かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

スケッチ

賃貸でタバコを吸っていると妙な具合に唾が分泌されるから、排水口に吐き出しながら吸っていると、あるとき失敗して、シンクの淵まで飛んでった。さみしくて、笑った。

灰皿にタバコを揉み消すと千々の火種が手持ち花火のように懐かしい。

外は月夜で三日月に雲が差し掛かるのか。煙が染みた喉が痛い。

居酒屋の男と女(短編)

舞台背景を素描しなければならない。手短にやろう。

平日の夜の居酒屋。混み合っているが満員ではない。シラフで居ればうるさいが、酔いが回れば心地良く聞き流せる程度のざわめきである。酔っ払いばかりだが度を超えて騒ぐ輩は一人も居ない。不愉快な大学生の大声も、退屈に泣き叫ぶ子供の声も無い。忘年会や歓迎会のサラリーマンの大集団も幸いなことに見当たらない。要するに、三々五々、客の誰もが気分良くやっている居酒屋だ。

次に主人公らを登場させなければならない。これもさっさと済ませよう。

われわれが目を向けている舞台たる居酒屋の、中央付近に彼らは居る。二人と二人で四人掛けであるテーブル席に、彼と彼女はひとりずつ、合計二人、向かい合って腰掛けている。年若い二人で、未だ酒を飲みこなしている訳ではない。酒と知り合って間もない二人だが、彼ら同士の交友も酒以上に長くはない。お通しのモツ煮込みを食べてアッこれ美味しいですね、なんてぎこちない会話を交わしている、純情じみた男女二人である。ホントだ美味しい、と片方が答え、エエほんとうに、ともう片方が答え、会話が止まる。居酒屋のざわめきの海に二人ぼっちの孤島のしじま、黙りきって、上目遣いで疑るような視線を交わす。互いに何かを期待しながら、相手がそれを与えてくれないことをじれったく思っているような、(傍目からはそう見える、)そんなふたりが今回の主人公だ。

ここで、沈黙をやぶるもっけの幸い、彼らのもとに生ビールふたつと、『とりあえず』で頼んでおいた唐揚げがやってくる。彼らは乾杯、と声を(囁くように)交わして、ビールを一口飲み下す。そうしてまた、沈黙。

……さて、三人称の地の文はこのあたりで止めにして、以降は彼らに語ってもらおう。筆者は引っ込むことにして、この語りはとりあえず、息が詰まったように沈黙して向かい合っているふたりの、彼のほうへと譲ることにする。

 

ああ、もう、こんなに、さて、要するに、こんな居酒屋に来るんではなかった!(……こんな調子で宜しいか?つまり小説なんてものは一人で何役もこなす作業に他ならないから、エ゛ッ、エ゛ッ、エ゛ッ、ン゛ーッ、ン゛ーーンッ!……さあ、やっていくが、)……ああ、もう、こんなに、さて、要するに、こんな居酒屋に来るんではなかった!というのも、つまり、きみ、わかるかい?おれはこんな居酒屋、もとい、こんな異性と、こんな『気の置ける』あいてとふたりきりで、ぎこちない、こんな居酒屋に来るべきでなかったと申すのです、へ、へ、へ!……わかるかい?おれのいうことをおまえ、わかってくれるかい?

彼女を誘ったのはたしかにおれのほうだ。否定し難い。だがそれも、おれのあの発話を『誘った』と表現して良いのならばの話だがね。

つまりこういうわけなのだよ。聞いてくれ。彼女は、いまおれと向かい合って座っているこの女、上目遣いで下がり眉、困った表情のこの淑女は、大学の語学で隣の席の女なのだ。おれの大学の語学の講義は座席が事前に決定されていて(可能なら後ろの席でボンヤリしていたかったのだがなぁ、語学はそれを許さないのだ)、それで、おれに指定された席があって、……その、なんて言うか、そう!おれの隣に席を指定されたのがまさにこの女であって、おれは彼女と講義中にペアワークを事あるごとにやっていた、もとい『やらされていた』わけだな。(センセェ曰く「語学は口に出さなければ身につかない」、らしいよ!)それで、おれと彼女はペアワークのペアであって、つまり、望むと望まざるとに関わらず、講義の期間中そうやって会話を強制される人間とは、良好な関係を保たなければならないね?違うか?いや、少なくともおれはそう思ったのだよ、おまえがどう思うかは知らないけどね。おまえは、そう、おまえは或いは金剛石か何かのように、その確固たる自己でもて、(語学の講義のペアであろうが何だろうが、)必要なぶんだけ会話して、講義の前や講義のあとの時間はプイとそっぽ向いて、(挨拶すらせず!)やり過ごしていたのかもしれないね。おまえはそうかもしれないが、おれは違うんだ。あいにくおれはおまえのような強い精神力を持っていない。気まずさはおれには耐えがたい。だからおれは、講義のまえや講義のあとにとなりの彼女と、最低限の『こみゅにけーしょん』を取って、要するにアイサツしたり天気の話をしていたわけだ。[コンニチワ。曇りですね。傘忘れちゃったよ。……アオリストの活用むずかしそうだね。オツカレサマデス。サヨーナラ。]

