かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

最後のお散歩の追想(随筆)

明日には出ていくこの街の、今日は最後の散歩をした。朝の十時ごろから始めて、一旦家に戻り、ふたたび十四時前まで歩いたから、大体三時間は歩いていた。

歩いた時間なんてどうでも良い。私が書き残したいのは散歩に伴う心象のほうだ。五年居たこの街を、大学を、これで最後と思いつつ歩くと、景色は心的運動に、普段とは異なる働きかけを行なって、いや、心的運動が景色を異化して見せたのか。兎に角、普段とは異なる心象で街を歩いた。

要するに感傷していた。(単にそう言えば済むことをダラダラと書いた。)

これから私は、街を散歩しながら感傷していた、その感傷の内容を書き留める。

近ごろ物忘れが激しい。酒と睡眠薬のせいだろう。遠いことも近いことも忘れていく。今日のことを或いはふたたび思い出せないとすら思う。(実際大した記憶でもない。)だが、長い付き合いだったこの街との暇乞いを、単に忘れ去ってしまうのは惜しい。だから書き留めておきたい。書こうが書くまいが私はすべて忘れていくのだが、書き留めておけば、少なくとも、いつかの機会に読み返すことはできる。(昔に書いた文章を読み返すと、とおく忘れ去った情動の甦るようなことがときおりある。この文章もそうなれば良い。)

しかしこんなお題目もどうだって良い。私は冗長に語る癖ばかり身についた。端的にやっていこう。今日の感傷を、思いだした順番に、スケッチのように書きとめたい。時系列を辿ってダラダラと書くのは阿呆らしい。

 

大学のメインストリートの冬枯れした並木を歩きながら、そういえば私も、大学一年生の初夏の、まぶしい新緑のこの道を、期待に胸を膨らませて歩いたものだった。初夏のうつくしい並木だった。私は初夏を好きだった。大学で私の期待が満たされることはなかった。

大学祭のときは車道を開放して両脇に屋台が立ち並んだ。懐かしかった。人が多くて嫌だった。基礎クラスの出店の夜のシフトを終えれば、賑わう屋台をぜんぶ無視して、コンビニに寄って夕飯を買い、アパートで食べた。淋しかった。大学祭が嫌いだった。

私は何をしていたのだろう。

 

ひいきにしていた定食屋の跡地には雪ばかり高く積もっていた。私が唯一通っていた店だ。味も悪くなかったが、何よりも雰囲気が琴線に触れた。たいがいいつも空いていて、大学生の集団が居なかった。何度もここで夕飯を食べた。落ち着いていて好きだった。顔も覚えてくれていたと思う。いつも最低限の会話しかなかったが、一度だけ、いつもとは違う良い付け合わせをサービスしてもらったことがある。そのときは嬉しかった。

街を引き払う前日にこそ来たかった。カツ丼かラーメンを食べて、もう卒業です、って暇乞いをしたかった。ずっと好きで通っていました、いつかまた来ますね。そう言いたかった。

火事のニュースは全国区だった。帰省の実家のテレビで観た。そのまま閉店した。建物も無くなった。空き地になってからも何度も来た。誰も雪かきをしないから高く積もっている。何度来ても空き地だった。

 

古いアパートだった。五年前に越してきたときも、こんな晴れた冬だった。一目見て、あまりパッとしないなぁと思った。(内見もせず選んだから越してきたときに初めて直接目にしたのだ。)しかし同時にキラキラもしていた。ひとり暮らしや大学生活への憧れのせいか、あるいは単に積もった雪のせいかは知らない。雪が積もった街の晴れた朝は何でも綺麗に見える。

初めて目にした同じ場所からいま、このアパートを、引き払う前日の身としてもう一度見る。向かいのビルの影が差している。冬の朝の青空だからやっぱりキラキラして見える。

このアパートに五年暮らした。明日この街をいよいよ発つとき、最後に振り返って、もう一度だけ眺めるだろう。それきりふたたび戻らない。

 

大学沿いの一度だけ使った郵便局の横を通る。そのときはメンタルクリニックに行く途中で、今とは反対方向に歩いていた。夕方だったからおそらく四限が終わったあとだろう。ATMで預金をおろしてメンタルクリニックに行った。

どうしてこんなことを覚えているのだろう。

 

散歩して思ったことを書き留めたい。ついでに忘れ去ってしまいそうな思い出も書こう。たとえば思い立ったその日にゴムボールを買って公園でキャッチボールをしたことや、綺麗な喋りかたをする女性ふたりの会話が授業前の教室に心地よかったことや、北部食堂で入学早々知らない男三人で長々と話し込んで、まるで大学生みたいで嬉しかったことや、そんな思い出は私にも、それなりに、あった。人よりはすくない思い出だが、それに、後半になればなるほど、私の生活は失速していって、たとえば最後に一人旅らしい一人旅をしたのは二年生の初夏だった。だいたい、ちゃんとした一人旅自体、一年生の夏休みの北海道と、二年生の初夏の四国の二回きりだった。

私は五年かけて落ちていったのだと思う。五年かけて酒とギャンブルと睡眠薬にとりつかれ、学位を小指にぶら下げて帰る。

 

ここいらには一度、4DXの映画を観に来たことがある。

映画が始まるまでのあいだ、喫茶店で時間を潰していたことを覚えている。空いていて心地よい窓際の席でコーヒーを飲んで何やら食べていたことを思い出すと、なんだか泣きそうな心持ちがする。安らかな気持ちで映画が始まるまでの時間、コーヒーを飲むなんて、それも私は宙ぶらりんの大学生だったから、心配は何もなくて、ただコーヒーを飲んで映画を観ればそれで良かった。

ふたたびそんな身分になれない。

 

ひとりぼっちで始めたこの街の生活を、ほとんどひとりぼっちで終えて、あした去る。五年過ぎた。何人かの友人は出来た。(その多くは友人ではなくなった。)はじまりに膨らみがある紡錘形の日々だった。まったくいたずらに過ぎたわけではないが、だいたいは淋しかった。

いくつかの思い出はその輝きもて私の悲観的フリカエリを否定しようとする。だが総体としての私の日々は淋しさそのものではなかったか?そう問い直すと思い出は黙り込む。すぐに私は後悔する。(何も言わず思い出を輝かせておけば良かった。)

この先の生涯のことは知らない。今までより良くなることはないだろう。だったら、どうだって構いやしない。私は私のこれからの生涯が心底どうでも良い。

 

最後の散歩の感傷が、部屋で最後の晩を過ごす私の呪詛に取って代わられた。

もう止そう。

布団は捨てたから寝袋で寝る。この寝袋も明日には捨てる。部屋を見回せば何もなくて淋しい。こんな部屋で今晩は眠るのか。

私はこの街を去るのが淋しい。

しかしこれ以上この街に居ても何もならないことを知っている。

もう止そう。