かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

独り言を拾う電話(掌編)

なんらかの、信念と見紛うような信条や、あるいは政治的思想だとか、わたしにはそういったものが無くて、そういう強い思想を持つ人を、と言うよりも、その思想を平気な顔で、もとい、むしろ自慢げにひけらかすような人が苦手で、ではお前には意志がないのか、お前は考えない葦なのか、と問われると、しかし、わたしにも多少の信条があって、数少ない信条(、と呼んで良いのかもわからないけど)のうちのひとつに、『無聊を慰めるための出費を惜しむべきではない』という、言葉にするとなんだか恥ずかしいけれど、わたしの中にはそういった傾向があって、つまり、誰もが知っているように、生活というのはのべつ幕なしに退屈の襲来にあうものだから、退屈をしのぐためには、どんな努力も、あるいは金銭的な負担も出し惜しみするべきではないと考える。

たとえばそれは、友人と飲むための酒代であったり、趣味への出費、もしくは携帯のゲームに課金するための費用だったりするわけだけれど、わたしと酒を飲んでくれる友人は日を追うごとに減っていって今や皆無だし、趣味と呼べる趣味もないから、『無聊を慰める』出費は、専らひとりで酒を飲むことか、携帯ゲームへの課金に消えてゆき、そんな生活をしているものだから貯金も貯まらず、退屈を紛らわすどころか、ただひたすらに虚しいだけの、そんな生活を送っている、わたしは、そういうたぐいの大学生だった。

 

……しかし、なんと空虚な生活だろう!

わたしは、答えの出ない、考えるだけ遣る瀬無くなるばかりの問いを頭のなかで巡らせながら、大学の講義を、このうえなく退屈な、ひとりきりで受講するそれを、けれどもちゃんと出席して、そのうえで、ひとりきりの帰り道だった。誰ともしっかりした会話を交わすことない生活で、最後に他人としっかりとした会話(、つまり、「レジ袋は二枚ください」だとか「どうも」だとか、そういうひとことふたことのやりとりではない会話)を交わしたのは、……もうどれほど昔のことになるのか、覚えてすらいなかった。

わたしのような、どうしようもない大学生は、えてして静かに腐敗していくものだけれど、わたしもきっと、駄目になる瀬戸際だった。わたしはわたしが駄目になることを望まなかったから、どんなに朝がつらくても、絶対に大学には行くことにしていたし、生活に緩急をつけることで、なんとか人として駄目になるのを遅らせようと心がけていた。生活に緩急をつけるというのは、たとえば毎日の晩酌のつまみを違うものにしてみたり、……ああ、要するに、私は生活に緩急をつける一環として、その日の大学帰り、いつもとは違う道をとおって下校することにしたのである。

 

わたしはむかしから鈍臭くて、何も人並みにはこなせない人間だった。そのくせ行動力と好奇心は人並み以上で、そうだ、そのことを忘れていたんだ。つまり、なにを言いたいのかというと、いつもとは違う道で帰ろうとしたばかりに、持ち前の方向音痴を発揮して、道はどんどんと狭く、入り組んでゆき、しまいには薄暗い、生ごみのにおいがする、行き止まりの路地に行き着いた。面倒なことになったと思った。

ポケットから携帯を出して、帰り道を調べようとし、ふと何の気なしに右を向いて、わたしが例の店と出会ったのは、そのときだった。

 

崩れかけた、廃屋のような店構えだった。看板にはただ『古道具屋』とぶっきらぼうな字で書かれていて、しかし、ドアの横のカンテラには火が灯っていた。私は、なにか吸い込まれるような心地でドアを開いた。

店のなかはなんとなく黴臭かった。なるほど古道具屋と言うだけあって、珍妙な品揃えだった。猿がシンバルを持っているおもちゃ、変な匂いのする草で編まれた枕、掌に収まるほどに小さい薬缶。

そのなかでも或るものが、私の目を釘付けにした。それは一見ただの黒電話だった。しかし、ダイヤルには板が打ち付けられていて回らないようになっていた。一体なにに使うのだろうか、わからないまま、なぜだか私はその黒電話から目が離せずにいた。値札を見ると、ラーメン一杯にも満たない値段だった。私はすぐに買うことを決意した。

レジに持って行くと、数独を解いている婆さんが視線を上げ、私のほうをじろりと見て、まるで、あんたそんなもの何に使うんだい、と問いかけているかのようだった。わたしは何も言わずに黒電話をレジに置き、黙って千円札を差し出して、老婆が電話を紙袋に包むのを眺めていた。

 

だが、ほんとうにわたしは、どうしてこんなものを買ってしまったのだろう!

