『なあ、俺ら自由だよな、どこまでも逃げてゆけるよな!』

 二人のほか誰もいない電車に乗って、きみたちは何もかもから、学校だけに留まらない、家のことや、いつかは勤めに出なければならないこと、そうした何もかもから逃げだそうとしているみたいだ。きみは友だちのほうを見ながら、逆光の陽射しで友だちの顔はよく見えないけれど、かれを見ながらこう言うんだ。

『うん、私たちきっとどこまでも行こう! どこまでもとおく、だれも私たちを知らないところ、学校も就職もなにもない、……そうだ、そんなとおくで私たちふたり、アイスクリームを売って暮らそうよ……』

 どこまでも逃げていくことなんて出来やしないのに、どうせいつかは現実を耐えてゆくだけの日々がやってくるのがわかっているのに、そうやって友だちと夢のようなことを話していると、ほんとうにかれとふたり、どこまでも行けそうな気がしてくる。かれとふたりでキッチンカーを借りてアイスクリームを売って暮らす、そんな日々までが鮮やかに脳裏へ浮かぶ。あるいは君たちはほんとうにどこまでも逃げだしてゆけるのかもしれないね。どこまでも逃げだしてゆきながら、車窓には晴れた海がキラキラと、眩しいくらいに輝いているんだ。

 それだけだよ。ぼくの話はこれでおしまい。それじゃあ行ってらっしゃい」

 そう言うとかれは私に背を向けて、日向ぼっこへ戻っていった。と思うと振り向いて、

「ああ、鍵は大丈夫。いらないよ」

とだけ最後に告げた。

 これから労働の一週間である私の頭に、海の眩しさが据えつけられた。

 

 ひとりの友人ではなく多数の労働者に囲まれ、まぶしい海ではなく灰色のビルを車窓に映す電車に乗って、私は職場へ向かっていた。次の停車駅を告げる車内放送が客の身体に吸われてぼやける、こんな窮屈で油じみた満員電車よりも、かれの語った空想のほうが、余程ほんとうらしく思われた。

 ああ、私の高校時代! 今やほとんど覚えておらず、またさして思い出したくもない、何にもならなかった私のむなしい高校時代とは対照に、彼が語ったところのものは、あり得たかもしれない一つのうつくしい可能性だった。しかし、実際の高校の時分の私には、学校を抜け出すだけの度胸や覚悟も、一緒に学校を抜け出してくれるほどに親しい友人も居らず、通学の電車待ちのプラットフォームで、気まぐれで美しい見知らぬ歳上の異性に連れ去られることを願ってばかりいた。

 悪い冗談のような通勤電車は私たちを満載して走り続け、……ふと、部屋の日なたで猫のように丸くなって眠るかれの姿が脳裏に浮かんだ。(光を乱反射するガラス片、陽の香りのする白いシャツ、)たとえば海沿いを走る列車に私とかれは乗っていて、かれは海を、けさ私とはじめて顔をあわせたときのような凪いだ表情で眺めている。スッと抜けるような鼻梁の横顔で海を見るかれは、空想のようにうつくしいだろう。すこし開いた車窓から潮風が、かれの髪や頬をときおり撫でているかもしれない。そんなかれに、つまらない気を起こした私が話しかけ、それも何か下手なことでも口にしてしまえば、途端にその顔は嘲るような、皮肉な調子を帯び、私の愚かさを詳かにするようなことをかれは言って、私は痛烈に打ちのめされることになる。あるいはかれは、借りた本の端に退屈な落書きを見つけたような調子で眉をひそめ、私のほうをチラと見て、『つまらないことを言わないでよ』とだけ口にして、すぐにまた海へと目を向ける。それで私は嘲罵されるよりも更に手ひどい恥をかくだろう。いずれにせよ、海を眺めるかれの容貌のうつくしさをふたたび目にすれば、すぐに私は何もかも忘れたようにかれへ見惚れることになる。そうしてまた、我慢しきれなくなった私はかれに話しかけ、今度は呆れたような表情をする彼を見て、どうにもいたたまれない気持ちになるだろう。(私が介入した途端乱されてしまう美しい情景の一幕の、そのあまりの淋しさたるや!) 私はかれから、そのうつくしさから、決して逃れることができない。

 じき私たちは電車を降りて、潮の匂いのかすかに香る駅に居るはずだ。初夏の日を浴びながら汗ひとつかかないかれの肌は、白昼夢じみてまぶしく光り、かれに着せた白いシャツよりもかれ自身の肌の白さはあまりに艶やかなものだから、白いシャツ、白いシャツでなくたって、或いは白いワンピースだって似合うだろう。かれはワンピースを着せようとする私をなにか悪い冗談のような顔で見るかもしれないが、もともと自分に性別を当てはめるのはナンセンスだと、そう昨晩の私に言ってのけたのは他ならぬかれ自身なのだから、たとえばかれが夏の田舎のあぜ道を私より数歩先に歩いていたとして、何の気なしにこちらを振り向くかれのフとした面持ちが、少しくせのある長い髪の揺れのはざまに少しだけ隠れる、その一瞬間の、微分されたような時間を私は、ついぞ果たされなかった青春の理想かなにかのように、夏の太陽の力を借りて、そのまま胸に焼きつけることだろう。

 いつか私たちは流行らない旅館に着くはずだ。ビジネスホテルなぞとんでもない、私たちが行き着く先はきっと、晩飯といえば無味乾燥、布団はといえば黴臭く、そこひの仲居が大儀そうに私たちの世話を焼く寂れた旅館だ。

 部屋につくなりかれはああ、とひと声あげて、

「服なんてものはほんとうに窮屈だね。脱がしてもらっても良いかい」

なんて言うものだから、私はかれに、まだご飯やら布団を敷いてもらったりするのだから、家のようにくつろぐのはどうかそれから、とつまらないことを言う。(私の言うことはいつだってつまらない。) しかしかれは人間と同じものを食べやしないから、食後、パサパサの夕食を下げにきた仲居は、一方の膳が全き手付かずなのを見て取って、「お客様、なにかお気に召さないことが、次は三ツ木場、次は三ツ木場、

 職場の最寄駅を告げる車内アナウンスが入る。忌々しい駅の名前のせいで愉しい空想から突如引き剥がされた私は、どうして自分がこんな醜悪な満員電車に乗っているのかすぐにはわからず、豆鉄砲の鳩になる。早くも減速を始めた電車はじき止まり、吐き気にも似た感情を抱きながら、私は駅へと吐き出される……。

 

 『服務規定第三十条第四項の改正に関する審議会の開催に伴う食糧費の計上をはじめとした食糧費全般の支出をめぐる関連規定の整備の方針を定める策定案について』の起案書を私に差しかえして課長は言った。

「おれは君に何度言ったか覚えていないくらいなんだけどね、君の頭には何ひとつ残っちゃいないんだな。いい加減にしてくれないか。右から左へ聞き流すのは給料貰ってるプロの仕事じゃないだろうよ、え? 仕方がないからもう一度だけ、これっきりだ! 他ならぬ君のために、最後に一度指摘してやるが、付箋を貼ってあるところすべて、全部だよ! これまでに何度も言っているとおり、たとえばここ、『茶菓子および清涼飲料水』のこの『および』、どうしていちいち平仮名にするんだい、え? たとえばキチンとした公文書を見たときに、『および』だなんて平仮名で書いているのを見たことがあるか? なあ、無いだろう! ……これっきりだよ、付箋の箇所ぜんぶの『および』を漢字に直して持ってきなさい」

 『茶菓子および清涼飲料水』を『茶菓子及び清涼飲料水』に訂正するのをはじめとして、すべての『および』を『及び』に変更したのを課長に持って行くと、課長はそれをペラペラと捲ってから、「まあ良いでしょう」とハンコを押して、

「こんな初歩的なことを何度も言わせないでほしいね。ほんとうに、上席の目に耐えうるように朱を入れるだけでひと苦労だよ」

と言い、シッシッと私を追い払った。

 フロアの奥、次長席まで歩いてゆき、課長の直しが入った起案書を、お願いしますと言って渡すと、次長は、ん、と言ってそれを受け取り、一枚目を捲って数秒で眉を顰め、

「前にも言ったと思うんだけど、たしかきみに言ったよね? 堅っ苦しくて読みづらい文書の再生産ばかりをしていないでさ、たとえばここの『茶菓子及び清涼飲料水』なんて漢字ばかりで読みづらいでしょう。『及び』をひらいてさ、『茶菓子および清涼飲料水』にしたほうが良いよね。もしかしてこれ、ぜんぶの『及び』を漢字にしてる?」

 課長の指示で漢字にしました、ほかの『及び』もぜんぶそうです、と私が告げると、次長はしらじらと笑って、

「あんなへちゃむくれが言うことなんて聞くことないのに。しかし、これも以前にきみに言った気がするなぁ。まあ、とりあえず今回は『及び』をひらいて持ってきて。課長とはテキトーにやんなよね」

 私が『及び』を『および』に直して次長のところへ持っていくと、次長はそれをペラペラとめくってハンコを押し、

「まあ良いでしょう。ただ、強いて言うならこの起案文のタイトルもくだくだしくて気に入らないんだけど、しかしこんなやりとりを君と、前にも何度かやったような気がするんだよなぁ。いや、良いです。下がって構わないよ」

と言って起案書を私へ返し、そのまま携帯を眺めだした。

 起案書のハンコの左端、スタンプラリーの終着点たる部長席まで歩いていった。数分の順番待ちののち、お願いします、と起案書を渡して、私が説明をし始めようとするよりも早く、起案の表紙を見た部長は私を手で制して、

「これさ、食糧費うんぬんの規定を定めるやつでしょ? けさの会議で重役が嫌がってさ。審議会のときくらい好きなもの食わせろ!、って。だからこれ、やる必要がなくなりました、悪いね」

と言って私に起案書を差し返した。

「でもこのことは次長にも課長にも伝えたはずなんだけどなぁ。どうしてここまで上がってきたんだろう」

 

 荷物を抱えながら家に帰ると、リビングのかれはしずかに本を読んでいた。私の本棚にあったヘンリー・ミラー『北回帰線』だ。(ああ、あまりに美しい肢体を私に見せつけるだけのこの存在の、なんと無害であることか!) かれは帰ってきた私をチラと見ると、ン、とだけ言い、それからもう一度私を見て、

「それはどうしたの」

と訊ねた。

「服はともかく、眠るときに何も敷かず何も掛けないのはどうかと思ったんだ」

かれのために途中で買った布団セットを開きながら、私は言う。

「服も布団もいらないのに」

「私がベッドに寝ていて、きみが床に何も敷かずに寝ているのはどうも寝覚めが悪いんだ。それと、珍しいものを見かけたからそれも一緒に買ってきたんだよ。或いは気に入るんじゃないか思って」

布団を準備する手を止めてポケットを探り、顕微鏡の実験で使う薄いガラス、カバーガラス百枚入りの小箱をかれに、ガラス細工のような指をしたかれの手に渡した。かれは包装のビニールをはがして箱を開け、一枚をつまんで取り出し、灯りに透かすようにして見てから、「へえ!」と言った。そのままそれを舐めるように舌に貼りつけ口を閉じ、パリパリと噛んでから、ふたたび「へえ!」と嘆息し、二枚目、三枚目と食べ続ける。かれのお眼鏡に適ったことに安心しながら、私は布団を敷いてしまって、

「さあ出来たよ。使いたければ使って良いし、気に入らなければそれでも構わない。仕舞って来客用の布団にでもするから」

「そんなことより一枚どう? なかなかいけるよ、これ」

かれは私にカバーガラスの小箱を差し出して言う。

「良いんだよ、ぜんぶきみのだ。きみのために買って来たんだから」

「そう? 悪いね」

「私がガラスなんて食べないことを当然わかっているだろうに」

「まあね」、と言ったかれはいたずらっ子のようなやさしい目をして、カバーガラスをまた一枚口にした。(どうやらかれにもそんなやわらかい表情をするだけの余地が残っていたらしい。)

 それで、よっぽど気に入ったのだろう、かれは私が冷凍食品のチャーハンを温めているあいだにも、温め終わったチャーハンを食べているあいだもずっと、カバーガラスをパリパリパリパリ食べ続けるわけだ。ひとが晩飯を食べているちゃぶ台の向かい側でガラスをパリパリやられるのは、経験してみればわかることだが、あまり良い気がしない。ガラスを食べているのがこのうえなく美しい見た目のかれであろうが、だ。子供のころ、私は食事中の机に消しゴムが乗っているのが許せなかった。食事中に消しゴムを視界に入れたくなかったのだ。それと同じことかもしれない。

「気に入ってくれているところ悪いんだけどさ、」

カバーガラスを食べ続けるかれに耐えかねて私がそう言ったとき、かれはちょうど舌のうえにカバーガラスを載せたところだった。色欲魔のような赤い舌を出したまま、かれは視線を私のほうへあげたものだから、私の言葉は封じられ、

「いや、良いや。気に入ってくれたようで何よりだよ」

と私は言葉を諦めた。そんな私をじっと見たまま、かれはカバーガラスの載った舌をしまい、私をじっと見つめながらパリパリと噛んで、最後まで私を見たままゴクリとそれを飲み下した。物言いたげな三白眼だった。

「そう言えばきみの名前を聞いていなかったね」

かれの視線から逃れるようにとっさにそう言った私は、実際かれの名前を知らないことに気がついた。かれはハタと一瞬考えたのち、

「ぼくはガラス食べ太郎っていうんだよ」

と口にした。

 ……ガラス食べ太郎!

 しょうもない、あまりにしょうもないことを、そうやってあまりに突然言い放つものだから、私は絶句してしまった。かれは続ける、

「あるいはガラスから音を取ってガラテアでも、いつだってだるそうにしているからハダリーでも良い。なんだって構やしないよ」

そう言ってかれはカバーガラスを口へ放り込み、苦虫を噛み潰したような顔でパリパリと噛んで飲み込んだ。

「冗談はさておき、きみの、ほんとうの名前はなんて言うの」

私がそう問えば、かれはため息をついて言う。

「だから、ガラス食べ太郎だってば」

 

 あれほどうつくしい見た目をしながら、かれは冗談を言うのを好んだ。なかにはあまりにしょうもないものもあれば、(『ガラス食べ太郎』!、)なにやら肯綮に中る風刺として成立している冗談を言うことだって何度かはあり、いずれにせよ、かれは冗談を言うたびに、その質の高低に関わらず、たいがいいつも苦い表情をするのだった。

「ご存知のとおり、ぼくはきみよりもよっぽど長く生きているわけだけど」

私が夕食の冷凍チャーハンを食べ終えてから、フとかれはそう言った。カバーガラスの小箱は空になっていた。

「初耳だね」

「モネにも会ったことがあるし、作っている途中の万里の長城を見たことだってあるよ」

「ほんとうに?」

疑わしげにそう訊く私を無視してかれは続ける。

「長く生きていると昔のことなんて忘れてゆくから、はっきりとしたことは言えないけれど、最初の頃はこの身体のせいでいくつも失敗をしてきたものだよ。たとえば秦の始皇帝の時代、ちょうどきみの友だちにやられたように殴られて首を飛ばされたことがある」

「そりゃまたずいぶん昔だね」

「茶々を入れないで聴いていなよ。

 それで、きみの友だちにやられたのとは違って、頭を飛ばされたのが往来のど真ん中だったのが良くなかった。要するに、身体のほうで頭を取りにゆかせて、もとのようにくっつけたら、周りの人間が腰を抜かすやら逃げ出すやらわめきちらすやらの大惨事になったんだ。ぼくもその場からさっさと逃げだせばよかったのだけど、周りのワーキャーにぼんやりしちまったせいで、すぐ飛んできた兵隊に捕まった。別の場所に連れてゆかれて、今度は刃物で首を飛ばされたのだけれど、後ろ手に縛られていたから自分で頭を取りにいくわけにもいかない。しかたがないから頭のほうで「戻してくれないかなぁ」と喋ったら、今度は兵隊らが腰を抜かした。

 魑魅魍魎か或いは仙人の類か、とそうなったわけだね。現場の兵隊連中にはその判断はつきやしない。下級官吏から、すこしはマシな下級官吏、それから更に上の官吏へと、ドミノ倒しか何かのように、だんだん偉くなってゆく連中の前で何度も首を飛ばされながら、最終的にぼくは始皇帝の前で首を飛ばされていた。(結局、途中の官吏の誰ひとりとして自分で判断する頭を持ち合わせていなかったんだよ。) ここまで来ると首を飛ばされるのにも飽きちまって、ぼくはため息をつきたいような気持ちで頭を身体にくっつけてみせる。そしたら始皇帝、えらく感動したとみえて、その不死の秘密を是非とも教えてくれとしきりにせがむものだから、盃いっぱいの水銀を持ってこさせて、ひと息に飲み干してみせると、彼ったら無邪気にはしゃいで、ほんとうに信じこんだみたいだった。

 とうぜん不老不死の秘密を教えたぼくは用済みだから、儒家連中ともども生き埋めにされて捨てられたわけだ。ずっと埋まっていたって良かったんだけど、不愉快な虫やらミミズやらが口やら鼻やらに入ろうとするものだから、我慢できなくなって、土のなかから何日かかけて這い出し、今度こそ退散つかまつったわけだね」

と言ってかれは苦々しい顔をしてみせる。

 この冗談はそもそも、首が取れようが元に戻せるというかれ自身の冗談性に依っているものだから、かれにしか言えないものではあるものの、いささかパンチに欠けている。(もちろん、フィクションとしての面白さはまた別の話である。この冗談の真偽についても。)

 あるいは、かれは酒を飲みはじめた私を見て、からかうような調子で言う。

「おや、明日の仕事の厭さをぼやかしにかかっているの?」

「ずいぶんなことを言うね、きみは」

「まあ、シラフで目が覚めている時間なんて短ければ短いほど良いからね、わかるよ」

それを聞いて私は、或いはかれと酒を酌み交わせるのではないかと期待して、

「きみも酒が飲めるのかい?」と訊ねる。するとかれは、

「まさか! あんなものを飲む奴はみんな馬鹿だよ」

そう言って割れたコップの破片を不味そうにかじる。

 かれのこういうまぜっ返すような冗談は、私も好きなところのものだ。その冗談を言っているのが、このうえなく美しい全裸でガラスを食べる存在とかいう、まるで酒の飲みすぎで正気を失った奴の幻覚じみた存在たるかれというのもまた良い。かれの性質が冗談自体の外に漂うぶんには構わないのだ。

