かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

醜悪のむきだし(随筆)

むかしは、私は私自身が幸せになる空想をすることが頻繁だった。だけれど、私は生活に向き合うすべを、生活のなかで幸せを創り出すすべを知らないから、虚しいそれらの空想は、逃避行や心中、そういうことばかり、私は考えていた。

 

たとえば私は夏の或る日、私同様、なんの取り柄もない少女とふたり、電車に乗って、どこまでも遠くへ逃げ出してゆく。夜、逃避行のすえたどり着いた田舎の村では、たまたまお祭りがやっていて、祭りに合わせて帰省していた見知らぬ人らのなか、私と少女は二人ぼっちで居る。花火大会が始まって、ぼんやりと打ち上がる花火を見つめる。ふと私がとなりの少女の顔を見ると、彼女は花火を見ながら静かに涙を流していて、潤んだ瞳に花火の光を映しながら、私の視線に気づいた少女は、私にしか聞こえないほどの小さな声で、

「ねぇ、あたしたち、ほんとうにどうしようもない、ゴミみたいな人間だね」

と呟く。その晩の宿で、私たちは自殺する。

 

 

こう言った具合の空想をして、しかし私は、高校生のころ、或いは大学に入りたてのころ、こういう逃避行や心中、或いは頽廃した生活、そんなものを異性と送れるものだと思い込んでいて、いや、思い込んでいたと言うよりかは、縋るように願っていた。大学に入って現実を見て、逃避行や心中、頽廃するほどに親しい異性が、私には出来そうもないことを悟った。いや、それどころか、知り合いと呼べる異性の存在すら、大学で二年間過ごしてきて、私には、ただのひとりもつくることが出来なかった。私はその程度の才覚すら持ち合わせていない人間だった。

 

大学と高校で思い出したのだけれど、私は高校生の頃、こんな空想もしたことがある。

高校からの帰路、(私は電車で通学していたのだけれど、)乗り換えの駅のホームで電車を待っていると、ひとりの大学生に声をかけられる。私はもう、やるせないだけの高校生活も、さしてまじめに取り組んでいなかった(そのくせ苦痛ばかりは人並み以上に感じていた)受験勉強も、何もかもに厭気がさしていたものだから、私はその大学生(随分とエキセントリックな格好をした女性だった)の口車に乗せられるがまま、家とは反対方向の電車に乗って、彼女の家に連れ去られる。そのまま数日、一人暮らしの彼女の部屋に、私と彼女はこもりきって、ふと目が覚めた夕方、その日は秋に差しかかってきた穏やかな夏の日で、視線の端で風にそよぐカーテン、薄暗い部屋、隣で彼女が寝ている。ぼんやりしていると、遠くからは電車の音が聞こえる。このまま私は、死んでしまいたいと思う。

 

 

かつての時分の空想を思い返すと、私は電車と夏が好きだった。電車は私をどこかへ連れ去ってくれそうだったし、夏は何かが始まりそうな季節だった。要するに、私は単純だった。携帯で夏の画像を調べては心をときめかすことを繰り返して、いっぽうで高校生活は、数時間噛み続けたガムのように無味乾燥で、なんなら苦痛と義務感の混合物だった。

大学に入って、私の空想癖と夏への憧れは段々と薄れていった。でも、やはり私は大学生活に人並み以上の期待を寄せていて、しかし、無気力と行動力の無さは生まれつきのまま、同好会に入ることもせず、気づけばもう二度の夏を終えていた。

二度目の夏のはじまりに、酒を知った。酒を飲むと心地よくなるから、私は酒に心酔して、もはや逃避行も頽廃的な生活も、夏ですら、どうでもよく思えてきた。もとい、どうにもならない生活を前に、どうでも良いと思い込もうとした。

免許を取り、友人と車を借りて何処かへ行くこともたびたびだった。電車だけでは行けないような場所にも行った。私は、私の世界が急激に狭くなるのを、そうして世界への、電車への憧れが萎んでゆくのを感じた。私が憧れる夏も、異性も、逃避行も心中も、きっとどこを探しても見つからないことを悟った。

 

私はもはや、空想をしない。空想をする時間はスマホゲームに取って代わられ、空想をする快感は、酒を飲むことで代用できる。想像力は喪われ、むかしあれほど憧れていたものたちに、ほとんど心を動かされない。ただ、かつての私の価値判断、わたしの憧れの思い出だけはぼんやりと残っていて、たとえば、ふと夏の雲を見たとき、かつての自分なら、きっとあの雲に感じ入ったのだろうな、と考える。むかしの感性の残滓に基づいて判断することは出来るが、そこには一片の感情もない。

 

私はもう、このまま生きていたところで、何に憧れることも、なにかに心をはげしく動かされることもなしに、愛も知らず、ただ淡々と目の前の雑事をこなすだけの余生を送るのだろう。そのために、私はいつの日か、自ら首を括ることを選ばなければならない。かつて私が憧れた、夏を、頽廃を、異性を、そういうものをかけらも得られずに、虚しさにまかせて酒を飲み散らかす醜い化け物と化してしまった私を、私は、私自身で殺さなければならない。