かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

東鳴子温泉と肘折温泉に行った話(紀行文)

 

旅先へスマートフォンを持ってゆかずに済むのならどんなにか良いだろうと思う。旅の退屈を楽しむ際にこれほど邪魔なものはない。もちろん『旅行中はスマホを決して開かない』という確固たる意思があるなら話は別だが、言うまでもなく私にそんな意思の強さはなく、たとえば新幹線の車窓の景色を漠然と眺めながら今まさに始まりつつある旅へと期待を膨らませたり、或いは近場を軒並み探索し尽くした山奥の温泉地の川の流れを前にして手持ち無沙汰に数十分の物思いに沈むような、そういった旅の退屈を私はスマホに奪われてしまったことになる。とはいえスマホを伴った生活に慣れきった私は、スマホが無ければ旅先の目的地に辿り着くこともできないだろうし、それどころか千葉から東京へ行く電車の乗り換えすらおぼつかないだろうから、最低限の検索機能と地図機能、それと電子マネー機能ばかりが付いた、いわばデチューンされた携帯電話を持って旅に出られたならば、それが一番だろうと思う。

……こうやって、技術の進歩のうえで成り立つ現代の生活の便利さを普段から享受していながらも、都合の良い(悪い)ときにだけテクノロジーへの文句を言い、その舌の根も乾かぬうちにスマートフォンの便利さへと立ち戻る、こういった私のありかたはあまりに醜い。そもそも今わたしがこうして文章を打っている媒体だってスマートフォンに他ならないし、だいたい今回行くことになった東鳴子温泉肘折温泉だって、SNSをとおして知った温泉地ではなかったか。

岡惚れならぬ岡フォローしているツイッターのアカウントが、いつの日か呟いていたのがそこだった。曰く、城崎やら銀山温泉といった有名で観光客ばかりの温泉地と比べて、東鳴子やら肘折温泉は観光客が少なく情緒もあって云々云々、そういった内容の呟きだったと記憶している。旅先で何よりも重要なのは人の少なさに他ならないのだから、その呟きを目にした時点で、どこに行っても人出が多くてやりきれないゴールデンウィークの、私の旅先は決まったようなものだった。

 

三連勤によって無惨にも分かたれたゴールデンウィークの前半の、カレンダーどおりの休日は土・日・月の三日間であるところ、金曜日に有給を付け加えることで四連休を作り出した。最後の月曜日は家でボンヤリ休む日として、金・土・日の二泊三日で旅をしてゆくことに決めた。

金曜日の朝、旅が楽しみなあまり早朝に目を覚ました私は、二度寝する気にもならず寝床から這い出し、朝飯を食って、すこし早すぎるような時間に家を出た。結果的にはこの早すぎる出発が功を奏したようで、というのも、千葉の片田舎から浅草くんだりまで出てきたところ、新幹線の出発駅たる上野へ向かう銀座線が遅延だか運転見合わせだかをやらかしていたのだ。そうして新幹線の発車時刻までは一時間強もあり、浅草から上野までは歩いても三十分はかからない。二もなく歩いてゆくことにして、無事に上野に辿り着いた。もし私が新幹線の待ち時間を少なくするために家でダラダラしていたならば、旅の始まりから新幹線に乗り遅れる羽目になっていたかもしれない。

 

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そう、旅、旅である。旅! 駅に着いてみずからが旅立つ電光掲示板の表示を目にするあたりから、旅の実感が心をジンワリと浸しはじめる。皆さんが職場のデスクで仕事をしているであろう今まさに私は私服で駅にいて、皆さんがあずかり知らぬどこか遠くへ行こうとしている! こんなに気持ちの良いことは他にない。

定刻通りに新幹線は到着した。(まさに旅の始まりたる第一歩!、)狭いドアから車内へ乗り込み、座席と膝との狭い隙間をすり抜けて、窓際の指定席に座った瞬間、まず思ったのは「ああ、失敗したな」ということだった。金曜日の全席指定のはやぶさ=こまちは満席に近く、窓際には私が座り、通路へ続く残り二席には誰も居ない、なんてことは望むべくもなかった。横並び三席の窓側には私が座り、通路へ続く残り二席にもしっかりと人が座っていた。指定席を予約した時分には通路側の席を選ぶ余裕だって十二分にあったわけで、要するに私はゴールデンウィーク・イヴたる金曜日の新幹線の満席率を見誤っていたことになる。窓際に対する漠然としたこだわりを捨て、通路側の席を選んでおけば、乗車・降車時の手間や申し訳なさを軽減できるのは言わずもがな、車内販売のビールだって気楽に買うことが出来ただろうし、誰に気兼ねすることもなく自由にお手洗いへ席を立つことも出来ただろう。馬鹿め!