 (しかし、シラフで目が覚めている時間が短いほど良いだなんて、まさにそのとおりだと思う。)

 こんなのもある。ある日私が家に帰ると、かれが羽を生やしていることがあった。天使のような白い立派な羽だ。夏の夕方だったから陽はまだ出ていて、窓を背にするようにして座っているかれの、背中の羽もうつくしい身体も、夕陽のせいで何やら夢のようだった。

「どうしたの、その羽は」と私が訊くと、

「ああ、これ?」とかれは羽に触れ、「こういうのがあったほうが都合の良い時代があったんだよ、だいぶ昔になるけどね。こうやって定期的に干してやらないと、変なクセがついちゃうんだよ」

「なかなか綺麗なものだね」

私がそう言うとかれは、「たとえば、」と言いながらやにわに立ち上がってこちらに向きなおり、みずからを抱きしめるような調子で両腕を肩へ回した。ちょうどブグローの『クピド』と同じような格好で、そのために私は心臓を貫かれるような思いがした。

「たとえばこんなポーズを取ってみれば、ぼくはなかなか絵になるだろう?」と言うかれに、感極まった私は、

「ねえ!、(と素っ頓狂な声を上げて続けた、)私がはじめてきみを見たとき、ブグローの絵みたいな奴だなと思ったんだ。今まさにきみがしているポーズの、まさにその絵だよ!」

「ブグロー、ああ、ブグロー。ほんとうに懐かしい名前だね。クピドンでしょ、あの絵のモデルはぼくなんだ」

そんな冗談を、かれはなんでもなさそうな調子で告げる。

「あの絵ではもうすこし深みのある表情をしていたのにね」

「深みのある表情!」と、かれの容貌は皮肉に歪んだ。「あんな恥じらうような顔はぼくにはどうしても出来やしなかったから、表情だけはかれがつくって書いたんだ。いったいぼくの身体のどこに恥じらう余地があるというのだろう! ところで、きみはああいう表情が好きなんだねぇ」

「そういえば、その羽は飛べるのかい」と、雲行きが怪しくなってきた私は話を変える。するとかれは呆れたように、

「なあ、ほんとうにきみは高等教育を受けてきた人間だろうね? 常識的に考えて、人間なみの重さのぼくが、こんなチャチな羽の一対で飛ぶことができると思うの?」

「『常識的に考えて』、頭が取れても死にやしないきみのような存在がそもそもあり得ないと思うんだけど」

「そんなこと言っても、現にぼくはこうして存在しているんだから仕方なかろうよ。理論と現実が食いちがうとき、現実が間違っているとでも言うのかい、きみは」

そう言ってかれはヤレヤレと肩をすくめる。

 私たちのコミュニケーションは大概がそんな調子だった。

 

 性悪なクピド、この蒼白い天使は結局、私の買った布団で眠ろうとはしなかった。その代わり、敷き布団からシーツだけを引き剥がして、それにくるまるようにして眠っていたのだ。夜中、トイレに目が覚めた私は、やわらかい敷布団やあたたかい掛け布団がすぐ横にあるにも関わらず、固い床のうえで薄いシーツにくるまって眠るかれを見て、なんとも言えない気持ちになったものだ。

 翌朝、かれの抜け殻のようなシーツを畳みながら私は訊く。

「どうして布団で寝なかったの」

「あんまり好みじゃないからかな」

日光浴の背中のかれは私に言う。もちろん何も着ちゃいない。

「布団で眠ったほうがきっと楽だと思うのだけれど」

「お気遣いはありがたいけれど、ぼくはこれで構いやしないよ」

それきりかれは日向ぼっこに戻ってゆく。

 平日の朝がいつもそうであるように、その日も出勤の時間になる。昨日もそうではあったものの、猫のように放埒なかれが、私の出勤のときだけは日向ぼっこを中断して、玄関まで見送りにくるのは、しかしどういうわけなのだろう。

「それじゃあ仕事に行ってくるよ」

「それじゃあきみは今日もまた高校生だったとしようか、」とかれは話を始めようとする。「まあ、短く済ますから聴いてよね」

「ねえ、昨日もそうだったけれど、出勤前の私にそうやってうつくしい話をするのは、要するに嫌がらせか何かなのかな」、と私が訊けば、

「滅相もない!」と、わざとらしく目を丸くしてかれは言う。こんなに嘘くさい表情はない。「きみの家に泊めてもらうお礼としてぼくはきみに話をするんだ。時間に余裕もあるんだろう?」

「電車を一本や二本遅らせたところで何ともないよ。掃除をしたり、始業前のメールチェックだとかが出来なくなるだけだから」

「だったらしずかにぼくの話を聴くことだね!」とかれは言い、水のように澄んだ声で話しはじめる。

「きのう、きみが買ってきたカバーガラスを食べながら、フと金平糖自殺という死にかたを思いついたんだ。もちろん実際にはそんな死にかたはありえないし、あくまでぼくの空想として思いついたんだけどね。

 金平糖自殺に道具は必要ない。単にじぶんの心のうちに金平糖自殺が成立する条件を取り決めておくだけで十分なんだ。たとえば、つぎにぼくが手を叩けば金平糖自殺になる、といった、そんな些細な規則を心中に定めておくだけで良い。そのうえでぼくが次に手を叩いたとき、生涯は金平糖自殺として終わりを迎え、全身は無数の金平糖になって四散する。ぼくの姿は跡形もなく消え、あとには色とりどりの金平糖だけが散らばって落ちている。

 それが金平糖自殺だ。この死にかたを思いついたとき、我ながらじぶんのアイデアが気に入ったものだよ。全身が金平糖になるというのも素敵だし、何より金平糖自殺という響きが良い。

 それで、きみがもし金平糖自殺をするならば、どんな状況で金平糖自殺をしたのだろうね。

 たとえばきみは高校生だった。高校生のきみは高校生にして、こんな生涯なんて続けるに値しないことを早くもわかっていたものだから、退屈な授業のさなか、突然に金平糖自殺をするんだ。手の鳴る音、金平糖の散らばる音に一瞬授業は止まるものの、金平糖になってしまった生徒にかかずらっても仕方がないから、じきに授業は再開する。四散した金平糖のうちの一粒、ピンク色の金平糖が、ある女生徒の机に転がって、彼女はそれを、こっそり食べる。

 あるいは金平糖を食べた女生徒こそがきみなのかもしれないね。

 同級生がひとり金平糖になったというのに、だれも彼もみなあまりに無関心だった。休み時間に日直がブーブー言いながら金平糖を掃除してゴミ箱に収め、それきりかれの名前は口にものぼらない。

 放課後、夜、家に帰ったきみが宿題のノートを取り出すと、金平糖の一粒が机のうえに転がり出るんだ。きっと金平糖自殺の残骸がきみのカバンに紛れ込んだのだろうね。きみはその金平糖を手に取ったり、あるいは机に置いたりしながら、ためつすがめつその金平糖を眺めているはずだ。単なる金平糖の一粒から、きみはかれが生きていたころの姿を思い出しながら、草食動物のようにやさしいかれの目、さらさらと陽を浴びるなめらかな肌、透きとおる声で話す喉、……いつともなく、きみもかれがしたのと同じように、金平糖自殺を決意している。かつてかれだった金平糖ティッシュにくるんで制服のポケットにしまったまま、きみは宿題もせずにノートを片付けてしまう。そのまま布団に入って眠り、かれの夢を見るのだろう。今までのなかで一番よく眠れるはずだ。

 次の朝、きみはきっと、かれが金平糖自殺を選んだ授業のさなかに金平糖自殺をするはずだ。きみはポケットのなかのティッシュから、かつてかれだった金平糖を取り出して念じる、『かれの金平糖を口にすることを、私の金平糖自殺の規則とする!』、と! そのままきみは金平糖をパクリと食べて、その甘みが舌に触れるか触れないかの一瞬間、かれがそうなったのと同じように金平糖になって四散するんだ。

 そうやって若いうちに身罷っておけば、今のように苦しんで職場へ行くこともなかったのにねえ! それじゃあ、行ってらっしゃい」

 話し終わったかれは私に背を向けて部屋へと戻り、私は玄関で唖然としている。泊めてもらっているお礼だなんて、よく言えたものだ!

 

 詰め放題のような満員電車に押し込まれつつ考えていた。ついぞ若い時分に身罷ることのできなかった私は、惨めな中年になってから金平糖自殺を選ぶだろう。配偶者も同居人も居らず、趣味も気力も絶えて久しい。むかしは親しく交歓していた友人連中もみな、それぞれの家庭に入ったきり、私の生涯からは永久に失われてしまった。早い話、目を背けたくなる結果としての自らの将来をただ淡々とこなしていくほかない、そんな中年に私は成り果てることだろう。ただでさえ惨めな中年なのに、老いまでもがその重さを日々増してゆき、惨めさが極まった挙げ句に苦しい病気やら孤独死やらの結末を迎える、そんな幕引きが私の濁った目でもあきらかに見通せるようになった、ほとんど末期の段階になってようやく、私は覚悟が決まるのかも知れない。

 そうなった私はきっと、かれが話したのと同様に、手を叩いて金平糖自殺をするはずだ。ぞっとするほど静かな一人暮らしの深夜の晩に、手を叩く音がしたかと思えば、ばらばらと散らばる金平糖の音、そして、静寂。とうに訪ねてくる知己も居らず、職場は無情な解雇通知を送りつけたきり私との縁を終わらせるから、棚と棚のわずかな隙間の埃のように、数週間、数か月、或いはもっと、私の金平糖は忘れ去られたままになるだろう。いやにあざやかな色をした金平糖の残骸が、朝が来るたびカーテンの隙間から差す光を浴びて、死んでしまったあとのほうが私はうつくしいことになる。

 あるいは私が、いや、私以外の誰だって構わない、もし誰かひとりがこんな満員電車のなかで金平糖自殺をすれば、ポップコーンが弾けるようにわれわれはみな連鎖的に金平糖自殺を選ぶだろう。至近距離で金平糖を浴びてしまえば、満員電車の労働者は、誰ひとりとして金平糖への誘惑に抗うことが出来やしないからだ。そうしてこの車両の誰もがみな金平糖自殺をしちまって、次の駅で扉が開けば、ひとの代わりに金平糖が溢れ出す。くすんで淀んだ駅のホームの一角に色彩豊かな金平糖が溢れ出すのは、どうにも爽快な思いだろう。

 どんなに金平糖自殺で気を紛らわせようとしようが、結局のところ私は人間ばかりの満員電車に乗っていて、後ろの男のリュックの突起が私の背中に押し付けられてひどく痛いし、前の男は青い顔をして今にも嘔吐をしかねない。左の若者のイヤホンの音漏れ、

 ……ああ、勘弁してくれよ!

 

「標記のことについて、別添のとおり照会します」とだけ本文に書かれているメールが来た。別段珍しいメールではない。こういったメールばかりがやって来る。『別添』のファイルはふたつあって、一番上のファイルでは照会文が、期日やら回答先やらを示している。二番目のファイルは回答文やら別紙やらの雛型をひたすらまとめたzipファイルで、要するにこの回答様式のひとまとまりを作成し、照会元に提出しろというわけだ。試しに回答文の文面を引いてみよう。

「下記のとおり回答します。

1.実施計画

別紙一のとおり

2.対象範囲

別紙二のとおり

3.昨年度執行状況

 別紙三のとおり

4.関連施策……」

 別紙、別紙、別紙! いつだってこれだ!

 ため息と一緒に別紙一を開いてみれば、数値やら文字を入れる場所が何箇所もあって、果たしてこれが全体の入力量の何分の一に当たるのかはわからないが、これらの数値や文言を、昨年度に作成した回答やら、zipファイルに混じっていた『記入上の留意点』と題されたファイルやらを参考にしながら埋めてゆくわけだ。

 早々に意気喪失した私が別紙一を閉じ、別紙二を開いてみれば、すぐに別紙二が三人の子の親であることに気がつく。すなわち『別紙二の一』、『別紙二の二』、そして『別葉一』だ。回答文に飽き足らず、別紙だって累々と子を産みうるのだ。『別紙二の二』と『別葉一』の間で子供の性別が変わったか、或いは一郎二郎式のナンバリング的名付けに飽きるかしたのだろう。勝手にしやがれ、だ! (おまけに別葉一は今年度に新設された様式だから、私がイチからこしらえなければならないらしい。『記入上の注意点』曰く。)

 別紙二を見なかったことにして別紙三に進むと、これまでに見てきた別紙のなかで、別紙三は最も入力箇所が少ないようだ。それでは別紙三からやっつけてやろう、と作業の手を進めようとしたとき、フと思い当たることがあり、別紙一にふたたび立ち返ってみたところ、別紙三で入力すべき内容のほとんどが別紙一と重複している。とうぜん別紙一と別紙三のあいだにデータのリンクなどはなく、同一の内容を私は二度入力しなければならないわけだ。

 こんなものへの回答を作っているだけで、優に今日一日が終わっている。

 

 今朝かれがうつくしく話したように私は高校生ではないし、また金平糖自殺のように詩的に死ねるわけでもない。どうせいつかくたばることになるのなら、若者のうちに身罷っておくほうがよろしかった。中年の自殺が単に醜悪である一方、若者の早逝はそれが若者の死であるというだけである種悲劇の色調を帯びるものだから、惨めさから幾分距離をとっていられる。そうして私は私が惨めな生涯を送るであろうことを、高校生の時分、少なくとも大学生の頃にはとうに悟っていたのだから、自殺にもっとも接近していた大学生の時分に私は早々に首を括っておくべきだった。

 大学の三年目、大講義室ですし詰めにされる講義の環境に耐えかねて、私は大学に行かなくなった。いま私が乗っているような、誰もが不愉快を耐え忍んでいる電車よりも、楽しそうにしている連中(それも大学生だ!)ばかりで満たされた、人いきれの大講義室のほうがよほど我慢ができなかった。仕送りを食い潰しながら、ほかに何をするわけでもなく、ほとんど家から出ない日ばかりを過ごすようになるまではすぐだった。昼飯用に買った惣菜パンの味がしなくなったときには、ああ、ついにこうなってしまったかと思った。

 眠れなくなった。大学の敷地内にあるメンタルヘルスセンターを経由して、心療内科に通いはじめた。先生は陽の高いうちの散歩やらボランティア活動を私に勧めたが、生返事ばかりの私は何をする気にもなれなかった。処方される薬のおかげで眠れるようにはなったものの、相変わらず大学へ行く気にはなれなかった。意識のない夜の眠りばかりを救いとして、日中は陽が沈むのをただ待っていた。

 そんなある朝、私はトチに拉致された。執拗なインターホンに耐えかねて玄関のドアを開けると、トチが私を凄い力で引っ張り出して、有無を言わせず私を車へ押し込めた。そのまま車は発車して、制限速度のセの字も知らないトチの運転は大学の街をあっという間に置き去りにした。市境を二つほど越えたころ、「大学に行かなきゃ」と呟けば、「何ヶ月も大学で見かけない奴が何を言う!」とトチは私を鼻で笑った。

 部屋着のまま、財布や携帯すらも持たず拉致された私に、トチは服屋で服を当てがって、それから温泉宿へと向かった。風呂やらご飯やらをご馳走になった翌朝の私が「もう大丈夫だよ、ありがとう」と言えば、「うるせえ、まだ足りねえよ!」と、追加でその宿に四泊も泊まることになった。「もうそろそろ帰ろうよ、これ以上は申し訳ないから」とトチに言うたびに、トチは「うるせえ!」と私をはねつけるものだから、五回目の朝、「いい加減この宿にも飽きてきたな」とアプローチを変えてみたところ、トチはニヤリと笑い、「ちょうど良かった、行きたいところが死ぬほどあるんだ。着いてこいよ」とその朝のうちにチェックアウトをした。

 それからが大変だった。私は目が回るほど色々な場所に連れ回された。今朝岐阜あたりに居るかと思えば、次の日には瀬戸大橋を渡ろうとしているような、そんな大移動もたびたびだった。夜中に助手席で目を覚ませば、もの淋しい高速道路をトチは静かに運転している。

「休まなくていいの」

 私の言葉を聞くとトチはこちらをチラと見てカラカラと笑い、

「お前とは鍛え方が違うんだよ!」

と言った。

「私のためにありがとう」

「ああ、……いや、自惚れんなよ! おれのモラトリアムの大放浪に、いちばん暇そうだったお前を無理やり連れ回してるだけなんだから!」

「でも、私もずいぶん楽しいよ」

「そりゃ良かった。期待してろよ、まだまだ行きたいところは死ぬほどあるから」

そう言ってトチはニヤリと笑い、私はじきに眠っている。

 四万十川の旅は何よりも素敵だった。晴れた夏の碧色をした四万十川のそばの道路を、窓を開け放って下ってゆく。奇声をあげながら運転するトチの車はしかし、ときおり脇道に逸れて止まったかと思えば、山奥の、誰ひとりいない沈下橋がそこにあって、私たちは寝転がったり足をぶらぶらさせたりしながら、あれほど美しくて心地よい夏の時間が、ああいった素敵な沈下橋が、私たちふたりの、二人じめだなんて信じがたかった。「気持ちがいいなあ」とトチが呟けば、「ほんとうにねえ」と私は返して、それでまた遠くで鳥が鳴いていたり、水面はおだやかに流れている。体験して初めてそれとわかるような、夏のひとつの理想であった。

 そうやって野放図な旅を続けていたある日、唐突にトチが「カネが無くなったから帰るぞ!」と言い放って、私たちは大学の街へと、丸々二日かけて帰った。別れぎわ、連れ去られたアパートのまえでトチは私を降ろし、「それじゃあまた明日、大学でな」と言った。

「うん、きっと行くよ」と私が覚悟を決めたように言うと、

「なぁに、大学なんてそんな大げさなもんじゃねえよ。気楽にな」とトチは笑い、制限速度を知らない車はすぐにとおく見えなくなった。

 次の日の朝、大学でトチと会ったとき、トチは大きな声で「よう!」と言い、私は片手をあげて応えた。すべて大学へ行けなくなる以前と全く同じ調子だった。偶然にも、二学期の講義の始まる日だった。そしてこんな偶然があるはずはない。私はトチに返しきれない恩がある。

 ……しかし、もし私が大学時代に身罷っておくべきだったとするならば、あの輝くような思い出の日々や、私を連れ回してくれたトチの代えがたい友情さえも、しょうもない今へと私を繋げてしまった原因として非難すべきものであるということになる。私がいまのような苦痛の労働の日々を過ごしている元凶がトチの思い出や優しさであり、絶望のさなか首を括っておいたほうが畢竟、総体としての快苦の収支はマシだったことになる。だとすれば、と、そう考えながら電車を降り、駅を出て歩いて、アパートの、私の部屋のドアの前、玄関を開けて家に入ると、フローリングで天使が半分溶けていた。

 ひとの家で勝手に溶けるやつがあるだろうか?

