かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

偽札つかい(掌編)

「いってしまえばあたしは、精巧な偽札をつくる、老獪な、海千山千の、そう、偽札つかいとでも言おうかしら。…たとえば、年月をその皺に刻んだ、風化しかけたおじいさんなの、あたしは。寡黙で、ちいさい、背中の曲がった、おじいさん。唐突に発狂して叫びながら踊り出しでもしないかぎり、だれにも注意を払われることのないような、けれど、その実、とてつもない食わせ物の詐欺師で、彼はよくカジノに行くの。そうして、カジノって、そこらじゅうに、スロットが山と置いてあって、あるいは単に、両替機でも構わないのだけれど、彼は、そのうちのひとつにしずかに座って、淡々とスロットを回しはじめる…」

 

彼女はいったん喋るのをやめ、コーヒーを飲む。閑散とした喫茶店の、私と彼女が向かい合って座る、昼下がりの、外は小雨が降っていて、私たちの沈黙のあいまには、『tomorrow never knows』が微かに流れている。

 

いま、店のそとの路地を、目に映えるような赤い雨傘をさした少女が横切った。少女のさす雨傘を眺めるともなく眺めながら、彼女は灰皿の煙草を持ち、一呼吸すると、ふたたび続ける。

 

「……それでね?その老人は勝ったり負けたり、いや、負けることのほうがおおくて、でも、勝っても負けても、おんなじようなようすでカジノを後にするの。つまりその、ポケットに手を突っ込んで、俯きがちな歩きかたで。

何故って、彼にとっては勝ち負けなんて重要でなくて、それは、彼がスロットマシーンに投入しているのは、彼が彼の家の地下室で、黙々と量産している、偽札なのだから。彼にとっていちばん緊張するのは、そうしていちばん嬉しいのは、じぶんのつくった偽札がスロットマシーンに飲まれていって、そうして、存在しない額面のクレジットが表示される、その瞬間なの。つまり、彼は、スロットマシーンを騙すことが出来た時点で、もう、申し分なく買っていて、それで、スロットマシーンは、それこそ無数に存在する…。彼は、必要なとき、あるいが気が向いたときにカジノに行って、そうして偽札を入れれば、ほんもののお金が、スロットマシーンから、好きなだけ出てくるの…。…ところで、もう雨はあがっているようね、あたし、行かなくちゃ。コーヒー奢ってくれてありがとう。あと、ほんのすこし、服を買うためのお金が必要で、あなたにそんな無心をするなんて、すこし気が咎めるけど…」

彼女が言い終わらないうちに、私は財布から札を数枚取り出すと、上目遣いで私を見つめる彼女に手渡した。彼女はそれを受け取ると、いつもありがとう!と小声で言い残し、稲妻のように店から飛び出していった。後に残された私は、永い昼下がりの喫茶店で、ぼんやりとする。まだ『tomorrow never knows』が流れ続けている。もう何回も繰り返されているような気がして、しかし、気のせいかもしれない…。

 

 

それからしばらくして、彼女の姿をテレビで頻繁に見かけるようになった。もともと彼女はとても美しかったから、それに話し方も巧みだから、テレビで一躍有名になることだって、簡単だったろう。

 

私は、ますますうつくしくなっている彼女の姿を、昼に、あるいは夜に、テレビで目にしながら、彼女と喫茶店で話したこと、会うたびにお金をせがまれたことを思い出して、しかし、それは、全く厭なことではなく、ただ、私と彼女は、ときおり、会って、話し、私は彼女にいくばくかのお金を手渡した。

 

…私は、彼女がテレビの中で微笑むのを見つめながら、いつか彼女が話してくれた偽札つかいに思いを巡らす。彼がスロットマシーンに入れた偽札は、…いや、スロットマシーン、スロットマシーンは、敢えてそれを、彼が投入する偽札を、偽札だと知っていながら受け取って、その暗闇の懐に、ぼんやりと光る幼少期の思い出といっしょくたにして、いつまでも取っておいているに違いない。