かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

下馬評的エヴァ評(評論?)

アメリカで映画『アバター』が公開された際、映画内で描写される光景のあまりの美しさと、自身の日常生活の平凡さとの間のギャップに耐えられず、観賞後抑うつ状態に落ち入る人が相次いだという。「抑うつ状態」だなんて少々大げさであるような気もするが、しかしそれに類似するような感覚(、つまりひとつの「閉じた」映画の世界から我々の日常に戻った際、目に映るものすべてが平板に見え、日々の出来事すべてが退屈に思えるような感覚)を持つことは、とくに珍しいことでもないだろう。

幸いにして私が今回のエヴァ、『シン・エヴァ』を観た後に、前述したようなギャップ、つまり映画-日常間のギャップで煩わされるようなことはほとんど無かった。既にエヴァを観た人々には分かってもらえると思うが、終盤におけるメタフィクション的描写(特撮ステージを模した場所で戦うエヴァ二機や、ミサト宅の居間がハリボテであることの示唆等)の連発や、最終ショットの宇部新川駅の実写映像のために、『シン・エヴァ』は、エヴァンゲリオン的世界として「閉じた」ものではなく、現実世界へと「開かれた」ものと化している。或いは、終盤の描写全般や宇部新川の実写映像が、『シン・エヴァ』という作品と現実の世界との間の橋渡しとなっていると言っても良い。それらの描写は、映画から現実へのソフトランディング(軟着陸)の役割を果たしているのだ。つまり『シン・エヴァ』が現実世界へと「開かれた」作品であるために、我々は、たとえば映画館を後にして目にする「いつもどおりの」街並みに、とりわけガッカリするようなことがない。現に私も観賞後、いつも通りの街並みを歩きながら、平然と帰路に着いた。

……いや、嘘だ。平然と帰路についたわけではなかった。正直に言えば、私は幾分ガッカリしながら家に帰ったのである。もちろんそれは映画-現実間のギャップによるものではない。だが私はガッカリしていた。では一体、何のために?

おそらくそれは、エヴァが「開かれた」作品であるという、まさにその事実のためにである。

 

私はEOE公開の翌年に生まれた。要するにエヴァの呪縛の対象外の人間だった。『シン・エヴァ』で浄化されるべきターゲット層(=アニメ版をリアルタイムで視聴していたような層)からは全く外れている人間である。

エヴァにおける「当事者」、つまり十年単位でエヴァの完結を待ち望んでいたような人々と比べれば私は全き部外者でしかなかったが、しかしそれでも私はエヴァの完結を、私と同年代の人びとのなかでは楽しみにしていた方だと思う。Qでの超展開からどのようにして物語を畳むのか、ゲンドウとの和解は為されるのか、ポッと出の真希波をどのように物語の内部に回収するのか、等々。新劇の結末は、アニメ版の「おめでとう」では無いだろうし、旧劇の「オタクは現実に還れ」でも無いだろうと勝手に思い込んでいた。前作のようなメタ行為を繰り返しはしないだろうと思っていた。あくまで新劇エヴァは、新劇エヴァという枠組みのなかで風呂敷を畳むものだと思っていた。つまり私は、「閉じた」物語である新劇エヴァが、「閉じた」物語のままどのような結末を迎えるのか期待していたのだ。

……或いは私は、私自身が「エヴァの呪縛」にかけられることを期待していたのかもしれない。不幸にも(幸運にも?)エヴァの「当事者」(=リアルタイムでアニメ版を観ていた人びと)たりえなかった私は、エヴァが「好き」ではあったものの、その好意はあくまで「好き」止まりであった。エヴァを愛しているとすら言えるような「当事者」に対する引け目があった。エヴァのためにその生涯を動かされたような「当事者」と比べれば、私の抱くエヴァへの感情はほんの些細なものであった。だからこそ私は『シン・エヴァ』に期待していた。『シン・エヴァ』がすぐれたものであれば、私はそれに魅せられて、そのためにエヴァの二次的な「当事者」になることが出来るかもしれないなどと思っていた。(要するに私は、庵野がその作品をとおして現実に帰そうと手を尽くしていた人々、つまりエヴァに翻弄された「当事者」に、逆説的な流入を果たしたかったのだ。)私は期待に胸を膨らませて3月8日を迎えた。

だが現実は私の望んだとおりにはならなかった。エヴァはその物語を「閉じる」ために、現実世界へと「開かれた」作品として終結を迎えた。「開かれた」手法をつうじて伝えられるメッセージ、旧劇と相似形のそれ(=現実に還れ)はエヴァの「当事者」ではない私には響くものではなかったし、「当事者」になることを望む私にも受け入れがたいものだった。旧劇と比べれば懇切丁寧なその手法も、いずれにせよ私には受け入れ難かった。

何よりも私はその「開かれた」手法が気にくわなかった。私はエヴァエヴァの世界として「閉じた」まま終結を迎えることを望んでいたのに、私が終盤で目にしたのは野暮で無粋なメタフィクションの数々、挙げ句の果てには宇部新川駅だった。

私は一個のアニメーション作品として「閉じた」まま結末を迎えるエヴァを観たかった。メタフィクションの多用によって「閉じた」世界をむりやりに開く仕方ではなく、最後まで「閉じた」世界で完結するエヴァを観たかった。そのうえで私は、完結したエヴァの世界に、第二の「当事者」として浸っていたかった。エヴァを観たあとの日常の街並みが平板に見えることを望んでいた。エヴァで私の生涯が大きく動かされてしまうことを望んでいた。そうしてそうはならなかった。

今やもうエヴァは無い。シンジ君が消してしまった。私に福音は訪れなかった。シンジ君には真希波が居るかもしれないが、私には手を取る相手もない。現実に向き合う気力もない。私はひとりきりで補完するしかない。

だから私は日の当たらない小さな部屋に閉じこもり、かつてのエヴァの二次創作を読み漁っている。『シン・エヴァ』に背を向けて、在りし日の「当事者」たちの痕跡を幾度もなぞっている。

物書きの先生と私(掌編)

原稿用紙の前で懐手をしてウンウン唸っていた先生は、おもむろに唸るのをやめると、散歩に行ってきます、と言って立ち上がり、外に出る準備をしはじめた。以前いちど先生の散歩を許したとき、そのまましばらく雲隠れを決め込まれたことがあって、そのときはずいぶん困らされたものだ。だから私は周章てて先生に、散歩なら私もお供します、と告げた。すると先生は準備の手を止め、ふと私のほうを向き、そう言うだろうと思いました、と言いながら、すこし困ったような顔で笑った。

「併し、」外に出ると先生は言った。「ずいぶん涼しくなったものですね。こんな時間なのに早や暮れかけているし、……ほんの暫く外に出ないだけで、こうも季節に置いていかれるとは思わなかった」

私は先生に、そう蟄居ばかりしていればそりゃ置いてゆかれもしますよ、と言った。それを聞いて先生は、ではもうすこしこの軟禁を緩めていただきたいものですね、なんて言うから、私は、書くものさえ書いていただければどこへでも行っていただいて結構です、と告げた。すると先生、また困ったように微笑みながら、弱ったなぁ、と頭を掻いて呟いた。それから少し黙って歩いてから先生は言った。

「そこいらで一服していきましょうか。」

先生と私は公園のベンチに腰掛けた。私たちのほかには誰もいない公園だった。先生は紙巻き煙草を取り出すと、ぼんやりとそれを喫いだした。美味しいですか、と私が訊くと、先生はエエ、と曖昧に返事をした。

先生と私が座っているベンチの向いには砂場が有った。その砂場のすぐ横で、一匹の猫が夕陽を浴びながら寝転んでいて、先生はいつからかその猫を眺めるともなく眺めながら、相変わらず煙草を喫っていた。

私が手持ち無沙汰にしているのに気付くと先生は、私に煙草の箱を差し出して、一本どうです、と尋ねた。私が、私は吸わないですから、と言ってそれを断ると、先生は珍しいことに尚も粘って、「ではこれを機に一本だけ試してみるのはどうですか、或いは良い経験かも知れないですよ」なんて訊いてくるものだから、私はそれを固辞してから、言った。

「そろそろ書くことが思い浮かびましたか。もうだいぶ息抜きをしていますし、ぼちぼち戻って何か書きましょう」

その言葉は先生の急所を突いたようだった。先生は私を泣きそうな顔で一瞥すると、急に老け込んでしまったかのように背を丸め、ふたたびぼんやりと、生気の欠如した眼差しで猫を眺めはじめた。(猫は眠るのをやめて起き上がり、身体をほぐすように伸びをしていた。)