「いったい何をしているの」

「ダリごっこだよ、記憶の固執ごっこ。夕陽が気持ち良いと、ときどきこうやって溶けてみるんだ」

冗談じみた振る舞いのかれが、悪い冗談のような生涯の私の部屋に暮らしている。

「猫みたいだね」

「そう」

「うん」

私はかれの隣に座りこむ。

「なにかぼくに言いたいことでもあるの」

半分溶けたままかれは言う。

「私の話を聴いてくれるの」

「勝手に話しなよ」

半分溶けているやつに、何だって私は相談事を持ちかけようとしているのだろう。

「いや、その、あるいは私も、子どものころの夢だとか、そういったものを持っていれば、今よりか多少はマシな人間になっていたのかなと思ってね。夢の実現を目指して努力をして、それが叶えば何よりだし、たとい叶わずとも努力した経験は何らかの糧になるだろうし。私はなにひとつ頑張る経験もなしに、何となく生きてきたせいで、今こうやってやりたくもないことをして働いているものだから。子どものころの夢を持って、それに向かってなにか本気で努力をしていれば、……うまく話せないけど、そういうことを思ったんだ」

「子どものころの夢だって!」とかれは軽蔑するように叫んだ。溶けたまま。「ほんの幼いころに本で読んだんだか身近な人間がそうだったかで憧れるようになった何か、子供とかいう到底まともな分別を持ち合わせていなかった時分に下したみずからの判断を、いい歳をした青年が、もっと悪ければ中年が、金科玉条のように固持し続ける、所詮そんなところのものである『子どものころの夢』に、ほんとうにきみは憧れるとでもいうのかい!」

「ずいぶん意地悪な言いかたをするんだね」

「ねえ、きみ、良いかい、」とかれは、まるでプールから出るような調子で溶けた身体をもとに戻し、私の前にひとつのうつくしい裸体として向かいなおって座った。「こんな話があるんだ。ある子ども、純真無垢ってことになっているが実際は単に馬鹿なだけの一人の子どもが、両親に連れられて美術館に行ったんだ。そこでベルニーニだかミロのヴィーナスだか、覚えていないが何かそういった彫刻を見て、幼心にひどく感動したらしい。『よし、いつかぼくもあんなふうにうつくしい彫刻になってやるぞ』と、愚かにもそう決意したという。その日からかれのうつくしくなるための努力が始まったわけだね。子ども特有の見当はずれな努力、たとえば数分間や数十分間、彫刻のように毛ほども身体を動かさないようにしてみたり、彫刻に劣らぬうつくしいポーズを考えてやってみたりね。

 しばらくそんな何にもならない鍛錬の時間を送ったあと、四日目にかれはもうすこし現実的なフェーズに移行するんだ。たとえば美容に運動は欠かせないから、同い年くらいの子どもらと街中や路地裏を駆け回って遊んでいたし、また充分な睡眠時間はうつくしさに不可欠だから、幼い身体にやって来る早い時間の眠気にしたがって、毎晩九時間の睡眠時間を欠かすことはなかった。言うまでもなく知性はうつくしさを磨くから、ラテン語を学ぶかたわら、おもしろい物語や、また時には好奇心から背伸びして魔術やら錬金術やらの本をひもといたりしたようだ。

 ……ねえ、わかるだろう、『うつくしい彫刻になりたい!』だなんてかれの決意は三日坊主で四散したんだ。遊んで寝て本を読んで、その合間に見聞きしたもの、たとえばかれはティラノサウルスになりたいと言い出したことだってあるだろうね。あるいはアルセーヌ・ルパンでも良い。要するにそれは何だって良くて、子どもの頃の夢なぞは、すぐに忘れ去られる限りは単に可愛らしい空想で済むんだ。

 話を戻そうか。彫刻に一瞬憧れてすぐにその憧れを忘れ去ったかれが、最終的にどうなったと思う?」

「どうなったの」

「世界中を駆けめぐる立派なセールスマンになったよ。うつくしい奥さんをつかまえて、可愛らしい子どもを三人もこしらえ、ずいぶんと幸せそうに生き、満足して死んでいった。ただ、大人になってから美術館に行ったとき、彫刻に見惚れるみずからの子どもと彫刻を交互に眺めながら、唐突に、恥ずかしいような嬉しいような心地でかれは思い出すんだ。『やれやれ、ちょうどこれくらいの子どものとき、わしも本気でうつくしい彫刻になりたいだなんて思ったものだわい!』ってね」

 かれと暮らして三日目にしかならないが、こんなにもムキになったようなかれを見るのは初めてだった。

「しかし、ずいぶんと子どもの頃の夢を否定するんだね。何かあったの」

私がそう訊くとかれは苦々しげな顔をして、

「これはたとえばの話だけどね。たとえば、さっき話したかれ、幼いころに彫刻を見て『いつか自分もああやってうつくしい彫刻になってやる!』と決意したかれの、その決意がぼくの話したような三日坊主程度のものでなしに、非常に強い信念だったらどうだろうね。幼年期、青年期と、生活を送ってゆきながら、しかしうつくしい彫刻になる夢は捨てきれず、世界中の奇術や魔術を見て回ることができるようなセールスマンになったかれは、あるとき、アフリカかアマゾンの奥地へと靴磨きクリームの商機を探しに行ったときに、忘れ去られた寺院を見つけるんだ。引き寄せられるように草木を分け入ってそこに入ったかれは、祭壇の上に奇妙な具合で浮いている、おぞましい呪術用の人形を見つける。それを見てかれは咄嗟に直感するんだ、『この得体の知れない人形に触れば、間違いなくおれの願いは叶うだろう、おれにはそれが確かにわかる!』、と。それでかれは大理石の彫刻の夢を叶えるために人形に触れ、激しい光、次の瞬間跡形もなく人形は消え去っていた。かれの身体はたしかに人間からは変質していたものの、きっとかれは想像だにしていなかったのだろうね。まさか自分がこんなふうに手足が折れてもくっつくような、人間を模した鉱物質の死ねないバケモノに成り下がっちまうなんて!」

「とすると……、きみが、他ならぬきみが、かつて大理石を夢見た子どもだったのかい!」

驚きの極まった私がそう訊くと、かれは狡そうに笑ってみせ、

「うん、そうだよ!」といかにも嘘くさく言った。

「ほんとうに?」

「もちろん。ガラス食べ太郎は嘘なんてつかないんだ」

 ああ、嘘とゴマカシの代名詞、ガラス食べ太郎!

「いつだってきみはそうやって、何もかも冗談のようにしてしまうんだね」

「悪い冗談のような身体のぼくが、悪い冗談を言わずにどうしろと言うんだろう」

そう言ってかれは、ちゃぶ台に置いてあったガラス片を手に取り、クッキーを食べるような具合で一口かじった。

「ねえ、もし子どもの頃の夢なんてものが、きみの言うとおりの、ろくでもないものだとするならば、私がこんなやりたくもない労働に従事する運命を避けるためには、果たしてどうすれば良かったのだろうね」

「それこそぼくの知ったことではないよ! 何せぼくは少なくともここ百年は働かずに過ごしているんだから」

 私はかれの顔をまじまじと見る。眉を顰めてガラスをモグモグやっているかれの顔は、腹が立つほどうつくしかった。それをゴクリと飲み込んでからかれは言う。

「まあ、とりあえずはそのスーツを脱いだら良いんじゃないの。明日のことは明日みずからに思い煩わせておけば良いんだから。きみが着替えて今日の労働をおしまいにしたら、そうしたらぼくも、きっとおかえりくらいは言ってあげるだろうね」

「ああ、ただいまが未だだったね。ただいま」

「うん、おかえり」

そう言ったきりかれは、無頓着な表情でまた一口ガラスをかじる。このペースでかれがガラスを食べ続けるならば、私はまたひとつガラスコップを割らねばなるまい。或いはカバーガラスを買ってくるのも良いだろうし、何か別のもの、たとえば……、

「さあ、さっさとスーツを脱いでこいってば!」

 


 

 

* * *

 定時上がりのある金曜日、夕方の最寄駅を降りると、売店で雑誌を物色しているサヌキを見つけた。

 サヌキとは大学を卒業したきり遠く別れているのだから、最初は他人の空似だと思った。とはいえ他人の空似にしてはあまりにも似すぎている。だから最初は遠くから、ついで近くでかれを見れば、どうやらほんとうにサヌキらしい。だから私も雑誌を手に取るような調子でかれのすぐ隣へ立つと、サヌキはチラとこちらを見、直後驚いたような顔で私のほうへと向き直って、「おお……、おお!」と叫んだ。(たとい九割がた友人であるとわかっていても、自分からひとに声をかけるのは気恥ずかしい。)

「ずいぶんと久しいねえ。どうしてこんなところに?」

「それは私の台詞だよ。ここで暮らしているんだから。サヌキは?」

「僕はほら、用事で乗り換え待ちさ。しかしあんな野暮用、今となっちゃあどうだって良い! ふたたび会えるとは思わなかったよ、すこし話そう」

 それで私とかれは改札を出て、ゆっくり歩きながら話していた。

 私はサヌキに訊く。

「ところで小説のほうはどうなの」

「いやあ、パッとしないねえ。僕の書くものはいつだって気が利いているはずなんだけど、審査員の見る目がなけりゃあ陽の目を見る機会もない!」

 私はサヌキの書く文章が好きだった。大学時代、かれはときどき連絡もなしに私の部屋へとやって来ては、「ちょっとこれを読んでくれないか」とかれが書いた小説や、あるいは小説になりかけの文章、ときには随筆なんかを私に読ませた。読んでいる私をサヌキはジッと見つめていて、ひとに見つめられながら文章を読むのには最後まで慣れなかったが、とにかく私はかれの内省的な、迷路のような文章が好きだった。読み終わればサヌキは私に読んだものの感想を訊くから、かれの持ってきた酒を飲みながら、三十分、一時間、私たちはかれの小説について話し、そのうちに話は明後日の方向へ向かっていって、酒が進めば話も盛り上がり、要するに、ずいぶん良い気持ちでやっていたものだ。

「最近はどんなのを書いているの」

私がそう訊くとかれは、待ってましたと言わんばかりに話しはじめる。

「ほんのアイデアに過ぎないのだけどね、僕ぁね、僕らの生涯のようにむなしい小説を書こうと思っているよ。それも単にむなしい生涯を書くだけじゃない、小説の構造そのもののうちに、ある種のむなしい生涯の構造を再現したいと思っているんだ。起こる出来事はたいがい断片的か散発的で、かつそんな出来事を綜合したところで何か本質が立ち現れてくるというわけでもない。実存が本質に先立つという人間一般のありかたを知っていながら、それでいて投企を、みずからの生涯をみずからが規定してやってゆくそのありかただけはどうにも信じられずにいる、そういったわれわれのむなしさを構造へと落とし込んだ小説だ」

「なんだか悪い冗談みたいだね」

「そう、悪い冗談、まさにそれだよ! 一貫性も、目的意識もありはしない、むなしい生涯、もとい、われわれの生涯がそういった意味でのむなしさ以外の何だというのか? みずからの生涯を成長のレールの上に無理に並べて語りなおす、就活じみたナラティブなんぞ糞食らえだ! 僕らの生涯にはキャッチャー・イン・ザ・ライのようなあの雨のメリーゴーラウンドのカタルシスも、或いは細雪のような語りのうつくしさもあり得なくて、悪い冗談のような構造、悪い冗談のような語りばかりがふさわしいだろう。もちろん読んだあとには何ひとつ残りはしない。僕はそういったものを書きたいんだ」

「それって面白いのかな」

「面白い小説なんてものはエンタメ小説にやらせておけ! 僕が書きたいのは文学なんだよ」

「でも、たとえばモームは文学だって面白さが大事だって言っていなかったっけ」

「そこで言う面白さと、さっき君が言った面白さが同一のものかは疑わしいがね。今きみが挙げたモームの例だって、彼が面白い小説としてどんなものを挙げているかを確認したことがあるか?……」

 まるで大学時代に戻ったように益体のない話をしながら、ゆっくりと私たちは歩いていて、その針路は私のアパートを指していた。私もかれももっとこういった話を続けていたかったから、ずいぶんちんたらと歩いた挙げ句、私のアパートの前に着けば、「まあ、上がっていきなよ!」、と私は告げて、かれも私の家に上がるのがやぶさかではないようだった。だから、サヌキを家にあげる瞬間になってようやく天使の存在に思い至ったのも、あながち私ばかりのせいとは言い切れない。ひさびさのサヌキとの会話があまりに楽しかったせいでもある。

 ああ、全裸の天使! ……いや、正確に言えば、私の部屋にかれが居ることはずっと頭のなかにはあった。ただ、かれがずっと全裸でいることに対して私はすっかり慣れきっていたものだから、ふつう初対面の者同士を引き合わせるときに片一方が一糸纏わぬ姿というのはまずいだろうという、その一般規則だけが頭から抜け落ちていたのだ。気がついたときには手遅れで、サヌキは私のアパートの玄関で、靴を片方脱ぎかけた姿勢で化石していた。

「おや、来客なんて珍しいね」

ゴンチャロフオブローモフ』の下巻を手に持ったまま、天使は顔を上げて私たちに言った。都合の悪いことにかれは片膝を立て玄関のほうを正面にして座っていた。せめてうつ伏せであってくれたらどんなにか良かったことだろう!

 サヌキはサッと私のほうへ振り向いた。溢れ出る困惑でかれの頭が一杯であるこの瞬間に、私はなにか、いちばん効果的なことを言わねばならない。

「まだ伝えていなかったね。私はいま天使と暮らしているんだよ」

「……天使?」

サヌキは困惑を深めたような表情のまま、いま一度全裸のかれへと目を向けた。私も天使のほうを見やって、要するに私は説明を丸投げしたわけだ。どうにかしてくれ、と切実に見つめる私の視線の意図を、最初は分かりかねるようにかれは眉根をひそめていたが、すぐ理解したような顔をして、

「そう、ぼくは天使なんだ。ひとつ奇蹟を見せようね」

と、かれはみずからの右腕を、何でもないような調子でパキッと折り取ってみせた。(アメジスト色の腕の断面!) そのままかれは折り取った右腕を左手で持ち、都合二倍の長さになった右腕=左腕をちゃぶ台のほうへと伸ばして、危ないからむき出しのまま置いておかないでくれと何度も伝えてあるはずのガラス片をちゃぶ台の上から取ってから、右腕を肩へと据え付けた。右手のガラス片を左手に持ち替え、元ある場所へと戻った右手で十字を切ってから、

「良いものを見られて良かったね」

とサヌキに告げ、ガラス片をパリパリと食べはじめた。こうした一連の『奇蹟』を目の当たりにしたサヌキの顔を横から覗くと、困惑と恐怖が涙となって今にも溢れ出しそうな様子だ。

 サヌキの説得をかれに任せたのは大失敗だった。天使らしくあのうつくしい羽でも生やしてくれたら良かったものを!

 

 帰ろうとするサヌキを押し留めて家に上げ、と言うのもひさびさの友人と私はもっと話をしたかったし、それが叶わないとしてもせめてかれが抱いている誤解だけでも解いておきたかったのだ。誤解……、身体を好きに折り取れる全裸の『天使』と私が暮らしているのは、しかしひとつの事実であって、とすれば私がサヌキから取り去りたいと思っているひとつの不和に、誤解という名前を与えるのが適当か、……だがそんなことはどうだって良い。要するに私はサヌキを家に上げ、ちゃぶ台の前に座らせた。それで天使はといえば、ちゃぶ台を挟んで向かい合っている私たちなどお構いなしに、もと居た場所から動こうともせず、『オブローモフ』を読みながら、相変わらずガラス片を断続的にパリパリやっていた。

「思い違いをしないでほしいんだけど、」と、私が最初に口火を切った。「こうやって私がうつくしい、全裸の、その、全裸の存在と暮らしているからといって、どうか私にそういった尋常ではない性癖があるとか、そういうふうには思わないでほしいんだ」

「君が一体どんな性癖を持ち合わせていようが、それ自体はまったく自由だと思うがね」、と、よそよそしくサヌキは言う。

「違うんだよ。そもそも私にはきみが想像しているようなやましさは一つもありはしないんだ」

「まあぼくはきみの乱暴なオトモダチに服を脱がされたあと、きみに股間を弄られたわけだけど」と、天使が本に目を落としたまま、余計極まるくちばしを挟む。

「いいや違う! あれだって私が望んでそうしたと言うよりか、きみが、きみのうつくしさが私を誘惑して、そもそも私の手をきみの身体に導いたのは、他ならぬきみ自身じゃないか! なあ座れったら」

今すぐにでも帰ろうと立ち上がるサヌキの腰を何とか下ろさせ、それから天使を見ながら続ける。

「だいたい、私がきみに何か無理強いをしたことなんて一度たりともないだろうよ。たとえばもし私のところで暮らすのが嫌だったら、どこへなりとも行けるじゃないか」

「服の一枚すらありはしないのに、いったいどこへ行けと言うんだろうね」

「なあ頼むよ、今日だけはそうやって混ぜっかえすのをやめてくれ。サヌキは私の数少ない友だちなんだ」

「へえ、友だち!」と、性悪な天使はここで初めて本から視線を上げ、実際驚いたような顔をして言う。「珍しいこともあるもんだ。狭い家だけど、ゆっくりしていけば良い」

 それで三人ともが地獄のように黙り込んだ。もとい、地獄に居たのは私とサヌキの二人きりで、天使はといえばどこ吹く風のまるで無関心な静かさだった。

 沈黙のなか、天使が二回目に『オブローモフ』のページをめくった直後、今度はサヌキが話し始めた。

「ええと、ひさびさに君と会えてとても嬉しかったよ。覚え違いでなければ大学のとき以来だよね、元気そうで良かった。歩きながら少し世間話をするだけのつもりが、だいぶ話し込んじまった挙げ句、家にまでお邪魔して、ずいぶんとご迷惑をおかけしたね。もう少し長居をしたいところだけど、同居しているかたのご迷惑になるのも悪いから、」

「なあ、お願いだからその鹿爪らしい暇乞いをやめてくれ! いよいよ誤解が深まったままきみを帰らせるわけにはいかないんだから!」

「学生時代の君はもう少し聡かったと思うんだがね? はっきり言おうか。君が、そしてまた仮に僕が良かったとしても、君の同居人が僕を歓迎していないんだから、僕はさっさと帰るべきなんだよ」と、そう言いながらサヌキがふたたび腰を上げる。するとここで、

「きみの友だちは、」と、またもや天使が横槍を入れる。「いや、きみの友だち『も』、やっぱりきみと同じように面倒なやつなんだねぇ。ついさっきぼくが『ゆっくりしていけば良い』と言ったばかりなのを、もう無かったことにしているんだから。初めて会う他人の前で平然と裸で居るやつが、つまらない社交辞令なんて言うものか!」

 今度はサヌキに矛先が向いた。思わぬ横槍に驚いたかれは天使を見やり、その裸が視野に入ると慌てて視線を逸らした。それで私はハッキリ目にしたのだ、そうやってサヌキが羞じらうように目を逸らした瞬間、本から視線を上げてかれの調子を伺っていた天使の顔が、かすかに、だが確かに皮肉に歪むのを!

