かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

ニートニンゲンの歌(日記)

*五月二十四日

今日から日記をつけはじめることにした。五月二十四日、中途半端な日で、日記をはじめるのに丁度いい日だと思う。これが月初めや年の初めだったりすると、鹿爪らしくてやりきれない。一月一日から四日間日記を続けるのと、五月二十四日から二週間以上日記を続けるのでは、後者のほうがまずもって成功率が高いはずだ。そんな気がする。だから今日から始めたい。本日は中途半端でお日柄が良い。

せっかく誰も読みやしないブログを開いていることだし、ここに日記を、だいたい一日400文字くらいをめどに書いていこうと思っている。それくらいなら大した手間にもならないだろう。(もっとも、手間を取られて困るような生活でもないのだが。)畢竟私はニートだから、時間だけなら有り余るほどに持っている。日記なんて書いてもしかたがないような気もするが、少なくとも惰眠や単純なスマホゲームをするよりは有効な時間の使い方だろう。そして私の生活には惰眠や単純なスマホゲームの時間が多すぎる。だから日記を書こうと思う。すると総体としての一日の質が、ほんの少しだけ、目盛ひとつぶんほど上がる。ピョコッ。それで私はニートの罪悪感から少しだけ解放されて毎晩眠りにつくことができる。ニートの逃避としての日記。

小学生の夏休みには一行日記の宿題があって、四十日ちょっとの休暇の毎日の記録の記入を課せられたものだが、海に連れて行ってもらったとか焼き肉を食べたとかなら格別、大体は「今日は何もなかった/しなかった」が列を成して並んでいるだけの、まったくしょうもないだけの日記であった。さて、いま私は大学卒業後の無職で、ニートで、プー太郎で、長い長い夏休みで、毎日が小学生の頃よりも何もない生活だが、何もない一日を「何もなかった」で済ませない程度の文章的成長は経た筈だ。小学生の頃に毎日四百字の日記を課せられたとすれば私は愕然としただろうが、今の私には四百字程度、屁でもない。せいぜい文章や内容に気を遣って書いていこうと考えている。希死念慮にまみれているしょうもないニートにも、その程度のことはできるはずだ。

……今日は御託ばかり書いて疲れた。日記らしい日記は明日から書こうと思う。今日はこれでおしまい。

 

*五月二十五日

無気力が日増しに強まっている。正直こんな日記を書くことも今日の私からすればひどく馬鹿らしく感じられて、昨日のぶんを消して終わりにしようとも思ったけれど、こんな日記でも書いていかない限り、私はそれこそまるきり何もないニートになってしまうから、せめてしばらくのあいだは続けていこうと思う。

最初にも書いたが、無気力が日増しに強まっている。ニート生活の隠れ蓑として4月のはじめごろに買った公務員試験の教材も、最初の頃こそ真面目に取り組んだりもしていたが、近ごろは10分ほども我慢できない。無気力が増大していって、終いには教材を開くことすらできなくなるだろう。そんな無気力が今日はとくに顕著にあらわれて、夕方には大体私は自転車に乗って運動がてら少し遠くまで行くのだが、今日はそれすらもまともにこなせなかった。道中の最初のゆるやかな坂道で、なんだか億劫になってしまったから、早々に転進、サイクリングを諦めて、フードコートでコーヒーを飲むことにした。別にコーヒーを飲みたいわけでもないのだけど、コーヒーを飲むくらいのことしか出来そうにない。そうやってぼんやりと、フードコートでコーヒーを飲んで、家に帰った。フードコートでは子供の声が耳について不愉快だった。

 

*五月二十六日

何もせずとも腹が減り疲れが溜まっていくのと同様に、髪の毛だって日々欠かさず伸びていって、前回の散髪から数十日、そろそろ耐えがたくなってきたから床屋に行った。(私のような無職の髪の毛が伸びたところでどうしようもないのに、髪は毎日愚直に伸びる。淋しいと思う。)スーパー銭湯に付属の床屋に行ったから、散髪のあとは風呂に入った。昼過ぎのこんな時間であるにも関わらず、風呂場にはそれなりに人が居て、誰も彼もみな私のような無職なのかと思ったが、当然そんなはずはないだろうから、要するに、彼らの身分を邪推するだけ無駄だった。しかし他人のことなどどうでも良い、とにかく陽の高いうちから風呂に入るのは気分が良くて、ときおり家族からイヤミたらしく言われるように、私はほんとうに結構なご身分だった。帰り際、付属の食堂でビールでも飲んで帰ろうかと思ったが、懐にそんな余裕はなかった。風呂上がりの一杯を飲む余裕もない、結構なご身分の私だった。