こうやって最低限の、おれにとっては最低限の関わりだけで語学をやり過ごそうとしたわけだな。そんでもって今日の昼が最後の講義だったのだよ、語学の講義の最終講。肩の荷が降りる思いだったね、何故ってこれきり彼女との浅くてぎこちないコミュニケーションとオサラバできるのだから。

いよいよ最後の講義が終わって、いつもは講義の終了後1分くらい話してから退散していたのだけど、これきりおしまいであるわけだから、今日だけは早々に教室を出ちまって構わなかったのだが、しかしそういうわけにもいかなかった。何故ってそれじゃああまりに露骨だし、いつかまたどこかで彼女と会わないとも限らないしね。だからおれはいつも通り彼女との浅いコミュニケーション、お互いの深いところに決して踏み入らない、毒にも薬にもならない最後のそれをして、それで、おしまい!、の、筈だったのだが、……おれも気が緩んでいたのだろうな、冗談めかして、「機会があれば語学の苦労をねぎらって打ち上げにでも行きたいですね!」なんて、口走っちまった。

一瞬、時が止まったように間が空いて、おれは、シマッタ!と直感したが、後の祭り、英語で言えばアフターワード・ダンシング!

彼女は言った、

「ええ、是非!……じゃあ、さっそくだけれど、今日はどうですか、あたしは今晩、時間があるから」

こんな不意打ちがあるか?おまえはこんな一撃を喰らった経験があるか?つまり、ある種の社交辞令としての言明にバッと食いつかれるような経験が。おれは初めてだったよ、びっくりしちまったね!

さて、ここでおれはこうやって食いついてきた彼女をうまいこといなせれば良かったのだが、いつだったか、浅いコミュニケーションのなかで、夜はいつだって間違いなくおれは暇なんです、だなんて自己開示しちまっていたことが瞬時に脳裡をよぎった。馬鹿だねおれは。バカひとつ。まだあるよ。おれのバカはひとつにとどまらないんだ。つまり、今にして思えば今日だけ用事があることにして、お流れにしてしまえば良かったのに、(なんたってお互いに連絡先すら知らないのだからね!)おれはそうせず、つまりおれの脳みそは不測の事態をまえにすると真っ白になっちまう。(これがふたつめのバカだ。バカふたつ。)まるでガラクタな脳みそに導かれるまま、おれの口蓋はエエ、だかアア、だかそんな呻きを口からもらして、……そのままおれは、取り繕うように、精いっぱい感じよく聞こえるように言った!

「良いね、良いね!それじゃあ、五限が終わったら大学棟の玄関で落ち合いましょうか、それで良いです?」

「ええ、そうしましょう」

彼女はニッコリ笑った。そういえばニッコリと笑う彼女を見るのは初めてだったが、片頬にだけえくぼが出来るんだなぁ、とおれは、そんなどうでも良いことばかり記憶して残っている、おれの脳みそ、男性名詞a語基の活用はすでにまっさら忘れ去ったにもかかわらず、彼女のえくぼ、笑顔が、……バカみっつ!

 

それからよっつめのバカを経て、つまり、約束をすっぽかせば良かったのに律儀にも待ち合わせ場所に行って、それだけじゃない、あろうことか彼女と会うのをすこし楽しみにしながら待ち合わせ場所に行く、そんなよっつめのバカを経て、おれは今、針のむしろに座っているのだ。屠殺場へと嬉々として進んでゆく愚かな家畜か何かみたいに。(血の匂いを嗅ぎとれないのだ、あいにくずっと鼻詰まりで!)……こんな惨めな話があるかい?そう、あるんだよ。実際にあるから今こうしておれは困っているのだ。

けったいな暖色の照明と酔っ払いどもの騒ぎ声、金いろのビールとしなびた唐揚げ!おれは独り言か何かのように、じゃあ唐揚げ食べてみようかな、と言って(それを聴いた彼女は笑顔のなり損ないみたいな顔してコクリと会釈する)、そのまま唐揚げをひとつ喰らう。五回くらい噛んでからビールで無理矢理流し込んで、うまいんだかまずいんだかわかりゃしないが、アァ美味いですね、と大げさに言って笑顔をつくる。彼女はふたたび笑顔のなり損ないみたいな表情で会釈する。(作り笑いをするときは目を細めると宜しいのだがね!)その表情を見て俺はハハハ……と笑い声だけ出して、なくなりかけのモツ煮に手を伸ばす。