「それに、きみがそうやってぼくをまともに見ようとしないのも気に障るね。ほら、」

と、天使は『オブローモフ』を置いてサヌキのそばへとにじり寄ると、あとじさるかれの顔へと手を伸ばした。サヌキの頬にガラス細工の指が這い、その指はサヌキの頭を天使の顔へと向き直らせる。天使とサヌキはしばらく見つめ合ったまま、サヌキの立ち上がりかけていた腰は少しずつ落ちてゆき、最後にはフローリングに着地した。

 もはやサヌキは天使から目を離すことができないようだった。天使のうつくしさに魅了されてしまったかれは、腰を落として(腰が抜けて?)しまったいま、蛇に睨まれた蛙のように、近づいてくる天使の目や唇から逃れるすべを知らない。天使はサヌキの頬に指を伝わせたまま、蛞蝓が這うように、少しずつサヌキへと顔を近づけていった。そのまま、お互いの唇がほとんど指の幅ひとつぶんほど接近して今にも触れ合いそうになったとき、天使はフと私のほうを見ると、ふたたび口角を歪ませて、

「寝取られ亭主みたいに角を生やすこともなかろうに!」

と言ったきり、急にサヌキから顔を離し、接吻の代わりとして指先でかれの唇をそっと撫ぜてやった。天使が離れてからもなおしばらくのあいだ、サヌキは腰が抜けたように呆然としたままだった。

 

 結局、天使はかれ自身のやりかたですべてを説明したことになる。サヌキと私は天使のうつくしさをとおして成立した秘密の共犯者だった。サヌキはこれ以降、無理に帰ろうとすることも、全裸の天使と暮らしている理由を私に問い詰めることもなく、ずいぶんとくつろいだ調子で打ち解けていた。かれはすぐに天使を『きみ・ぼく』で呼び交わすようになり、ただ話すたび若干声がうわずっているようだった。

 今や私たち三人はちゃぶ台を囲んで酒を飲んでいた。(もとい、私とサヌキは酒を飲み、天使はガラスを食べながらときおり真水を飲んでいた。そうやって天使は私の晩酌に付き合ってくれて、それが今晩は三人だった。) 冷蔵庫から缶チューハイを出してきて、冷凍食品を温めた。酔いが回ったころにでも、酒や食べ物を買い足しに行く必要があるだろう。

「それにしても、」とフローリングをなぞるように触れたあと、その指先を見たサヌキは言う。「汚部屋の住人もずいぶん成長したものと見えるね。酒の空き缶がそこら中に散らばっていた大学時代のきみの部屋を、僕は今でも忘れられないよ」

「綺麗にしておかないと、かれがだんだんうす汚れていくものだから」

と天使を指しながら私は言う。(主に会話をしていたのはサヌキと私であったが、天使のうつくしさに惹かれるように、話題はたいがいかれのほうへと向かってゆく。)

 トチの粗暴さが天使を置いていってから二週間ほど経った日のある朝、陽を浴びる天使の肌が妙にくすんでいるように見えた。或いはくすみつつある天使の肌にそのとき初めて気がついたと言っても良い。相変わらず彫刻のような見惚れてしまう裸体だが、その肌の、陽を透かすような純粋が失われつつあるようだった。

「体調でも悪いの」

「もしぼくが肉やら草やらを食べることになったら、たちまち体調が悪くなるだろうけどね」

しなやかな脚を伸ばしながら何でもなさそうに天使は言う。

「しかし急にどうしたの」

「いや、顔色が、いや肌の色が悪いように見えるから」

「ああ、」と天使は納得して、「こんな汚い部屋でこんなに長く暮らすのは初めてだから。こうなるだなんて、ぼくもすこし驚いているよ」

その華奢な手を陽に透かすようにしながら天使は続ける。

「うん、このまま灰色になってゆくのも悪くないかな」

それで、天使をうすぎたなく汚れさせるわけにいかない私は部屋の掃除を始めたわけだ、と、サヌキに思い出話を話してやった。するとかれはしらじらと笑い、それから、

「部屋の汚さで肌の色が変わるなんて、やっぱり天使は違うなぁ」

と言った。それを聞くと天使は、

「そうかな? 作用のしかたこそ違うけど、食べたものから身体ができるのは、生き物と一緒じゃないの。埃ばかり吸っていれば灰色の肌になってゆくし、ガラスを食べていれば身体はだんだん透きとおってくる」と言う。茶々を入れてやろうと思った私が、

「かれは今、牛肉が野菜に他ならないことをこのうえなく華麗に示してみせてくれたね。埃を吸えば肌は灰色になり、ガラスを食べれば身体は透きとおる。もちろん草ばかり食べている牛の身体は草だってわけだ」と言えば、

「ほらね、やっぱり安酒飲みの脳みそはビールの泡みたいにスカスカだ」

と、なんてことない調子で天使は返す。からかうつもりで逆にやりこめられてしまった私を見てサヌキはケラケラと笑った。

「皮肉屋の君もまったく形無しだね」

「いや、実際かれはほんとうに口が達者で、いつだって私はやっつけられる側なんだよ。たとえばある日、私がキッチンで冷凍食品を皿に出していると、部屋のほうから大きな花瓶が割れるような音がしたんだ。とうぜんうちには花瓶どころか、そんな大げさな音で割れるようなものなんて何ひとつ置いてありやしない。あるいは泥棒がガラスでも割って入ってきたんじゃないかと思って、冷凍食品をそのままに、恐る恐る部屋へと戻れば、何のことはない、かれが大胆に転んで身体をバラバラにしていただけだった。(きみもご存知のとおり、天使は身体を自由に折り取ってもとのようにくっつけられる代わりに、結合がすこし弱いんだな。) 一体どうしたの、と私が訊けば、やらかしたよ、とかれは言う。もちろん胴体から離れた頭部だけで喋るんだ。

『きみの言うとおり、くるまったあとのシーツは畳んで隅に置いておくべきだった。自分ひとりじゃもとに戻れないくらいバラバラになるなんて、いったいいつぶりのことだろう』

そのまま放っておくわけにもいかないから、私はかれの手足をくっつけてやるわけだ。手を元に戻すのはまだ良いんだが、足をくっつけてやるのはずいぶん恥ずかしかったものだよ。何故ってかれの太腿を持って、つまりこんなにうつくしい肢体だからね。じかに触れる感触だけでもいっぱいいっぱいなのに、それを鼠蹊部にくっつけなけりゃならないんだから、なるべく陰部を見ないように、かつ触れないようにやってみれば、『なあ、空中にぼくの脚がくっつくとでも思っているのかな』と、ちゃぶ台の上に避難させておいた生首が、その綺麗な顔でケチをつけてくる。

 恥じらいと文句の狭間で四苦八苦しながら、それでもなんとか身体はくっつけ終わり、最後には頭だけが残った。頭以外はぜんぶ元に戻したのだから、あとはかれのほうで身体を勝手に動かして頭をくっつけてくれれば良いんだけど、どうやら一回バラバラになるとそれもできなくなるらしい。触れることすら憚られるそのうつくしい顔をちゃぶ台から持ち上げて、身体のほうへともってゆこうとしたそのとき、フと気になることがあってかれに訊いた。

『ねえ、こうやってバラバラになっているときには、いったいきみの意識はどこにあるんだろう』

『いまこうやって話をしていることからもわかるように、基本的には頭にあるよ。それがどうしたの』と、抱えられたままかれが喋る。かれの意識と向かいあうように私は生首を抱えなおして、ゾッとするくらいうつくしいそれに私は訊いた。

『じゃあもし私がいま、きみの頭をうっかり落としてまっぷたつにしたら、いったいどうなるんだろう』

するとかれはいつもの軽蔑したような表情を浮かべて、

『そんな不愉快なことをされたら、ぼくはこの家を出てゆくだろうね』

と言い放つ。生首としてなす術もなく抱えられている状態ですら、かれはこんなにも皮肉屋なのだから、もはや私の敵うところではない! あいまいな笑い声を返事代わりにして、私はかれのうつくしい顔を身体に据えつけてやったよ。五体満足に戻ったかれは繋がった箇所をひととおり調べながら、『うん、助かったよ。ありがとう』と私のほうを見もせずに言った。かれに礼を言われるのはあれが初めてのことだったね」

 私が話を終えると、サヌキは感心したような調子でへぇ、と言い、それから天使のほうを見て尋ねはじめた。

「そうやってバラバラになっても生きているってことは、君は本当に不死なのかい」

「きみら人間が『自分だけは死なないんじゃないか』と心の底でうっすら信じているくらいには、ぼくも自分の不死性を信じているよ。何たってこれまでもずいぶん生きてきたものだから」

「失礼だけど、年齢は?」

「いくつに見える? 当ててごらん。彫刻のように長生きなんだ」

「いずれ人が滅びてひとりぼっちになったとき、ずいぶん淋しい思いをするんだろうね」

「人類は滅びないよ、何たって宇宙でいちばん賢いからね。どうして人類が宇宙でいちばん賢いか知ってる? 人類より多少なりともマシな知性の連中はみんな、出生の連鎖も社会も続けるに値しないことに気がついて滅んでいったからだよ」

「……長く生きていると、寂しい思いをすることや辛い経験がきっといくつもあったんだろうよ」

「そう、まさにその通りなんだよ! 聴いてくれ、寂しさや辛さでぼくははち切れそうなんだ。たとえばこんなことがあった。出会って間もない人なんだけど、ぼくが人間じゃないってことをいちばん最初に見せちゃったからか、面と向かって話していても、一向にぼくと目を合わせてくれないんだ。そのくせぼくが視線を外すと、すぐさまかれはぼくを見て、それならとぼくがもう一度目をやれば、またもやそっぽ向いちまう。ぼくは相手の目を見ながら話したいにも関わらず、こういうことをされちまうんだから、まったくたまらないね」

天使が口をつぐむと、サヌキもそれ以上何かを尋ねようとはしなかった。天使の皮肉屋っぷりに尻尾を巻いてしまったのかもしれない。適当な嘘を喋っているのか、或いは本気で言っているのか判然としない、天使特有の悪い冗談のようなやり方に、さしものかれもお手上げのようだった。かれは缶チューハイを一気に飲み干して缶を置くと、

「うん、酒を買いに行こう!」

と私に言った。

 

 相変わらず自分では服を着ようとしない天使を家に置いたまま、私とサヌキのふたりきりで酒を買いに出た。しらふで行けばすこし遠いが、酔って歩けば気にならない距離のコンビニに向かう。石でも蹴りつつ歩いてゆきたいような良い晩だった。

「堪らんね! まったく、堪らんよ!」

そんな良い晩の道程を、サヌキが叫ぶようにして歩いている。

「あんなにもうつくしく聡明なひとが、ああやって適当なことを言いながら、君の部屋で生涯を浪費しているんだから!」

「夕方に話していたきみの小説のモチーフにぴったりじゃないか。むなしい生涯、悪い冗談。かれほどにふさわしい存在はほかにないと思うけど」

数歩先を歩いていたサヌキはそれを聞いて振り向くと、歩調を緩めて私と並んで歩きながら話しはじめる。

「いいや、君はわかってないね! そういったむなしさや悪い冗談を、僕はあくまで凡人の生涯をめぐって書きたいのであって、ああいった知性やらとんでもないうつくしさやらを持ち合わせているひとが、無為な生活を送っているうちに生涯を丸ごとフイにしちまう、そんなのはもう、余計者文学以外の何物でもないじゃないか! 知性も教養も死に体で、軽佻浮薄が大手を振って闊歩する現代で、今さら余計者文学をやって何になる!」

「なら、」と私はサヌキに訊く。「そもそもそんな軽佻浮薄な現代に、きみの言うところの『凡人のむなしい生涯を書く』文学が、いったいどれくらいの価値を持ちうるんだろうね。仮にきみが表現したいところのものが作品として成立したとして、軽佻浮薄な人間が、まあかれ自身みずからを軽佻浮薄な人間だとは微塵も思っていないんだけれど、そういったたぐいの人間がきみの小説を読んで、書かれている軽佻浮薄さゆえにその作品を評価するとしようか。数日か数週間か、長ければ数か月のあいだ、きみの書いたものはもてはやされて、そのうちに次の軽佻浮薄が誰かによって作られる。きみの書いた軽佻浮薄は最初から無かったかのように忘れ去られて、それきりおしまい。そんなのがきみの望みなのかな」

私がそう訊くと、サヌキは味噌汁のアサリの砂粒を思いきり噛んだときのような顔をして、

「それが僕にもよくわからないんだよ! もちろん、ほんとうなら僕は『人間の本質を描いた、普遍的な、朽ちることのない作品を書くのだから、君のいうところの批判はまるで当たらない!』、などと言うべきなのだろうけど、僕にはきっと後世まで残るモノを作る才能なんてありはしないし、そもそも僕は『人間の本質』や『普遍性』なんてものをまるきり信じちゃいないんだから! それに、普遍性はおろか、僕の力じゃたった数日間もてはやされるだけの文章を書けるかどうかも怪しいね。そんな僕がいったい小説を書いて何になるというのか、なぜ僕が今もなお下手くそな小説に拘泥し続けているのか、僕自身まるでわからないんだよ!」

酒が入ったサヌキは大概こうやってネガティブになる。すこし私が言いすぎたのもあるかもしれない。だから私は、

「でも私はきみの書く小説が好きだよ。小説として上手いかどうかは知らないけど、文章はとても読みやすいし、きみの人間性の歪みか出ていて面白いと思うんだ。もっとも、私がきみの小説を好きなのと、きみの小説が世間でうけるかは丸きり別の話だろうけどね」

私がそう返すのを聴くと、サヌキはどこか困ったような調子で曖昧に笑い、

「学生時代から君はそう言ってくれていたね。ああ、うすうす気が付いてはいたけれど、今やっと、ハッキリとわかったよ。僕のたった一人の読者たる君が、ずっと僕を呪縛していたんだな。書く対象についてもそうだし、僕がこうして書き続けるのも或いは君のせいだろうね」

「呪縛だなんて、とんでもない! 私がきみの文章を好きなのは本当だし、」

「いや、わかっているよ。君はそういった類いの世辞なんて言わないし、僕を縛りつけるつもりも毛頭無かったんだろう。しかしね、……いや、止そう。今日はとにかく酒だ、酒だよ! 況んや是れ青春、懐かしい知己と、また人間離れしたうつくしいひとと一緒に酒が飲める晩だというのに、御託ばかり並べたって仕方がない。終日酩酊して酔え、だ!」

そう言うと突然、サヌキは止める間もなく私を置いて駆けてゆき、ふと振り向くと「先に行っているよ!」と叫んでそのまま行こうとするから、私もかれに叫び返さなければならない。

「サヌキ、違うよ! そこは左だよ……」

 缶チューハイ二本であんなに酔うこともなかろうに。

 

 酒もつまみも随分とたくさん買ってきた。私だって今では働いているというのに、サヌキは私に財布を出させようとはせず、学生時代の習慣をそのまま、全額をサヌキが支払った。

 酒もつまみも充分にあって、素晴らしくとんでもない晩になるのは請け合いだった。昔からサヌキとふたりで過ごす晩は、いつだって飲みすぎるか、或いはひどく飲みすぎるかのいずれかで、今日は天使が居るとはいっても、この性悪な天使が私たちの飲みかたを抑制してくれるはずもなく、それどころか私たちの乱痴気騒ぎの火に油を注ぐことさえしかねない。要するに、飲みきれないほどの酒が目の前や冷蔵庫のなかにあって、飲みきれないなんて言い訳は使えやしないから、結局飲みきる羽目になるか、どちらかが限界を迎えて終わりになるだろう。

 改めて乾杯をする訳でもなく、私もサヌキも缶チューハイのプルタブを引き開けた。私たちだけではなく、天使の前にも缶があって、(缶入りの炭酸水、)これはサヌキの発案で買ったものだった。

「なにが飲めるかわからないけど、君だけ水ってのも寂しいから。他にもいくつか買ってきたから、まあ、気に入るか試してみてよ」

サヌキにそう言われた天使は、そのガラス細工のような指先で缶を開けると、ほんのひと口飲んで「へぇ」、と言い、それからすぐに何か気がついたような調子でもうひと口飲むと、今度は感嘆したように「へぇ!」、と声を出した。それで私たち三者ともに缶の飲み物があることになった。長々と飲むときはこうでなくちゃいけない。

 それで私たちは飲み始めたわけであるが、最初は別にどうというわけでもなくて、酒を飲みながらアテをつまみ、数秒後には忘れ去るような言葉をサヌキや天使と交わしつつ、ただ私の脳裏には鈍い橙色が明滅していた。目蓋越しに眼球を強く押したときに見えるような漠然とした暗い色彩が、後頭部でゆっくりとちらつくような感覚で、だからといって体調が優れないというのではなく、それどころかこれが現れた日にはいくらでも(いくらでも、と言ってももちろん限度はあるのだが)酒を飲むことが出来る。言わばひとつの体調のサインであり、しかも好調を示すサインであるのだから、こんな病気の徴候のようなそれではなく、もうすこし気の利いた表象であれば良いのにと思う。