私は先生を、今度は励まそうと思って言った。

「私は先生が書くものを毎回楽しみに待っているんですよ。先生の書くものは題材も、その書き方も面白くて、愛嬌があって、要は私は先生に期待しているんです。だからこそ、先生が原稿用紙の前で懐手したり、散歩したり、或いはこの間みたいに逃げ出したり、そういうことをしているのが、仮令それが書くために必要なことであったとしても、私には、妙にじれったい」

先生は、そうですか、とだけ呟いて、相変わらず伸びをしている猫を眺めていた。私は続けた。

「もし私が先生に代わって、先生のように闊達な文章を書くことが出来たら、どんなにか良いだろうと思います。あのようにものを書き進めることはきっとこの上ない喜びでしょうし、それに、一つの自足した世界を小説として作り上げることも。そうしてそのような一つの完結した宇宙が、ほかならぬ自分の手で作り上げたものだとしたら。そのようにして作り上げた宇宙を、つまり自分の作品を、他の大勢から羨望されるようなその作品を、自分の一部でもある小宇宙を読み返す心地は、いったいどんなにか素晴らしいものでしょう」

私がそう話している途中のある箇所で、先生の身体がピクリと動いた。心なしか猫を眺める先生の表情も強張ったように思えた。私が喋り終わると、先生は私をチラと見た。それから先生は煙草を棄て、猫を眺めながら話しはじめた。

「ものを書くというのは、あなたが想像だにしないほど、あまりに淋しい営みなんですよ。書くということ自体がそうであるのは言わずもがな、今こうしてわたしが取り組んでいる文章も、つまりあなたが小宇宙と言ったそれは、書き終えてしまえばわたしとは完全に独立して、あまりに孤独に、ただ在るのです。それはわたしからも完全に独立している、閉じ切った宇宙です。筆を置き、最後の句点を打ち、ため息をついたその瞬間、つい先ほどまでわたしの一部であったそれは、途端に冷たく、余所余所しいものとなって閉じ切ってしまう。仮令その小宇宙を誰かが誉めてくれたところで、もはやそれとわたしは今や、全くの別物なのです。孤独な営みをとおして、自分の一部を自分とはまったく別な孤独としてひねり出す。そんなものは、まるで、……まるで、」

そこまで言って先生は口を噤んだ。そうして新しい煙草に火を点けた。

向かいに目をやると、猫は砂場に入って糞をしていた。私と先生に見つめられながら猫は、プルプルと震えながら排泄を終え、それから後ろ足で糞に砂をかけ、振り向きもせず去っていった。

少しすると先生は立ち上がり、煙草を踏み消しながら言った。

「先に戻って続きを書いていますね。日が沈むときっと寒くなりますよ」

 

私は先生が去ってからもしばらく、砂にまみれた猫の糞を見つめていた。

電気ちょうちょと自動カナブン(掌編)

帰りの会の、『先生のおはなし』の時間になると、先生はプリントを配りながら、ニコニコして言いはじめた。

「来月の図工の時間から、『機械じかけの生きものたち』の単元をはじめますよ。いま回しているプリントに書かれている、どちらの生きものをつくるか選んで、丸をつけて明日提出してくださいね。友達と相談するのも良いですけど、ちゃんと親御さんとも話しあって決めましょうね。」

教室のみんなはワッと盛り上がった。みんな、機械じかけの生きものを作るのをずっと楽しみにしていたからだ。回ってきたプリントを見てみると、二種類の機械じかけの生きもののカラー写真がのっていた。『自動カナブン』と『電気ちょうちょ』だ。自動カナブンは強そうで、電気ちょうちょはひらひらしていた。わたしはどっちも作れたら良いのにな、って思った。

帰りの会が終わると、わたしたちは仲のいい友だちみんなで集まった。(ほかの人たちもそれぞれ友だちどうしで集まって話していた。放課後の教室なのに、なんだかいつもよりにぎやかだった。)そうして、電気ちょうちょが可愛いから、みんなで電気ちょうちょにしようねって話しになった。わたしはプリントをもう一回見てみると、たしかに自動カナブンの強そうな感じよりも、電気ちょうちょのひらひらして可愛い感じのほうが良いなって思った。

帰り道も友だちと、電気ちょうちょの話をしながら帰った。電気ちょうちょをつくれるなんて、これからの図工が今からもう、待ち遠しかった。

 

家に帰ってただいまって言うと、おかあさんがわたしにお帰りって言ってくれた。おかあさんはわたしに、今日の学校はどうだったの、って聞いた。

「もうすぐ図工でね、機械じかけの生きものたちだからね、電気ちょうちょとか自動カナブンとかを作るの。それでプリントをもらってきたの。どっちにするか決めて、明日提出するんだって。」

「あら、おかあさんも小学生の頃、機械じかけの生きものを作ったのよ。」

わたしがおかあさんにプリントをわたすと、おかあさんはプリントを見ながらふふって笑って、昔となにも変わっていないのね、って言った。

「それで、あなたは自動カナブンと電気ちょうちょのどっちをつくるの?」

おかあさんはわたしにきいた。わたしはすぐに答えた。

「電気ちょうちょにする。」

「そう。電気ちょうちょが良いと思ったのね?」

「あのね、りさちゃんたちもみんな電気ちょうちょが良いねって言ってたの。それでね、みんなでいっしょにね、電気ちょうちょにしようってね、」

と、最後まで言い終わらないうちにわたしは口をつぐんだ。これまでウンウンとわたしのはなしをきいていたおかあさんが、きゅうに困ったような表情をしたからだ。

おかあさんは言った。

「あなたはあなたのお友だちが電気ちょうちょをえらぶから、そのお友だちといっしょになるように電気ちょうちょを選ぼうとしているの?」

「うん、でもね、みんなで話してからプリントを見て、そうしたら電気ちょうちょは可愛いって思ったの。」

「そう。……でもそれは、ほんとうにあなたの気持ちなのかしら?みんなが電気ちょうちょにするって言って、それでみんなが電気ちょうちょが可愛いって言ったから、あなたもそれに引っ張られて、電気ちょうちょが良い、って勘違いしただけかもしれないでしょう。違うかしら?」

わたしはぽかんとして、おかあさんのことを見ていた。おかあさんが何を言いたいのかよくわからなかった。おかあさんは続けて言った。

「ほら、もう一回このプリントの写真をよく見て。電気ちょうちょは可愛いわね、たしかに。でも、自動カナブンをよく見てみれば、自動カナブンも格好良くて、作ってみたいと思わない?」

わたしはもういちどプリントを見てみた。自動カナブンは強そうで、おかあさんのいうとおり、『格好良い』な、って思った。わたしは言った。

「うん、自動カナブンは格好良い。やっぱりわたし、自動カナブンをつくることにしようかな。」

「そう?でもそれは、おかあさんがそう言ったから、それに引っ張られて、あなたもそうしようと思ったんじゃないかしら。違う?」

「うーん、わかんない。」

わたしがそう言うと、おかあさんはますます困ったような顔をした。わたしもおかあさんの言いたいことがわからなくて困っていたけれど、でもわたしは、大好きなおかあさんを困らせてしまうことのほうが、もっといやだった。

おかあさんは言った。

「ねえ、あのね、わたしは、あなたが思ったとおりに選んでほしいと思っているのよ。わたしはあなたが、電気ちょうちょをえらんでも自動カナブンをえらんでも、どちらでも良いと思っているの。でも、あなたが、あなたの思っているとおりではないことを、たとえばあなたのお友だちがみんな電気ちょうちょにするから、それにあわせて電気ちょうちょをえらぶようなことは、しないでほしいの。わかる?」

「うん……。」

「それであなたは、電気ちょうちょと自動カナブンのどっちを作りたいの?」

「……電気ちょうちょ?」

「それはほんとうにあなたが作りたいと思っているのね?お友だちにあわせたのではなくて。」

「……自動カナブン。」

「はっきりして。おかあさんが自動カナブンが格好良いね、って言ったから自動カナブンって言うの?それはあなたの意志ではないでしょう。あなたの意志はどこにあるの?あなたは、他ならぬあなたはどうしたいの?」

「もう、わかんないよ」

「わからない、じゃあ駄目なの。あなたはどうしたいのか聞いているの。あなたの意志に基づいて決めてほしいの。難しいことじゃないでしょう、ねえ、はっきりしなさい。」

わたしはいつもとちがうおかあさんに気圧されて、とうとう泣き出してしまった。おかあさんは泣いているわたしを、こわい顔で見つめていた。わたしはどうしてこうなってしまったのかわからなかった。電気ちょうちょも自動カナブンも、もはやどうでもよかった。いつものやさしいおかあさんにもどってほしかった。意志だとか言われてもわからなかった。

