かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

21st century addicted man(随筆)

そうなる迄に半年もかからなかった。死んだ魚の目でもて、取り憑かれたかのように、あわれ、ほぼ四六時中思考を、行動を囚われる。こないだ久方振りに実家に帰って、小学校の卒業アルバムを見返すと、未だ眼に光を灯して、自身の生活に見棄てられる直前の(、残念ながらお前の生涯はそれ以降下り坂の一本道だ、ざまあみろ!)、小賢しい猿みたいな顔をした幼少の時分の少年が、しかし、この頃、一体何を糧に、今では私を支配しきった諦観に身を縛られることなく、自由闊達に生きていたのか、欠片も思い出せやしない。

去年の八月に弱冠を迎え、いまは北風吹き荒ぶ時季、もはや私は、脳の髄まで浸された。

当初は全く、ほんのふとした憧れだった。私の両親も、私の祖父も、嗜む人らで、或いは私が呑んでしまうのも必然だろう。それに私は随分と退屈な生活を、親許を離れた四畳半のビルヂングの一室で送っていて、例えば私は、顔も知らぬ隣人がその友人を招いて、幽かにでも彼らの話し声や笑い声が聞こえると、嫉妬や空虚をもとにした、壁を殴りたい衝動を抑えるのに必死だった。そういった私の虚しい生活に、酒はこの上なく馴染んだ。
夜毎に酒量は増えていき、呑まない日は減っていった。私を止める人はいなかったから、ときには朝から口にした。
今やもう、一日でも呑まない日があると、その晩はもはや最悪で、私の生活の虚しさが酔いの無い虚無と相まって、私の脳味噌をぐるぐるとかき混ぜる心地の悪さ、地獄のような空虚さに、一度はビニール紐を結んでドアノブに吊るして、どんなにか楽になろうかと思った。
かと言って呑めばいや増しの苦痛である。夢中で流し込んでいる間はまだ良いが、眠るまで酔いは保たずに、部屋の空洞が鳴り響く、一秒一秒が千日のようにも感じられて、私の虚無は、呑めど呑まずとも、私を、この上なく苦しめる。

去年の春、不眠と不安感に悩まされ、これは不安感と云うよりかは、存在への絶望だったのだが、精神を診る医院に行って、それ以来、抗鬱薬睡眠薬を常用している。
一向に良くならないばかりか、寧ろ近頃は、薬を飲めど寝つけない。存在への絶望は、一時期ましになっていたが、近頃ふたたび増大して、存在への絶望と虚無との混血児、私を、私を刺すような視線で、冷やかに嗤っているのだ。

煙草は吸わない。それというのも、部屋の火災報知器のようなものがどうにも恐ろしく、かと言って換気扇の下で一服するのも遣る瀬無いから、しかし、数回、かつての知己との旅先で、吸ったこと自体は私にもある。口に煙を含み、飲むように吸い込み、肺に入れる。身体中にほの昏い活力が巡るような想いがして、くらくらとする感覚、心地良かった。あれから数ヶ月が経った今でも、私は誰かが一本呉れでもしたら、喜んで頂戴して、煙を身体に満たすだろう。

蓋し、国家が中毒物質を禁じるのは、それが人を、ひいては国自体を蝕むからで、要は国家の都合に他ならない。私のような人間が酒を呑むことは、そもそも誰にも禁じられる謂れのないもので、だが、呑んだあとの虚無、呑まずとも虚無、存在への絶望、睡眠薬、ああ!金が無いから今晩は酒を抜いているのだが、こんな思考の堂々巡り。そうでもしていないと空虚さが私をせせら嗤って、素寒貧の私は、どうしようもなく呑めずに、……そうだ、こないだジャンパーの内ポケットに、酒を買った釣銭を、財布に戻すのが面倒でそのまま入れていたんだった、どれ、……ああ、三百円は優にある!これだけあれば、ウィスキーの小瓶が買える。私を殺さんとする虚無や、存在への絶望も、ウィスキーの小瓶で殴り殺してやる!流し込むように喉越し、焼けるように喉の熱さ、頭は火照り、しばらくの間は、空虚さも絶望も口をつぐみ、遠巻きに私を眺めるのみだ。……或いはそれが最終的に、絶望と虚無の混血児を更に増長させることになったとしても、私は、酒を想うと、それに酒を買うだけの小銭が有って、晩、パブロフの犬、涎を垂らしかねない私は、しかし、パジャマにジャンパーを羽織っただけの格好でビルヂングを出、コンビニへ急いだ。
酒が、酒が呑める!