 

*五月二十七日

イオンモールのテナントのアイス屋だか何だかの横を通りかかって淋しかった。客二人と店員一人がカウンター越しに会話していて、おそらく商品受け渡しの最中だったのだろう、店員が客に何やら説明していた。会話の内容は聞き取れなくて、……だがそんなことはどうでも良い。会話の内容やその場の状況なんてどうだって良い。私が何を淋しく思ったのか、それはつまりアイス屋の店員たる彼女が他ならぬアイス屋の店員として働いているというその事実についてであって、なんと言えば良いのだろう、畢竟こんな洒落たアイス屋だか何だかで働いている彼女は恐らくお洒落なアイス屋で働きたい!だとかそんなことを思ってバイトに申し込み、そうして実際にこうやって働いているのだろうが、翻って私を見れば、私にはその、たとえばアイス屋で働きたい!と思ったうえで実際にアイス屋で働くような、要するに、自分の人生を自分自身で決めていく力だとか、そういったものがまるでなくて、生涯を切り拓いていく力とでも言えば良いのか知らん、そんなものが私からは失われて久しいし、それどころか、そんな行動力の欠如のみにとどまらず、今や行動力の源になる筈の、何をやりたい、といったぼんやりとした意志すらほとんど薄れてしまって、私は、ただ、もう、何もしたくない。行動力の無さにかまけて何もしないでいるうちに、意志にまで無気力が染み込んでしまって、どうにもならなくなってしまった。アイス屋で働く店員を横目に、行動力もない、意志薄弱な、無気力なだけの私が際立つようで、無性に惨めで、それが淋しかった。

 

*五月二十八日

日々同じように退屈な生活を送っていると夜の、或いは昼寝の際に見る『夢』が、この夢というマヤカシが、私個人の情動に占める割合を徐々に増していく。とりわけ良い夢を見た日の朝は、たとえば今日のような日には、朝食を終えればすぐに部屋に舞い戻ってベッドにうずくまり、目を閉じて今朝の夢を思い返して、情動の再演、存在しない思い出の感触を何度も何度も辿りなおす、むなしいだけの営みを、……しかし快楽の泉が今や夢くらいにしかない惨めな男の振る舞いを、いったい誰が責められよう!

今朝見たのは大学のごくはじめごろに片思いしていた女の夢だった。もう五年ちかくも顔を見ていない女が夢に出てくる、そんなことも私の夢においてはいっこうに不思議ではなくて、(なんなら高校時代の同級生だって未だに夢に出てくる始末なのだから!、)というのも、現実の私には新しい交友の一切がなく、そのために夢においては過去の私に強い衝撃を与えた数少ない人物が時間の遠近を問わず何度も何度も登場する羽目になる。

現在も未来も空しい私のような人間には、過去にしか依るべきところがない。過去、それも過去を基にした夢の中にしか私の憩える場所はない。

 

*五月二十九日

日がだいぶ長くなっていることに気がついた。ふだん私は十七時ごろには散歩やサイクリングから家に帰ってそれきり窓の外を見ることすらしないから、だいたい何時ごろまで陽が出ているのか知るすべもなくて、もとい、そんなことを知る気もないから、今日ひさびさに夕方を眺めていたら夕方があまりに長くて驚いた。要するに私は今日、家族に連れられて夕ご飯、外食に行って、国道沿いの焼肉屋、窓の大きな店だったから外の様子がよく見えて、青空がだんだんと夕方のようすを帯びてゆくのを焼肉と酒のあいまに眺めようとしていても、夏が近づいているこの時期の青空は長いあいだ青いままで、結局青空が夕暮れらしくなるのを目にする前に夕ご飯はお開きになった。