居酒屋は騒がしいが、彼らのテーブルだけがまるでぽっかりと空いた黒い大穴のように静かで、周囲で湧いたざわめきはすべてこのテーブルへと吸われて消える。この沈黙の穴の底に居る彼と彼女の、彼女のほうは、ビールの水面を眺めつつ、しかし彼とはまるきり別なことを考えている。

つまり、彼女は思っている。やっぱりときどき揺れているんだ。

彼女のビールの泡はあらかた消えており、こまかい泡の残滓がきん色のビールに漂うその水面は、絶えずかすかに揺れていて、ビールの水面を眺めつつ、彼女はそれについて考えていたのだ。これは近くの国道のせいかしら。きっとそうだろう、トラックが速度を出して走り去るたび地面が揺れて、みんな気にしてないようだけど、店に入ってからずっとそうだ。(彼女の肉体的感官は、騒めきよりも揺れに鋭敏に反応する。)トラックが、いや、トラックだけに限らない、たくさんの車がすごい速さで走っている国道、あの国道に沿ってあたしたち、このお店に来たけれど、彼がお酒に誘ってくれて、あたしは、うれしかった、というよりは、……いや、あたしはすぐこれだ。いけない。あたしの考えは雲みたいにふらふらと、あくがれる、ってむかし古典の授業で言っていた、そう、体から、周りからあくがれて、軽くなると、あちらこちらへ行ってしまって、向かいの彼があたしを見ている。(彼女が意識をいま・ここへ戻すと、やはり騒がしい居酒屋で、彼はキリンでも見るような目で彼女を見ている。彼女と目が合うと彼は苦笑し、何でもない、というように手を振ってから、次に何を飲むかを訊く。)ええ、あたしはつぎは、レモンサワーで、食べものはお任せします。ええ、ありがとう。……それで、どこまで考えていたのだっけ。そう、彼に誘われてどう思ったのかってところだ。あたしはお店でお酒を飲むことがないから、だって、ともだちもみんな飲まないし、多いわけでない友だち、……みんな、どうしてあたしなんかと、仲良くしていてくれるのだろう。会ってからしばらく経つのに、まだあたしに良くしてくれて、あたしがぼんやりしていると、ホラまた魂が抜けてるよ、って笑いながら呼び戻してくれる。最初だけ愛想よくしてくれる人はたくさんいたけど、みんなあたしが、そう、あくがれるところを見たり、よくとんちんかんなことを言ったりして、そうして、疎遠になって、……彼もやっぱり、離れていくのだろうか。

彼女はふたたび、いま・ここへと舞い戻り、上目遣いで彼を見つめる。彼はビールを今しがた飲み干して、もとい、あと三回ほどに分けてちびちびと飲むつもりだったところに、彼女の、向かいに座った彼女の視線を不意に感じたものだから、そんなつもりでもないのに、ビールをすべて飲み干してしまった。彼女に不意に見つめられて困ったのはまさに彼である。何たって黙りがち、いや黙りがちどころか意識が頻繁にどこかへ飛んでってしまっているような彼女を前に、酒を飲み干してしまえばそれはあまりに手持ち無沙汰で、わかるかい、おれはつい先ほど追加の飲み物を頼んだばかりなのだよ。おれは、そう、最初こそしきりに場を盛り上げようとしていたが、彼女ったら聞いてるんだか聞いていないんだかわからないようすで、ああ、ほんとうにおれは、とんでもない奴と居酒屋に来ちまったなあ!ついさっきなんて酷かったよ、ねえ!おれが二度、追加の飲み物を何にするか訊いたのに、彼女まるで、

 

 

***ここいらで慎重な読者諸兄は首を捻ったことだろう。いや、首を捻った読者諸兄がひとりでも居てほしいと私は願う。(居なければそれは相も変わらず拙作の失敗を意味する。)というのも私は、諸氏に断ることなしに語りの主体をパラパラと切り替えており、それこそが拙作で私が表現せんと望むところのものである。

卑怯な三流奇術師のようにネタバラシをしてしまおう。つまり、『おれ』と『あたし』(と『私』)の語りが交錯、混濁してゆくさまを描くのが拙作の目的である。酒をつうじて、或いは思惟の共通点をつうじて、もしくは共通点など何もないところで無理やり、語りがフイと入れ替わったり、或いはなだらかに移行していくさまを描きたいのだ。読者諸氏においてはその点注意されたい。要するに、拙作の語りの混濁は、それ自体ひとつの目的として行われている。***

 