わたしがずっと泣いているのに、おかあさんはわたしになにも言ってくれなかった。泣きじゃくるわたしを、ずっとこわい顔をして見ているだけだった。わたしが、ちゃんと、電気ちょうちょか自動カナブンか決めるまで、おかあさんはゆるしてくれそうにはなかった。

わたしはヒックヒックとしゃくりあげながら言った。

「自動カナブンにする。」

「それは、おかあさんがそう言ったからそうするとか、そんな理由じゃないのね?」

「うん。」

「あなたの意志に基づいてそう決めたのね?」

「うん。」(意志って何なの、なんて聞けなかった。)

「お友だちと違うけど、それはあなたがそうしたいからそうしたのね?」

「……うん。」

「それなら良し。……いい?あなたには、自分の意志で自分のことを決めるような子になってほしいの。(おかあさんはここでやっと泣いているわたしを抱きしめてくれた。)まわりの人の意見にあわせて、それに流されるようにして、なんとなくものごとを決めるような子には育ってほしくはないの。自由で主体的な、独立した個人として、じぶんの将来を切り開いてゆくような子になってほしいの。おかあさん、そのためにあなたに厳しくしたのよ、わかってくれるわね?……よし。それであなたは、あしたあなたのお友だちに、ちゃんと説明しなければいけないのよ。『わたしは電気ちょうちょじゃなくて、自動カナブンを作ることにしたの。わたしがそうしたいから、みんなといっしょじゃなくて、わたしの意志でこうするの。』って、ちゃんとそう言うのよ。お友だちもきっと、わかってくれるわ。もしわかってくれなくても、なによりも大切なのは、あなたが、あなたの意志で、ものごとを決めていく、ってことなのだから……。」

おかあさんはそのまま、わたしをしばらく抱きしめてくれていた。わたしは結局、意志ってことばの意味もわからなかったし、自動カナブンにすることを明日友だちに説明するのも厭だったけど、でも、おかあさんが喜んでくれているならそれで良かったんだと思った。わたしが自動カナブンにして、おかあさんが喜んでくれるなら、それが正解だと思った。

わたしはおかあさんに抱かれながら、いつのまにか眠ってしまっていた。

自分語り(随筆)

自分語りなんてものはまったく、語る側からしてみれば楽しいのかもしれないが、聴く方からしてみればこれほどつまらないものはなくて、とくにそれを語っているのが聞き手にとって大して興味のない人間だったならば尚更のこと、くわえてその語りぶりが冗長極まりなく、内容も凡庸なものでしかないときたら、それはもう、いたたまれないほどの苦痛である。たとえば君ら、酒の入った僕が君らに向かって滔々と、長々と自分語りを始めたら、君らきっとはじめは困惑し、すぐに飽きて、次第に相槌も適当に、しまいには僕のことなど適当にあしらいながらスマホツイッターしはじめるんだろう。或いはもっと直截に、興味ねぇから、って僕を突っぱねる。とうぜん僕は不満足だ。もし僕がどうしても誰かに自分のことを語りたい(かつそれを聴いて反応してほしい)ならば、然るべきお店に行って安くないオカネを払い、そうして出てきたオネエチャンに自分語りをするほかない。

僕みたいなゴミカスにとって承認欲求を満たすのは至難の技である。ならばゴミカスはゴミカスらしく承認欲求など捨てて、ツツマシヤカに生きるべきだ。ツツマシヤカに、そうして誰からも疎まれずに生きたいならば、誰かに自分語りなどふっかけてはならない。地蔵のようにあれ。地蔵のように謙虚に微笑み、苔むして、忘れられてゆけ。そうして誰の目にも入らない場所で朽ちていってくれ。

……いやそんなことはたぶん無理だ。承認欲求を捨て去れるものか。座禅は三分で飽きる。賢者モードは三時間も続かない。そもそもこの世にある言明は、ごくごく一部のものを除いて全て承認欲求に基づいている。「やっと承認欲求なくなったよ〜v( ^ω^ )v」って呟いていいねを稼げ。解脱したことを自慢して回れ。

さて、どうしても承認欲求が捨て去れないならば、つまり自分語りなどをしたいならば、なるべく周囲に迷惑をかけず、かつ語る側の人間も満足のいくような方法を取らねばならない。例えばそれは、タイトルを「自分語り」などとして誰も読まないブログに書き連ねておけば良い。自分語りをする側は、自分に興味を持った誰かがそれを読み「うる」、という点、可能性で満足しなければならない。そうしてツイッターに「自分語り」をブログに更新したよ、とリンクを貼る程度のことは許されよう。長々と聴かされるよりはマシだ。

ところでSNSをやっている人間はきっとみな、三船敏郎似の大金持ちが「君のブログもツイッターも全部読んだよ、何遍も読んだ。そうしておれは君そのもの、ありのままの君に惚れ込んだ。どうかおれと仲良くしてくれ」なんて言ってくる、そういう可能性が実現するのを待っているのだ。あるいはこれほど大げさでなくとも、「ありのままの」自分だとか「ほんとうの」自分だとかいうものをSNSをとおして知ってほしいのだ。そうでなければ他人からこう見られたいという自分をSNSで演出する。或いはその複合体。私は間違っているか?おれは違う、おれはそんなつもりでSNSをやっているわけじゃない、とおまえはそう言い切れるか?本当か?お前の言明のほんの片隅にも衒いや見栄や顕示欲がまったく無いと言い切れるか?私にはあった。お前は三船敏郎と知り合いたくはないのか?私は三船敏郎と知り合いたかった。

 

ここまでしょうもないばかり書いた。ここからもしょうもないことばかり書く。ただしょうもないことの性質が変わるだけだ。

幼い頃から今に至るまでずっと人見知りだった。或いは新たな環境に溶け込むのが非常に苦手だった。最古の記憶は幼稚園の、おそらく入園したての頃の記憶で、朝の幼稚園の玄関口で私は母に、半泣きになりながら何度も確認したものだ、絶対迎えに来てね、早く迎えに来てね、と。オジギソウが置いてある幼稚園だった。

小学校に入学するとき、最初の小学校では居住地区ごとに集まって登校する形式だったから、入学前に渡される班登校の名簿を見ながら、この子も一年生だから友達になれるかなあ、だとか、そんなことを始業式、つまり実際に登校することになるまでずっと思い悩んでいた。二年生の冬に転校した二つ目の小学校では班登校が無かったから、尚更友達が出来るか不安だった。また転校生として知らない人らの前で自己紹介することについてもひどく怯えていた。

幼稚園生、小学生低学年くらいまでの人見知りは可愛いものだが、歳を取ってからのそれは明らかな欠点でしかないし、ときに人を不快にもさせる。中学校に入学したてのころの私も相変わらずの人見知りで、誰に話しかけるわけでもなく、孤立していた。周囲の人間関係が出来上がってゆくなか、どこにも馴染めず、やることもないし、休み時間には自分の席でひとり黙って生徒手帳を読んでいた。馬鹿か?

大学に入っても人見知りだった。この頃にはもはや人見知りはコミュニケーション能力の明らかな欠如を伴って、入学してすぐのクラスオリエンテーション、私の隣の席にいたT舘くんが折角話しかけてくれたにも関わらず、私はよくわからない返事をして会話をすぐに終わらせた。のちに親しくなったT舘くんとそのことをめぐって話していたとき、当時の私について彼は、「この人は会話を膨らませる気が無いんだろうな」「仲良くなれないと思った」「これきり二度と話さない気がした」などと思っていたと告げた。(何の因果か知らないが、結局私は大学の同級生のなかではT舘くんといちばん親しくしていた気がする。彼の生涯に幸多からんことを。)

さて、人見知りの愚図だった私だが、小学校、中高、大学、いずれの学生生活もどういうわけだかそれほど悪いものではなかった。小学生の頃はどちらの小学校でも上手くやれた。運が良いことに私は頭がそれなりに良く、足もそれなりに速かったから、けっこう愉快な六年間だった。私の人生で最も楽しかった時期だろう。小学校四年生くらいの時分にトラックにでも撥ねられて死んじまえば良かったのに。(つまり私は幸せの絶頂で死にたかった。行く末までは難ければ、だ。)

中学校でも私の生活はそれほど悪いわけではなかった。なんだかわからないうちに知り合いが出来、よくわからないうちに交友関係が広がっていて、それなりの学生生活の出来だった。偏差値にすれば四十五くらいの学生生活だった。中高一貫だったから、高校生活もその程度の、つまり悪すぎはしない出来だった。

中学高校時代のことは多少記憶に残っている。たとえば高校一年生の文化祭で、私には出番も、観に行きたいものも、一緒に文化祭を回る相手も居なかったから、舞台と化した教室の裏側、そのすみっこで体育座りしてずっと『はだしのゲン』を読んでいたのだけど、そんな惨めな私に当時好きだったひとが話しかけてきて、「ずっと漫画読んでるね」って話しかけてきてくれて、要するに、好きだったひとが私に話しかけてくれたんです!突然!私は嬉しいってよかびっくりしちゃって、そんで私は既に人見知りを拗らせていたもんだから、会話を膨らませばいいものを、エエだかウンだかそんなよくわからない返事だけして、それきり、好きなひととの会話は終わった。……馬鹿か?