日が長くなって結構だと思う。むかし私は夏が好きだった。大学生になったら大好きな夏を、その風情を思い切り感じてやるぞ、私は自由になりたいんだ、ってそんな思いも果たされずに、私は大学生活をほとんど無意味なようすで終えて、結局こんなニートをやっている。ニートになってはじめての夏がそろそろ来る。これもきっとしょうもないまま終わるんだろう。大いに結構なことだとおもう。

 

*五月三十日

シラフで目覚めている時間なんて短ければ短いほど良いのだから、毎晩毎晩酒を飲んで、以前は曲がりなりにも休肝日、酒を飲まない日を作ったりもしていたのに、今や文字通り毎晩欠かさず酒を飲んで、おそらく二ヶ月近くもそんな調子でやっている。そんな生活をしていると、ただでさえ出来の悪い脳味噌がますます駄目になっていって、たとえば以前であれば私はもう少しマシな調子で文章を書いたりしていたのに、今ではこうやって、機知もない、ペーソスもない、味わいもない、単純な絶望のフルマイを繰り返すようなものばかり書いて、こんな日記をいくら書いたってまるでしかたがないのに、しかし、……そもそもこれは日記なのか?日常に差異がないからこうやって思ったことでも書くほかないのだが、……今日は風が強かった。窓を開けた寝室でゴロゴロしていると風の強く吹く音が外から聞こえて、アア風が強い日だ、と思いながら、眠った。昼寝。一時間弱眠った。夢は見なかった。

 

*五月三十一日

夏休み、いや、この夏休みは比喩だったり或いは実際のものだったりするのだけれど、要するに、長期間の休み、朝から晩までヒマ一辺倒の時間が積み重なっているそんな日々をすべてまとめて『夏休み』と呼称することにして、この定義に従えばいま私が送っている日々も夏休みに他ならないわけだけれど、そんな夏休みの楽しみのひとつとして、長く眠っていられることが挙げられる。昨日も書いたことだが、シラフで目が覚めている時間なんて短ければ短いほど良いのだから、たとえば私は近ごろは毎日夜十時に寝て朝の七時に目が覚める。(九時間の睡眠!)それから朝食を喰らい、本を読んで、それから今日は九時半から十一時ごろまで二度寝した。

退屈な無職暮らしでどこまでも眠れる気分でいる。朝寝、二度寝、昼寝、それから夜の本睡眠、本睡眠?……どうでもいいや。とにかく、今日は朝遅くから昼前までの二度寝をして、気持ちがよかった。しかし近ごろは二度寝や昼寝の後などにはどういうわけだか動悸や吐き気がするようになって、身体が睡眠を拒んでいるのか、こんなもの、Okey Dokeyならぬ嘔気動悸じゃないか知らん!へ、へ、へ!……、誰か早いところおれを殺してくれれば良い。

 

*六月一日

誰に頼まれたわけでもないのだから止めたいならさっさと止めれば良いのだけど、その、端的に言えば日記に飽きた。一週間前の私は『ヘヘッ、毎日400字の日記書くのなんて余裕だぜぇ、舐めんなヨォ!』くらいの気概でいたのだけれど、ほんとうに、こんな日記、書いたところでまるでしょうもないし、記録に残しておきたい出来事もないし、日中は同じようなスマホゲームをしているか、或いは同一の思考の反復を繰り返しているばかりで、それにもう、私は、日記はおろか、大概のことが億劫になっちまって、たとえば今日は一歩も外に出なかった。これ以上続く必要のない生涯がダラダラと続いていて、終わりが見えないし、こんなもの、まるきり、長すぎる。皆さんのように生涯を楽しむ術を知らないし、今さら生涯を楽しむ気概も起きないから、こうやって、いつものようにベッドの上でウジウジしていたら、そのまま今日が終わっていた。サッサと終わってほしい生涯がいつまでも続いて気分が悪いし、終わりを切望しながらみずから終わらせる勇気はない自身のテッテ的な無能力が厭わしい。(勇気も努力も、或いは享楽も、天分の要素に大きく関わるのだから!)

