かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

桜並木の終わりで(掌編)

「やあ、桜が咲いてらあ」

「あラ本当ね、こないだ見たときは未だ蕾だったのに」

「あア、綺麗だ…」

「ええ…」

「……しかし、早いもんだね、お前はもう、大学の、ええと、三回生か。そろそろ社会人の仲間入りさね、おれは大学に行っていないから知らないが、今の時期は、インターンや語学の勉強やら、やっているのかい?」

「…ええ、そうね…、あたしは未だ、なにも…、やらなくちゃいけないのは、わかっているけど…」

「おいおい、ちゃんと考えなくちゃあ駄目だよ、なあ?これからお前も、社会に出て働かなくちゃならないんだから。それに、結婚も育児も頭の片隅に入れておかなきゃいけないのだよ。生きていくうえでは、そういったことも考えながら、生きてゆかなくてはいけないのだから、…おいおい、大丈夫か?」

「大丈夫です、すこし桜に見とれてしまって…叔父さんの言うとおり、そのとおりだと思います」

「だろう?まあ、頑張って生きてゆきなよ。この先は辛いことばかりだろうが、ほら、政治もこんなんだし、おまえの容姿も、ええと、今の時代こういうのも迂闊には言えやしないが、おまえはもののわかる子だろう、ほら、な?おまえの見てくれは、そんなには良くはないし、だが、そのぶん、家事や、あるいは仕事で稼いだり、何故って、生きてゆかねばならないのだから…」

「…ねえ叔父さん?たとえばの話しだけれど、汽車、走っている汽車の、石炭が無くなっちまったら、その汽車はどうなりますか?」

「どうなるって…、そりゃ止まってしまうだろう…」

「そうですよね…、じゃ、その汽車はほんらいとおくへ向かう筈だったのだけれど、線路のさきの駅はひどい嵐だって電報が入ったの。それで、おりわるく、いや、ちょうどよく、石炭も切れちまっていて、荒野の真ん中で、立ち往生しているの。乗客は、数人しか乗っていなくて、何も知らない乗客は、無責任に、いらいらしながらこう考えるんです。『何をちんたらしているんだ、はやく進め、どこまでも進んでゆけ!』」

「……おれは頭が悪いから、おまえの言いたいことはわからないが、…とにかく、おれは、いや、おまえは、就職だとか結婚だとかを、頑張っていかなければいけないよ。わかるね?」

「ええ、わかります」

「よし、利巧だ」

「……」

「…それじゃあこの辺でお別れしようか、今度はおまえが就職したころ、あるいは結婚したころにでも会おうな。頑張れよ…」

「さよなら、おじさん」

「ああ、さよなら」

 

桜並木が終わり、道が二手に分かれるところで、少女と彼女の叔父は別れた。叔父は右の道、閑静な住宅街が広がる地区へと歩いていった。少女はその背中を見送りつつ、じぶんの行く道に向かって、しかし、もはや歩き出すことは出来なかった。

少女はしゃがみ込み、すすり泣きはじめる。前にも後ろにも、もちろん隣にも誰も居ない。少女は独り泣きじゃくりながら、荒野に取り残された汽車について考える。乗客のひとりが叫んでいる。『進め!ぼやぼやするな!進め!…』