降車するべき仙台駅にはすぐ着いた。一時間半もかからなかった。上野と仙台がこんなにも近かったとはつゆ知らず、何なら今朝私が家を出てから上野駅に着くまでにかかった時間よりも短かった。

仙台には古い知己が働いている。大学時代の友人だ。ほとんどの同期が大学を四年で卒業し日本各地へ散ってゆくなか、私は留年生として、かれは大学院生として、人よりも多く札幌の街で暮らしていた。研究室に居場所もなく、友人連中の多くも卒業とともに居なくなった、あまりに淋しい独りぼっちの札幌の街の、私のひとつの心の支えだった、そんな友人が働いている仙台を、10分程度で後にした。新幹線のホームに突っ立ったまま、じきに来た『やまびこ』に乗り換えて古川へ行き、古川で鈍行に乗り換えて本日の目的地、『鳴子御殿湯』へ向かう。残念ながら今回の旅で仙台は単なる乗り換えの駅でしかない。

(余談:仙台から古川までは『やまびこ』でひと駅の13分きりだったが、私は席に座れなかった。指定席は取っていたものの、馬鹿の一つ覚えのように窓際の席を予約していたものだから、一駅の区間を腰かけるためだけに、手前の席でスヤスヤ眠っている老夫婦をわざわざ起こす気にはなれなかったのだ。古川へ着くまでのあいだ、ドアのあたりでモジモジと時間を潰していた。何も悪いことなどしていないのに、まるで無賃乗車の気分だった。)

 

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古川から陸羽東線に乗り換えて、その日の目的地たる鳴子御殿湯へと到着した。途中、陸羽東線の車内の何駅かのあいだ、猫の鳴き声が聞こえていたのを覚えている。どうして列車のなかに猫が、と一瞬思ったが、猫は運転免許を持てないから、どこかとおくへ行きたいときにはバスなり列車なりを使うほかないのだろう。おだやかな車窓の田園景色に猫はニャーニャー鳴いていて、あくびが出るほど長閑だった。

鳴子御殿湯に到着したのは13時前であった。鳥がピーヒョロ鳴いていて、周りにはいかにも何もない。旅館のチェックインは17時にしている。さて、何をしようか。

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何をしようか、などと書いたが、まずは飯を食うことに決めていた。別に古川で食ったって構やしなかったのだが、今日泊まる旅館では夕食と朝食が出ることだし、折角なら昼食は旅館近くの飯屋にしようかと、ただ何となくそう決めたのだ。駅から北のほうへとすこし歩き、スマホを取り出して『飲食店』と検索すると、どうやら飯屋は近場に一軒あるきりで、まあそこで良いやと向かったところ、いかにも入りづらい店がある。店がある、と言い切って良いかも怪しくて、なるほど『ラーメン』の幟は立っているし、暖簾も出ていることだから、営業中であるのは確かなようだ。しかし看板があるわけでもない店に私のような一見の観光客が入って良いかは疑わしく、何よりも磨りガラスで中の見えない引き戸が私に入店を躊躇わせた。昼飯を食わずとも別に死ぬわけではないが、旅先で一食を抜くのはあまりに惜しい。どうしようかと思い悩んだ挙げ句、結局私は引き戸に手を掛け、

 

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昼食を食べ終え店を出たのは14時ごろだった。近場を散歩していると日帰り入浴の文字があったから、500円を払って良い心地で脳味噌を溶かし、結局宿には16時ごろチェックインした。

宿が、もとい鳴子御殿湯周辺が、今朝の新幹線の混雑など嘘のように空いていた。日帰り入浴の旅館もそうであったが、鳴子御殿湯駅の近くは商売っ気に乏しいようで、観光客も居なければ観光客から儲けようとするギラついた客引きも一切おらず、そのお陰で非常に居心地が良かった。(尤も、鳴子御殿湯のすぐ隣が鳴子温泉であるから、もしかするとそちらに人が集中していたのかも知れない。)