 そうやって、一方ではサヌキや天使の話を聴きながら、他方ではこの花火のなり損ないじみた光の明滅を見ていると、いつか過ごした幼い時分の川遊びの光景が(どういう訳だか)思い出されて、とおい日の、或いは夢で見たような景色だった。単に区分としてのそれのみに留まらず、肌感覚としての『初夏』やら『晩夏』という時季があった頃の記憶であって、幼い日の、夏休みの盆の頃、水面が日の光を絶え間なくキラキラと反射させている川の浅瀬で、私は石をひっくり返しては醜悪な虫を捕まえたり、出来もしない水切りの真似事をしていたものだ。岸辺では麦藁帽の祖父が私を見守っていて、川の中から手を振れば私に手を振りかえしてくれたし、また深いところへ行こうとすればそっちは危ないよ、と呼び戻してくれていた。虫籠(プラスチックで出来た市販品のそれだ)に水と生き物を詰めて川辺へと戻れば祖父は、これはタニシ、これはザザムシ、と節くれだった指で差しながら私に教えてくれたもので、気味の悪い水生生物の、しかしどうしてあの頃は気味悪がらずにいられたのだろう。カブトムシすら触れなくなってしまった今の私よりも二十歳近く幼かったためか、それとも川遊びのもの珍しさがそうさせたのか、もう判然としないが、川の中洲から、或いは川に浸かりながら河原の方へと顔を上げれば、いつもそこには祖父の姿があって、サヌキが天使に向かって助けてくれと叫んでいる。

「なあ君、僕を助けてくれよ! 君のようなひとならばきっと、惨めな自尊心と希死念慮でがんじがらめの、自意識の檻から僕を救い出せるはずだ!」

「だからぼくはヒトじゃないんだってば」

「ヒトじゃないなら尚更だよ! 続けるに値しないと分かりきっている生涯を、かと言って終わらせることも出来ずに続けている惨め極まるこの僕を、堪らなくうつくしくて聡明なきみが、どうか救ってくれやしないか! なあ、君ならできるだろう!」

「ぼくはきみの神さまでも何でもないんだよ。ましてや君の恋人でもお母さんでもないんだから、どうかそう甘えないでくれないかな」

 不気味なタニシもグロテスクなザザムシも、当時の私にはカブトムシと同様自分で獲った宝物で、何なら川遊びの機会なんてほとんどありはしなかったから、カブトムシよりも物珍しいぶん貴重ですらあった。帰り道、虫籠を持ったまま祖父の原付に乗せられて、(祖父とハンドルの隙間に抱えられるような格好だ、)祖父母の家に戻ってくれば、夏のちょっとした川遊びの経験を私から聴こうとするやさしげな父母の姿があって、そんな彼らに川遊びの思い出のむき出しを、虫籠ごと突き出して見せてやると、母はヒッ、と悲鳴をあげ、父はゲラゲラ笑っている。和やかな空気のうれしさにつられて、私も一緒に笑っていた。

「なあ、思うに僕は赤ん坊の頃が一番聡明であったようだ。人生なんて始めるに値しないことを判っていて、臍の緒で首を括りながら生まれて来たらしいんだからね。野暮な産婆が僕を生き返して、それきり二度目に首を括る覚悟を持てずにここまで来ちまったんだよ。へ、へ、へ!」

「そんなきみにちょうど良い話をぼくは知ってるよ。ある賢い子ども、いや、どんな子どもにもそういう時期はある訳だから、要するにそういった賢い時期にあった子どもが、両親に問うんだ。『ねえ、ぼくは何のために生まれてきたの?』ってね。

 生活や慣習を盲目的に受け入れることに慣れすぎちまった両親は、こんなことを急に問われれば非常に困る。とは言えみずからの子供の純朴な問いを無遠慮に撥ねつけるわけにもいかないから、足りない知恵を振り絞ってこう答えるわけだ。『おお、愛しい我が子よ。お前はね、私たちに愛されるために生まれてきたんだよ』

 その子どもは賢い子どものなかでもとくに賢くて、かつどういうわけだか純真さにまったく欠けていた。両親の答えを聴いてかれは苦々しくこう思うわけだ、『やれやれ、どうやらおれは子育てをしたいとかいう欲求、心底しょうもないそれを充足させるために、よりにもよってこんな不愉快極まる世の中へ、ひとつの主体として作り出されたと見えるわい!』、ってね。それで、かれは賢いうえに行動力もあったから、その日のうちに首を括ったよ。一番良いのは生まれてこないこと、次に良いのは来た場所にさっさと帰ることだ、って具合にね!」

 ひととおり和やかに笑ってから、さてほんとうにどうしようかという話になる。いったいこんなの(『こんなの』とはタニシやザザムシのことだ)捕まえてきてどうするの、と問う母に、家に持って帰って飼うんだと私が返せば、気味が悪いし飼い方もわからないから逃がしてきなさい、と母はそう言うばかりだった。せっかく捕まえた生き物を、珍妙な、しかしじぶんにとっては大切だったそれらを『こんなの』呼ばわりされたばかりか、どうやら家に持って帰ることも叶わないことに対して、気弱なくせに片意地だった(今だって気は弱いのだが)私の表情は段々と崩れてゆき、しまいには目に涙すら浮かびはじめて、次の瞬間には大声で泣き出しそうなところで、助け舟を出したのはやはり祖父だった。曰く、じいちゃんがしっかり飼っといてやるから、また来年の夏休みに来たときに見られるよ。大きく育っているのを楽しみにしてりゃ良い。なあ、そうだろ?、と祖父は言い、母も話を合わせるように私をなだめにかかるから、逃がすよりかはましだろうし、来年また会えるのなら、と、根負けしてコクリと頷いた。勿論翌年の夏休みの帰省ではタニシもザザムシも跡形も無かったし、私もそんな生き物のことなんて綺麗さっぱり忘れていた。ひとつのやさしい嘘だった。

「凡庸なことを訊くようで恐縮だが、仮に君が君の言うとおりほんとうにヒトではないとして、何千年も生きている君はいったい、何をよすがにそう長い間生きていられるんだろうね? どんな人間も大概は一世紀以内に死んじまうし、風景やら景色だって時代を経てどんどん変わってゆくというのに、君ひとりずっと生きながらえて、辛くはないのかい」

「それがね、案外そんなこともないんだよ。もちろん退屈することも多いけれど、そうだね、なんて言うか、要するにきみらのようにただ産まれては生きて死んでゆくだけの人間たちは、ひとすじの川に流れる水のようなもので、一機の水車を回し続けているんだ。晴れた昼間、水はさらさらと流れ続けて、水車はただくるくると回っている。いつまでもそういった調子で続いていて、この退屈が永遠に終わらないのかと半ば絶望しきった次の瞬間、フと水車が何ものかを、たとえばひと粒の砂金を拾い上げる。砂金でも奇妙な形の石でも何だって良いんだけど、要するに水のように素直に流れてゆくだけではない、ひとりの頭抜けた落伍者、代え難い芸術家が突然現れて、水車の水板の窪みに上手いこと引っかかるわけだ。これほど嬉しいことはないね。こういう天才がごくまれに現れて絵やら文章やらを残したりしてくれるからこそ、ぼくは退屈しきらずにいられるわけだし、こういう天才を運んでくれる君らのような量的人間にもまったく感謝が尽きないよ」

 一度、祖父母の家で喉に骨を刺さらせたことがある。鰻の骨だ。別の年の帰省中のある日のこと、両親が買い物に行くだかで私は祖父母の家に置いてゆかれた。かつての私は心配性だったし、また幼いころは両親ともうまくいっていたから、大好きな両親たるかれらが私だけを残して事故で死んでしまったらどうしようなどという、馬鹿らしくもいじらしいことを考えては祖父母に自分の不安を打ち明けたり、或いは部屋の隅でメソメソしていた。そんな私を気遣ったのか、或いは単に私への応対に疲れ切ってしまったのか、そのどちらともというのが実際のところであろうが、要するに、祖父母は私の大好物だった鰻重の出前を取ってくれた。

 昼だった。重箱を開ける瞬間はいつだって楽しいから、あのときもきっとそうだったのだろうと思う。私は単純な子供だったから、鰻重のうれしさのうちに不安は一瞬で消し飛んで、箸を取り、味の濃い肉厚な鰻を、誰も取り上げはしないのにひどく急いで食べていた、その何口目かで骨を喉へと刺さらせた。

 次に覚えているのは仰向けの私を心配そうに覗き込む祖父の姿だった。水を飲んだり、ご飯を一切噛まずに飲み込んだりと何らかの努力をしたはずだが、結局骨は刺さったまま、八方塞がりで仰向けになった窓の外の夏の白さ、祖母はどこかへ電話をかけに行ったから祖父と二人ぼっちだった部屋の、今はないあの部屋はあまりにがらんとしていて、仰向けになった私に大丈夫か、痛むかと問う祖父に何も答えず、泣き疲れた赤ん坊のように鼻をグズグズとやりながら、痛むまなじり、窓の外の真昼間の夏の、日差しで満ちた真っ白な閑かさ、ずっと蝉が鳴いていた。

「ところでこいつはさっきから何をひとりで喋っているんだろう」

「かれは酔っ払うとこうなっちゃうんだ、それほど飲んでいるわけでもなかろうにね。昔は違ったのかな。まあ、面白いから聴いていると良い」

 そう、白昼夢のような白さだった。ねえ、わかるかい。電気はつけていなかったから部屋の隅なんかはうす暗いのだけれど、そのぶん窓の外からの日差しが白く、私たちのいるあたりを明るくして、困り切った祖父も未練のように鼻をすすっている私も、そのどちらもほとんど喋りはしない静かな部屋の、蝉の声ばかりが聞こえる静寂だった。唾を飲み込むだけで骨の刺さっているあたりが鋭く痛む、ああいった痛みがしかしあの部屋におけるたったひとつの鋭さで、(天使が炭酸水の缶を傾ける、)そう、ちょうど今きみが炭酸を飲んでいるようにスムーズに水を飲むことなんて到底出来ないし、(喉仏を上下させる天使の首許、)白い夏の、白さの、ねえサヌキ、私はいつか天使と旅に出たかった。夏の白さとかれの肌の白さはまるで異なっているけれどね、しかし、たとえば近ごろの夏の炎天下の酷暑の、死がたちのぼるような白さのなかで、天使たるかれだけは汗ひとつかかずにきっとモンシロチョウみたいに軽やかだろう。陶器のようにうつくしいかれの肌の白さのうえに、これまた白いワンピースか何かを着せてやって、きみは何か悪い冗談のように思うかもしれないが、私は天使にはそんな服が似合うと思っているんだ。でもかれは結局、私が服を着せてやらないことにはどこにも行きやしないって言うから、今に至るまで私はかれと、もといかれを、白い夏の、白いワンピースのもとで見ることが出来ていないわけだ。ねえサヌキ! いったい、どうしてかれに服を着せることが出来ようね?

「ああ、これはなかなか酷いね。面白いよ」

「だろう? これからもっとひどく、神がかりのようになってゆくんだ。楽しみにしていなよ」

 ねえサヌキ、それに天使、きみもだ。私はね、君らふたりのことが堪らなく大好きなんだよ! わかってくれるかなぁ、わかってくれないだろうなぁ、たとえばねえ、ほら、聴いてくれよ!

「聴いているったら」

「黙って話しなよ」

 たとえばね、いつかきみにも話したろうけど、私はトチと四万十川へ旅したことがあって、もしあれがきみら、特に天使だ、他ならぬきみとの旅だったとしても私は、もとい、きみとの旅だったからこそ、いや、実際にきみと私は旅に出てはいないのだが、夏の白さの、きみの肌はあまりに白くて、四万十川の初夏はしかし、生きているんだよ! きみのペイルな、病的に青ざめた白い肌のうつくしさだって私は大層うつくしく思っているが、青ざめた、この青ざめたという表現は果たしてきみの表象に適しているだろうね? きみの蒼白い肌の、きみはあまりにうつくしくて、……なあ、もし私の話が空回りしているならどうかそう言ってくれないか!

「そりゃもう、これ以上ないくらい空回ってるよ!」

「いいからそのまま話しなよ。聴いていてやるからさ」

 天使が私の隣に腰掛けているんだ。沈下橋の、私のすぐ隣にね。ほんとうはときおり車やら何やらが通るから座ってりゃ邪魔になるんだけれど、なに、構いやしない! とにかく私の隣にはかれが、天使が座っていて、私たちは、少なくとも私は川を眺めたり天使のほうを見たりしているのだけれど、一方のきみはどうせ退屈したような調子で足を中空に蹴り上げる、きみの靴は今にも脱げそうになって、……しかし、そんなきみに合う靴がどんなのかを、私は考えたこともなかった。ひとのように脆弱じゃないからぼくに靴なんかいらないよ、なんてきみは言うかもしれないが、コンクリートで出来た夏の構造物に裸足っていうのも見ていられないし、だから私は持ってきた靴を、あらかじめ見繕っておいたきみに似合いそうなそれを履いてもらおうとするんだけれど、きみはよっぽど靴を履くのが嫌らしくって、軽蔑したような目で私を一瞥すると、次の瞬間にはツと川へ飛び込んでしまう。危ない!、と私は叫ぶんだ、何故ってもしそれが浅瀬や岩場であったならきみの身体はバラバラになって、川の流れで二度と元には戻らないだろうからね。そんな私の心配もよそにきみは水面へ泳いで上がると、(随分と泳ぎが上手いんだね、)橋の上の私を見ながら、やあ冷たくて気持ちがいいね、とでも言うか、或いは片足がどっかに行っちゃったよ、と、いっとき私を狼狽させるような嘘でもつくのだろう。

「ぼくは川に飛び込んだりしないよ」

「靴を履かせようとしているってことは、君が寝ている間にこっそり足のサイズを測っていたんだろうね。こいつならやりかねないよ」

 川から上がったきみはびしょ濡れのまま橋の上まで戻ってきて、橋の隅に腰掛けている私を、立ったまま、陽を浴びながら見おろしている。張りついたワンピースがきみの細い身体の線を浮き彫りにする、(ミレーの『オフィーリア』、いや違う!、)その瞬間、はじめてきみの肌は赤みを帯びているはずだ。まるで生命を得たかのように、いや、きみだって生きていることに変わりはないのだが、その生きかたは生き物のそれとは異なっているのだし、血液の循環やら細胞やら、きみのような天使にはない、そのありかたが、まあ、別に生き物のように生きることがきみのような天使として生きることよりも良いかなんて私にはわからないし、要するに、私は何を言いたいのかわからなくなっちまった。つまりだね、沈下橋に腰掛けた私をきみは、きみが、水に濡れているきみが太陽を背に見下ろして立っている、そのときのきみが大層うつくしいだろうってことだ!

「かれがこうなる度にぼくは毎回こうやって言い寄られているんだけど、一体どうすれば良いんだろうね」

「一発頬を張ってやりゃ良いんだよ。この酔っ払いめ、僕が飲むために出してくるチューハイを片っ端からぜんぶ飲みやがって!」

 びしょ濡れになった天使は最初、服がくっついて気持ち悪いからと言って服を脱ごうとするんだが、普段の裸以上にかれを正視できない私に気がついた途端に狡そうに笑い、びしょ濡れのワンピースのまま私の隣に腰掛けてきて、やたらとじゃれついてくるのだろう。ふだんのきみならば決してしないそんな挙措に、私は戸惑いやら羞ずかしさやら喜びやらでいっぱいで、私の服までもが濡れてゆくその過程がしかしまったく嫌ではなく、むしろかれと同じくらいびしょびしょに濡れてしまいたいんだ。じゃれつかれるままかれと同じに濡れてしまうか、或いは一緒にふたたび川へと飛び込んで、もうすべて滅茶苦茶なうちにひどく楽しくなっちまいたい。だが天使は猫のように気まぐれだから、じき私をからかうのに飽きて、服を、身体を乾かすために橋の上に寝っ転がる。さながら天使の天日干しってわけだね、へ、へ、へ!