好きだったひとについては今なおたくさんのことを語りうる。当時好きだったそのひととは最後まで親しくならなかった。それにも関わらず彼女について語れるのは、そもそも私に異性と接する経験がふつうのひとの五十分の一程度しか無くて、これは誇張しているわけではない、ほんとうにそれくらいしかないんだ。だから、僅かな異性との接触、それもとりわけ好きだった異性のことは非常に記憶に残っている。私はその記憶を、海馬に刻み込まれた彼女の記憶を、何度も何度も指でなぞるように反芻する。

たとえば、席替えで彼女が私のふたつうしろの席になったことがある。ある日、私のすぐうしろの席の男が休んで、そういうとき、つまりあいだに空席がひとつ出来たとき、プリントを回す際に後ろを振り向き手を伸ばすようにして回さなければ届かないのだけど、あれは古典の時間だった、手を伸ばしてプリントを回すために後ろを振り向くと、瞬間、彼女と目が合って、好きなひとと目が合った、それだけで私はもうじゅうぶんに幸せだったのだけれど、そのときの彼女の目にはちょうど日光が射していて、黒いものだと思っていたその瞳は、陽の光が射すと明るい茶色をしていたんだ。その茶色い瞳を見ると私の心臓はひとつ高い音を打ち、私は射すくめられたかのように、……いや、まあ、つまり、私はそういったことばかり覚えている。そういったことならいくらでも話せる。だがやめておこう、彼女がこれを読まないとも限らない。

文化祭関連ではもうひとつ話せることがある。高校三年生の文化祭で、そのクラスでは私はほんとうに居場所が無かったから、舞台裏に篭っているわけにもいかず、仕方なしに新しい校舎の5階の隅の、人気のないトイレに数時間篭ってスマホいじって時間を潰していた。文化祭の日にそんな場所でそんなふうに時間を潰しているのが非常に惨めだった。しかし後日そのことをネタにして話す程度の知り合いは居た。だから私の高校生活はまるきり最低ではなかったと信じたい。

しかし高校の卒業式の日はひとりでそそくさと帰った。中学高校六年間をとおして親友はひとりも出来なかった。彼女も出来やしなかった。とんでもない。出来る筈がなかった。別れを惜しむ相手すらも居なかった。

ちょうど良いことに今手許に、卒業式の日の帰りの電車のなかでひとり、スマホに記した文章がある。以下に丸ごと引いてみよう。

 

"高校の卒業式が、今日だった。
中学高校と一貫校に通っていて、私にはたくさんの知り合いが出来た。
今日、ホームルームが終わったあと、ほかの生徒は教室の中外で、仲のいいもの同士、歓談していた。
そこに、私の居場所は、無かった。
私にはたくさんの知り合いが出来たが、ただの一人も、友人は出来なかった。
親しい同士で語り合う、教室を、廊下を、靴箱を、逃げるかのように急いで抜けた。靴を履き替えている時に、通りかかった知り合いに、「じゃあな」と云われた。それが却って悲しくて、昇降口を転がり出た。
校門前でも、親しい同士はそこに居た。目を伏せて、背中を丸めて通り過ぎた。
私の前に、私のように一人きり、淋しく帰る人が居た。話しかけたくなった。抱きしめたくなった。ふと彼の手許に目をやると、うぐいす色の手提げの中、綺麗な花束が入っていた。彼は、一人きりでは、なかった。哀しみは深く深く沈んだ。
今、電車に乗っている。同級生の姿は無い。皆が親しく学校で、別れを惜しんでいる、その間、私は一人、ひとりきり、電車のなかでこんなことを思っている。淋しいのは私ひとりだけで良い。恨むのも、羨むのも、すべて、疲れた。"

 

さて、私の中高生活が悪すぎるというほどのものではなかったことは以上に示したとおりだが、同様に私の大学生活も、最悪というまでには至らないものであった。この頃、つまり大学へ入学する頃には、私の狷介もだいぶ現在のそれへと近いものとなっていたが、それでもまだ一縷の希望と小指の先ほどの積極性は残っていた。だから私にしては珍しく、オリエンテーションの日、一人の男に声をかけた。その後、彼と私にあと二人を加えた四人の面子でその日のうちに飯を喰い、そこを起点に交友関係が広がっていった。(ところで私が話しかけたその男とは今では全く疎遠になってしまった。彼はどうしているのだろう。しかしまあ、ふたたび会うこともあるまい。元気にしていれば良い。)

サークルには入らなかった。サークルに入るほどの積極性は私には無かった。既成のコミュニティに割って入るほどの図太さが無かった。愛想良く振る舞う手段、ひととの話を膨らませる方法を知らなかった。雑談の種も無かった。鈍重そうな図体をした繊細なノミの心臓、それが私だった。(もっとも今ではその繊細さすらも残っておらず、今の私は思い出に縋る醜い野暮天でしかない。時折追憶にふけっては、もはや頭陀袋に成り下がった心が雑に痛む箇所を探り、そうしてその痛みの位置をよすがとして、かつての感性を不細工に再演するほかない、そんな、三流詩人のなり損ない、惨めな唐変木が今の私だ。)

サークルには入らなかったものの、ときおり集団で旅行に行ったり、鍋を囲んだり、釣りに行ったりはした。オリエンテーションから広がった交友関係の、数少ない知己がなにかと私を誘ったりしてくれたためだ。今や無気力で愚図なウドの大木たる私が、それでもいくつかの「大学生らしい」思い出を持つに至ったのは、彼らが私の世話を焼いてくれたためである。人間的に成熟している連中ばかりだった。

私がどれだけ惨めでかつ彼らがどれほど成熟していたかを示す良い話がある。ある冬の期間、私は私の友人らに有料で夕飯を依頼していた。と言うのも、私があまりに家事が出来ず、つまり何の料理もまともに作れないために、夕飯はお年玉貯金を切り崩して外食やコンビニでの豪遊で済ませてきたのだが、そんな貯金も底をつき、寮で頼める飯も割高だから、つまり、現実的な値段で健康的な食事を提供してくれる人々が私には必要だった。私は私の大学の知己らにそれを話し、彼らは平然と引き受けてくれた。それからしばらくの間、夕方になると私は彼らの家に向かい、持ち回りで提供される彼らの夕飯を食した。美味しかった。そうしてそれは私が帰省するまでのあいだ続いた。(もっとも今では夕飯くらいは自分で作れるようにはなった。鍋である。白菜とネギとトーフとモヤシ、シメにはウドン。寮ではこれを毎晩食うようになった。変わることなく毎晩そうしていた。手間をかけるのが面倒だった。レパートリーを増やすなんてもってのほかだった。健康は損なわれるが気にしなかった。大学付近の寮に戻るたび体調を崩し、帰省するたび体調が良くなるのを繰り返した。……馬鹿か?)

大学の知己らと共に普通免許を取りにも行った。温泉地へ合宿免許を取りに行った。私たちはそれをすこし楽しみにもしていたんです、合宿免許であることを抜きにしても、温泉地の旅館に二週間も泊まることなんてきっとこの先無いだろうから、だってそれは、まるで、明治時代の文豪かなにかのようではないか?