商売っ気に乏しいというのは本当にその通りで、或いはホスピタリティ溢れる、と言い換えても良いのかも知れない。というのも、その日の宿にチェックインした際、気さくな親父さんがその宿を切り盛りしていたのだが、サービスしときますんで、と、本来トイレ別の部屋を取っていたところ、トイレ付きの部屋へと差額なしでアップグレードしてくれたのだ。それだけではない、チェックイン後、部屋で飲むための酒を近くの酒屋から買った帰り、たまたまロビーで親父さんと顔を合わせたのだが、

「お酒とか結構飲むの?」

「ええ、まあ割と」

「それじゃあこれあげるから良ければ飲んで」

と、日本酒の小瓶を一本タダで頂いてしまった。おかげでその夜は本来の予定よりも多く飲むことになってしまって、大層幸せな晩だった。

 

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(一番右が頂いた日本酒。)

 

宿の温泉で汗を流してから晩飯の時間が来るまでのあいだ、心底くつろいだ心地で部屋の布団に横になっていた。ボンヤリと天井を眺めていれば、外からは子どもらの遊ぶ声が聞こえる。何をしているのかは知らないが随分とはしゃいでいるようで、それに私はビールを一本空けていたから、のどかさと酔いが湯上がりの疲れと混じり合って、春の日の夕方の、あまりに気楽な太平楽だった。

 

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じきに晩飯の時間が来る。部屋出しの晩飯だ。部屋に食事を持ってきてくれる類いの旅館に泊まるのは、これが初めての経験だった。(盲腸で入院した際の食事も部屋出しのようなものだったが、あれは数のうちには入れないでおく。)25にして部屋出しの食事が初体験である私は、すぐにその形式が気に入った。何よりも、ひとの目を気にせずに一切を自分の勝手でやれるのが良い。姿勢を崩し、しどけない浴衣の格好のまま日本酒を飲んで晩飯をつまみ、アア良い気分だ!、とため息をついて、また日本酒を飲む。どこか会場での食事のように、浴衣がはだけないよう所作に気を配る必要も、周りの客のざわめきにどうにも居心地悪く酔いきれないで終わってしまう心配もなく、ただ酒と飯の二つきりに集中してさえいれば良い。そうやって飲み食いをしているうちに、心は三昧境にまで至って、呑兵衛の天国に私は居た。あれほど良い気分で酔っぱらえる機会は、生涯で数えるほどしかないだろう。

そうやって幸福に浸っていれば、じきに飯と酒が尽きる。ちょうど良い具合に腹も酔いも満たされていて、満足のうちに私は眠った。

素晴らしい晩だった。

 

二日目の朝である。布団から這い出し、めちゃくちゃに着崩れた浴衣を整え、温泉に向かう。朝の温泉は私の貸し切りで、いや、昨日の夕方も貸し切りだった。そもそもこの旅館で私以外の宿泊客の姿を一度も目にすることはなかった。良いところなのに。

湯の花の舞う温泉から上がり、部屋の布団で浴衣のままグダグダしていると、じき朝食の時間になる。もちろん朝食も部屋出しだ。

 

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ふだん私は朝食に白米を食べない。白米を食べないならパン派なのか、と問われるかも知れないが、パンも食べない。日常の私は朝食をあるかなきかの少量で済ませているものだから、(僅かな草とソーセージ、あとは卵を炒めたもの、)こうして朝から白米を食べていると、普段とは違う胃の満足感のうちに旅の実感がいよいよ増して、こんなに嬉しいことをしていて良いのかと不安にすらなってくる。鮭で白米を食べながら、ときおり味噌汁をすする朝食は、どうしてこんなに美味いのか。魂に水をやるような心地だった。

9時半ごろに宿をチェックアウトした。鳴子御殿湯から新庄を経由し、そこからバスで肘折温泉へと向かう。

 

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新庄にはバスの乗り換えと昼食のため、三時間ほど滞在した。別段書くべきこともないが、天気が良くて風も無いからまだ四月なのに妙に暑かったのと、すれ違う人がみな色白だったのを覚えている。

 