 

*六月二日

夏みたいな天気だよ、と聞いたから昼下がり、外へ出るとほんとうに夏のような空だった。青空に入道雲じみた雲が浮かんでいて、青空に入道雲が浮かんでいればそれはもう夏なのだから、要するに私は夏に居た。ただ、気温だけは夏のようすを伴わなくて、白い半袖シャツと七分丈のズボンの私に、この夏はちょうど快適だから、或いは思い出のなかの夏の温度と言っても良い。夏の青空を思い出すとき、(これは私だけかもしれないが、)空の青みと雲の白さが情景として浮かび上がるばかりで、呼吸が苦しくなるような暑さは同時に惹起されず、熱の伴わない奇妙な夏、これが私の記憶の夏で、それが他ならぬ今日の天気だった。

盛夏の熱を伴わない記憶の夏、今日のような天気を初夏とするならば、そしてそれが可能であるならば、私はずっと初夏に居たい。……いや、ずっと初夏、それはそれで淋しいような気もして、つまり、夏の盛り、あまりの暑さに呪詛を吐きながら、(滝のような汗、)陽炎の立ち昇る道を延々と歩くようなそんなことだって、私には懐かしい。いざやって来ればすぐ辟易して根を上げたくなるのがわかっているのに、夏の盛りが、その暑さが、どういうわけだか私には恋しく思われる。

 

*六月三日

天気予報で午後から荒れると知っていたから今日の午後は外に出ないで漫画や本を読んでいた。部屋でひとり、むかし好きだった漫画を読み返して、むかし好きだった随筆や小説をパラパラと捲り、そんな調子で過ごしていると、雷鳴や雹まで降りだしたものだから驚いた。雷の音は言わずもがな、家の窓や外壁をバラバラと打つ雹の音にはいつまでも慣れそうにない。

札幌で一人暮らしをしていた時分には雹の音なぞ一度も聞かなかったような気がする。或いは私が忘れているだけかも知れなくて、しかし、どうだって良いことだから、これ以上は書かない。ただ雪が音を吸い込むというのは本当のことで、雪の降り続ける午後三時ごろの道を歩いていると、それがどこまでも私ひとりきりの道であって、すれ違うひとも通り過ぎる車もないと、人ひとりぶんの隙間だけ踏み固められた歩道の雪道を細々と歩きながら、その静かな雪道で、なんとも言えず淋しい気分になったものだった。

……実際にそれを過ごした身としては凡そ虚しいだけの大学生活だったけれど、今となっては、その、つまり、今や遠くなってしまった情動の記憶が、それが良い思い出か悪い思い出かに関わらず、思い出すたびすべて丸ごと懐かしくて愛おしい。

 

*六月四日

大学生は赤子の次によく眠るというが、ニートは大学生の次によく眠る。前日午後十時から今朝七時までの九時間を眠り、朝食を食べ、ボンヤリし、昼食を食べ、それから二時間の昼寝をした。この時点で午後三時だった。

長い昼寝のあとは決まってふさぎの虫に取りつかれる。頭がボンヤリとし、何となく吐き気もあって、苛々がたしかな弱火のように心の奥底を焦がすようで、こんなふうになってしまえばもはや散歩にでも出るほかないから、散歩に出た。買いたい漫画があったから、或いは全巻セットがお値打ち価格で落ちていやしないか知らん!なんて思いながらブックオフに行って、当然そううまくはいかず退店、そのままベンチに腰掛けてスマホAmazonで全巻セットを購入した。(六巻セットが千円だった。)帰り際、イオンの前を通りかかると、繋がれた犬、老人のような顔をした小型犬が、風を受けながら、四本足を踏みしめて立っていた。

 

*六月五日

六月五日の日記です。……六月五日、……六月五日!?????!??? 六月五日なんですか!???!???!!??? 大学の卒業式が三月の二十五日とかそこいらで、いや、とうぜん私は大学の卒業式なんかには出席しなかったのだけれど、この際そんなことは関係なくて、要するに、大学の卒業式の日がすなわち私のニート生活が始まった日であるわけだから、つまり私は、二か月、と、十日ほど、既にもう、ニートを、やっている、……って、コト????