家に帰って包みを解き、あらためて黒電話を見てみると、それは思いのほかちゃちな作りをしているようだった。あの店、あの場所で見たからこそ、この黒電話は蠱惑的で、いざ家に持ち帰ってあらためて見つめると、自分自身の愚かさに、思わず苦笑いした。あの婆さんにしてやられたな、と思った。(婆さんは数独を解いていただけなのに、私に責任転嫁されて、いい迷惑だろう。)

私は、何とは無しに受話器を持ち上げた。思った以上に受話器は軽く、幼児用の玩具のようだった。私は無心で、受話器を耳に当てる。

そのときだった。私の耳に唐突に男の罵声が飛び込んだ。私は驚いて受話器を落とした。周りを見回し、しばらくの間黙っていたが、男の罵声は聞こえない。

私は、もしや、と思い、受話器を拾い、恐る恐る耳に当てた。すると、今度は子供の声が聞こえた。それは微かな声で、ひとつ、ふたつ、みっつ……と、なにかを数え上げているようだった。その声は、ななつ、まで数え上げたとき、唐突に止まり、ふたたび部屋は沈黙した。

どうなっているんだ、と思った。なにか悪い冗談のようだった。私は黒電話の本体を持ち上げ、どこかに電池でも入っていないかと探した。電池を入れる場所は無く、代わりに、本体の裏側に、赤茶けた、古ぼけた小さい紙が貼ってあり、それにはこう書かれていた。

 

『この電話は、古今東西の、誰かの獨り言を聽き取る電話です。受話器を耳に當てて下さい。』

 

私は、訝りながら、もう一度受話器を耳に当てた。ふたたび声が聞こえた。

今度は若い女の声であった。低声だが玲瓏としたその声は、雨に濡れた梨の木を思わせる。

その声を聴いた瞬間、私の鼓動は強く跳ねた。

声の主は、あら、お醤油が……、と、だけ静かに言ったきり、黙り込んだ。私は受話器を強く耳に押しつけた。しかし、受話器はもはや、沈黙を保つばかりだった。私はしばらくのあいだ、受話器を持ったまま呆然とした。

 

それからだった。私はその黒電話で、狂ったように独り言を聞き続けた。独り言を一回分聴くと、一度受話器を置かなくてはいけなくて、だから私は、何千、何万回と受話器を上げ下ろししたことになる。三日間、夜通し、何も口にせず独り言を聴きつづけた。あれだけ出席に拘っていた大学にも行かなくなった。もはや大学は、私にとって何の意味も為さなかった。

もう一度、あの女の声を聴きたかった。受話器を取るたび落胆した。時には、ある程度はうつくしい女の声を聴くこともあった。しかし、それでは意味が無かった。私は、あの女の声を聴きたかった。鈴を転がすような声、山中を彷徨い歩いていると、誰も知らない泉がふいに目の前に現れたかのような、あの声を聴きたかった。あの声でなくては意味が無かった。

ときには私は受話器を手に持ったまま、恍惚として、あの女の声を想起した。記憶の霧に霞んだそれは、しかし、朧げながらも甦った。そうして私はふたたび受話器を耳に当て、幾度目とも知れぬ落胆をした。

何遍聴いても、あの女の声は聴こえなかった。或いはそれは当然で、私だって、この世の人の数を知らない訳ではない。私のしていることは、砂山から砂粒を一粒一粒取り除くような、気の遠くなる作業だった。だが、私はもう、あの女の声に繋ぎ止められてしまった。どれほど苦労しても、ふたたびあの女の声を聴かない訳にはいかなかった。

 

 

男は、不幸にもその黒電話に出会ってしまった彼は、もはや齢いくつとも知れぬ老人になっていた。或いは彼の不幸は、この上なく美しい声を聴いてしまったことであった。だが、もはやそれは重要なことではない。

老人は、尚も受話器の上げ下ろしを続けていた。寄る年波で耳も遠くなり、黒電話の向こうから声が聞こえるのは解っても、その声音も、話す内容も聴き取れてはいなかった。

蓋し彼は、ここに至る迄に、何度か例の女の声を聴いていたことだろう。だが、彼にとって、いつからか、女の声を求めることは本質ではなくなっていた。彼は、いつからか、独り言を聴くためだけに、もっと言うならば、受話器を上げ下ろしするためだけに、黒電話を使うようになっていたのである。

 

もはや何度目とも知れなかった。老人は震える手で受話器を持ち上げ、耳に当てた。しかし、何も聴こえない。老人は受話器を一度置き、ふたたび持ち上げ、耳に当てた。だが、またしても何も聴こえない。老人は暫く考え、そののちにひとりごちて、受話器を静かに下ろし、身体を横たえた。何十年、何百年ぶりに目を閉じ、眠りについた。そうして二度と目覚めることはなかった。

 

老人の聴力が尽き果てたのか、あるいは彼が、この世の全ての独り言を聴き尽くしてしまったために受話器が沈黙したのか、今や誰も知る由はない。