エ゛ッエ゛ッエ゛ッ、ン゛ー、ン゛ーッ!!!(これは声の調子を整えるための大げさな咳払いだ。)さて、続けるがよろしいか?よろしいね?……ああ、ほんとうにおれは、とんでもない奴と居酒屋に来ちまったなあ!ついさっきなんて酷かったよ、ねえ!おれが二度、追加の飲み物を何にするか訊いたのに、彼女まるで、目を開けながら眠っているかのようにおれを、おれの声が聴こえていないかのように、無視しやがって、さすがにおれも絶句して、彼女を見つめつづけていたんだ。すると奴さん、おれの視線に気づいたようで、夢の世界から戻ってくる。彼女はビクッと身体を震わせ、視線を上げて、おれの顔を、驚いたような顔で見つめかえす。(なんでおまえが驚いているんだ?驚いたのはおれのほうなのに!)だからおれは三度目の問い、彼女に追加の飲み物を何にするかを問うて、そうして今度は返事が返ってきた。おれはホッと安堵して店員を呼び、レモンサワーふたつと、あとおすすめの食べ物は何かを店員に訊いて、チャーハンとポテトがおすすめらしいからそれを注文した。ふだんおれは店員におすすめを訊くようなことはしないのだが、ではなぜ今日に限ってそんな野暮ったいコミュニケーションをしたのかというと、要するに、この沈黙から逃れていられる時間を一刻も長く引き伸ばしていたかったんだ!おまえわかってくれるかい、居酒屋の店員はおれのオーダーや質問に対してニコヤカに即座に明瞭に返事をしてくれるのだよ!翻って彼女だよ、おれの目の前にいるこの女は、……駄目だこりゃ。また目を開けたまま眠ってら。しばらく帰ってこないだろう。あぁあ、こんな二人酒は独り酒となんにも変わりゃしないわな。まあ良いや、チビチビやりましょうや。そう思いながらおれはビールを口に運び、飲んで、飲みきらず少し残して置こうとしたその、瞬間!またしても!唐突に!彼女はおれをその眼差しで刺し貫いた!この女はたいがいボンヤリフワフワしているが、まれにこうやって不意打ちを食わせてきやがる!(そもそもこうやって居酒屋に来ているのだって不意の彼女の一撃のせいではなかったか?いや、そうだ!)おれはその視線に射すくめられたようにして、ビールのジョッキを置くに置けず、そのまま、すべて飲み干して、それからテーブルの上に置いた。チビチビやる予定のビールを飲み干しちまったんだな。

彼女はなおもおれを見ている。おれも彼女を見つめかえすと、必然的に目があって、その目の茶色い虹彩が、思っていたよりもずっと明るい茶色をしていて、(視線があうこととは畢竟、視線の往復、無限回の視線の往復に他ならないが、)その茶色い瞳で見つめられ、見つめかえして、見つめられ、また見つめかえして、見つめられ、見つめて、あたしは、なんだか、唐揚げを食べたくなってきた。瞳も唐揚げも、そのどちらも茶色だから、そこから意識が連想して、それがそのまま現実にある唐揚げと結びつき、瞳を見る目があたしの食欲と結びついたんだ。(ことばにしてあらわすとそういうしかただ。)こうやって、連想ゲームみたいにして、いびつな数珠みたいに考えが流れていくさまは、まるであたしが、そう、あくがれて体から抜けだして、いろいろなことを考える方法そのもので、あたしはこういうことが好きだ。飛び石のうえをぴょんぴょん跳ねていくようにして意識を飛ばし、ぼんやりと考えに夢中になって、それであたしは周りのひとを困らせてしまう。目の前の彼だってその被害者だ。彼があたしの数少ない友だちみたいな物好きであれば良いなぁ、そうでなければ申し訳なくて、あたしは、彼の茶色い瞳を見つめたまま、唐揚げ一個いいですか、ってたずねると、彼はエエどうぞどうぞ、って慌てて言って、あたしのお皿に唐揚げをふたつも取り分けてくれた。あたしはありがとう、って言って笑って(うまく笑えているかなぁ、)そうして唐揚げの一個を取って、半分だけかじって、もぐもぐと、……ああこれは、黒胡椒がふりかけてある。黒胡椒でも、山椒でも、あたしはピリッとするものが好きだ。もし味覚が視覚的なものだとすれば、いちばん綺麗な味覚はこういう辛さだと思う。真っ暗な部屋で静電気がパチッと光るようで、いまは冬じゃなくて初夏なのだけど、つまりそんな、線香花火のひとひかりのしだれ柳のうつくしさ、夏の、……夏といえば、そういえばあたし、夏、ちょうど去年の今ごろ旅をして、2泊3日のひとり旅、大学を投げ出してひとりきり、四国の地を踏んで、初夏の四国の澄んだ空気の、すきとおったような青い風景を見たのだった。見た、というよりかそれは、五感をぜんぶ、丸ごと使って、感じていた、というほうが合っているかもしれない。2泊3日なんかじゃなくて、もっと長いこと居られたら、居られれば居られるだけよかっただろうと思っていて、(あたしは今でもそう思っているのだが、(だからふたたび機会があれば四国に行きたい、))たとえば、四万十川にかかる沈下橋はすてきだった。青空を反射してしずかに流れる四万十川にかかっているちいさな橋、それが沈下橋に他ならなくて、沈下橋沈下橋でも下流にかかっているそれはいけない、何故って人が多いから、つまり観光客が手軽に来れてしまうから風情もなにもありはしなくて、要するに、江川崎駅からレンタサイクルを借りて、上流にかかっている沈下橋から見て回ると、これはもう、人は居ないし情緒に富んだ、四万十川沈下橋を、青空の下でひとり占めできるというわけであるが、ねえ、おまえ、わかってくれるかい、このすばらしさを!おれは生涯であれほど幸福だったことはないね、澄んだ青空の下でおれは沈下橋を独り占めしていたんだよ、ああ!いまこうしておれの話を聴いているおまえは、ましてや今こうして居酒屋でおれの目の前にいる彼女なんかは決して知りやしないだろう、四万十川の、また四万十川沈下橋の美しさなど!ボーっとしやがって、レモンサワーとつまみが来たってのに一口も手をつけやしないじゃないか、おればかりゴクゴク飲んでバクバク食べて、向かいの彼女は、こんちくしょう、なんの夢を見ているんだ?こんな居酒屋で、こんなやかましいところで、目を開けたままどんな夢を見ているんだ?あるいは何も考えちゃいない、なんてことすらあるだろうね!……だがそれも、いや、たとえそうであろうが、そんなこと、おれの知ったことではないがね。