甘かった。合宿免許がそんな優雅なものである筈が無い。あれはほんの浅めの地獄だろう。給食を残した小学生がのちに入ることになる地獄。

まずそれは旅館とは言い難かった。いや確かに旅館ではあったのだろう、そう、それは旅館で、もし私が普通の旅行客として泊まりにきたならばそこは旅館であったのだ。もとい、旅館という側面だけを見るだけで終わったのだろう。だが我々は旅行客ではなかった。単なる合宿免許生だった。合宿免許生を旅行客の如く歓迎する理由など無い。合宿免許生は懲役刑受刑者である。

我々の部屋は正面玄関から入り、長い廊下を抜け、急な階段を上り、傾いた廊下を抜け、その果てにある狭くホコリじみた黴臭い和室だった。その和室に七人で詰め込まれた。風情もくそもありはしない、男子大学生のごった煮だった。部屋の鍵は壊れていた。

我々は三人組で行ったのだが、我々と同室に詰め込まれた四人組が曲者だった。奴らは毎晩毎晩深夜まで酒盛りをした。ほんとうに。一日か二日を除いて、毎晩。翌日の起床が早朝であろうが我々がもう眠ろうとしていようがお構いなしに酒盛りをし、騒ぎ散らした。私は睡眠薬を持っていたから明るさにも騒音にも煩わされず眠りにつくことが出来たが、あとの二人はなんとも可哀想だった。一度などは奴ら、つまりあの四人組のなかの二人、深夜に殴り合いの喧嘩をおっぱじめた。我々が寝ているまさにその部屋の中で。大馬鹿者だと思った。知己は喧嘩に巻き込まれそうになり(頭を踏まれそうになったのだ)ビクッと飛び起きた。それを見て私はすこし笑いそうになった。

飯もひどいものだった。だが、泊まっていた処の嫌なことばかり羅列しても仕方がない。旅館、もとい、合宿免許中に宿泊していた施設の話はもうやめよう。

私にとっては日中も、つまり教習所に居るあいだも苦痛だった。どうやら致命的に運転センスが無いようで、何度も何度も叱られた。どうあがいても左回りで脱輪した。分離帯を越えているかどうかなんてわからなかった。植え込みに車を擦った回数も両手におさまりはしない。サイドミラーは言われたとおりに見るが、サイドミラーが示唆する状況なんて瞬時に理解できやしなかった。ほかの人の教官はあらかた固定されているのに、私だけ何度も何度も教官が変わった。そうして運転するたびに叱られるかため息をつかれた。

もうずっと帰りたかった。合宿をやめてしまおうと退校手続きまで調べた。もともと運転するつもりはなくて、ただ最強の身分証明書をとるだけのつもりで来たのだから、こんなにも辛いなら早々に諦めてしまおうと思った。一緒に合宿免許に行ったTとIに何度か泣き言も言った。Tは慰めてくれた。Iはポケモンgoに夢中だった。

それでも奇跡的に、ふたつの実技試験もひとつの筆記試験もダブらずに乗り越えて、最短期日で必要課程をすべてこなした。二週間の懲役は終わった。もうこの土地には二度と来るまいと思った。今では結局運転免許証は単なる身分証明書でしかなくなった。何のための二週間だったのか?(ただ、運転中にとおく見える雪の山並みはなんとも綺麗なものだった。)

 

別の話をしよう。私の退廃の話だ。

最初に私にそれを教え込んだのはSだ。彼には大いに反省していただきたい。彼は私の中高の時分の同級生で、別々の大学に入ってからも帰省するたび都合が合えば会っていた。彼とひさびさに顔を合わせたある日、居酒屋で飯を食い酒を飲みそれなりに愉快に歓談したのち、店を出て二人肩を並べて歩いていると、ふとSは立ち止まり、悪戯っぽい笑顔を浮かべて、ある下卑た建物を指差した。私はそれまでそんな処に足を踏み入れたことがなくって、でもそういう、いかがわしいことにも少しだけ興味があったものだから、出歯亀根性、頬を赤らめて頷いた。そうしてSと私はそこへと足を踏み入れた。すべての萎靡のみなもと、頽廃の巣窟。私の処女は失われた。はじめての相手はジャグラーだった。

一杯目は杭のように、二杯目は鷹のように、三杯目は小鳥のように!なんて慣用句がロシアにはあるらしい。これは酒についての慣用句だが、しかし何事もはじめこそが杭を飲むように最もなし難く、そうしてそこを乗り越えてしまえば、かつまたその初体験で悪くない思いなどしてしまえば、あとはもう、なし崩しに、私は鷹を飲み込んで、小鳥を飲み込み、そうしてもう、スロットは我が命のともしび、我が肉のほむらと化した。初体験からそうなるまでにそれほど時間はかからなかった。常日頃からスロットを打つようになっていた。

長期休みに帰省すれば、毎朝スロットを打ちにいった。開店早々店舗に入場、そうしてなんの根拠もない台を打つのが好きだった。平日の朝のガラガラの店内、澄んだ空気のパチ屋のなか、パンクロックを聴きながら打った。そんな立ち回りでは勝てるはずがないのに、不思議とうまくいっていた。

スロットで勝ったぶんを旅費として、金沢へひとり旅に出たこともあった。私は吉田健一が好きだったから、彼の愛した金沢の土地を見て回るのが悲願だった。金沢に早めに着き、ホテルへのチェックインまでの合間のほんの二時間、暇つぶしのつもりで打ったスロットに、現地での旅費のほとんどを飲まれた。三泊四日の旅だったが、何もかもが嫌んなって、ずっとホテルに篭っていた。気が狂っているとしか思えなかった。

旅先で打つスロットは、しかし素晴らしい結果をもたらしもした。大学三年の夏休み、高校の時分の同級生らと四国をめぐる旅に出たとき、栗林公園を見に行く彼らと別行動で私だけスロットを打っていたことがある。と言うのも栗林公園には以前行ったことがあったためで、しかし、ほんの二時間足らずのあいだに四国の旅費のほとんどがスロットマシーンから還ってくるとは思わなかった。あれほど気持ちの良い経験は無かった。ああいう展開のスロットをふたたび打ちたい。

勿論スロットで苦しみもした。とくに大学の学期中に有り金をほとんどスッてしまった時などは深刻で、次の仕送りまでギリギリの生活を余儀なくされた。酒を飲むことすらままならなかった。どうにも我慢できなくなって、酒代にしようと古本まとめて売り払い、二千円ちょっとの現金を手に、だが、札が財布の中にあると、抗い難い引力が生じ、催眠にかかったかのようにふらふらと、引き寄せられ、次の瞬間にはもうスロットマシーンを前にして、かつてあんなに愛した本たちを売り払って手にした二枚の千円札を、打ち尽くして、何も残らず、茫然としている私が居た。この時ばかりはいたく沈んだ。

このように切羽詰まっているときに打つスロットは辛かったが、ある程度の余剰がある際に打つスロットはまぁ楽しかった。大学に講義を受けに行くはずが、いつの間にかパチ屋の方に足が向かっていた。そんなことが二度三度、もとい数え切れないほどあって、大学三年生の時分の取得単位はあまりに少なかった。だが楽しかった。先のことなど何もかも見ないふりをした。すかすかの時間割を踏みつけて打つスロットは心地よかった。その結果私は大学を四年で卒業するには至らなかった。言いようもなく愚かだが、馬鹿であるとは思わない。ゆっくりと破滅していくことへの焦燥混じりのうれしさは、その渦中にある心地良さは、他の何にも替えがたかった。

 

 

頽廃といえば、私は異性とふたりして頽廃するようなことを望んでもいた。あるいは心中、あるいは逃避行、あるいは講義をひたすらに無視して黄色い太陽を見るようなことをしたかった。とうぜんそんなことは叶うはずがなかったが、それだけに非常に恋い焦がれもした。

いくつか引いてみようか、どんなふうに私が異性を恋焦がれていたか、そうしてどんなふうに絶望していたか。

 

"煙とシューゲイザーで充しきった部屋でウイスキーを舐めながら、言葉もなくふたり、疑ぐるような視線を交わしつつ、現世と地獄のふれてとけあう接点のこの部屋で、おれと少女がふたりきりで沈黙しきっているような、そんな、ことをしたかった、おれの大学生活に、少女のたったひとりきりが足りずにいる"

 

"ほんとうにおれは誰からも愛される経験なしに、大学生活までも終えてしまうのか。いちおうあと2年残ってはいるが、もう、なにも起こらないのは確実で、終わるのか、おれのモラトリアムは。愛のひとつも知ることすら出来ず、今よりももっと辛く長い懲役のような人生が、おれの前に、あと何十年も "

 

"旅に出て、行きずりの女と心中したい。私のように救われない愚図で、とかく悲観的な女と。

心中の直前、「つまらない人生だったね」なんてお互いに言いあっている、そんな瞬間だけは幸せだろう。

いざ死ぬ段になって、二人とも怖くなって逃げ出してしまっても好いし、或いはそのまま死んでしまっても構わないんだけれども、誰も追いかけやしないのに死にたいくせして二人どこまでも生きる為に逃げ続ける、そんな逃避行も好いと思う。

連れだって夏、ひたすらに逃げて、もう終末がすぐそこのような寂れた港で、二人してバーやなんかをつくって、ひっそりと、息を殺して、けれども自適に暮らしていけたら、もうこれは私のある種の理想の生き方であるみたいだ。"

 

 

 

頽廃というほどのものではないが、講義を一週間丸ごとすっぽかして、四国へ一人、旅に出たことがある。大学二年の六月のことだ。

もともとそういうことがしてみたかった。つまり、逃避行のような、今の何もかもを投げ出して、永遠に、あるいはしばらくの間、どこか遠くに行くようなことがしたかった。そうして当時の私にはまだ金が有った。スロットを覚える前だったから。