充分なくらい私は生きた。それでこれ以上不愉快な生活を続けるくらいならくたばりたい。あと二ヶ月かそこいらか、それくらい経った頃にキッパリと身罷ってしまいたいと思う。これまで何ひとつ成してこなかった私のことだから、どうせ今回だって上手くいかないのだろうけど、今回くらいは成功して、それきり息の根が止まればいいのに、とそう思う。首を括って生涯を終わりにしたい。終わりで良い。私は私の生涯が終われば良いとそればかり願っている。

 

*六月六日

ゾロ目の日だと気がついてフとパチ屋に行きたくなったが止した。パチ屋でひと勝負するには手持ちがあまりに心細くて、憂さ晴らし、代わりに何をしたかといえば、雨のなかしばらく散歩をした。いつものようにイヤホンをつけてそこいら中を一時間強散歩して、靴もズボンもビチャビチャにした。

すべて風が強かったのがいけない。外に出て、傘を差しながらしばらく歩いて、アアこれはよろしくない、ただでさえ雨なのに風も吹いて散歩には全く向いていない日だと、そう気がついていながらも、引き返しはしなかった。私が散歩したい気分なのにこんな天気を寄越しやがるお天道様が悪いってことは決まりきっているのだから、知ったことかと思いながら散歩を続けた。(こんな気分の日にパチ屋に行くと財布が丸ごと空っぽになる。今更ながら散歩にして正解だった。)県道沿いにも公園にもひとの姿はほとんどなくて、ただひとり、公園でカラフルな傘を差した中年の背中を遠く見た。

それから家に帰って風呂に入り、酒を飲みながら夕飯を食べた。

近ごろはずっと吐き気が続いている。早逝したい私の意図を身体のほうで汲んでくれているのだろうか。だとすれば有難い。早く楽にしてほしい。病気になったら苦しんだ挙句死ぬのだろうか、しかし、だとしても、苦しんだ挙句死ぬほうが、苦しみながら生きていくよりもまだマシなような気もする。

 

*六月七日

大学三年生の夏休み前に精神を駄目にして以来ずっといじけたように暮らしているから、要するに私は実質三年間もニートの暮らしを続けており、履歴書的な空白期間は未だ二ヶ月半にも満たないが、畢竟肝心な点はこんな無気力が三年も続いているその事実にある。そうやって長いこと若い身空を丸ごと無為に暮らしていると、どういうわけだか年寄りのような気分になって、近ごろはどうして私は年寄りでないのかと訝しく思うようにすらなった。十年一日の快適な日々、散歩、読書、飲酒、睡眠、これだけで満ちたあまりに退屈な、それでいて気楽で愛おしい日々を、年寄りのように、死ぬまで続けていたいのに、私が無駄に若いばかりに、そうは問屋が卸さない。私は棺桶に片足を突っ込んだ気分で暮らしているのに、それで良いのに、そのまま身罷ってしまいたいのに、そういうわけにはいかない。不愉快でたまらない数十年を生きていくために、不愉快極まりない労働に従事することを強要される。厭で厭で堪らない。

 

*六月八日

ワクチン三回目接種の副反応で頭が痛く、一日中横になっていた。今日はこれ以上書けそうにない。

 

*六月九日

晴れた良い夕方だから公園に行った。自販機で缶のレモネードを買って木陰のベンチに座り、何をするでもなくボンヤリ過ごした。ニートのくせにレモネードを飲みながら公園のベンチでボーッとするなんて、ええかっこしいのようでいささかしゃらくさい気がしないでもなかったが、やってみると存外に気分が良くて、と言うのも、……なんて言えば良いのだろう、その、要するに、たとえば家の中と公園では時間の経ちかたからして違っていて、つまり家の中では時計が時間を経たせる一方公園では風が吹き木がそよいで、それで時間が経つともなく経っていた。(時間が時間本来の質を取り戻して、とでも時間がただ経っていて、とでも、何とでも言えば良い。)そうやってのどかに時間が経つことではじめて高い空を悠々と飛ぶ一羽の鳥に目が向く。或いは鳥の鳴き声の種類の多さでも良い。そしてこういったことに気が向くのを余裕と呼ぶならば家に居る私には余裕が無くて、なんてことにも余裕が出来て初めて気がつく。兎に角、良い気持ちだった。