 ……きみの足は土の上を歩いても汚れないし、きみの服は橋のうえで横になって乾かしても変なくせがついたりはしない、よろしいね? くせがつかないどころか、ものの数分もしないうちにきみの服も、きみの身体も乾いていて、足にも服にも身体にも汚れの痕跡ひとつ無い。すごいねぇ、と私が言えば、さんざ見せてきた只の奇蹟のひとつだよ、ときみは言う。ああやっぱりきみは人間ではないんだなぁ、と私は幾百度目かの納得をして、それどころかきみがほんとうに天使かもしれないとすら思っている。陽射しで身体を乾かしたはずのきみの肌にフと触れてみれば、しかしひんやりと、葛餅のようにやわらかく冷たくて、(踏みしめる雪、)たとえばきみと札幌へ行ったとして、刺すような冷気の札幌の冬の、人通りの少ない道を歩いてゆけば、降り続ける雪が足跡を消すその道はいつだって処女地のように、きみは冬らしい厚着をして、それこそ靴は冬用のブーツなんかを履いているのだろうが、目に浮かぶよ、路肩の雪の上澄みの降ったばかりのをヒョイと掬えば、その雪はきみの手のうえでいつまでも溶けないままなんだ。鉄格子のように道が張り巡らされたあの街の雪なんかとは比べものにならないくらい白くうつくしい天使の肌の、(と、ここで天使が私の隣に腰掛けて、私にしなだれかかってくる。) ねえサヌキ!、ほら、さっき話した四万十川みたいだね。珍しいからよく見なよ、かれがこうやって私に寄りかかってくるなんてきっと初めてのことだから、珍しいこともあるものだね、こんな幸いが私の生涯にもあるだなんて心底ありがたいことだと思うよ。かれは猫みたいに気まぐれだから、さっきも言ったね、そう、このあいだのことだった、かれがベランダで星を吐き出していたときのことなんだけれどね、あのときも私と天使は、もとい私は酒を飲んで、(と、ここで天使が私に接吻をする。ほんの僅かに触れる程度の、甘い、瞬きのような接吻で、白昼夢、炭酸水のかすかな香料、そういえば私はかれと幾度か接吻を交わしたことがある。夏の始まりに根負けして冷房を初めて点けた晩、大雨の音が部屋を圧し包む夜中、いずれも私は天使を前に酔っ払い、唇の柔らかさ、朝が来る度それを忘れて、次に接吻を交わす度に思い出す、上がらない目蓋の、眠ってしまうには余りに勿体ない今晩は三人の夜だから、もっと話していたいのに、部屋の灯りは急に風見鶏のように揺らぎはじめて、今度は私が天使のほうへと寄りかかる、その私を、受け止めたかれはゆっくりと床へと横たえて、とおい終電車の地響き、目蓋の重さ、今や灯りは遮られて、これ以上起きてはいられない私の、半睡の意識の靄の向こうから、かすかに天使の声が聞こえる。『こうしてやれば静かになるんだよ。唇に睡りを混ぜてやってさ……』)

 

 頭のなかで不愉快なラッパが鳴っていた。起きあがろうと叶わぬ努力を続けるたび、うるさいラッパは鋭い頭痛へと変化してゆき、重い頭痛の、頭痛、頭痛なんてさっさとくたばっちまえば良い。

 強烈な二日酔いで起き上がれやしなかった。頭痛はもとより嘔気が私を脅かして、さながら表面張力のグラスだった。ただ横になっているだけでも溢れそうな吐き気と不愉快であるのに、少しでも身を動かせば警鐘じみた頭痛がその存在を主張しながらグラスを揺らす。いっそ吐いてしまったほうがどんなにか楽になるだろうと思ったが、便所まで無事にたどり着く自信もない。おまけに床で寝ていたから、身体のあちこちがガタピシ痛み、首なぞはきっと寝違えていた。

 天使はとうに起きていた。二日酔いとは無縁の裸体は朝陽を浴びて白磁のようにうつくしく、だがかれを照らす太陽がほんとうに朝陽なのかはわからない。さすがに夕方ではないだろう。嘔気や頭痛をやりすごすため横になったまま、目だけを動かし天使を見ている私の視線にあるときかれはフと気がつくと、こちらへ振り向き薄情な笑みをうっすら浮かべながら、

「おはよう。最高の週末の朝だね」と私に言った。

「サヌキは?」

「とっくに帰ったよ。また会おうってさ。あと『これ飲ませてやれ』って飲み物を買って置いてったよ」

「じゃあ申し訳ないけどそれを渡してくれないかな。動けそうにないんだ」

 サヌキの買ってきたスポーツドリンクを飲み、日向ぼっこの天使を眺めながら安静にしていると、頭痛も吐き気も多少は治まり、節々が痛む身体を何とか起こせるくらいにはなった。結局寝違えていた首をいたわりながら、宴のあとの部屋を見回してみれば、ちゃぶ台周りが空き缶やら空き容器やらで散々なことになっていて、サヌキが多少は片付けて帰った様子こそ見て取れるものの、気が滅入るような惨状だった。

 片付けをする気分ではなかった。窓のほうへにじり寄り、ガラス片をかじっている天使の隣に腰掛けた。かれは私をチラと見て、すぐに窓のほうへと向き直ると、

「具合が悪いの」と空を眺めながら私に訊く。

「おかげさまでね。ひさびさに楽しい晩だったから、あんなにも飲み過ぎた」

「相変わらず学ばないねえ。夜飲み過ぎて、次の朝苦しむのを何回もやってさ」

「結局私は馬鹿だから」

「だろうね」

 窓を見るとあんまりのどかな青空だった。千切れたような小さい雲が浮いていて、窓から見切れて見えなくなるまで追いかけてやろうと眺めていたら、見切れる前に薄れて消えた。

「ねえ天使、ひとつ良いかな」

「なに?」

「私のさ、こんな生涯がずっと続くのかな」

「こんな生涯?」と、かれはガラス片をかじりながら訊き返す。

「つまりさ、こうやって些細な楽しみやら苦痛やらを繰り返していくだけの、むなしい生涯がさ。昨日は楽しい酒を飲んで、今朝は飲み過ぎた後悔に苛まれている。生涯全体がそんな調子なんだ。とくに何もしないうちに土曜日も、日曜日すらも終わっていて、じき不愉快極まる平日が来る。平日を乗り越えたら息継ぎのような土日が来て、それが終わればまた平日。平日、休日、そんなのを何十回、何百回と繰り返しているうちに、だんだん老いて、友達も減ってゆく。今ですらこんな繰り返しに辟易としているのに、今後生涯の不愉快は増すばかりで、悪い冗談のようなこの生活を、それでも生きてゆかねばならないとするならば、」

「そんなことより、ねえ! これを見なよ」

突拍子もない声を出した天使の手元に目をやると、そこにはガラス片がある。

「これがどうしたの」

「よく見なって。ついさっきかじったのがここなんだけど、断面が綺麗だろう」

「ほんとうだ、そこだけ新品のガラスみたいだね」

「こうやってうまくかじるのはコツがいるんだ。もっとも、コツが分かっててもこんなに綺麗な断面が出るかはほとんど運次第なんだけどね」

「なるほど、難しいんだ」

「朝から良いものが見られて良かったね」

「うん、ありがとう」

「それと、きみの人生についてはぼくの知ったことじゃないよ」

「だろうね」

それきり私とかれはしばらく黙って外を眺めた。窓から見える空は今では一面の青空だった。

「そういえば朝だから、いつもみたいにきみに話をしてあげようか。どんな話が聴きたい?」

「教訓もなにもありはしなくて、ゆるやかな、いつもよりすこし長めの話が良いかな。どのみち二日酔いで動けそうにないから」

「じゃあひとりの男の話、きみの言うところのむなしい生涯を送った男の話が良いね。まあ、聴いていなよ」

 そう言って天使は鈴の鳴るような声で話を始めて、私はそれを二日酔いの頭で聴いている。何度目かは覚えていない、天使と過ごす土曜日の朝だった。

瀬見温泉に行った話(紀行文)

既婚者男性と旅に出た。ふたりっきりで、人気の少ない温泉地に、隠れるような2泊3日で。

「けれど、ほんとうに良かったのか知らん。奥さんに悪いような気もするけど」と、夜の旅館の軒先でそう訊けば、

「別に構やしないさ。あいつだって友だちと遊びに行くんだろうから」と、タバコの煙を吐き出してかれは言う。気心の知れた親しいひとと、こうしてふたりの旅に出られるのが、私には堪らなく嬉しくて。

しかし、喜びに微笑んだまま黙り込む私を、かれは横目でチラと見ると、

「まあ、こうやって頻繁に逢うのは止したほうが良いかもな」と、そんな淋しいことを言う。

「どうして?」と驚きのうちに私が訊けば、

「あんまり会うのが頻繁だから、そろそろあいつに嫉妬され始めてるんだよ。こないだだって、『誰と飲みに行くの?』って訊かれたから名前を挙げてくんだけど、お前の名前を言った瞬間(、お前の名前のときだけだよ?)、呟くように復唱しながら、思いきり眉を顰めたんだから」

「確かに、よく会ってるもんな。へ、へ、へ!」

「へ、へ、へ!」

ひとしきり笑ったあと、かれと私はタバコを吸う。男同士でふたりきりの山形の晩、車のヘッドライトが霧雨を照らしながら目の前の道を通り過ぎてゆく。九月だというのにひどく寒い。

 

恋人も居なければ友達も少ないから旅に出るときは大概一人であるのだが、そんな一人旅を立て続けに何度もやっていれば終いには淋しくなってくる。だから今回はそんな淋しさから逃れるためにいちばん仲の良い友人と誘い合わせて旅に出たわけで、しかしあれが果たして旅と呼べるものだったかはわからない。そもそも我々は何もしないことを目的として今回の『旅』に出発し、事実何もしないうちに2泊3日は終わっていったのだから、旅というよりかは、大いなる怠惰のような、……どうだって構やしない。つまり今から書いていくのは、そういった類いのものだ。

 

*0日目

土・日・月の三連休で旅に出るのだから、土曜の朝に上野駅へ現地集合とすれば良いのだろうが、予約した新幹線が早朝7時18分発だということもあり、片方が寝坊でもすれば最初からケチがつくことになる。だからあらかじめ今回の旅の同行者の、都内在住のかれの社員寮へと泊めてもらい、そこから明日の旅を始めることにして、寝坊に関する2人の不安の解消を図った。2人とも寝坊したならそれもそれ、死なば諸共、だ。(先に書いたとおりかれは既婚者だが、かれの配偶者は単身赴任をしている。)(かれの家には歯ブラシが3本置いてある。1本目はかれ自身の歯ブラシ、2本目はかれの配偶者の歯ブラシ、そして3本目が私の歯ブラシだ。じき便所掃除に使われることだろう。)

金曜の20時ごろにかれと落ち合い、かれの家の近くの餃子屋で、しょうもない話をしつつ旅の細部を詰めてゆく。旅の細部を詰めてゆくと言ったところで我々がするのはもっぱら2泊3日をダラダラと過ごすことなのだから、要するに、取るに足らない話のうちにゲラゲラ笑って過ごしていた。そういえば、と新幹線の運行状況を見せながら、今日の東北は雨で新幹線が止まったらしいよ、明日も動くかわからないみたい、と伝えれば、マジで?、とかれは不安がる。でも大丈夫じゃないかな、遅れや運休があるのは明日の昼過ぎ以降って書いてあるし、私たちが出るのは早朝だから。じゃあ大丈夫か、と良い気分で酒を飲みつつ晩は暮れ、腹具合が良くなった頃に店を出てかれの部屋へと戻り、翌日も早いからと22時半には電気を消した。

教訓:旅の前日に余計なフラグを立てるべきではない。

 

*1日目

明朝5時に起床した。スマートフォンのアラームが私とかれを叩き起こし、早起きのふたりの機嫌はよろしくない。乗りたい電車が5時45分ごろ最寄駅発だったから、5時20分ごろ家を出ようと言い張る私に対し、お前は馬鹿か、5時35分に出ようが余裕で間に合うよ、と主張するかれとのあいだの折衷案、5時30分に家を出れば、それはもう全然余裕で駅に間に合う。ほら見たことか、とかれに言われ、しかしまあ、遅れるよりはマシだろう。

電車を二、三乗り継いで、上野駅には6時過ぎに到着する。新幹線は7時18分発だから、おおよそ1時間ほど待つことになる。1時間! 馬鹿じゃないの、なんでこんなに早起きしたんだよ、と私を罵るかれに、何か遅延でもあったら事だし、それにカフェで時間を潰せば大丈夫、と、新幹線の改札前のカフェへ向かえば、未だ開店していない。本当に馬鹿だな、そもそも何で5時に起きたんだよ、あと30分寝てたって全然大丈夫だったじゃないか、といちいちうるさいかれの口へ、コンビニで買ったカツサンドを一切れねじ込んでやれば、満足したのかそれ以上は何も言わなくなる。

待合室で時間を潰し、発車時刻の5分ほど前にホームに向かう。余計な待ち時間が終わってようやく旅が始まろうとしていた。旅のなかであの時間が一番好きかもしれない。新幹線がもうぞろホームに辷りこんでくるというアナウンスを待つあの瞬間、否応なしに旅情も高まるあのタイミング! だがそんな素晴らしい瞬間を邪魔するかのように、携帯へ一通のメールが入る。野暮天極まるメール曰く、『新幹線運休のお知らせ』。見れば大雨の影響で山形〜新庄間を区間運休するという。運休内容をかれに見せると不安げにかれは、

「これ大丈夫なの?」

「駄目だよ、新庄まで乗ってくんだから」

「どうすんの?」

「乗ってから考えようか」

メールから間も無く新幹線が、我々の目的地まで行かないことの確定した新幹線が入線し、とりあえず、とそれに乗り込む。私はここでもミスを犯し、やまびこ=つばさの連結したうちの『つばさ』に乗るべきところ、『やまびこ』のほうに乗ってしまった。(座席番号と号車番号を勘違いしていたのだ。) 行き来できないやまびこ=つばさの連結部たる先頭車両のドア横にふたり佇んで、大宮に到着するのを待っていた。おまえ今日良いとこなしだな、と言うかれに、申し開きのしようがない。

じき大宮に着いたから、短い停車時間のうちに『つばさ』へ乗りこんで、今度こそ予約しておいた席を見つけて座り、ひと心地ついてから駅弁をつかう。寿司の駅弁を買ったのだが、これがまたひどく不味かった。以前『小鯛ふくいサーモン寿し』を食べたとき、寝台列車の旅の始まりというのもあってか、感動するほど美味かったのを覚えている。あれのせいで寿司系の駅弁に対するハードルが上がっていたせいもあるかもしれない。

「これ、不味い」と伝えれば、

「お前ほんとうに今日散々だな」と言ってかれは笑う。かれの海鮮ちらしは美味そうだった。

駅弁を食い終わればさて旅程をどうしようかという話になる。新庄まで新幹線で行き、そこから代行バス瀬見温泉まで向かうべきところ、新幹線は山形までしか行かないのだから、最悪タクシーで山形から瀬見温泉まで向かうことになる。もしレンタカーが安そうだったらレンタカーで、或いは同じく新庄まで行く予定だった人らを捕まえて新庄までタクシーを乗り合わせて行くのもありだ、いずれにせよどうにでもなるのだから、臨機応変に、テキトーにやれば良い。急ぐ旅ではないのだし、と、気心の知れた男ふたりの旅の気楽さ、能天気さのうちにこの先の憂いは曖昧になる。考えたところで仕方がない。

旅程を今後の流れに任せることにして、私は鞄からDSを2台取り出した。旅の2週間前だかにかれと会って飲んだとき、マリオカートをやりたいとかれが言っていたのを覚えていて、しっかりと持ってきたわけだ。

「オッ、準備良いじゃん」

「DSだけじゃなくてSwitchも持ってきたよ。あとトランプもある」

私がそう伝えると彼は笑って、

「修学旅行かよ。青春を取り戻そうとしてるじゃん」と言った。

青春を取り戻そうとしている。そうかも知れない。

(備考:DSを2台と充電器まで持ってきたにも関わらず、旅のさなかマリオカートで遊んでいた時間は1時間にも満たなかった。無職時代、やるに事欠いて毎晩すべてのコースを一周していた私にかれが敵うべくもなく、すぐに『つまらない』とマリオカートは投げ出された。)

(備考2:旅をとおしてSwitchはそれなりの活躍を見せたが、一番遊ばれたのは意外にもトランプだった。私が中学生時代に考えた2人向けのトランプゲームがあるのだが、試みにこれを教えてみたらどハマりし、事あるごとに遊んでいた。『お前が生み出したもののなかで唯一価値があるものだな』とこのゲームを評してかれは言う。機会があれば読者諸兄にもこのトランプゲームを教えてあげたい。)

DSやらトランプやらSwitchやらで遊ぶうちに新幹線は北上し、しかし車内放送が流れるたび耳をそばだてる我ら、「…………、新庄まで向かわれるお客様は車掌通過時にお申し出ください」とのアナウンスを聞き逃しはしなかった。『代行バスでも出してくれるのかな』などと噂する男ふたり、果たして山形駅到着後、しっかりと代行バスが用意されていて、紆余曲折ありながらも、我々は新庄駅までたどり着いた。

(備考3:代行バスによって新庄まで辿り着けただけではなく、後日払い戻しまであった。『お金を一部払い戻しますよ〜』とのメールが届いたとき、数十分の遅れこそあったものの無事目的地まで着けたうえに払い戻し金まで受け取ってしまって良いのかわからず、コールセンターに問い合わせまでしたくらいだ。

わたし「新幹線代を払い戻す旨メールが来たんですが、これって受け取っても良いんですか?」

お姉さん「いま調べますね〜、……一斉送信で送ってるんで(?)、受け取っていただいて大丈夫ですよ〜」

わたし「ほんとう? ワーイ、嬉しいです」

お姉さん「^ ^」)

 

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そうして新庄駅に到着した。時刻は正午のすこし前。電光掲示板を見ればどの路線も終日運休の表示ばかり、列車がダメでも代行バスならどうか(新庄〜鳴子温泉区間は列車の代わりにバスが運行されている)と陸羽東線の記載を探せばこれもまた運転見合わせとのこと、つまり瀬見温泉まで公共交通機関で向かう手段が絶たれたことになる。となればどうするか? 言うまでもなく、まずは昼飯を摂ることになる。何故ってもう昼だから。

 

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雨で肌寒い駅前通りを少し歩いてラーメン屋に入る。かれは二郎系ラーメンを頼み、私は何を血迷ったか知らん、『冷たいラーメン』をオーダーした。瓶ビールを飲みながら待っているとじき『冷たいラーメン』がやって来て、ひと口啜れば冷やし中華の味がする。向かいのかれの二郎系ラーメンは美味そうに湯気を立てていて、すこし貰うとちゃんと美味い。私もそっちにすれば良かった。睡眠不足のせいか知らん、朝から選択を失敗してばかりいた。

それで、昼飯を済ませてにわかに元気づいた我々は、まだ時間も早いことだし、と、身体の芯が少しずつ冷えてゆくような雨のなか、パチ屋まで歩いて行ってスロットを打ち、ふたりとも少しだけ勝った。ちょうどタクシー代の足しになるな、と言い交わしつつ、駅前まで戻ってタクシーに乗り、瀬見温泉に一路向かった。山形から瀬見温泉までのタクシー代を想定していた我々に、新庄から瀬見温泉までの数千円のタクシー代は屁でもなかった。

(余談:我々が大学生から一介の労働者に成り下がって早や2年目になるが、予定を合わせること難しくなったものの、カネを稼いでいるぶん旅には余裕が生まれるようになった。安い宿を転々としながら何人かで回る貧乏旅行も良かったが、昔よりも良い宿に2泊3日で泊まるような今の旅行もまた捨てがたい。旅だけではない、自らの身を顧みれば、とくに大学時代末期の私はカネもなければアルバイトをする気力もなく、汚い部屋で仕送りを食い潰しながらひとりきり、どこにも行けず悶々と過ごしていた。安酒で認識をぼやかす夕方と、睡眠薬で丸ごと寝飛ばす長い夜と朝と昼前、目を覚ますと昼間だが、ごまかしの効かない昼間はとにかく苦痛でしかなかった、そんな大学4・5年生の時分に較べれば、労働によって実存から目を背けつつ、時々はこうして旅に出られる今の身分はどんなにか気が楽だろうと思う。)

 