まず札幌から神戸に飛んだ。旅のはじまりはいつだって楽しい。とりわけそれが背徳的な趣きを含んでいるなら尚のこと良い。今にして思えば講義を一週間サボるくらいまったく大したことではないのだけれど、当時の私にはそんなことですら一大事のように思われたのだ。そうしてそれを心から楽しんでいた。

神戸からは高松までの夜行フェリーだった。夜行フェリーに一人で乗るのも初めてだった。夜行フェリーの待合所の雰囲気が好きだった。誰も彼もみな黙りこくって、平日の夜中にこんなフェリーに乗って行く、きっと彼らも逃避行だ。私は彼ら全員に微笑みかけたく思った。どうか素晴らしい逃避行を送って下さい。すんでのところで話しかけるのを思いとどまった。

……別に時系列順に出来事を羅列していく必要も無いだろう。要するに、当時の私が四国においてやることなすこと何もかも、四国という土地の良さに加えて、逃避行としての性質をも帯びていたために、ふつうの旅行として以上の楽しみをもたらしてくれた。たとえば四万十川沿いをレンタサイクルで下っていったあの素晴らしい朝だった、道中でいくつかの沈下橋を渡ったり、そう、沈下橋は前々から一度は目にしたい、渡ってみたいと思っていた処だったんです。昼前の青空のもとでしずかな碧いろをした四万十川、その上にかかる沈下橋を自転車で渡る。その事実、そんなことを、前々からずっとしたいと思っていたそんなことを、現にいまこうして、私がやっているという、そのことが言いようもなく幸せだった。まるで永遠の現在だ、これまでの生涯はすべてここに収束するために存在していたのだとすら思われた。そんな全身の幸福を更に上乗せるのが逃避行であるという事実、つまり、私が今こうして青空のもとうつくしい川沿いを下っているその一方、大学に居る彼らは、生温かい教室にすし詰めにされ、退屈極まりない概論の講義を受けている、私が青空のもとでこんなにも解放されているにも関わらず!私はたいそう幸せだった、私の生涯であれほど幸せだった一週間はそう無いだろう。四万十川のうつくしさ、瀬戸内海の街の雰囲気、きっとふたたび来ないだろう街で美味しい肉うどんをすすり、清潔なホテルに戻り、眠る。誰も私を知らない。この開放感!私は充たされていた。あのように充たされることは今後どれほど生きていようが決して無いだろう。今の私には若さも感受性も無い。あれほど全身でなにかを謳歌することはもはや有り得ない。

 

心の底から楽しかったと言えるような旅はしかし、私にはもう一つだけ存在する。大学二年の夏休みの沖縄旅行だ。これは一人で行ったのではなく高校の時分の同級生ら数人と共に行ったものである。何とも奇妙なことに、その時一緒に旅行した彼らとは在学中それほど仲良くはなかった。卒業してから親しくなったのだ、もとい、彼らが私に親しくしてくれていた。とくに、Y田とMとAとはその後も何度か旅行や飲み会を共にした。

沖縄旅行は彼らに誘われての旅行だった。一人では決して沖縄には行きはしなかったことだろう。また一人で行ったところでそれほど楽しむことは出来なかっただろう。一週間もの間、ひたすらに酒を飲み、飯を喰らい、下らない話をして笑い、街を歩き、海に入り、とにかく放埒で心地の良い一週間だった。在学中はそれほど親しいわけではなかった彼らとの旅行なのに、どういうわけだかしっくりと馴染み、打ち解けていて楽しかった。はじめて煙草を吸ったのも沖縄でのことだった。

沖縄でのあの一週間に戻れればどんなにか良いだろうと思う。たとえば沖合に泳ぎ出てそこで一人、波を枕に仰向けに、目を閉じてプカプカ浮くことの心地良さったら無かった。浮くのに飽きて砂浜に戻れば、彼らはそこで喋っていた。あるいはMを砂へ埋めていて、そうして私も気兼ねなしに、冗談のひとつでも言いながらそこへ溶け込んだ。夕方に、海から街へと戻るバスに乗れば、心地良い倦怠感を溶かすような雰囲気に、目蓋が重く下がってゆき、半睡の状態で揺れるバスの振動がどうにも心地よかった。夜になれば泡盛で酒盛りをした、きっとあれほど愉快な心地で酒を飲むことはもう無いだろう。旨い酒と旨い料理と気のおけない知己が居ればなにも言うことなしだった。すぐに眠ってしまうのがもったいなくてみんなして深夜に出かける散歩も良かった。「ふかす」やりかたではなくて肺に入れる煙草の吸いかたを直ぐに教わった。葉巻をひと口吸わせてもらったりもした。煙草を吸うと快楽の日々のきわでまた一歩堕落したような気がして、それもまたなんだか嬉しかった。

楽しい日々はすぐ終わる、悲しいことに。旅が終わると我々は空港の駅で一本締めをして別れた。あれきりもう、私の生涯の最良の日々は永遠に過去のものになってしまった。

沖縄での一週間、我々はみな大学二年生だった。若かった。ただ若いというだけではなくて、我々の将来の明暗がはっきりと分かれてはいなかった。たとえばMは公認会計士になって、かたや私は留年の愚図だ、今では。しかし当時はまだ我々は単なる大学生でしかなかった。時間が経ち、明暗が分かれ、社会的地位も分化して、そういうふうに我々の歯車は少しずつ噛み合わなくなってしまうのだ。僅かな乖離はこれから先もどんどんと大きくなってゆき、たとえば今、かつてと同じ面子でふたたび沖縄に行ったとしても、あの日々ほどに楽しくはないだろう。或いはいくぶん後悔する羽目にすらなるかもしれない。かたや輝かしい将来が待っている連中、かたや過去の追憶にしか縋るべきものがない私、不可抗力的で散漫な、そんな乖離は我々を否応なしに引き離して、我々はもう、お互いによそよそしくなってゆく。もはや在りし日の面影すらもはっきりしない。かつてあれほどまでに気心の知れたように思われた彼らとの、その思い出が錯覚であったようにすら感じられて、しかしあの沖縄での日々は、たしかに、この上なく愉快なものであった筈なのだ。私の生涯の、たいして良くもない私の生涯の、最良の日々がそこにはあった筈なのだ。

 

誰も読みやしない自分語りを長々と続けていったい何になるのか。もう何も言うことはない。

日常最終日(掌編)

殺人事件のニュースのあとは地球滅亡のニュースだった。どうやら今夜の十二時ちょうどに、一瞬で地球は終わるらしい。

そのニュースがテレビから流れたときに僕ら家族の三人は、テーブル囲んで朝ごはんを食べていた。誰も言葉を発さなかった。箸と食器だけがカチャカチャと音を立てる食卓に淡々とニュースキャスターが地球滅亡の予定を伝える、静かな朝だった。ゆいいつ母だけがボソリと、最近暗いニュースばかりね、と呟いた。誰も返事をしなかった。

すこしして父が、じゃあ会社に行ってくるよ、と言って席を立った。半分も朝食を食べていなかった。今夜の晩ごはんはうちで食べるの?と母が訊くと、ごめん今日も残業で遅くなる、と返事をして家を出た。母は深くため息をついた。

ひじきをちょびちょび食べながら、僕はテレビをぼんやり見ていた。地球滅亡のニュースはとっくに終わり、エンタメ情報に変わっていた。僕が好きな女の子(北里さんのことだ)に似ているアイドルの、熱愛報道が特集されていて、とてもおどろき、それからなにやら悲しくなった。(ぼくはこのアイドルのことも気になっていたのだ。)理由は違えど僕も母も悲しくて、つまり食卓は悲しみの膜で覆われた。いたたまれなくなっちまったから、僕は朝食の残りを大車輪でかき込んで、いつもより早く家を出て学校に向かった。玄関のドアを閉めるとき、家の中から、母のふかいため息が聞こえた。

学校に着くと教室はいつもどおりうるさかった。僕が自分の席に座ると、どこからともなくタケシのやつがニヤニヤしながらやって来て、昨日のプロ野球の話をマシンガンみたいに喋りはじめた。これもいつものことだった。僕は野球に興味がないから、ペン回ししながら適当に相槌うってやり過ごすのだけど、ふとタケシのマシンガンは止まり、声をひそめて僕に訊いた。

「そういえば今日で地球が滅ぶらしいな」

そうみたいだね、と僕が言うと、タケシのやつが更にニヤニヤしながら言った。

「じゃあお前、北里さんにコクっちまえよ」

僕はタケシを引っ叩いた。タケシはしばらくヘラヘラ笑ってからまた野球の話をしはじめて、僕は相槌も適当に北里さんのほうをチラチラ見ていた。(今のが北里さんに聞こえていたらどうしよう。)そのうち担任が入ってきてみんなじぶんの席に戻った。朝のホームルームは文化祭の出し物についての話だった。