しかし満足する前に公園を引き上げた。どこからかいじけた息子を伴った怒鳴り散らす父親が現れて、ああいう悪意と野暮の塊が混じれば公園の時間は公園の時間としての歩みを止める。拗ねた息子と怒鳴る父親の応酬は到底耐え難かった。どうして怒鳴るのを止めて数秒でも空や木を眺めないのか。ああいった神経質な怒鳴られかたをした子供が私のようなニートになる。

 

*六月十日

住宅地の前を歩いていると一台の車がヌッと出てきた。黒いファミリーカーで後部座席の窓はスモークガラスになっている。全体として黒い印象ばかりを与える車の、半開きのスモークガラスの上辺からは、しかし例外のようにふたつの手がのぞいていた。そのちいさい可愛らしい手は幼子の手で、すぐに私は車内から覗く幼女の顔にも気がついた。(要するに窓へ手をかけた幼子が車から外を眺めていたのだ。)口許は見えなかったからはっきりとは分からないが、細めた目元はきっと笑っていたように思う。家族に連れられてドライブだろうか。それで外を見て嬉しいのか。そうやってドライブしながらだったらこんな曇り空の何もない田舎道を眺めることさえ子供には楽しいことなのだろうか。それで楽しい田舎道を眺めていたら私のような惨めたらしい無職を目にして、それでも子供は楽しいのだろうか。

私と幼子のそんな窓越しの対面はほんの二秒にも満たなかった。車は私の前をゆっくりと曲がると、すぐ走り去って見えなくなった。

 

*六月十一日

それで何もない日というものが仮にあるとするならば今日こそがまさにその何もない日で、誰もが知っているように何もない日を日記に書くのは難しい。併しその何もない日とやらにほんとうに何もなかった試しはなくて現に今日だって朝目が覚めてから本を読んだり酒を飲んで、その本を読んだり酒を飲んだりすることが何もないことであると言えば嘘になる。

……と、こうやって、近ごろは吉田健一のような文章を書くことに気が向いている。彼が食べ物や旅について書くエッセイがもとより私は好きだったのだけど、近ごろは敬愛の情がにわかに高まって、自分のほうでも彼のような文章を書きたくなってきた。単に読点を少なくするだけでなしに、文章の論理展開をも真似ることで、なんだかそれっぽくなって、そうして、嬉しい。いつか私も吉田健一のような、味のある文章を書ければと思う。それも、単なる模倣に留まらない、それでいて読み応えのある文体で何かを書きたい。

 

*六月十二日

ニートだから一日に少なくとも三十分くらいは身罷ることを考える。手段はもう決めていて、いよいよ身罷ることになった際にはビニール紐で首を括ろうと思っている。(むかし私が生まれるとき、臍の緒で首を括りながら生まれてきたと母から聞いた。蓋し先見の明があった赤ん坊の時分の私だったが、残念なことに死に損なって今もこうして生きている。)

とりわけ絶望しているとか、鬱だとか、そういうわけではないのだけど、要するに、おおよそ不愉快なことばかりのこんな生涯、さっさと終われば良いだけの生涯を、その不愉快を、縮めるためならまだしも、あろうことか長引かせるために、そのために労働を、これもまた不愉快なだけに決まっている労働を課せられる、それがまるきり許せなくて、そのために私は早々に死にたい。不愉快を長引かせるために不愉快を甘んじて受け入れる、こんなに馬鹿なことはないと思う。そんな悪い冗談には付き合っていられない。だから私は身罷りたい。(こんな私の考えをあなたはハナから受け付けないだろうか。だとすれば私はあなたが羨ましい。)

