かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

市役所経由のバス(掌篇)

『市役所前』でバスは停まらなかった。 冬の朝だった。足元のヒーターと晴れた日差しで温まった、いつもどおりのバスの車内の、しかし誰ひとりとして『市役所前』で降車ボタンを押しはしなかった。車掌は「市役所前、通過します」と低く告げ、そうして私が降…

悪趣味な遊び(掌篇)

エッちゃんとサチがいつものように通りすがりの中年おやじを馬鹿にして遊んでいると、とうとう一人の逆鱗に触れた。そいつだって最初はほかの気弱な中年連中と同様に、私たちみたいな生意気な女子高生になす術もなく、怯えたように歩き去ってゆくばかりだっ…

盲腸で入院した話(随筆)

つくづく自分がなるとは思いもしなかったものにおれはずっとなり続けている。こんなにも惨めな25歳になっちまうとは思っていなかったし、公僕として働くことになるとも思っていなかった。いわんやこのあいだのように盲腸で入院することなんて想像だにしてい…

新入職員は なきごえを おぼえた!(随筆)

労働者になって早や六ヶ月目である。私が労働者としてやっていけていることを私自身、未だに信じられずにいる。スーツを着て家を出るたび、何か悪い冗談のような気分で街を歩いているが、どうやらこれは冗談でも何でもないらしい。まったく勘弁してくれよと…

北海道を一週間旅した話(紀行文)

カネが無くて呻いていた。 旅行へ出発する半月ほど前、一月末の無職の私は、どこへ行くことも何をすることもできずにいた。現金の持ち合わせがまるで無かったのである。四月からの労働者生活が始まるまえのラスト・モラトリアムたる貴重な期間、値千金たる時…

海とユータナジー(小説)

誰しも、心穏やかに過ごした生涯の一時期をひっそりと胸中に抱いているものだ。それはたとえば、ひたすらに落書きをして過ごした夕方の留守番のひとときであったり、或いは風邪を引いて学校を休んだ昼下りの家の透き通るような静けさの思い出であるかもしれ…

拝啓ファム・ファタル(下)

前半はこちら https://fog.hatenablog.jp/entry/2022/09/07/171459 * あなたはもう気がついているだろうか。私の視野は彼女に向けて急速に狭まりつつあった。きっとあなたは気がついているだろう。いま、これを読みながら、あなたは私の語りかたの変化に違…

拝啓ファム・ファタル(上)

私と彼女の逃避行およびその顛末について書いていこうと思う。あなたもきっと気に入ってくれるだろう。だが、なにぶん私は文章を書き慣れていないから、調子が出るまで読みづらいかもしれない。どうか我慢してほしい。実際私はどこから書き始めればよいのか…

ニートニンゲンの歌(日記)

*五月二十四日 今日から日記をつけはじめることにした。五月二十四日、中途半端な日で、日記をはじめるのに丁度いい日だと思う。これが月初めや年の初めだったりすると、鹿爪らしくてやりきれない。一月一日から四日間日記を続けるのと、五月二十四日から二…

高等遊民ごっこ(雑記)

何もしたくないから何もしない生活を送っている。学業も就職活動もアルバイトもしていない。それで何をしているのかといえば、本を読み散歩をして酒を飲み眠るだけの生活をしている。こんな生活は何もしていないに等しいから、畢竟私は何もしていない。(高等…

最後のお散歩の追想(随筆)

明日には出ていくこの街の、今日は最後の散歩をした。朝の十時ごろから始めて、一旦家に戻り、ふたたび十四時前まで歩いたから、大体三時間は歩いていた。 歩いた時間なんてどうでも良い。私が書き残したいのは散歩に伴う心象のほうだ。五年居たこの街を、大…

最後の退屈(随筆)

いま私が送る日々は擦り切れた反復から成っている。 一冊の本がある。どのページも同一の文字列から成っている。この本を読むなら最初のページに目を通すだけで充分だ、二ページ目以降は最初のページの引き写しに過ぎないのだから。わざわざ何度もページを捲…

この街の深夜が好きだという話(随筆)

訳あって五年ほど学生として札幌の街に暮らしている。『訳あって』なんてわざわざ断るまでもないが、要するに、私は五年間、大学生としてこの街に暮らしている。出来が悪いから四年で大学を卒業できなかった。そんな留年無能大学生の繰り言として聞いてほし…

ラノベ風ナンセンス(掌編)

オレは冴羽緑雨、16歳。どこにでも居る普通の男子高校生だ。 ……不安だからもう一度言っておこうか? オレは冴羽緑雨、16歳。どこにでも居る普通の男子高校生だ。 ……念のため確認しておくが、「オレ」が「どこにでも居る」わけじゃないからな。先程の発話はそ…

スケッチ

賃貸でタバコを吸っていると妙な具合に唾が分泌されるから、排水口に吐き出しながら吸っていると、あるとき失敗して、シンクの淵まで飛んでった。さみしくて、笑った。 灰皿にタバコを揉み消すと千々の火種が手持ち花火のように懐かしい。 外は月夜で三日月…

