かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

宵の口(随筆)

友人の家でウィスキーを飲んで、下世話な話やしゃちほこばった文学の話をした日の帰り道、なんだか私はふわふわとして、それというのも、高いウィスキーや、久方ぶりの友人とのしっかりとしたコミュニケーション、そういったものがぜんぶ良いように作用して、いつだって沈鬱な心地でいる私も今だけは幸福であるんです、そう胸を張って、酔っ払いの舌ったらずでもて、だがそうやって確信できるような、要するに、ふわふわと幸福に、私は友人宅からの帰路を夢見心地に歩んでいて、ふと斜め上を見ると、舞う粉雪が、街路灯に照らされて、風が吹いていたものだから、粉雪は一瞬だけ街路灯に照らされて、またどこかへ流れゆく、その虚ろいを照らすかのような街路灯に、また細雪に、そうしてそれらのうつろな美しさに、先ほどまでの夢見心地はどこへやら、瞬時に私は惹きつけられて、酔いは醒め、地に足がつき、しかしこれはいったい、どういったわけなのだろう。

夜の実質は孤独であり、酔いのベールで守られていた私は、ベールを剥ぎ取られたいま、途端に夜の淋しさへと苛まれてゆき、細雪は髪に幽かにすら積もらない程度のものだったけれど、夜の寂寞から逃れようと、後ろへ後ろへ私を引いていこうとする淋しさの概念を無視しようと、細雪のなか、フードをかぶった。フードを被ると街路灯も照らされる雪も見えなくなって、街路灯と雪のうつろな美しさ、それに夜の寂寞は、私への執拗な執着を諦めた。だが、夜の本質が淋しさである以上、フード越しに、私はつねに、夜の空虚さのなかから手が出て、後ろ髪を引かれるような、そんな思いに支配されて、要するに、無事にじぶんの部屋に辿り着けたときの安堵を、あなた、わかってくれますか。

だが、わたしは気づいていないんだ。わたしの部屋ですら、その空虚さにおいて、雪のしずかに降る外の孤独と、なんら本質を異にしないものであることに。

 

 

宵の口、ということばがある。この場合の口はきっと、はじまり、といった意味なのだろう。だけれど、きっと、そうではない。宵はいつだって私たちを食べてしまおうと、そこら中で待ち構えているんだ。

或いはそれは友人宅、私と彼はカクテル、ゴッドファーザーをつくって呑んで、呑み呑まれ、文学の話や哲学の話、愛についての議論などをしている最中、私はふと直感した、宵が、その大口を開け放って、私たちが宵へと突っ込んでいくのを期待している。宵の口を感じるや否や、私はそこを辞去していた。この宵の口は、わたしのものではないからだ。

或いはそれは帰宅路に、私が立ち止まり、街路灯と細雪のうつろいを見て酔いが醒め、同時に風流をかすかに感じたあの瞬間、私が立ちすくんでいる直ぐ後ろで、宵が大口開けて、私が呑まれていくのを待っていた。私はそれを無視してアパートに帰り、だが、アパートの扉に擬態した宵の口が私を待っていた。私は知らんぷりをして、宵の口のなかへと進んだ。そこで私は風呂に入り、部屋着に着替え、布団に入り、ひたすらスマホを触っている。もはや宵の口と呼べる時間ではないし、宵の食道あたりまでいったところだろう。明日になれば私たちは、宵の明けから退出して、ふたたび、いつも通り、なんら変わらず生きてゆく、だから君、宵の口をそこいらで見かけたところで、決して怖がる必要はない。君らは毎日、いずれかの宵の口を通り、宵のなかで、夜を送っているのだから。

 

……やあ、君、宵の口の向こうへ行っちゃいけないったら。