かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

新入職員は なきごえを おぼえた!(随筆)

労働者になって早や六ヶ月目である。私が労働者としてやっていけていることを私自身、未だに信じられずにいる。スーツを着て家を出るたび、何か悪い冗談のような気分で街を歩いているが、どうやらこれは冗談でも何でもないらしい。まったく勘弁してくれよと思う。

さてところで、私は労働者になって以来一度も泣いていない。上に書いたような泣き言こそはしょっちゅう口にするものの、私生活や労働に際して涙を流したくなるような局面には(幸いにも!)これまで一度も直面しておらず、とは言っても近ごろは日曜日の夜が来るたび眠れない日が続いている。たった二日間程度の息継ぎじみた休息では、来たる五連勤の溺れるような絶望を癒せるはずもなく、ソリの合わない上司との避けがたいコミュニケーションに対する不愉快が、安逸な睡眠から私をとおく隔てて、日曜日が来るたび私は決まって眠れずに、いや、日曜日だけではない、労働に起因するこんな類の不眠が、近ごろは日曜日以前の夜にすら侵食してくるようになってしまった。(とくにここ二、三週間の私は、土曜日はおろか、本来喜びの晩である筈の金曜日の夜のうちから早くも日曜日の終わりを予見して眠れないようになってしまった。シラフで目が覚めている時間なんて短ければ短いほど良いというのに、こんな仕打ち、あんまりじゃないか!) 

こういう類の不眠は単に休日の絶望を煽るのみに留まらず、平日の労働にも着実に影響を及ぼして、……だが、ここで私がしたいのは不眠の話ではない。不眠の話だってしようと思えばいくらでも出来るが、こんなのは気が滅入るばかりで宜しくない。もうすこし気楽な話をしよう。

 

休日にときおり会っている気の置けない友人に仕事の泣き言を言いつつも、しかし実際に涙を流すことはなく、土曜日も日曜日もアッという間に明けてゆき、不眠を伴った苦痛の幕開け、月曜日の朝が来るたびに、勘弁してくれと思いつつどうしようもない労働に従事する、そんな不愉快な労働者生活の連続のさなか、私は『鳴き声』を習得した。

この記事のタイトルの『なきごえ』は『泣き声』ではなく『鳴き声』である。

今から私は、私の鳴き声の話をする。

高校の部活や大学のサークルといった、"成熟した"人間が集うコミュニティに所属する人間はある種の『鳴き声』を自明の道具として習得し活用しているものだが、中学の陸上部以来あらゆるコミュニティに背を向けたまま、ほとんどの交友関係の網からも抜け落ちて、やることといえば狂ったように散歩をするか、天井のシミを数えるかくらいしかしてこなかった私のような人間にとって、『鳴き声』を習得すること、もとい『鳴き声』の存在やその活用の余地を知覚することがそもそもひとつの苦労であった。(もっとも、一度その鳴き声の存在と使用可能な局面を理解すれば、鳴き声を使用することにさしたる苦労は伴わない。とはいえ鳴き声も言語使用の一環だから、習熟には一定の練習が不可欠である。)

鳴き声という表現でピンとこない諸氏については、以下のような状況を考えてみてほしい。

 

1、出勤後一度挨拶を交わした先輩職員と、数分後に給湯室でバッタリ会ってしまったとき。先輩職員は「おお、」とだけ言う。こちらも何か言葉を返さねばならない。

1、廊下で他の職員(お互いに若く、面識が皆無)とすれ違った際の、最も簡略化された挨拶。向こうは「…ッス」と言う。こちらも何か言わないわけにはいかない。

1、供覧の書類が私の所へ回ってくる。隣の係の先輩職員が、何やら言葉にならない発話を伴って、私のもとへ書類を置く。私も何か言葉にならない発話でもってこれに応える必要がある。

 

以上の状況、すべてが鳴き声の出番である。私が今よりもなお新入職員だった時分、こんなシチュエーションに遭遇するたび、とっさにうまい返事が思い浮かばず、どうしようもなくテンパっちまって、トンチンカンな返事をしたり、不用意に口籠もることだって頻繁で、みずからの社会性の低さについて鬱々と思い悩む羽目になっていたが、何のことはない、ぜんぶ鳴き声を発しておけば良かったのだ。だれひとり、鳴き声の応酬にスムーズさ以外のものを求めていやしないのだから。

鳴き声の最も簡略化した形、それは「…ッス」といった発音で、単に歯の隙間から息を吐くだけで事足りる。もっともこれはいささか簡略に過ぎるから、目上の人間に頻発するのは避けられたい。鳴き声でももう少しだけ正式なもの、それは口腔内ですこし音を籠らせたあとに「ます」という言葉だけをハッキリと発話したもので、これは非常に汎用性が高い。朝、いちど挨拶を交わしたか定かではない相手としばらくしてすれ違った時などにも使えるから、便利なことこの上ない。「ます」の前のうまく聞き取れない部分については、相手が勝手に補完してくれるか、或いはそういう鳴き声として理解してくれていることだろう。畢竟、鳴き声さえ発していれば大抵のコミュニケーションは何とかなるようだ。

 

……とおいむかし、子供のころ、ポケモンをやっていた時分、『なきごえ』はたしか、相手のステータスを下げる技だったと記憶している。今わたしは大人になり、労働者として生活しながら、鳴き声を日に何度も発しつつ、しかし摩耗してゆくのは自分ばかりで、鳴き声を発し、鳴き声を発し、頭を下げて、時間になれば家に帰り、そしてまた翌朝になれば職場に行って鳴き声を出す日々を送っている。

こうやって鳴き声でコミュニケーションを誤魔化すうだつの上がらない大人になることを、かつての自分はきっと想像だにしていなかっただろう。

若かりしころの自分、嬉々としてポケモンで遊んでいたころの、小生意気な、将来に希望を抱いていた頃の自分。

しかしそんな小生意気な子供だって、今やこんなにもみっともない、泣き言や鳴き声ばかりを繰り返す大人に成り下がっちまっている。まったく、ざまあねえな、と思う。