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代行バスが動いていない瀬見温泉までタクシーは何の問題もなくたどり着き、しかしチェックインまで時間があったから、近くの入浴場?、日帰り温泉?、に入る。(湯船に浸かっている途中で、指輪外し忘れた!、とかれが結婚指輪を外しにゆく。)そうして時間を潰してから、15時過ぎに旅館へチェックインする。部屋に着いて荷物を下ろせば、紆余曲折ありながらも無事に着くことが出来た喜びが、疲れとともに滲み出して、こうなればふたたび湯船に浸かるほかない。貸し切りの大浴場を2人で満喫し、(大浴場に浸かっているとき、またもやかれは『指輪を外し忘れた!』と一旦外に出る、)温泉のあとは酒屋で日本酒の試飲をしたり、部屋でトランプを切ったりしながら夕食の時間を待っていた。

 

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それで夕食の時間になる。旅のうちで何よりも楽しみなのは(そうして実際楽しいのは)結局夕食だと思う。個室食の会場で、美味い飯をつまんで酒を飲み、また美味い飯をつまむ、そんなことを繰り返していると、気分が良すぎて怖いくらいになってくる。が、まあどうだって良いや、と思い直し、ふたたび酒と飯の繰り返しに、ただ心地よい往復へと戻る。加えて今日の夕食はいつものひとりの旅ではなく、気のおけない友人たるかれが居るから、食前酒の梅酒が好きだのこれスゲェ美味いだのキノコ食えないからあげるだの、他愛もない会話をしながら酒も食事も進んでゆき、次にひとりで旅に出たときに物足りなくなってしまうのではと怖くなる。幸せな瞬間は今後の生涯の淋しさを予感させるからいつも怖い。

 

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お客さんはみんなご飯に満足されて帰られるんですよ、との仲居さんの言葉のとおり夕食は最高で、とくに『米ナスの田楽』が気に入った。今まで食べたナスのなかで一番気に入った、美味いのなんの! あまりの美味さに2人してニヤニヤしながら食っていた。また『鮎の塩焼き』、もとい鮎を人生で初めて食べたのだが、鮎の良い匂いというのはこういうものなのか、と驚いた。もっともかれは何度も鮎を食べたことがあるらしい。贅沢な奴め、と思う。

 

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(旅館内部の様子。写真に映る人影はすべて同行者の友人。)

 

満足のうちに食事は終わり、雨のなか軒先に煙草を吸いに出る。そうすると身体が冷えるからふたたび風呂に入り直せば、やっぱりかれは指輪を外し忘れている。(かれは何度でも同じ失敗をする。) そのあと部屋に戻って酒を飲みながらSwitchなりトランプなりで遊んでいれば、じき夜も更けてゆき、眠くなったところで眠る。

 

*2日目

旅の2日目、目が覚めて最高の朝だった。何たって、することが何もない! 前にも書いたように、我々は何もしないことを目的として今回の旅に出たわけで、昔から、たとえば学生時代、仲のいい友人連中数人で旅に出ても、我々ふたりだけ観光地から早々に引き上げて先に宿で休んだり、或いはそもそも観光に行かずパチ屋で時間を潰していることさえあるくらいだった。旅に出るのは嫌ではないが名所旧跡にさして興味があるわけでもない、美味い飯と酒、それに温泉があればあとは別にどうだって良い。そんな怠惰な我々ふたりが、テッテ的な怠惰を目指して出立したのが今回の旅で、どこへ行く予定もない2泊3日の2日目の今日が、この旅の目的であり本質であった。

生憎なことに今朝も天気は雨だった。だがどこへ観光に行くわけでもない我々に、雨がいったい何だというのか! 着崩れた浴衣を整え、朝食の会場へと向かう。

 

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旅先の朝食、量が多くて美味しいそれを食べ終えて部屋に戻り、私は風呂に、かれは部屋でうだうだする。私が部屋に戻ってから、

……このあたりから記憶が曖昧になってくる。というのも旅の2日目、あまりに何もしなかったせいで、もといトランプやら昼寝やらでとかく怠惰に過ごしたために、何をしてから何をして、といった時系列に沿った記憶がなく、ただ漠然と、しなくて良いことばかりをして、それでいて気楽で心地良かった、そんな情感だけが残っているのだ。このときはきっとトランプをしてから二度寝をし、気がついたら昼過ぎになっていたんだろうと思う。そうだったかもしれない。いや、きっとそうだ。そういうことにして書いてゆこう。

二度寝から目が覚めると12時をだいぶ回っていた。あらかじめ調べておいた寿司屋の、この近辺で唯一昼飯にありつけそうな飲食店たる寿司屋の閉店時間がだいぶ迫ってきており、2人して少し慌てる。浴衣に下駄のいでたちで外に出て、傘を差しながら寿司屋に向かう。徒歩で1、2分、暖簾をくぐって入店すると座敷の席に通されて、お時間いただきますがよろしいですか、と訊かれる。店の奥で法事の集まりか何かをやっているようで、しかしまあ、急ぐ旅ではないのだし、と言うより我々は『ほんとうに』急がないのだから何の問題もありはしない。酒をちびちび飲みながら寿司が来るのを待っていると、それほど待たされもしないうちに第一陣の寿司が来る。

 

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いかにも旨そうな寿司を前にして、ようやく私は失敗に気がつく。甲殻類を食べられないのを注文のときに伝えておくのを忘れていた。今にも食べ始めようとしている目の前のかれにストップをかけ、エビ・カニのトレードを申し出る。結果がこれ。

 

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交渉のすえ穴子と貝がやって来る。穴子は好きだから貰った。貝は別に好きだという訳ではないが、食べてみるとやはり美味い。(貝だけではなく口にするもの何もかもが素晴らしかった。メニューの値段を見てわかってはいたが、少し良い店なだけあって全てが美味しい。) 貝も穴子もすごく美味しいよ、ありがとう、と目の前のかれに伝えると、未練がましい悪態をつかれる。良いじゃん、エビとカニをあげたんだし。

その後、巻物やら味噌汁がやって来て、それらを食べ終え店を出る。2人で7,100円だった。(これはpaypayの取引残高で確認したから確かだ。) 素晴らしい寿司に満足したあと、近くの商店で酒のつまみの菓子を買い、旅館に戻って昼寝をして、目が覚めると夕方だった。(なんと贅沢な旅先の時間の使いかただろう!) 2時間ほど昼寝をしていた筈だが、長い昼寝のあとのあの吐き気やら気分の悪さやらが微塵もなくて、これも温泉の功徳かもしれない。目が覚めたあと、たしかもう一度湯船に浸かりにいって、それからまたしてもトランプやらSwitchやらで遊んでいるうちに晩飯の時間がやってくる。ほとんど動かず食っちゃ寝ばかりしているからあまり腹が減らないな、なんて話を交わしたはずだ。

 

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あまり腹が減っていなかろうが、美味い飯と酒があれば箸はおのずと動いているし、心地良く酔いも回ってくる。しかしほんとうに何もしなかったなぁ、へ、へ、へ!、などと会話をしながら、生ビールと日本酒で最後の晩飯は進んでゆく。とくに鯛のかぶと煮が絶品だった。

(余談:旅行中の食事の写真を撮ることは、あまり行儀の良いこととも思えないから、別に指摘されたわけでもないが、いつかの写真を撮ったあと、言い訳のようにかれに告げた。つまり、 私が旅の食事の写真を撮るのは、SNSとかにアップするのが目的ではなく、あとでこういう旅の写真を自分ひとりで見なおすためであって、こうして撮っておいた写真を耐えがたい日々のなかで見返すと、懐かしさのうちにかつての嬉しさが甦って、ほんの少しだけ心が楽になるんだ、と。そうかれに伝えると、かれは笑って、そんなら仕方ないな、と言う。私がこうしてブログを書くのだって、きっと写真と同じことだろうと思う。)

晩飯を食い終わって部屋に戻り、会話のうちに何とはなしに新幹線の運行状況を調べてみると、『明日もしかしたら雨で運休するかもよ』との記載がある。その画面をかれに見せ、ふたりしてケラケラ笑った。往路に加えて復路も大変なことになるかもしれない、となればもう笑うしかない。新庄から仙台まで出るバスがあること、新幹線の運休予想区間山形県内のみであることまでを調べ、まあどうにかなるだろう、という楽観的観測のもと、日本酒を飲みつつトランプをしたり、互いにスマホで音楽を流したりしているうちに夜は更け、私が眠くなったので部屋の電気を消して寝た。

書いてしまえばこれきりの、何もしなかった1日の、どんなに気楽で心地良かったことか!

 

*3日目

 目が覚めて小雨だった。旅の終わりはいつだって淋しい。何たって日常に帰ることになるのだから、淋しくて当たり前といえば当たり前なのだが、今回の旅については淋しいとばかりも言っていられない。帰るまでが遠足とはよく聞く話だが、実際帰るまでが旅であって、殊に新幹線が動くかわからないこんな状況にあっては感傷に沈んでいるわけにもいかない。いや、新幹線どころか、そもそも瀬見温泉から新庄へ戻る代行バスは動くのか?

……まあどうにかなるだろう、と思い悩むのを止め、他愛のない会話をしながら準備をし、朝食へ向かう。

 

参考:我々ふたりの他愛もない会話の例↓

「お前、寝起きの顔キモ」

「よく言われるよ」

「誰も言ってくれないだろ」

「友達も彼女も居ないからね」

「「へへへ」」

 

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旅先の最後の朝食を終え、温泉に入り、トランプを何戦か戦わしているうちに、チェックアウトの時間と相成る。会計を精算しながら、代行バスで帰る予定です、と女将さんに告げると、運行しているか電話で確認を取ってくれた。それだけに留まらず、代行バスの停留所まで車で送ってくれるというので、お言葉に甘えて乗ってゆく。料理も美味しく気配りも行き届いた、素敵な旅館だった。そのうえ、『ここに代行バスが来ますんで』と降ろされた場所は駅のすぐ向かい側ではあるもののバス停も目印も何もなく、もし送迎が無ければ或いは乗車場所がわからないままバスに乗り損ねていたかも知れない。ほんとうに感謝が尽きない。

その後、代行バスは何の問題もなく新庄駅までたどり着き、駅の電光掲示板を確認すると新幹線は平常どおり動いていた。天気だって何ならすこし晴れていた。土産物を買ったり物産展を冷やかしながら時間を潰し、車内用の駅弁を買い込んで、定刻通りの新幹線に乗車した。代行バスが走らないかも、なんて心配も、新幹線が動かないかも、なんて気苦労も、何もかも杞憂に終わった。

教訓:フラグなんてものは当てにならない。

 

* * *

以上が旅の顛末の全てになる。本当に何もしなかったが、このうえなくくつろいで非常に楽しかった。(かれもきっと楽しんでくれていただろうと思う。) 心置きなく楽しかったと言える出来事がこの先の私の生涯にあと何度あるかは分からない。そう多くはないだろう。私には配偶者どころか恋人も出来はしないだろうし、今の年齢からこれほど気のおけない友人をつくるのはきっと不可能だろうから、もう4、5年もすれば私は真空のような孤独に陥ってゆくはずだ。もとい、今から既にそうなりつつある。私の生涯が快方に向かってゆく気配はない。仕方のないことだと思う。どうにもなりはしないだろう。

とにかく楽しい旅だった。だが楽しさが大きければ大きいほど、来たる生涯への絶望が現前し、私は愕然としてしまう。損な性分だと思う。

東鳴子温泉と肘折温泉に行った話(紀行文)

 

旅先へスマートフォンを持ってゆかずに済むのならどんなにか良いだろうと思う。旅の退屈を楽しむ際にこれほど邪魔なものはない。もちろん『旅行中はスマホを決して開かない』という確固たる意思があるなら話は別だが、言うまでもなく私にそんな意思の強さはなく、たとえば新幹線の車窓の景色を漠然と眺めながら今まさに始まりつつある旅へと期待を膨らませたり、或いは近場を軒並み探索し尽くした山奥の温泉地の川の流れを前にして手持ち無沙汰に数十分の物思いに沈むような、そういった旅の退屈を私はスマホに奪われてしまったことになる。とはいえスマホを伴った生活に慣れきった私は、スマホが無ければ旅先の目的地に辿り着くこともできないだろうし、それどころか千葉から東京へ行く電車の乗り換えすらおぼつかないだろうから、最低限の検索機能と地図機能、それと電子マネー機能ばかりが付いた、いわばデチューンされた携帯電話を持って旅に出られたならば、それが一番だろうと思う。

……こうやって、技術の進歩のうえで成り立つ現代の生活の便利さを普段から享受していながらも、都合の良い(悪い)ときにだけテクノロジーへの文句を言い、その舌の根も乾かぬうちにスマートフォンの便利さへと立ち戻る、こういった私のありかたはあまりに醜い。そもそも今わたしがこうして文章を打っている媒体だってスマートフォンに他ならないし、だいたい今回行くことになった東鳴子温泉肘折温泉だって、SNSをとおして知った温泉地ではなかったか。

岡惚れならぬ岡フォローしているツイッターのアカウントが、いつの日か呟いていたのがそこだった。曰く、城崎やら銀山温泉といった有名で観光客ばかりの温泉地と比べて、東鳴子やら肘折温泉は観光客が少なく情緒もあって云々云々、そういった内容の呟きだったと記憶している。旅先で何よりも重要なのは人の少なさに他ならないのだから、その呟きを目にした時点で、どこに行っても人出が多くてやりきれないゴールデンウィークの、私の旅先は決まったようなものだった。

 

三連勤によって無惨にも分かたれたゴールデンウィークの前半の、カレンダーどおりの休日は土・日・月の三日間であるところ、金曜日に有給を付け加えることで四連休を作り出した。最後の月曜日は家でボンヤリ休む日として、金・土・日の二泊三日で旅をしてゆくことに決めた。

金曜日の朝、旅が楽しみなあまり早朝に目を覚ました私は、二度寝する気にもならず寝床から這い出し、朝飯を食って、すこし早すぎるような時間に家を出た。結果的にはこの早すぎる出発が功を奏したようで、というのも、千葉の片田舎から浅草くんだりまで出てきたところ、新幹線の出発駅たる上野へ向かう銀座線が遅延だか運転見合わせだかをやらかしていたのだ。そうして新幹線の発車時刻までは一時間強もあり、浅草から上野までは歩いても三十分はかからない。二もなく歩いてゆくことにして、無事に上野に辿り着いた。もし私が新幹線の待ち時間を少なくするために家でダラダラしていたならば、旅の始まりから新幹線に乗り遅れる羽目になっていたかもしれない。

 

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そう、旅、旅である。旅! 駅に着いてみずからが旅立つ電光掲示板の表示を目にするあたりから、旅の実感が心をジンワリと浸しはじめる。皆さんが職場のデスクで仕事をしているであろう今まさに私は私服で駅にいて、皆さんがあずかり知らぬどこか遠くへ行こうとしている! こんなに気持ちの良いことは他にない。

定刻通りに新幹線は到着した。(まさに旅の始まりたる第一歩!、)狭いドアから車内へ乗り込み、座席と膝との狭い隙間をすり抜けて、窓際の指定席に座った瞬間、まず思ったのは「ああ、失敗したな」ということだった。金曜日の全席指定のはやぶさ=こまちは満席に近く、窓際には私が座り、通路へ続く残り二席には誰も居ない、なんてことは望むべくもなかった。横並び三席の窓側には私が座り、通路へ続く残り二席にもしっかりと人が座っていた。指定席を予約した時分には通路側の席を選ぶ余裕だって十二分にあったわけで、要するに私はゴールデンウィーク・イヴたる金曜日の新幹線の満席率を見誤っていたことになる。窓際に対する漠然としたこだわりを捨て、通路側の席を選んでおけば、乗車・降車時の手間や申し訳なさを軽減できるのは言わずもがな、車内販売のビールだって気楽に買うことが出来ただろうし、誰に気兼ねすることもなく自由にお手洗いへ席を立つことも出来ただろう。馬鹿め!