ああいけない、おれはもう、だいぶ酔いが回ってきちまった。おかしいな。おかしい。おかしいんだよ。おれはこんなにすぐ酔っぱらっちまう筈は無いのだが、だっておまえ、見てくれよ、まだおれはビール一杯とレモンサワー半分を飲んだきりなのだよ!それとモツ煮と唐揚げと、あとポテトとチャーハンを喰らいながら、ビールとレモンサワーを、飲んでいて、ビールは既に飲み終わってしまったのだが、その白い泡がジョッキの側面に輪をえがいて残っているようすは、たしかエンジェルリングと呼ばれていたはずなのだけれど、あたしはどちらかといえば、なんとなく、音速を超えた飛行機が出す衝撃波だか雲だか、あれみたいだなと思う。じっさいに見たことはなくって、あたしの勝手な想像にすぎないのだけど、ゆっくり飲んでいたビールの空のジョッキに、ゆっくりと、もといあくがれながら飲んでいて、それなのに、音速だとか、そんなかっこいいと連関づけてしまうのは、不思議なような気がするけれど、……ああ、もうレモンサワーが来ていたんだ。あたしは彼のほうを見やって、彼はもうレモンサワーをとっくに飲みはじめているみたいだから、あたしも気兼ねなくレモンサワーを口にする。飲み慣れた味がして、いや、厳密にいえば飲み慣れた味そのものではなくて、飲み慣れた味に似た味がするのだけど、まあ良いや、つまりレモンの味がするんだ。(あたりまえか。)あたしが家でひとりでお酒を飲むときの味、缶チューハイはもっぱらレモンのお酒ばかり飲んで、とくに味が好きってわけでもないけれど、ほら、スーパーとかでもいちばん種類が豊富なのが、レモン味のお酒でしょう。そういうものを何種類も、高いのも安いのも、とりあえず買ってみて、あたしは飲み比べしてみたりするのだけど、そうしてみるとこれだけおなじ『レモン味』でも統一されずにたくさんの種類がある、その理由がよくわかる。レモン味っていうカテゴリーに、つまりわたしたちがそれを飲んでレモン味だ、ってそう思うカテゴリーに分類される個別的経験としての味覚的知覚は、しかしどのような方法により綜合されているのだろう。先天的に所持された観念をもとに個別的経験が分類されるのか、或いは個別的経験が点描のようにはたらくことによって観念が内部に立ち現れてくるのだろうか、もしくはそのいずれでもないしかたで個別経験、つまりレモンサワーを飲み、レモン味だ、って感じるのか、そんなものどうだってかまやしないだろう!要するにだ、おれが酒を飲んでそれが美味い、レモンサワーのつまみとしてポテトを食べ、またレモンサワーを飲んで、酔っぱらう、それ以上の何が必要だっていうんだ!……いや、それだけでは足りない、おれはひとり酒をしているわけではない!もうすっかり黙りこんでおれたちは酒を飲んでいるが、そろそろ口をきいたって良いだろう、いつまでも彼女に空想ばかりさせておくこともない。おれだっておまえと会話をしたい。おまえもそのつもりでおれと居酒屋に来たのではないか?なんでおまえはおれと一緒に居るんだ?どうしておれが打ち上げに誘ったときにおまえはあんなに嬉しそうな顔をしたんだ?社交辞令だとわかっていなかったのか?不意に反応されておれもびっくりして、だが少しおれはそれが嬉しかった。いざこうして居酒屋に来て、そうしておれが何度も会話をしようとしたのに、どうしておまえはろくすっぽ反応しちゃくれないんだ?なんたって目の前のおれを無視して魂をどこか遠くにおまえは飛ばしちまうんだ?おまえはいったい何を考えているんだ?どういうつもりなんだ?おれを見てくれよ。おれを通り過ぎて遠い一点を見るのをやめてくれよ。おれと仲良くしてくれよ!