 

夕方だった。特筆すべきことのない授業が済み、帰りのホームルームもつつがなく終わって、教室を出ようとするその瞬間、ちょうど僕は呼び止められた。振り返ると声の主は北里さんだった。(北里さんに話しかけられるのは初めてだった。とてもびっくりした。)僕のびっくりをよそに北里さんは、文化祭の連絡事項とかを伝えられるように僕の連絡先を知りたい、だとかそんなことを言っていて、僕はびっくり醒めやらぬうちにアアだかウンだかそんな冴えない返事を返した。それから、急に去来した緊張、心臓が口から飛びだしてしまいそうな緊張をなんとかこらえるようにして、何気ないように振る舞いつつ連絡先を交換した。(連絡先を交換するために携帯と携帯を近づけるとき、ふと携帯をもつ北里さんの手と僕の手がふれ、北里さんの手は柔らかかった。おもわず僕は叫んでしまいそうだった。)それから北里さんは、じゃあね、と(僕に対して!)笑いかけて、(僕に対して!)手を振って、僕はふたたびアアだかウンだかそんな感じのなんとも冴えない返事をして教室を出た。要するに僕は北里さんとはじめて会話をして、連絡先も交換したのだ。

 

北里さんと話せたことや、北里さんの連絡先が僕の携帯のなかに存在することへの、不滅の歓びに包まれながら帰路を辿り、ルンルン気分のまま家のドアを開けると、途端に家から深い悲しみが溢れ出して、それにあてられて急速に僕の歓喜も萎んでいった。そこには朝の悲しみがあいもかわらず垂れこめていた。もう真っ暗になりかけている居間で母はひとり、テレビも電気もつけることなく、俯いて、何もせずに腰掛けていた。痛々しいほどに打ちひしがれている母を見て、僕の気分も地に落ちた。

母は帰ってきた僕に気づくと、ひとつため息をついてから、無機質な機械のように、

「ごめんね、今日の晩ご飯はピザで良い?」

と訊いた。僕はそれで良いよ、と言った。深い悲しみに沈んだ母とこれ以上一緒にいることに耐えられそうもなかったから、僕は居間の電気をつけ、それから二階の自分の部屋へと撤退した。

ピザが来たみたいだから一階に降りると、母とピザ配達員が揉めていた。どうやらクーポンの使用条件について揉めていて、「併用不可」の字の小ささについて母が不平を述べていた。配達員は戸惑っていた。聴いているとどうやら母の主張に無理があるように思われた。しかし配達員の心が先に折れたようで、明日以降使えるクーポン(これは併用可能なやつだ)を多めに母に渡すことで事をおさめようとした。母もそれに納得した。こうして揉め事は解消された。

一悶着をトッピングしたせいですこし冷めたピザを食べながら母に、けっきょく今回ぶんのピザは安くならなかったんだよねって訊くと、そうよ、と母はしずかに言った。つづけて僕は母に訊いた、今日の十二時で僕らみんなおしまいなのに明日以降のクーポン貰ってどうすんの?母は僕をちらりと見て、ため息ひとつ吐いて言った。

「私はずっとこうやってきたの。あと三十年生きようが、明日を待たずに死ぬことになろうが、私がやることは変わらないわ。明日がどうなろうが、ただ淡々と、これまでやってきたように、いつだってやっていくだけなの。配達の彼だって同じだわ。いつだって同じようにピザを届けて、揉め事がおこればクーポンを多めに渡して解決するの。誰だって、私みたいに明日以降使えるクーポンを貰うか、或いは彼みたいに明日以降使えるクーポンを渡す、それだけよ、その繰り返しなのよ。あんただって例外じゃないわ」

「そういうもんなの?」

「そうよ」

「そういうもんかなぁ」

僕の返事を聞くと母は静かにうなずいて、間髪おかずにテレビをつけた。テレビの中では芸能人がゲラゲラ笑って騒いでいた。母と僕とはふたたび話さなかった。

夜だった。僕はじぶんの部屋に居て、布団をかぶって携帯の連絡帳をニヤニヤ見ていた。

僕は北里さんにどんなメールを送ろうかと妄想していた。無難に挨拶でも送ろうか。それともなにか、つぎの休日に遊びにでも誘ってみようか。けれどもそれはいささか急すぎるかな、でも僕は北里さんともっと親しくなりたくて、或いは、そう、つまり、……。

突然かつ一瞬にして地球じゅうが真っ白な宇宙光線に包まれて、次の瞬間にはもう地球は無くなっていた。予定どおり、夜の十二時ちょうどだった。僕は妄想でニヤニヤしながら、母は悲しみに沈みながら、父は不義を働きつつ、北里さんは恋人とメールをしながら、タケシは眠りにつきながら、みんな一瞬で滅んでいった。

或る晩(掌編)

マンションの一戸のあるじの部屋に、来客を告げるチャイムが鳴った。こんな夜中にいったい誰がと思いつつ玄関のドアを開けると、すぐそこに男が土下座していた。彼は言った。

「大変申し訳ないです」

あるじは目を閉じ、ふたたび目をひらいた。やはりそこに男が土下座していた。あるじは言葉を失った。何しろ出会った人間が最初から土下座していることなんて、彼にとっては初めての経験であった。

「どうか許していただきたい」

土下座の男は身じろぎもせずにそう続けた。マンションの通路に相も変わらず頭をこすりつけながら。

あるじはどうか土下座をやめるように言い、男を助け起こしてやった。(男は最初どうしても土下座をやめようとしなかったので、かれを助け起こすのだけでゆうに数分はかかった。)男を立たせ、そこであるじはようやく男の顔を見たわけだが、しかし、あれほどまでにひれ伏していたその男の顔に、あるじは全く見覚えがなかった。

あるじは言った。

「失礼ですが、いったいどういう要件でいらしたのでしょう?なぜ土下座なさっていたのですか」

「私は貴方に謝罪をしに、そうして許していただくために来たのです」

「ええ、それは存じ上げておりますが、つまり、なにを謝りにきたのですか?」

それを聞いた男は目を丸くして言った。

「私が、私がこうも謝っている理由がわからないのですか?私は土下座までしていたのに、あなたは私を知らないとおっしゃる。私のことが、私の謝っている理由が、私の顔を見てもわからないのですか?」

わからないのだ。あるじはその男のことを全く覚えていないか、あるいはそもそも知りもしなかった。

「申し訳ないがわかりかねますね」

「そんな、それじゃあ、あんまりだ、ねぇ……」

男は目を伏せ、しきりに鼻をすすりだした。このままでは彼は、今度は泣きだしでもするだろう。

あるじは最初に土下座の男を目にしたときの自分の感情、つまり困惑の感情が、徐々に怒りへと変わってゆくのを感じていた。こいつは一体何者なのだ。そう思いつつあるじは言った。

「あなたに謝られる理由が思い浮かばないし、しかもそのご尊顔も初めて見るよ。いったいなにを謝っているのか、あんなにも激しく謝っていた理由を、どうかはっきり言ってくれないか」

「そんな、私に、私の罪をつまびらかに説明しろと言うんですか。そんなことをさせるほど、ああ、あなたはたいへん怒っていらっしゃる。……ああ、私はとんでもないことを……、ほんとうに私は、あなたになんとお詫びすれば良いのか……」

ここに来てあるじの怒りは頂点に達した。何しろはっきりしない男だ。しかしその怒りをぎりぎりのところで押しとどめながら、忍耐強くあるじは言った。

「私は怒っていないし、むしろ非常に戸惑っているんだ。なんたって顔も知らない相手からひたすらに謝られているんだからね。きみは私にいったい何をしたんだ?私はきみに対してどうすればいいんだ?」

「どうか、私を許していただきたいんです」

「ゆるす?許すったって、いったいなにを」

「どうかひとこと、私に、ぜんぶ許す、と言っていただきたいんです」

怒りは呆れに変化した。あるじはやはり男の言うことに合点がいかなかったが、しかしもう疲れていた。こんなわけのわからない男にかかずらっていたくないし、さっさと帰って欲しかった。何より夜も遅いのだから、もう眠りたかった。ほんとうなら今ごろはベッドの中で安らいでいたはずなのに、いざ眠ろうとしたところでチャイムが鳴り、ドアを開けると、土下座した、男……。

あるじは抵抗をやめた。そうして男に告げた。

「わかった、わかったよ……。すべて許す。きみのことをぜんぶ許す。これで良いかい。いまも合点がいかないが、これできみの希望は叶ったわけだ。満足かい。ではそろそろ帰ってくれ、とても眠いんだ……」

それを聞くと男は急に活き活きとしだした。そのしょげかえっていた双眸には悪意に満ちた生気が灯った。男は言った。

「良かった、いまおまえはおれに、すべて許す、とそう言ったな、確かに言った。おれは聞いたぞ。じゃあ遠慮なく、そらッ」

そう言ってなんと男はあるじの頬を突然、したたかに殴ったのだ。

あるじは叫んだ、何をするんだ!