降車するべき仙台駅にはすぐ着いた。一時間半もかからなかった。上野と仙台がこんなにも近かったとはつゆ知らず、何なら今朝私が家を出てから上野駅に着くまでにかかった時間よりも短かった。

仙台には古い知己が働いている。大学時代の友人だ。ほとんどの同期が大学を四年で卒業し日本各地へ散ってゆくなか、私は留年生として、かれは大学院生として、人よりも多く札幌の街で暮らしていた。研究室に居場所もなく、友人連中の多くも卒業とともに居なくなった、あまりに淋しい独りぼっちの札幌の街の、私のひとつの心の支えだった、そんな友人が働いている仙台を、10分程度で後にした。新幹線のホームに突っ立ったまま、じきに来た『やまびこ』に乗り換えて古川へ行き、古川で鈍行に乗り換えて本日の目的地、『鳴子御殿湯』へ向かう。残念ながら今回の旅で仙台は単なる乗り換えの駅でしかない。

(余談:仙台から古川までは『やまびこ』でひと駅の13分きりだったが、私は席に座れなかった。指定席は取っていたものの、馬鹿の一つ覚えのように窓際の席を予約していたものだから、一駅の区間を腰かけるためだけに、手前の席でスヤスヤ眠っている老夫婦をわざわざ起こす気にはなれなかったのだ。古川へ着くまでのあいだ、ドアのあたりでモジモジと時間を潰していた。何も悪いことなどしていないのに、まるで無賃乗車の気分だった。)

 

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古川から陸羽東線に乗り換えて、その日の目的地たる鳴子御殿湯へと到着した。途中、陸羽東線の車内の何駅かのあいだ、猫の鳴き声が聞こえていたのを覚えている。どうして列車のなかに猫が、と一瞬思ったが、猫は運転免許を持てないから、どこかとおくへ行きたいときにはバスなり列車なりを使うほかないのだろう。おだやかな車窓の田園景色に猫はニャーニャー鳴いていて、あくびが出るほど長閑だった。

鳴子御殿湯に到着したのは13時前であった。鳥がピーヒョロ鳴いていて、周りにはいかにも何もない。旅館のチェックインは17時にしている。さて、何をしようか。

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何をしようか、などと書いたが、まずは飯を食うことに決めていた。別に古川で食ったって構やしなかったのだが、今日泊まる旅館では夕食と朝食が出ることだし、折角なら昼食は旅館近くの飯屋にしようかと、ただ何となくそう決めたのだ。駅から北のほうへとすこし歩き、スマホを取り出して『飲食店』と検索すると、どうやら飯屋は近場に一軒あるきりで、まあそこで良いやと向かったところ、いかにも入りづらい店がある。店がある、と言い切って良いかも怪しくて、なるほど『ラーメン』の幟は立っているし、暖簾も出ていることだから、営業中であるのは確かなようだ。しかし看板があるわけでもない店に私のような一見の観光客が入って良いかは疑わしく、何よりも磨りガラスで中の見えない引き戸が私に入店を躊躇わせた。昼飯を食わずとも別に死ぬわけではないが、旅先で一食を抜くのはあまりに惜しい。どうしようかと思い悩んだ挙げ句、結局私は引き戸に手を掛け、

 

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昼食を食べ終え店を出たのは14時ごろだった。近場を散歩していると日帰り入浴の文字があったから、500円を払って良い心地で脳味噌を溶かし、結局宿には16時ごろチェックインした。

宿が、もとい鳴子御殿湯周辺が、今朝の新幹線の混雑など嘘のように空いていた。日帰り入浴の旅館もそうであったが、鳴子御殿湯駅の近くは商売っ気に乏しいようで、観光客も居なければ観光客から儲けようとするギラついた客引きも一切おらず、そのお陰で非常に居心地が良かった。(尤も、鳴子御殿湯のすぐ隣が鳴子温泉であるから、もしかするとそちらに人が集中していたのかも知れない。)

商売っ気に乏しいというのは本当にその通りで、或いはホスピタリティ溢れる、と言い換えても良いのかも知れない。というのも、その日の宿にチェックインした際、気さくな親父さんがその宿を切り盛りしていたのだが、サービスしときますんで、と、本来トイレ別の部屋を取っていたところ、トイレ付きの部屋へと差額なしでアップグレードしてくれたのだ。それだけではない、チェックイン後、部屋で飲むための酒を近くの酒屋から買った帰り、たまたまロビーで親父さんと顔を合わせたのだが、

「お酒とか結構飲むの?」

「ええ、まあ割と」

「それじゃあこれあげるから良ければ飲んで」

と、日本酒の小瓶を一本タダで頂いてしまった。おかげでその夜は本来の予定よりも多く飲むことになってしまって、大層幸せな晩だった。

 

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(一番右が頂いた日本酒。)

 

宿の温泉で汗を流してから晩飯の時間が来るまでのあいだ、心底くつろいだ心地で部屋の布団に横になっていた。ボンヤリと天井を眺めていれば、外からは子どもらの遊ぶ声が聞こえる。何をしているのかは知らないが随分とはしゃいでいるようで、それに私はビールを一本空けていたから、のどかさと酔いが湯上がりの疲れと混じり合って、春の日の夕方の、あまりに気楽な太平楽だった。

 

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じきに晩飯の時間が来る。部屋出しの晩飯だ。部屋に食事を持ってきてくれる類いの旅館に泊まるのは、これが初めての経験だった。(盲腸で入院した際の食事も部屋出しのようなものだったが、あれは数のうちには入れないでおく。)25にして部屋出しの食事が初体験である私は、すぐにその形式が気に入った。何よりも、ひとの目を気にせずに一切を自分の勝手でやれるのが良い。姿勢を崩し、しどけない浴衣の格好のまま日本酒を飲んで晩飯をつまみ、アア良い気分だ!、とため息をついて、また日本酒を飲む。どこか会場での食事のように、浴衣がはだけないよう所作に気を配る必要も、周りの客のざわめきにどうにも居心地悪く酔いきれないで終わってしまう心配もなく、ただ酒と飯の二つきりに集中してさえいれば良い。そうやって飲み食いをしているうちに、心は三昧境にまで至って、呑兵衛の天国に私は居た。あれほど良い気分で酔っぱらえる機会は、生涯で数えるほどしかないだろう。

そうやって幸福に浸っていれば、じきに飯と酒が尽きる。ちょうど良い具合に腹も酔いも満たされていて、満足のうちに私は眠った。

素晴らしい晩だった。

 

二日目の朝である。布団から這い出し、めちゃくちゃに着崩れた浴衣を整え、温泉に向かう。朝の温泉は私の貸し切りで、いや、昨日の夕方も貸し切りだった。そもそもこの旅館で私以外の宿泊客の姿を一度も目にすることはなかった。良いところなのに。

湯の花の舞う温泉から上がり、部屋の布団で浴衣のままグダグダしていると、じき朝食の時間になる。もちろん朝食も部屋出しだ。

 

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ふだん私は朝食に白米を食べない。白米を食べないならパン派なのか、と問われるかも知れないが、パンも食べない。日常の私は朝食をあるかなきかの少量で済ませているものだから、(僅かな草とソーセージ、あとは卵を炒めたもの、)こうして朝から白米を食べていると、普段とは違う胃の満足感のうちに旅の実感がいよいよ増して、こんなに嬉しいことをしていて良いのかと不安にすらなってくる。鮭で白米を食べながら、ときおり味噌汁をすする朝食は、どうしてこんなに美味いのか。魂に水をやるような心地だった。

9時半ごろに宿をチェックアウトした。鳴子御殿湯から新庄を経由し、そこからバスで肘折温泉へと向かう。

 

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新庄にはバスの乗り換えと昼食のため、三時間ほど滞在した。別段書くべきこともないが、天気が良くて風も無いからまだ四月なのに妙に暑かったのと、すれ違う人がみな色白だったのを覚えている。

 

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昼食は駅前の食堂で摂った。居住まいに惹かれて何となく入った食堂で、あまり流行っていないのか、私が入店したときには旅行客が一人いるきりだった。そうしてかれもすぐに店を出た。ひとりぼっちで取り残された食堂の、壁のメニューで何となく目についたマーボーラーメンを食べながら、これも別にどうというわけでもなくて、ただこうやって昼下がりの空いた食堂でひとりラーメンを啜っていると、いかにも旅の心地になる。テレビはくだらないバラエティ番組を垂れ流し、入り口の開け放された引き戸からは涼しい風が入ってくるわけでもなく、それでいてどういうわけだかそこに居るのが苦痛ではない。苦痛ではないどころか妙な満足感すら伴っていて、要するにあれは旅のひとつの形態だった。温泉に浸かって心身ともにほぐすのも、旅館の飯を良い気分で飲み食いするのも、旅のひとつの側面に他ならないが、ああやって昼下がりの駅前の空いた食堂でひとり、何てことないラーメンを汗をかきつつ啜っているのも、紛れもない旅の一面である。貧乏旅行じみた、旅のそういった側面を今のうちにもっと味わっておくべきかも知れない。歳をとっても温泉旅行は楽しめるだろうが、旅先の閑散とした食堂でどうというわけでもないラーメンを啜っている、あの妙に嬉しい感覚は、歳を重ねるたび薄れていってしまうことだろう。

13時45分新庄駅前発のバスに乗って、肘折温泉へと向かう。バスは駅の近辺をしばらく走り、それから、道路、集落、川を越え、山のなかへと入ってゆく。肘折温泉へ向かう乗客は多く、座り損ねた乗客こそ居なかったものの、あと二、三人増えれば一時間弱の旅路を誰かが立って我慢することになっただろう。ただ、バスの車内の客層を見るに、肘折温泉は若者には人気でないようで、それがひとつの幸いではあった。旅先に、殊に今日行くような山奥の温泉地に、若者の集団は少なければ少ないほど良い。

山道をひた走るバスから車窓を眺めていると、あるとき谷間に集落が見える。それが肘折温泉だ。

 

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(肘折温泉遠景。帰りのバスの車内より撮影。)

 

ジェットコースターの足場のような造りの道路をバスは下ってゆきながら、私の期待は高まるばかりだった。交通の便の悪い山奥の温泉地に泊まるのは、私のひとつの憧れであった。空中の道路から陸地に降り立ったバスは温泉街内部の細い路地を縫うように走り、

 

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この景観を目にした途端、居ても立っても居られなくなり、次のバス停で私は下車した。本当は終点まで乗り通すつもりが、こうやっていかにも温泉地じみた素晴らしい路地を見せられてしまえば、他にどうしようもありはしない。一刻も早くこの温泉街を肌で感じたかった。

もっと閑散とした温泉地を想像していたが、存外に観光客の姿があった。観光客が居たとは言っても、鎌倉や京都の気が狂ったような不愉快極まる人混みとは比べものにならず、単に観光客用の店が何軒か開いていて、それぞれの店に冷やかしやら買い物やらの観光客が一組、二組ほど居る程度の、要するに、寂しくはない程度に人が居る、(私にとっては)ちょうど良い程度の人の数だった。日本酒の飲み比べコーナーとかいうご機嫌なものも目にしたが、ほとんど満席であったうえに、出来上がっている連中のところにひとりで混じる度胸はなく、断念した。

 

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中央の路地をひとつ抜ければ川が流れている。すこし暖かすぎるような春の日に、温泉地や川沿いをブラブラと散歩し、15時にはその日の宿にチェックインした。

(余談:東鳴子温泉が一人でも居心地が良かったのに対し、肘折温泉では一人で居るのが妙に寂しかった。景観や温泉地の雰囲気で言えば肘折温泉が好ましかったが、どういうわけだか昨日のように心の底から満足というわけにはいかなかった。こんな温泉地を旅先に選ぶ趣味の良い若いアベックや、ご機嫌に飲んで騒いでいる中年連中を目にしてしまったせいかもしれず、羨ましさを引きずったまま湯に浸かってため息をつき、……だが、一人であろうが何であろうが、温泉は良い。ただ、連れ立って温泉に行く間柄の誰かがあれば、旅の時間はもっと素晴らしいものとなるのかも知れない。そうしてそんな私の願いは決して叶うことがない。)

 

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湯に浸かって部屋で休み、また別の湯に浸かって部屋で休めば、晩飯の時間になっている。部屋出しの食事でないのは残念だが、温泉のあとにこうやって美味い飯を食べるのは良いもので、ビールと日本酒を追加で頼んだ。スロットを打てば平気で一万や二万は負けるのに、旅先の千円二千円を惜しむのは馬鹿らしい。食事処は大広間のような所で、客室ごとに仕切りで区切られてはいるものの、ざわめきのなか一人きりの客は私ばかりで、美味い飯と美味い酒を飲みながら、やはり、寂しかった。

 

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食後、酔い覚ましも兼ねて散歩に出た。温泉地の時間による風景の移ろいを見るのは楽しい。ほとんどの店が閉まっているせいか、温泉客の姿もない。ごうごうと音を立てて流れる川の響きが昼よりも一層大きかった。

こんな旅だけをして生涯を終えたかった。しかしこんな旅だけをして生きてゆける身分に私は生涯なれないだろうし、二日後の火曜日からはまた仕事で、……と、こうやって旅先の私までをも日常はしきりに追い立てる。寂しさに加えて労働までもが私を追い詰めてくるものだから、ほんとうに、勘弁してほしかった。

 

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その後、旅館に戻ってもう一度温泉に入り、買っておいた日本酒を飲んだ。冷やの日本酒を飲むためにグラスを借りるのも億劫で、部屋の湯呑みを使って飲んだ。二日間のうちに何度も湯船に浸かったから、身体がひどく疲れていて、飲み終わるなりさっさと眠った。

 

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翌朝六時に目が覚めた。ひとっ風呂浴び、浴衣のまま外に出る。朝市のにぎわいを抜けて、昨日のうちに見つけておいた『足湯』の看板の先に行く。こんなお天気の朝から足湯に入れたらさぞ良い気分だろうと徒歩数分、砂利道を越えて足湯に着くと、お湯が張られていなかった。ヘヘッと笑い、砂利道を引き返す。そのまま帰るのも癪だったから、川沿いを散歩したのち宿に戻った。桜が葉桜になりつつあった。

 

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朝食である。大広間のそこかしこから「量が多いね」の声が聞こえる。言われてみれば朝食にしては量が多く、白飯を一度おかわりすると腹が一杯になった。

九時には旅館をチェックアウトし、(paypayが使えたのでpaypayで支払った、)新庄へ戻るバスを待つ。一番混む時間帯ですから出来れば始発のバス停から乗ったほうがよろしいですよ、とのアドバイスを旅館の人から受け、それならと始発のバス停まで歩いてゆく。来たバスに一番乗りで私は乗車し、或いは立ち客も出るのではと思っていたところ、結局昨日の行きのバスよりも空いていた。明日は祝日だから誰も彼もみなもう一泊してゆくのだろう。私もそうすれば良かった。

(実際、新庄で新幹線に乗るまでのあいだ、どこかでもう一泊しようかと私は本気で悩んでいた。翌日の新幹線について調べると、空席は有り余っているようだし、今日の新幹線のキャンセル料も大した額にはならないだろう。だが結局面倒臭さのほうが優って、予定通りの新幹線に乗車した。)

 

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新庄で何時間か時間を潰して、帰りの新幹線に乗った。新庄から上野へ帰る新幹線は嘘のように空いていて、ビールのプルタブを引き上げる音が車内に響くようだった。冷えた駅弁をビールと一緒に食べながら、食べ終わってうたた寝スマホをいじっているうちに、新幹線は東京のほうへと近づいてゆき、三時間半ほどで上野に着いた。

ものうさと懈怠のうちに終わる以外の旅の結末を私は知らない。

 

二泊三日の私の旅は、瞬きのうちに終わってしまった。じきにまたどこかへ行きたい。出来れば今度は寂しさの果てなむ国へと向かいたい。二日目の肘折温泉の私は、あんなに素敵な温泉地に居ながら、あんまりにも惨めなひとりきりだった。どこもかしこも寂しさを痛感させる旅先ばかりではないだろう。少なくとも惨めではない旅先に行ければと思うが、しかしこういった御託はどうだって良い。とにかくまた、近いうちに旅に出たい。

市役所経由のバス(掌篇)

『市役所前』でバスは停まらなかった。

冬の朝だった。足元のヒーターと晴れた日差しで温まった、いつもどおりのバスの車内の、しかし誰ひとりとして『市役所前』で降車ボタンを押しはしなかった。車掌は「市役所前、通過します」と低く告げ、そうして私が降り立つべきバス停は横目にとおく過ぎ去った。

数ヶ月前から、或いはそれよりももっと前から、労働の日々がひどく億劫だった。職場の前でバスを降りることすらひとつの気苦労に他ならず、『誰かが降車ボタンを押してくれるんなら仕方がないから仕事へ行くし、誰もボタンを押さないならばそれはそれで構やしない、いっそそのままどこまでも』、と、付き合いの長い一種の破滅願望を抱きつつ座っていたら、今朝ついに誰も降車ボタンを押さなかった。

とうとう職場のバス停を無視して、それで何の感慨もなかった。ボンヤリと車内へ目を向けると、(空席の目立つ下りのバス、)『市役所前』が目的地である筈の見慣れた後ろ姿がそこここにあって、スーツやらオフィスカジュアルの彼らがしかし、一体何を考えているのか、私にはまるでわかりはせず、或いは私のように労働がうっすらと厭になっちまって久しいのかもしれない。茫漠とした気だるさの連帯したようなバスの車内で、ただ唯一、今年の春からこのバスで通勤しはじめたらしい新入職員の茶髪だけはキョロキョロと、かき回すように辺りを見まわしていた。(彼だけは未だ生活に押しつぶされていないようだった。)

振り返った茶髪は私の視線を捕まえると、食いつくように、

「あの、今日なんかあるんですか。どうして誰も市役所前で降りないんですか?」

と訊ねた。(バスの車内だというのに、ずいぶんよく通る声だった。)

とくに何があるわけでもない、ふつうの平日だよ、と彼に告げると、

「じゃあどうして先輩は、……同期じゃないから先輩ですよね?、先輩はどうして降りないんですか。いや、先輩どころか、皆さんどうして降りないんですか」

私もそうだけれど、きみはどうして市役所前で降車ボタンを押さなかったの。

「……恥ずかしながらおれは、自分でバスの降車ボタンを押したことがないんです。帰りもいつも駅まで乗るから」

それなら今から降車ボタンを押せば良い。つぎのバス停で降りれば、定時には間に合うんじゃないかな。スマホも持っているんでしょう?

私がそう言うと茶髪は一瞬逡巡したのちに、エイヤ、と降車ボタンを押した。「次、止まります」と車掌は告げ、じき『本町外れ』に停車した。

茶髪はバスを降りる直前、料金箱でicカード決済を済ませたあと、私のほうをクルリと見返し、「先輩は降りないんですか!」と大声で言った。私は彼にヒラヒラと手を振って、加えて車掌も「発車しますから早く降りてください」とやってくれたものだから、すごすごと茶髪は降り立って、バスはふたたび発車した。(茶髪は降車するや否や、スマホを片手に進路とは逆方向へと走っていった。)

……今やバスは市街地からとおく離れつつあった。次は坂下、次は浅間神社前、と、誰も降りないバス停を次々と通過しながら、対向車すらあまり無いような道だった。深山とかいうバス停で、背中の曲がった老婆がひとり降りていった。それでまたバスは発車した。

倦怠以外の何物でもなかった。誰も新しく乗り込まず、ほとんど誰ひとりとして途中で降りやしないその車内で揺られているのはきっと、私のようにどうにも日々が億劫になったせいで、ついぞ降車ランプを押せなくなってしまった勤め人どもの群れだった。終点まで揺られる早朝の亡霊。今さら降車ボタンが何だというのか。

早朝の実感が薄れてきたころ、バスは海沿いの道へと抜けた。始発のバス停からの運賃は優に二千円を超えていた。更にいくつかの停留所を無視してから、バスは海岸前で停車した。

亡霊の旅路は終わった。終点に着いてドアが開き、しかしすぐには誰も降車しようとはしなかった。しびれを切らした車掌が『終点です、降りてください』とアナウンスするに至ってようやく、思い出したように皆ポツポツと下車していった。

海岸のバス停に吐き出された私たちは、ゆっくりと、ひとりずつバラバラに散っていった。誰にも行くあては無いようで、また誰ひとりとして口を開こうとはしなかった。私は道路沿いをすこし歩いて堤防を上り、海へ向かって腰掛けた。

スマホを見ると、着信が5件とsmsが3通入っている。いずれも職場からだった。私は、……もし私が痛快なフィクションか何かの主人公ならば、このまま携帯を折ってしまって、そのまま海へと放擲するだろうと思った。それで私は携帯を海へ捨てることも出来ず、かと言って職場へ電話をかける気にもならなかった。

目の前には海があって、時間は未だ朝だった。……何をする気にもなれない私は、しばらくはただ海を眺めているほかなかった。