しかし、それでもいまいち覚悟が出来ず、結局いつも死ねないでいる。それで本を読んだりスマホを触ったり酒を飲んだりして日を潰し、夜には眠る。眠ればまた朝が来て、目が覚めたことを呪いながら起き、おんなじような希死念慮を抱えながらニートをやる。家族が私を憐れんだり心配する段階を超えて、軽蔑と呪詛ばかりを吐きかけるようになれば、そうすれば私は心置きなく首を括ることが出来るだろう。

 

*六月十三日

この日記を始めて今日で三週間になる。始めたての頃にはいくらでも書くことがある気もしていたが、三週間も経った今では日記に書くことがまるでなくて、いや、書くことがまるで無いとかそんな段階を超えて、毎日毎日書くことを強制されるこの日記が憎らしくすらなってきた。(自分で日記を始めると、そう決めたにも関わらず!)

日記、或いは文章全般に言えることだが、文才が無いなりに多少は読むに値する文章を書く場合には、ある瞬間を微分するような文章を書ければそれで充分で、あとは見せかたに気を配ったりすれば何とかなる。しかしこうも毎日毎日同一の波形を描いて日々が進めば微分のしようがなくて、となるともう、繰り言のように死にたいだとか書くことが無いだとかそんなことで文字を埋めるほかなくて、こんなのは小学生の頃の一行日記と変わらない。畢竟私は成長していないどころかただ衰えていくばかりで、……そうだ、これからは日記にならないような場合には単にエッセーじみたことでもすれば良い。しかしこれまでもそんな非常手段は幾たびも取っていて、……まあ、どうでも良いや。どうせ誰もまともに読みやしない日記だから、好きにやれば良い。

 

*六月十四日

マクドナルドのチーズバーガーを二つ注文して自らダブルチーズバーガーを作るやつをやった。チーズバーガーのバンズを一枚ずつひっぺがして合体させるとダブルチーズバーガーがひとつ出来て、ついでにバンズが二枚余る。それでダブルチーズバーガーよりも安上がりなのだから、人の目だとか意地だとかそんな類いのものを見ないふり、気にしないふり出来るならば、プライドを売り渡した代償として普通よりかは多少は得で、おまけに腹も余分に膨れる。

学生時代にはこういう空しい食事を何回かやったものだが、ニートになってからこんなことをするのは初めてで、いや、こんなのはニートにこそふさわしいことなのかもしれない。(このダブルチーズバーガーが皆さんの人生で、この虚無挟みバーガーが私の人生か。いや、これらふたつ、まとめて丸ごと私のみっともなさや惨めさだ。矜持を売り渡して作り出したこんな偽ダブルチーズバーガー、こんなものは虚無挟みバーガー同様に、まったく空虚なものでしかない。)

ダブルチーズバーガーを包み紙に包み直して、まず虚無挟みバーガーを先に食べると、当然なぁんにも挟まっていなくて、こういうものをフードコートでひとりきりモチャモチャと食べていると、なんだか、もう、どうしようもなくなってくる。

 

*六月十五日

近ごろもっぱら涙もろい。「涙もろくなったってことは私もきっと、感受性が前より豊かになったのかなぁ?へへへっ……」……否! 涙もろさから直接には"感受性が豊かになった"ことは帰結されない。畢竟我々は我々みずからが涙もろくなった場合に、果たしてそれが加齢や、或いは酒の飲み過ぎのせいで前頭葉が萎縮し、ために感情を抑制出来なくなって涙もろくなったのではないか、だとか、そういった類いのことを真摯に検討する必要がある。単純な身体反応からすぐに感受性の豊かさなどという肯定的判断を持ち出すことはあまりに安直で、そうして、さもしい。

さて私は近ごろ涙もろくなった。恐らく酒の飲み過ぎで感情の振れ幅が大味になってしまったのだろう。そうして私の涙もろさは感受性の全き劣化に他ならない。感情からは繊細な機微が失われ、閾値を越えれば反射のように涙を流す機械の如くなってしまった。アニメを見ながら単調に幾度か涙を流して、そのたびにひしひしと実感するのは、これが全く大雑把な涙、単に感情の雑さを示す涙に他ならないということで、たとえば高校生の時分に大好きな夏を想いながら身を切るような切なさを抱いたようにはもう決して、……いや、それで結局、感受性だとかそんなものは鈍ければ鈍いほど気が楽で済む。人の足音にビクビク怯えるようなことを今ではしなくて、別にこれで結構なのかもしれない。それで良いと思う。