だからおれは彼女に言った、

「お酒けっこう飲まれるんですね、驚いた!お強いんですか?」

「……えっ、ごめんなさい、ボーッとしていて。今なんて?」

「……こうしていっしょに飲めて嬉しいですよ」

「どうして?」

「『どうして』?」

「あたしあなたを嬉しがらせること、なんにもしてないのに」

「……」

「唐揚げ、最後の一個だけど、もらって良いですか?」

「ええ、それは良いけれど、」

「ありがとう。……もうレモンサワー飲んじゃったから、あたしハイボール注文しますね。次なに飲みます?」

あたしがそう言うと彼はいや、まだ大丈夫です、って言うからあたしは、そうですか、って返事して、店員さんを呼びハイボールをひとつ頼んだ。もうすこし早いタイミングでハイボールを注文しておけばよかったと思って、何故ならレモンサワーを飲みきってからもう、どれくらいだろう、とにかくまだレモンサワーがちょっと残っているうちに彼にことわって、店員さんに注文すれば、そうすればお酒を切らさず飲み続けていられたのに。一本の糸がぷっつり切れたみたいに、レモンサワーとハイボールの合間が口寂しくって、……そういえばさっきかれはあたしに、いっしょにいられて嬉しいみたいに言っていたけど、前にあたしは友だちにも同じようなこと言われたんだ。そのときもあたし、どうして、って訊いて、そしたらその子、ケラケラ笑って、このプックリしたほっぺたが良いんだヨォ!って言いながらあたしのほっぺたをムニムニ触ったんです。そうやってほっぺたを揉まれながら、なんだかとっても懐かしくって、(かすかな記憶、)むかし、いとこのお兄ちゃんやお姉ちゃんにもよくほっぺたを触られ、引っ張られて、みんな笑いながらあたしのほっぺたで遊んでいたんだけど、あたしは笑ったりあるいは泣いたりいじけたりしながら、古い畳の和室だった、おばあちゃんの、今はなくなっちゃったおばあちゃんの家の一室であたしたちは遊んでいた。みんなで遊び回るとほこりが立って、そうすると、障子のすきまから差す陽の光が光線みたいに目に見えるようになる。あたしはあれを眺めているのが好きだった。遊び疲れて荒い息をしながらあおむけに横たわる畳の感触と、陽光の光線のやわらかさ、そうやって寝ころがっていると誰かがあたしに目をつけて、またあたしのほっぺたをつついたりこねたりする。あたしはなされるがままされていたり、あるいは跳ね起きてふたたびみんなの遊びに加わったりして、有り余る元気を元手に、尽きることなく、いとこみんなで、遊んでいた、あの、懐かしい和室。

「どんな本が好きですか?」

「最近読んだなかではバタイユの『眼球譚』があたし、好きというより衝撃をうけて、面白かったです」

「へぇ、……読んだことないなぁ」

「どんな小説が好き?その、あなたは」

「ぼくはあんまり文学とかくわしくないのだけど、サローヤンの『人間喜劇』が好きでした。優しい物語が好きなんです。」

「そうなんですね、今度機会があればあたしも読みます」

「ええ、ぼくも読んでみます。……その、バタイユ?でしたっけ?」

かれはあたしのほっぺたを触ったりしなかった。彼とあたしは(まだ)それほど仲良くないし、それに性別も違うから、ほっぺたを急に触ってくるはずはないのだけど、それでも、ほっぺたを触ってくるんじゃないかって考えが一瞬あたまをよぎって、それほど嫌じゃないと思った。いや、もしかしたら嫌かもしれない。よくわからない。ほっぺたくらいならいくらでも触ってくれればいいと思うし、一方でほっぺたであろうが気安くべたべたと触られるのは不愉快かもしれないとおもう。どうなんだろう。彼があたしのほっぺたを触ったとして、(つまり今あたしの向かい側に座っている彼が腰を浮かせてテーブル越しにあたしのほっぺたに触れたとして、)あたしがそれをどう思うのかは、つまり感情とは心的機械の運動の微分に他ならないから、あたしの心的運動を四次元のグラフのもとに置いたとして、……どうでも良いや。どのみち彼はあたしに触れやしないだろう。だからあたしの情動をわざわざ想定したうえでそれを無理に微分するような手間をかけることもないのだ。