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昼食は駅前の食堂で摂った。居住まいに惹かれて何となく入った食堂で、あまり流行っていないのか、私が入店したときには旅行客が一人いるきりだった。そうしてかれもすぐに店を出た。ひとりぼっちで取り残された食堂の、壁のメニューで何となく目についたマーボーラーメンを食べながら、これも別にどうというわけでもなくて、ただこうやって昼下がりの空いた食堂でひとりラーメンを啜っていると、いかにも旅の心地になる。テレビはくだらないバラエティ番組を垂れ流し、入り口の開け放された引き戸からは涼しい風が入ってくるわけでもなく、それでいてどういうわけだかそこに居るのが苦痛ではない。苦痛ではないどころか妙な満足感すら伴っていて、要するにあれは旅のひとつの形態だった。温泉に浸かって心身ともにほぐすのも、旅館の飯を良い気分で飲み食いするのも、旅のひとつの側面に他ならないが、ああやって昼下がりの駅前の空いた食堂でひとり、何てことないラーメンを汗をかきつつ啜っているのも、紛れもない旅の一面である。貧乏旅行じみた、旅のそういった側面を今のうちにもっと味わっておくべきかも知れない。歳をとっても温泉旅行は楽しめるだろうが、旅先の閑散とした食堂でどうというわけでもないラーメンを啜っている、あの妙に嬉しい感覚は、歳を重ねるたび薄れていってしまうことだろう。

13時45分新庄駅前発のバスに乗って、肘折温泉へと向かう。バスは駅の近辺をしばらく走り、それから、道路、集落、川を越え、山のなかへと入ってゆく。肘折温泉へ向かう乗客は多く、座り損ねた乗客こそ居なかったものの、あと二、三人増えれば一時間弱の旅路を誰かが立って我慢することになっただろう。ただ、バスの車内の客層を見るに、肘折温泉は若者には人気でないようで、それがひとつの幸いではあった。旅先に、殊に今日行くような山奥の温泉地に、若者の集団は少なければ少ないほど良い。

山道をひた走るバスから車窓を眺めていると、あるとき谷間に集落が見える。それが肘折温泉だ。

 

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(肘折温泉遠景。帰りのバスの車内より撮影。)

 

ジェットコースターの足場のような造りの道路をバスは下ってゆきながら、私の期待は高まるばかりだった。交通の便の悪い山奥の温泉地に泊まるのは、私のひとつの憧れであった。空中の道路から陸地に降り立ったバスは温泉街内部の細い路地を縫うように走り、

 

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この景観を目にした途端、居ても立っても居られなくなり、次のバス停で私は下車した。本当は終点まで乗り通すつもりが、こうやっていかにも温泉地じみた素晴らしい路地を見せられてしまえば、他にどうしようもありはしない。一刻も早くこの温泉街を肌で感じたかった。

もっと閑散とした温泉地を想像していたが、存外に観光客の姿があった。観光客が居たとは言っても、鎌倉や京都の気が狂ったような不愉快極まる人混みとは比べものにならず、単に観光客用の店が何軒か開いていて、それぞれの店に冷やかしやら買い物やらの観光客が一組、二組ほど居る程度の、要するに、寂しくはない程度に人が居る、(私にとっては)ちょうど良い程度の人の数だった。日本酒の飲み比べコーナーとかいうご機嫌なものも目にしたが、ほとんど満席であったうえに、出来上がっている連中のところにひとりで混じる度胸はなく、断念した。

 

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中央の路地をひとつ抜ければ川が流れている。すこし暖かすぎるような春の日に、温泉地や川沿いをブラブラと散歩し、15時にはその日の宿にチェックインした。

(余談:東鳴子温泉が一人でも居心地が良かったのに対し、肘折温泉では一人で居るのが妙に寂しかった。景観や温泉地の雰囲気で言えば肘折温泉が好ましかったが、どういうわけだか昨日のように心の底から満足というわけにはいかなかった。こんな温泉地を旅先に選ぶ趣味の良い若いアベックや、ご機嫌に飲んで騒いでいる中年連中を目にしてしまったせいかもしれず、羨ましさを引きずったまま湯に浸かってため息をつき、……だが、一人であろうが何であろうが、温泉は良い。ただ、連れ立って温泉に行く間柄の誰かがあれば、旅の時間はもっと素晴らしいものとなるのかも知れない。そうしてそんな私の願いは決して叶うことがない。)