 

*六月十六日

受験生の弟が居て彼は勉強を頑張っている。大学に入るために勉強をして、大学に入れば大学生活を楽しみつつもこれからの人生の基盤を築いて、そののち生涯も丸ごと楽しくやっていくのだろう。

私の弟は生きるのが上手い。あいにく頭はそれほどよろしくなくて、だから大したことのない大学に入るにも懸命に勉強をする必要があるのだけれど、そういう学力的なものを除けば、私なんかとは比べるべくもないほどに、彼は生きるのが上手い。何というか生活を楽しんでいくコツを知っていて、或いは私がそういったものを知らなすぎるだけなのかも知れないが、たとえば彼には普通に友達がいて、時折り遊びに行ったり頻繁にゲームのマルチプレイを一緒にやったりしている。気取った文学なんか読まずに流行りのアニメだとか音楽を受容して、どうせ彼女なんかも居る筈だ。

私はそういうのが羨ましい。私もそういう人間になりたかった。

 

*六月十七日

閉館時間まぎわの夕方の図書館でひとりの女学生を見かけた。セーラー服を着た彼女は小柄でおそらく中学生のようだった。しかしはっきりと見たわけでないからわからない。私のような人間に見つめられるのを女学生は潔しとしないだろうし、私のほうでも無職の引け目、彼女を見るのがなんだか畏れ多くて、目を上げて彼女の顔を一瞥することをしなかった。

惹かれる本を探し歩いた本棚越しに幾度か彼女の影を見た。最近の若いひとはどんな本を読むのだろう、と思って彼女が少し気になった。最近の若いひと、なんて言えば私が年寄りみたいだけれど、実際私は、無職のわたしの生活はまさに定年後の年寄りのそれだから、私が彼女を若いひとと言ったところでたぶん間違いではないだろう。(或いは『年寄り』と『最近の若いひと』を相互理解の不能性から定義したって構わない。私はきっと女学生の考えなんて理解できないし、女学生のほうだって私のような年寄りじみた無職の思考なんぞはハナから相手にしない筈だ。私は彼女を若いひと、と呼び、彼女は私を年寄りじみたニートと呼ぶ。)

それで、その女学生の顔も、読む本も知らないまま、私は本を五冊だけ借りて家に帰った。たぶんそのうちの二、三冊くらいは一度もページを開くことなしに返すだろう。

 

*六月十八日

四年ぶりに従兄弟らと会って夕飯を食べたり遊んだりした。歳の離れた従兄弟だから難しい遊びや話は出来なくて、専らババ抜きやパズルをして遊んでいたのだけど、それでもなんだか楽しかった。素朴な楽しみとでも言えばよくて、こうして久しく会っていなかったひとと会う喜びや、成長したとは言っても未だ愛らしい従兄弟への親しみ、或いはババ抜きやパズルといった単純なゲームの質素な面白さ、そういうものが集まって、私の思考に結実したのは、……眼前の従兄弟とはほとんど関係のない思考、要するに私は、日常アニメの女の子として生まれたかった。私も日常アニメの少女らのように、益体のない会話やババ抜きやお菓子で満ちたパジャマパーティの晩を何度も経験したかった。アニメにおける女学生同士の距離感の近さ、ああいったものが羨ましい。彼女らが送るようなフワフワして素朴な、幸福な日々で、私も生活を満たしたかった。

日常アニメにも似た素朴な遊びを従兄弟としながら、私ばかりそんなことを考えていた。それでも従兄弟は楽しそうにしてくれていたし、私としても楽しかったから、総じて今日は良い日だった。

 

*六月十九日

日記なんていくら書いても虚しくて、こんなものはツイッターで充分だ。どうせ誰も読みやしないならツイッターのほうがまだ手軽で良い。飽きたので、今日をもって日記を止めることにする。四週間弱も続いて、私にしては長く続いた方だと思う。だから何だというわけでもないが、ただ、もう、それだけ。

終わり