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小学校の四年生のころ、細長くて軽い鉄の棒を一本、持って帰ろうとしたことがある。
当時の友人(、当時は私にも友人が居た)と探検ごっこ、街の外れのちいさな廃工場へ、その片隅に転がっていた、みすぼらしいそれは、茶色く錆びてぼろぼろな、只の鉄の棒だったが、しかし、どういうわけだか、妙に私の気に入って、家に持って帰り、自分の部屋に飾っておこうと思ったものの、当然、私の家の敷居をまたぐ事なく、私の母が言うことには、「そんな汚い棒切れはどこかに捨てていらっしゃい!」、しかしどこか遠くに捨ててしまうのも惜しかったから、近所の空き地の片隅に、刺しておいた。
それから数年後の或る夏の日に、ひさびさにその空き地に足を踏み入れた。(と言うのも、私はそれきり、汚い鉄の棒のことなど忘れ去っていたからで、久し振りに空き地に赴いてみたのも、まったくの気まぐれを起こしてだった。)すると、朝顔の花が一輪、私がとおい昔に刺しておいた鉄骨に巻きついて、むらさきいろに咲いていた。(年月を経てますますみすぼらしく赤茶けて錆びている鉄の棒に、瑞々しい翠の茎が巻きついて、そのてっぺんには、澄んだむらさきいろの、愛らしい花。)
それを見て、私はなんだか妙に厭な心もちがして、朝顔を丁寧に外し、それから鉄の棒を引き抜いた。鉄の棒は放り投げてどこかへやってしまい、朝顔は支えを失くしてへたりと地面によろけ、静止した。朝顔が不憫だったから、私は家からよくわからないプラスチックの棒を一本持ってきて、朝顔をそれに巻きつけた。
翌朝、ふたたび空き地に赴いて朝顔を見ると、プラスチックの棒に巻きつきなんの変わりもなく咲いていて、朝顔のとおく、空き地の隅の更に隅、みすぼらしい鉄の棒が落ちている。
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私なんぞを気に入って、親しくしてくれた女性が居た。うつくしいひとだった。
大学の講義で隣に座っていて、それをきっかけに顔見知りになった。その頃には私は狷介が長じて、人と仲良くなる方法なんてとうに忘れ去り、いつだって一人きりで居たのだが、ひとりきり講義を受けている私に、学食の端でパンをもそもそと咥えている私に、いつだって彼女は、私を見ると、笑って、駆けつけてくれた。
私はしかし、そのころにはもはやどうしようもない人間だったから、彼女の好意を無下にして、うすぼんやりと黙り込んで、彼女と私のあいだには不気味な沈黙のヴェールが被さった。学食の隅、喫茶店の端、私と彼女は殆ど喋らずに数十分も向き合って、彼女は恥じるように微笑み、だけれど彼女は、ひとりの私を見かけると、いつも決まって駆けよって、話しかけに来た。
一遍、訊いてみたことがある。
「どうして私なんかと仲良くしてくれるんですか、私と居ても、堪らないでしょう」
「私、サークルとか、ゼミとかに、うっかりと入り損ねて、両親はバイトも赦してくれずに、それでね…」
そう言って彼女は、恥じ入るように微笑む。
沈黙のヴェールに包まれた或る日、もうどうしようもなくなって、私は彼女に、私の知り合い、同じ大学に居るそれの、連絡先を教えてしまった。彼は話も上手くて、私と彼は、スッポンと、月。
「彼は同じ大学だから、そうして気配りの出来る男だから、いちど、会って話をしてみると良い。私なぞよりは、よっぽど、…」
それ以来、彼女とは口をきいていない。
廊下や学食ですれ違ったり視線がぶつかったりすると、決まって彼女が、視線を避ける。
私は完全に、ひとりになった。
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或る冬の日、空き地にみたび、赴くと、そこはもう空き地ではなく、工事現場になっていた。
ビルを建てるらしい。
私のあの鉄の棒は、きっと、どこかとおくへ棄てられてしまったのだろう。
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鴨居に紐を通し、椅子の上に立ち、紐を首にとおす。あとは椅子を蹴るだけだ。
あれきり見ていないが、朝顔は綺麗に咲いたことだろう。みすぼらしい鉄の棒は、どこかとおくへ、捨てられたろう。