 

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湯に浸かって部屋で休み、また別の湯に浸かって部屋で休めば、晩飯の時間になっている。部屋出しの食事でないのは残念だが、温泉のあとにこうやって美味い飯を食べるのは良いもので、ビールと日本酒を追加で頼んだ。スロットを打てば平気で一万や二万は負けるのに、旅先の千円二千円を惜しむのは馬鹿らしい。食事処は大広間のような所で、客室ごとに仕切りで区切られてはいるものの、ざわめきのなか一人きりの客は私ばかりで、美味い飯と美味い酒を飲みながら、やはり、寂しかった。

 

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食後、酔い覚ましも兼ねて散歩に出た。温泉地の時間による風景の移ろいを見るのは楽しい。ほとんどの店が閉まっているせいか、温泉客の姿もない。ごうごうと音を立てて流れる川の響きが昼よりも一層大きかった。

こんな旅だけをして生涯を終えたかった。しかしこんな旅だけをして生きてゆける身分に私は生涯なれないだろうし、二日後の火曜日からはまた仕事で、……と、こうやって旅先の私までをも日常はしきりに追い立てる。寂しさに加えて労働までもが私を追い詰めてくるものだから、ほんとうに、勘弁してほしかった。

 

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その後、旅館に戻ってもう一度温泉に入り、買っておいた日本酒を飲んだ。冷やの日本酒を飲むためにグラスを借りるのも億劫で、部屋の湯呑みを使って飲んだ。二日間のうちに何度も湯船に浸かったから、身体がひどく疲れていて、飲み終わるなりさっさと眠った。

 

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翌朝六時に目が覚めた。ひとっ風呂浴び、浴衣のまま外に出る。朝市のにぎわいを抜けて、昨日のうちに見つけておいた『足湯』の看板の先に行く。こんなお天気の朝から足湯に入れたらさぞ良い気分だろうと徒歩数分、砂利道を越えて足湯に着くと、お湯が張られていなかった。ヘヘッと笑い、砂利道を引き返す。そのまま帰るのも癪だったから、川沿いを散歩したのち宿に戻った。桜が葉桜になりつつあった。

 

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朝食である。大広間のそこかしこから「量が多いね」の声が聞こえる。言われてみれば朝食にしては量が多く、白飯を一度おかわりすると腹が一杯になった。

九時には旅館をチェックアウトし、(paypayが使えたのでpaypayで支払った、)新庄へ戻るバスを待つ。一番混む時間帯ですから出来れば始発のバス停から乗ったほうがよろしいですよ、とのアドバイスを旅館の人から受け、それならと始発のバス停まで歩いてゆく。来たバスに一番乗りで私は乗車し、或いは立ち客も出るのではと思っていたところ、結局昨日の行きのバスよりも空いていた。明日は祝日だから誰も彼もみなもう一泊してゆくのだろう。私もそうすれば良かった。

(実際、新庄で新幹線に乗るまでのあいだ、どこかでもう一泊しようかと私は本気で悩んでいた。翌日の新幹線について調べると、空席は有り余っているようだし、今日の新幹線のキャンセル料も大した額にはならないだろう。だが結局面倒臭さのほうが優って、予定通りの新幹線に乗車した。)

 

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新庄で何時間か時間を潰して、帰りの新幹線に乗った。新庄から上野へ帰る新幹線は嘘のように空いていて、ビールのプルタブを引き上げる音が車内に響くようだった。冷えた駅弁をビールと一緒に食べながら、食べ終わってうたた寝スマホをいじっているうちに、新幹線は東京のほうへと近づいてゆき、三時間半ほどで上野に着いた。

ものうさと懈怠のうちに終わる以外の旅の結末を私は知らない。

 

二泊三日の私の旅は、瞬きのうちに終わってしまった。じきにまたどこかへ行きたい。出来れば今度は寂しさの果てなむ国へと向かいたい。二日目の肘折温泉の私は、あんなに素敵な温泉地に居ながら、あんまりにも惨めなひとりきりだった。どこもかしこも寂しさを痛感させる旅先ばかりではないだろう。少なくとも惨めではない旅先に行ければと思うが、しかしこういった御託はどうだって良い。とにかくまた、近いうちに旅に出たい。