居酒屋の男と女(短編)

舞台背景を素描しなければならない。手短にやろう。 平日の夜の居酒屋。混み合っているが満員ではない。シラフで居ればうるさいが、酔いが回れば心地良く聞き流せる程度のざわめきである。酔っ払いばかりだが度を超えて騒ぐ輩は一人も居ない。不愉快な大学生…

包丁(掌編)

「しかしその、おれはキミドリのファーストアルバムを聴いてそれほど感銘を受けなかったわけだが、いやはっきり言って、はっきり言っても構わないね?いやそのつまり、君の感性を疑ったね。もっと音楽として構築すべき世界観というか、わかるだろう、もっと…

煙草を喫う(掌編)

『幼女と煙草』という小説を読んでひさびさに煙草を吸いたくなった。実家ではさておき、一人暮らしのこのアパートで私の喫煙を止める者は居ない。なので吸うことにした。 戸棚に隠すようにしてしまってある灰皿とライターと、煙草を一本取り出して、キッチン…

四国を一週間旅した話(紀行文)

むかしの旅の話をしようと思う。 なぜむかしの旅の話をするのか?それは私の未来が真っ暗であるから、せめて明るい思い出にあやかろうとしてのことである。モラトリアムの終焉をすぐそこに控えた私はもう、ふたたび気楽に旅を出来る身分にはなり得ないだろう…

就活で書いた作文です(随筆)

ままなりませんね、就活。ほんとうにもう、如何ともしがたい。とくに面接が駄目、まったく駄目、一次面接をこれまでに一回も突破できていない。わたくしの就活は一次面接すら突破できずに終わるんではないでしょうか。そうしたら一体どうするんでしょうね。…

日々の澱(随筆)

風光明媚に惹かれて入った大学に所属してはや五年目になるが未だにその構内をのんびり散策したことすら無かった。大学構内の散歩はかねてより私の望むところのものではあったが、まァそんなことはいつでも出来るサ、なんて懈怠がうそぶいて、いつまでも引き…

下馬評的エヴァ評(評論?)

アメリカで映画『アバター』が公開された際、映画内で描写される光景のあまりの美しさと、自身の日常生活の平凡さとの間のギャップに耐えられず、観賞後抑うつ状態に落ち入る人が相次いだという。「抑うつ状態」だなんて少々大げさであるような気もするが、…

物書きの先生と私(掌編)

原稿用紙の前で懐手をしてウンウン唸っていた先生は、おもむろに唸るのをやめると、散歩に行ってきます、と言って立ち上がり、外に出る準備をしはじめた。以前いちど先生の散歩を許したとき、そのまましばらく雲隠れを決め込まれたことがあって、そのときは…

電気ちょうちょと自動カナブン(掌編)

帰りの会の、『先生のおはなし』の時間になると、先生はプリントを配りながら、ニコニコして言いはじめた。 「来月の図工の時間から、『機械じかけの生きものたち』の単元をはじめますよ。いま回しているプリントに書かれている、どちらの生きものをつくるか…

自分語り(随筆)

自分語りなんてものはまったく、語る側からしてみれば楽しいのかもしれないが、聴く方からしてみればこれほどつまらないものはなくて、とくにそれを語っているのが聞き手にとって大して興味のない人間だったならば尚更のこと、くわえてその語りぶりが冗長極…

日常最終日(掌編)

殺人事件のニュースのあとは地球滅亡のニュースだった。どうやら今夜の十二時ちょうどに、一瞬で地球は終わるらしい。 そのニュースがテレビから流れたときに僕ら家族の三人は、テーブル囲んで朝ごはんを食べていた。誰も言葉を発さなかった。箸と食器だけが…

或る晩(掌編)

マンションの一戸のあるじの部屋に、来客を告げるチャイムが鳴った。こんな夜中にいったい誰がと思いつつ玄関のドアを開けると、すぐそこに男が土下座していた。彼は言った。 「大変申し訳ないです」 あるじは目を閉じ、ふたたび目をひらいた。やはりそこに…

置き文(掌編)

夢中になって橋の欄干にぐるぐるとロープを固く結びつけていると、いつの間にか後ろにランドセル背負った女の子が立っていて、おれのことをじっと見つめていた。おれはそれにしばらく気がつかなくて、自分の作業をひととおり仕上げてふぅと息をつき、何とな…

雑記(2020/11/24)

まだほんの小さい頃のある一日のある朝の、朝と言ってもまだ陽が地平線の下にあるそんな時間に目が覚めて、と言うのも物音がしたからそのために目を覚ましたわけなのだけど、物音の方に目を向けるとその物音は私の父が釣具を携えて今にも家から出ていこうと…

童話まがい(掌編)

沈黙は金、などと言いましたが、そんな美意識はとうの昔に腐り落ちて無くなってしまったのです。 とても煩(うるさ)い街にひとりの男の子がおりました。巨(おお)きな目をしたふわふわの栗毛の可愛らしい少年で、吃(ども)りを持っていましたから喋るのは苦手で…