かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

童話まがい(掌編)

沈黙は金、などと言いましたが、そんな美意識はとうの昔に腐り落ちて無くなってしまったのです。

 

とても煩(うるさ)い街にひとりの男の子がおりました。巨(おお)きな目をしたふわふわの栗毛の可愛らしい少年で、吃(ども)りを持っていましたから喋るのは苦手でしたが、奇麗(きれい)な顔をくしゃりと笑うようすは天使の子のようで、それを見た人びとは一しゅん、まるでじぶんが聾(ろう)で唖(おし)になったかのように感銘いたします。雨の日になると男の子は窓に伝(つた)う雨つぶを、どんぐりのようなクリクリとした眼(まなこ)で静かに、いつまでも眺めておりました。

この男の子はたいへんに可愛らしかったのですがいつまで経っても可愛らしい、純真でちいさい男の子の儘(まま)でしたから、男の子の両親は困ってしまいました。私たちが丈夫なうちは良いが、ずっとこんなふうだったならばどうにもならない。そこで男の子の両親は男の子に本を読ませることにしました。晴れの日には工場の裏の空き地で蝶々(ちょうちょ)を追って遊んでいた男の子は、日がな机に向かい、まずはひらがなの書き取りからはじめました。

そのうちに男の子の両親は、男の子に作文をたくさん書かせました。おまえは吃(ども)りでうまく喋れないのだから、文章で思ったことを伝えられるようにならねばいけない。そう言って男の子に作文をたくさん書かせました。

そうやって暫(しばら)くすると、男の子はじぶんで本を読めるようになり、作文もたいへん巧(うま)くなりました。男の子の巨(おお)きかった目はちいさく、視力は悪くなり、いつしか眼鏡をかけるようになりました。会うひとみなを感銘させたくしゃりとした笑顔はどことなく強張(こわば)ったものとなり、ふんわりとしていた頬(ほほ)は落ち窪(くぼ)んでいました。男の子はもはやあの可愛らしい少年ではなく、その街でよく見かける蒼白(あおじろ)い青年になっていました。

男の子だった青年はいつしか大学に通(かよ)いはじめました。いつかは小説家になりたいと言います。

青年の通(かよ)う大学の鐘がリンゴンと鳴り正午を告げますが、その音は雑踏(ざっとう)や工場のサイレンにかき消されます。いや、鐘も雑踏も工場のサイレンもみな、ひとまとまりの煩(うるさ)さでしかありませんでした。