 

彼女が向かいの席を見やると、そこには諦めたように肩を落としてレモンサワーの残りをちびちびと啜る彼が居る。彼らのテーブルにあったつまみのうち、モツ煮と唐揚げは既に無くなっている。追加で頼んだポテトとチャーハンのポテトの方も、ほとんど食べ尽くされていて、このポテトは細切りのそれではなく、ジャガイモの原型を留めているような三日月型のものだったから、ほら、そんなポテトはそう頻繁に食べる機会があるようなものではないし、あたしもいくつか食べたかったのに、ほとんど彼が食べちまったようで、あたしはすこし残念におもう。それにあたしは三日月型のこんなポテトが、

 

……彼女がポテトを食べられなかったことを残念がっていると、店員がハイボールを持ってきた。彼女はハイボールのジョッキを持ち、そのまま口に運んで、喉を鳴らすようにして、うまそうに飲む、その嚥下音、を、あたしはずっと気にしている。あたしはお酒を飲むときに、どうしてもビールのCMかなにかみたいにゴクゴクと音が鳴ってしまって、ひとりで飲むときは別にどうでもいいのだけど、

 

……ここで余談だが、彼女が飲んでいるハイボールが何のウイスキーを割ってできているかについて記述しよう。彼女がうまそうに飲んでいるハイボールは角瓶を炭酸で割って作られており、あたしはふだんハイボールを飲むときはティーチャーズでつくっているのだけど、しかしこれはこれで、美味しいと思う。こんど角瓶も買って、ティーチャーズと飲みくらべしてみようかと思って、というのもあたしのお父さんがハイボールを飲むときはティーチャーズでばかりつくっていて、あたしは他ならぬあたしのおとうさんからお酒の手ほどきを受けたものだから、……おとうさん、あたしがお酒を飲めるクチだって知ったとき、とっても嬉しそうに笑ったんだ。お母さんはお酒をぜんぜん飲めないひとで、あたしが未成年のころはよくひとりでお酒を飲んでいるお父さんに文句を言っていたんだ。背中を丸めてお酒を飲むお父さんは寂しそうだった。でもそれからあたしがハタチになって、お酒を飲めるようになると、こんどはあたしとお父さんがふたりしてひたすらお酒を飲むようになって、お父さん、とってもうれしそうになったから、つられてあたしも嬉しくなった。しかも、ふしぎなことに、これまでお父さんに文句ばかり言っていたお母さんも、相変わらず文句は言いながら、でもなんだか嬉しそうにしてあたしとお父さんが食べるおつまみを、作ってくれるようになったんだ。あたしが20歳になることで、あたしの家の、

 

エ゛ッエ゛ッエ゛ッ、ン゛ー、ン゛ーッ!良いかい?おれは彼女ににべなく振られちまったようで、こうなっちまったらもうどうしようもないから、おれももう、居心地も悪い、いやもとから居心地は最悪だったが、彼女のフルマイでおれはもう、いや、居心地が悪いとかそんな次元の話で無くなったのだよ。皆さんは、読者たる皆さんはわかってくれますね?つまり、もとより沈黙に満たされてばかりいたおれたちの席を、おれはなんとか盛り上げようと、彼女と仲良くしようとしたにも関わらず、わけのわからない、そう、ほっぺたのことなんか、ほっぺたはあたし、赤ちゃんから6歳くらいまでほんとにぷっくりしていたんだ。だからいとこのお兄ちゃんやお姉ちゃんにたくさんさわられていて、あたしもじぶんのほっぺたをよくぷにぷに触っていたりしたのだけど、あたしが大きくなるいっぽうでほっぺたは、だんだん、ちっちゃくなっていったんです。あたしの顔はすこしシュッとして、ほっぺたはちっちゃくなって、淋しい心もち、だからこそあたしの友だちがあたしのほっぺたをムニムニ触ってくれたとき、懐かしさといっしょにあたしは、そう、嬉しかったんだ。ほっぺたをさわられると同時に、ほこりっぽいあの和室に差しこむ陽のひかりが、

 

 