「殴ったんだよ、文句があるか!おまえはおれに、ぜんぶ許すとそう言ったのだぞ。おれのことを、『ぜんぶ許す』と、そう言ったのだぞ。だからおれはおまえを殴るんだ、今更それは変えられないぞ、そぉら、もう一発!」

「いや違う、私はそういうつもりで君を許したわけではないぞ、ア痛い、やめてくれ」

「じゃあ訊くが、いったいおまえはなにを許したんだ?何もわからず許したのか、『ぜんぶ許す』とそう言って。おまえは『ぜんぶ』許したんだぞ、何もかも許したんだぞ。今さらおまえが何を述べようがそんなものは通りやしないよ、それ!」

そう言って男はあるじを続けざまに何発か殴った。あるじは頭を守るようにしてうずくまった。うぁぁ、と情けないうめき声まであげた。

あるじが男に殴られつづけていると、突然隣のドアがバァンと開き、そこに住んでいる主婦が顔を出した。怒髪が天を衝いていた。

「あんたたちうるさいよ、夜中に何をバタバタやっているんだい!ここはマンションだよ、何考えてんだ!」

あるじはうずくまりながら主婦を眺めやった。鬼のような顔をした彼女が、しかし彼には天使のように思われた。

(じっさい彼女は客観的な審判者だ。彼女に事情を説明して、そうすれば私はこのよくわからない状況から解放されることだろう。助かった。)

そう考えたあるじが彼女に事情を説明しようと口をひらくよりも先に、しかし男が喋り出した。

「いやァうるさくしちまって申し訳ない、こんな夜中ですもんね、すっかり目が覚めちまったことでしょう。しかしね、聞いてくださいね奥さん、私もただ理由もなく騒ぎ立てているわけではないんですよ。聞いてくださいね、ほら、こいつがね、(と男はうずくまっているあるじを示しながら言う、)ここにへたっているこいつが、こんちくしょう、いっぺん許したことを、『ぜんぶ許す!』とか言って解決したのを、あろうことか認めようとしないんです、いっぺんじぶんが認めたことだろうに、それについて駄々こねやがるんですよ!おれはこいつに、何度も何度も謝った、土下座してまで謝ったんですよ、そうしてやっとこいつに許してもらえたんだ。しかし、たしかに許してくれたはずのすぐあとから、急に、こいつぁ態度を一変させて、おれに文句を言いやがるんだ。どう思いますか奥さん、ねぇ!」

あるじは何度も口を挟もうとしたが、立板に水のごとくペラペラと喋る男はついにその横槍を許さなかった。

審判者たる主婦は男の話を、男の話だけをすっかり聴くと、うずくまっているあるじのほうをキッと睨み、腕組みしながら、おまえが悪いよ!と断言した。それから男のほうも見やり、あんたも静かにするんだよ!と言ってドアを閉め、ふたたび姿をあらわさなかった。

廊下はあるじと男のふたりきりになった。男はさっきからずっとうずくまっているあるじをニヤニヤ眺めながら言った。

「さあ、どうするよ?誰もお前を助けちゃくれないよ、お前はここからどうするんだ?」

あるじは小さい声で何やらボソボソと呟いた。男は脅すような口調で訊き返した。聞こえないよ!

「もう勘弁してください」

「なんだその謝り方は。申し訳ありませんでした、じゃあないのか?」

「申し訳ありませんでした」

「誠意が足りないなぁ」

あるじは姿勢を改め坐り、マンションの廊下に頭を擦り付けながら言う、申し訳ありませんでした。

あるじのそんな様子、謝罪を見て、男はしばし黙っていたが、それから急に、一転して邪気のない笑顔を浮かべ、言う。

「わかってくれりゃあそれで良いんだ」

そう言って男はあるじを助け起こし、丁寧にも彼の服についたホコリを叩き落とし、そうして去っていった。

廊下にはあるじだけが残った。男が去るとひどく静かな夜だった。

しばらく茫然としていたあるじは、ふと左肘に鈍い痛みを感じた。見ると皮が擦りむけ、血が滲んでいた。あるじはそれを見ると正気に戻り、あわてて自分の部屋に戻った。

廊下にはもう誰も残っていなかった。

置き文(掌編)

夢中になって橋の欄干にぐるぐるとロープを固く結びつけていると、いつの間にか後ろにランドセル背負った女の子が立っていて、おれのことをじっと見つめていた。おれはそれにしばらく気がつかなくて、自分の作業をひととおり仕上げてふぅと息をつき、何となく後ろを見たらそこにはおれをじっと見ている女子小学生がいるのだから、おれの心臓は一瞬肋骨を突き破ったようだった。

「何をしているんですか?」

「そうだね、……欄干の補修をしているんだよ。ヒハカイ検査で判明したんだけど、金属がずいぶん腐食しているんだな。それで、工事をするまでの、要するにこれは応急処置をしているんだ」

「へえ、そうなんですか」

少女はおれのデタラメを納得したように見えた。おれは彼女にさっさと立ち去って欲しかったが、彼女はもじもじとしながらおれを見つめているばかりで、一向にどこかへ行こうとはしなかった。

夕方だった。夕方も暮れも暮れ、もうほとんど夜だった。こんな時間にこんな場所を小学生が独りで出歩いていて、そいつはおれのそばから立ち去ろうとはしない。つまり今度はおれが彼女に何か訊ねる番だった。

「こんな遅くにこんなところで何してるの?ご両親が心配しているんじゃないの」

「ゴリョウシン」

「お父さんとお母さん」

「オトウサンは居ないです。ママはお仕事まで寝てるの」

「そう…」

おれも彼女も黙り込んだ。ご両親を持ち出せばさっさと帰ってくれるかと思ったがそんなことはなかった。何ならおれの会話の振り方はとんでもない悪手だった。彼女の境遇はタイヘンなようだった。

おれは彼女にさっさとどっかに行って欲しいのに、彼女はおれの前にいつまでも留まっている。彼女はその薄汚れたヨレヨレのシャツの首回りをいじりながらモジモジしている。おれも少女もモジモジと黙り込んでいたわけだが、情けないことに次に口火を切ったのはまた少女だった。(彼女のほうがおれよりも成熟しているかのようだ。)

「ひとつ訊いてもいいですか」

「なに?」

「大人になったら、そうしたら、ジンセイは楽しいですか」

「楽しい?人生が?楽しいも何も、」

そう言いかけてやめた。少女はおれの目を、切羽詰まった表情で覗き込んでいたものだから、おれはその先を、おれの憎悪や諦観を、独りよがりなそれを続ける気にはならなかった。

その代わりおれは、できうる限りの笑顔をつくって彼女に応えた。

「楽しいよ。大人になると楽しいことが沢山あるよ。もちろん楽しいことばかり、って訳にはいかないよ。僕だって、たとえばこんな仕事をしたくてしているわけではないんだ、仕事なんて楽しくない。その代わり、大人になると自由になるよ。まだ分からないと思うけれど、お酒をのんだり、お馬さんが走るのを見たり、いや、……うん、そうだ、バイクに乗って気ままに、日本中を旅して回ったり、たとえば澄んだ碧色した四万十川なんてとても静かで綺麗だったよ。ほかには、そう、好きなひとと一緒に暮らしたり、まあ僕にはそんな経験はないんだけど、君ならできるよ、心底から赦しあえるような、男の子と、いや、恋人と。……まあつまり、そういうことがたくさん出来るようになるよ。大人になったら、ジンセイは、楽しいことがたくさん、増える。ほんとうだよ」

すこし嘘臭すぎるかとも思ったが、どうやら上手くいったようだ。少女はおれの言うことを聴いて、ほんの少し笑顔になった。そうしておれにアリガトウ、ばいばい、とそう言って、おれの方を振り返り振り返りしつつ歩いていった。

おれは彼女が遠くに行くまで、作り笑いをしたままずっと手を振り続けていた。彼女が見えなくなるや否や何もかも止め、欄干に結びつけていたロープの反対の端の、輪っかにしていた部分に首を通した。

橋は高い。ロープは欄干にしっかりと結んだ。

おれは欄干を乗り越えて向こう側に降り立ち、最期の覚悟を決めようと深呼吸する。あと一歩踏み出せば、絞首刑の要領で、きっと苦しみもなく逝けるのだ。

もう何の未練も無かった。