かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

今際の追想(随筆)

火を通した肉塊の、その総てがほとんど黒ずみぼろぼろになってしまった、屑肉の、しかし、その芯の芯、そこにはまだ、ほんの少し、辛うじて、まだ生きていたころのようなピンク色の肉が、焼けずに残っている、そんな、……いや、うまく言えない。

つまり、私にも、懈怠と反復のうちに擦れ、使い古したゴム玉のように黒ずみひび割れた私の、こころ、感性にも、まだ、恥ずかしいほどに感じやすく瑞々しかった時分の名残が、ほんの少し、駄目になった大部分の私の残骸に守られるように包まれ、懈怠と反復の日常に触れずに、けがされずに残っていた。

 

そのような繊細な感性の残りが存在していることを確かめるのはいくぶん容易で、つまり、かつての自身が烈しく愛した(、或いはかつての自身はそう言って憚らなかった、そんな)ものをナイフのように使いながら、薄汚れて弾力を失った感性を切り分ける。(出来ればそれは音楽などが望ましい。……もとい、私の場合のそれは音楽だった。)そうすると、死んだような感性の奥深くに、その腹中ふかく、胎児のように小さく、痛々しいほどに感じやすい感性の残滓が残っている。

きっと誰のなかにもそれはある筈で、そんなものの無い人間は、若かったころの感性の薫風を、次第次第に稀有になるそれが全く途切れさってしまった人間は、果たして、酒や煙草や女やギャンブル、金銭、地位、その他、皮相的なものばかりを追ってばかりいるのか。

 

先程使い古した感性を切り分けたナイフ。それはおそらく鏡でもある。あかあかとした烈しく小さな感性の残滓と、いま現在の私じしんを交互に見比べ、すると、私は、ずいぶんと、余計なものばかり身につけてきた。愚にもつかないことばかり云ってきた。何ひとつ、かつての私が望んだであろうとおりにはしてこなかった。

ただ美しいもの、心を揺さぶりかけるもの、そんなものだけに触れて生きてゆけるものだとばかり思っていた。

私の容姿は醜いが、私の感性はいつまでもやわらかくて赤い、はずむようなものであると信じていた。

 

切り分け取り出した昔日の感性の残滓が、いまの私のくさくさとした厭世と諦観、ため息に触れ、みるみるうちに黒ずみひび割れ、ほかの大部分と同様に、弾力を永遠に失った。

 

あと何度きり、私は昔のように感動できるのだろう。