かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

終末の現代(掌編)

だらけきった、老人の皮膚の垂れ下がるシワの数々の、隙間に積もる埃ほどの価値もない、なにもかも荒みきった、それでいて上品であるかのように取り繕っている、この掃き溜めの世界で、あなたは静かに、まさに掃き溜めの鶴でした、静かに本を、ニコニコとしながら読んでいる本の、分厚い本の、きっとそれは全集の一冊なのだろうな、なんて、想像して、想像におさまらず、思わず、そう、思わず、私は、私から他人に話しかけることなんて滅多にないのだけれど、そう、そうやって黙り込んで、貝のように黙り込んで孤独に過ごし、て生涯を送っていくのかと思いきや、私なぞに話しかけて、それどころか、親しく、遊びなど、遊園地に行ったりする機会のたび、ことあるごとに私を誘ってくれる奇特な友人が、小学校、中学校、云々、…とにかく、事あるごとに、有難いやら迷惑やら、いや、とても有難いことなのだけれど、いや、君、私はほんとうに嬉しいことだと思っているのですよ、何故って彼らのような存在が居なかったならば、私は全くの孤独な生活を、生活の節目だとかそんなものにかかわりなく過ごしていて、…いや、私の奇特な友人の話は今はどうでも良いんです。とにかく、そんなふうにして、滅多にひとにじぶんから話しかけることのないような、そんな私が、あなたには、あなたにだけには私みずから声をかけてしまって、ぎこちなく、私は、どこか不満げな顔を傾げるように私を見つめるあなたに、思わず、そう思わず話しかけてしまった私は、その瞬間だけは光速を超える頭の回転を、一生に一度きりのそれを発揮して、だから私の残りの生涯は、もはやぜんぶ愚鈍ななかに終わることになるのだが、光速を凌ぐその瞬間の私の全頭脳もて、「ねえ、なにを読んでいるの?」「…、(あなたは瞬間、稲妻のようにきらめく表情、)トリフィド時代!(…と言って、あなたは三寒四温の季節のように恥じらって、呟くように続けることは、)……、トリフィド時代っていうのはね、その、イギリスの、SFの、……、ほら、大槻ケンヂって、知ってる?(私の疑問符いっぱいの(自分から話しかけておきながら、何てこと!)表情を見て、更にか細い声をして、あなたは続ける、)…、知らないか…、その、ね?ひとを、ひとに麻酔針を打って、ひとを食べてしまう、トリフィドっていう生物が…流星の降った次の日から、人が目が見えなく、…(云々、云々、云々!私はあなたの読む本にも、もっと言えば話す言葉にも、それほどの興味はなくて、専ら頬を赤らめて、こんなこと言えばあなたはひどく怒るかもしれないが、あなたはそれすら気づいていさえしたのかも知れない、とすら私は今になっては思います、あなたはとても聡明で、そんなあなたの、知性の彫刻した表情が照れでデレデレとだらしなくいるその愛らしさ、私はあなたの、そうやって話す様子に魅入ってばかりで、ウィンザム、トリフィド、もはやそれくらいしか覚えていないが、あなたが話すのを私は、まるで理解しきっているかのように頷きながら聴き入るふりして、)……

 

 

もっぱら比喩的に語ることをきみ、赦してくれるね?赦す?よし!じゃあ話します、(…あたしはこうして婉曲に話すことが好きで、と言うよりか直截なやりかたが厭で、いや、まあ、御託はさておき、始めますが、)私とあなたは親しくなって、あなたは時折、あなたはきっと魔女かなにかで、私の垢を洗い流すように、一度、こんなことがあった。いや、それきりあなたは行ってしまったが、それはさておき、あなたと私は、カフェに行き、私はアイスコーヒーで、あなたはフラペチーノ、私はぼんやりと楽しいなァ、って思っていたのだけれど、あなたはどこか不満げで、それが私には気になって、「ねえ、一体…、」「いいから、ねえ、あたしの言うとおりに、これを掛けてみて。」手渡されたのは、もとい、私のほうに差し出されたその、眼鏡、ずいぶん奇矯なそれを、私はあなたから受け取って、あなたが言うことだから、ほかのひとならばこうはいかない、でも、他でもない、あなたが言うことだもの、しぶしぶ、それを受け取って、掛けてみると、なんてことない、普通の眼鏡で、すこし風景の歪んで見える以外には、なんてことなく、あなたのうつくしい顔、白いカップ、あなたのフラペチーノ、茶色いテーブル、私のカップも白く、その中には泥水、私の服、私の手、私のカップの中の泥水、泥水?

それがどうして泥水だとわかったのか、あなたの差し出した眼鏡のふしぎな力だと、そう言うほかないのでしょうか、とにかく、私のカップのなかには、私がつい先ほどまでアイスコーヒーだと思って飲んでいたそれは泥水で、驚いて、見渡すと、ずいぶんとたくさんの、いや、ほとんどのひとが、コーヒーカップのなか、泥水が入っていて、それを平然と、飲んでいる!

「どうですか?」とあなたは言って、あなたはフラペチーノを口にする、それはやっぱり泥水ではなくフラペチーノで、私の顔にはふたたびきっと疑問符が満ちていたのでしょう、あなたは笑いながら言ったんです、「気づいてくれましたか…?あなた、あなたはきっと、そのまま生きてゆけばいいけど、ただ、ただひとつだけ、現代の、偽物が跋扈している現代にだけ、それだけには気をつけて…、あたしのことは忘れ去っても、この今の時代には、泥水と麻薬の混合物が膾炙しているものだから、あたしにわざわざ話しかけてくれた、あなたにだけは、あたしあのとき、ほんとうに嬉しくて、だから、あなたに、あなたにだけは、そっと教えてあげることにしたの。コーヒーのふりした泥水、正統なふりしたマガイモノ、あなた、それには、充分、気をつけて……。」

それだけ言うと、なんと!、あなたは静かに光の粒子のようになって、指先からゆっくりと消えていった。あとにはあなたが遺したフラペチーノ、それと、あなたのバッグだけが残っていた。私は、あなたが粒子になっていくのを間の抜けた顔で見つめて、あなたが消え去ってしまったあとに、遺言状みたく残ったフラペチーノを、まるで私は変態みたいさね、あなたが遺したフラペチーノを、飲んでみると、妙に苦くて、あなたが忘れていったバッグ、僭越ながら、覗いてみると、『華氏四五一度』、『アポロンの島』、『西瓜糖の日々』が、キラキラと輝いて入っていた。

 

私は、とおくの彼女のバッグのなかを覗きみるのをやめにして、私の手元を見てみると、泥水の入ったティーカップのあるきりだった。私は彼女が遺していった眼鏡を外し、もう一度私の手元を見ると、私が、他のだれでもない私が注文したアイスコーヒー、砂糖をいっぱい入れ込んだアイスコーヒー、口にすると甘くって、私はふたくちでそれを飲み干すと、彼女のカプチーノ、彼女のバッグ、彼女のくれた眼鏡、なにもかも置き去って、店を出た。

…もう、彼女は居ないのだもの!