***もう、良いだろう。私が拙作で描きたいことは十分に行えた。つまり、語りが交錯し移ろうような文章を書くことが拙作の目的であったが、(それが成功しているにせよ失敗しているにせよ、)少なくとも『おれ』と『あたし』の語りが交錯していくさまは幾度も書けたし、可能なら泥酔したふたりの語りが判別不可能な程度にまで混ざり合うさまも描きたかったが、というのも、お酒を飲んだふたりの心がどういうわけだが(底が抜けたように)通じあう瞬間、いや、どうやって言えば良いんだろう、つまり、一個人と一個人として分離していたあたしたちが、より大きな場の流れに、なんていうか、飲み込まれる感覚、っていうよりか、場の流れにおいて誰も彼も開かれている、って表現するのが適当かもしれない。あたしはむかし、一度だけそんな経験をしたことがあって、そのときはまだ、お酒を飲めるようになってはいなかったのだけど、あたしと未だに友だちでいてくれるような子たちと、出会って数か月くらいの頃だったんです。毎週あたしたちは5限でおなじクラスだから、講義が終わったあとにいつも夜ごはんを食べに行っ***

包丁(掌編)

「しかしその、おれはキミドリのファーストアルバムを聴いてそれほど感銘を受けなかったわけだが、いやはっきり言って、はっきり言っても構わないね?いやそのつまり、君の感性を疑ったね。もっと音楽として構築すべき世界観というか、わかるだろう、もっとあったと思ったのだよね、要するに。せっかく勧めてもらっておいてこんなことを言うのは何なのだけどね、そう……」

おれはこんなことを彼女に言いたいわけでなかったが、いや、ほんとうは言いたかったのだろう。何故って自分が音楽を聴いた感想を、もといみずからが受容した創作物についての感想を、同じものを知っているひとに伝えて、それをとおしておれはおれへの意見が欲しい。

……いや、嘘をつかずに言おうか、ハッキリと、スッパリと言っちまおう。つまりおれは、批評をつうじて彼女におれを、おれの感性のするどさを、尊敬してほしいのだ!おれの優位性を彼女へと示したかったのだと、あるいはそう表現したってかまわない。

だからおれは、畢竟、彼女がおれに教えてくれた『スバラシイ』CDのミニアルバムの感想をこうして彼女に伝えている。仕方がない。伝えたいのだから。(同様に彼女もそれを望んでおれに、みずからが好むアルバムを、聴いてくれ、と貸した筈なのだから。違うか?いや、知ったことか!)

彼女はおれの感想(、もとい断罪か?)を聴いて、言った。

「そう、……あんまり気に入ってくれなくて、残念。」(そう言って彼女はスニッと笑うのだ。そんな彼女の笑いかたは、いじわるな欲情にも似た感情を惹起して、小学生のイジメっ子におれをしてしまう。だからおれはひどく畳みかけるように言うのだ。つまり、)

「いや全くその通りだよ、あんまり気に入らないどころか、はばかりながら言わせてもらうが、正直なところ全く気に入らなかったよ!どういうつもりであれをおれに薦めたんだい?それはもう、だいたい、リズム隊がそもそも、……」

おれの止まらない繰り言が深夜の、彼女の部屋に染み入ってゆくわけだが、しずかな晩で、みなさん今夜は静かです、薬缶のおとが、もとい加湿器の音がしています。おれは彼女の右後ろにある加湿器をチラと見る。それは泪のかたちをしていて、モウモウと煙を吐いている、彼女の部屋の、夜更けの晩の部屋であって、……これはアロマの匂い!ラベンダーか?(部屋の隅に置かれたアロマの小瓶、細長い棒がいっぱい突き刺してある小瓶!)

彼女はおれの、深酒飲みのあらわな繰り言をウンウンと聴きながら(佳い女!)しずかに、赤べこみたいにうなづきながらも、おれが息継ぎで喋るのをやめるそのタイミングですかさず口を挟みいれた。

「ねぇでも、あのピアノの旋律はどう?あたしはあれがとっても好きで、それというのもキミドリの不穏な曲調にも、或いはイカレきった曲、もっと言えばジャズめいた、ジャズの要素は通底している、とでも言えばいいか知ら、そんな曲調、いや、曲調?つまり、そんな様子に、よく馴染んでいて、……そんな雰囲気を、作り出していて、」

「いや良いかい、言わせてもらうが、あれももうひどいもので、そりゃつまりバンドなんだからプロのピアニストと同等にって訳にはいかないだろうが、それにしたって、」

「アッちょっと待って!」

そう言って唐突にさえぎると彼女はツイと立ち上がり台所に行っちまったんだ。わかるかい、おまえ!おれはそう、彼女に訊かれたキミドリのピアノの感想を伝えようと思って言いかけたところだったのに、それにも関わらず彼女は立ち上がり、……いま彼女は戻ってきた。その手には包丁が握られている。銀色の型抜き包丁。そのまま彼女はその銀光りする包丁を、おれのほうに切っ先を向けて、テーブルの上の皿へと置く。包丁と皿の触れ合う音がし包丁は静止する。(だいたい失礼じゃないか、切っ先をひとのほうへ向けて置くなんて!)おれと彼女が夕飯につついたホイコーローの皿のうえに置かれた包丁、彼女の部屋のやすものの蛍光灯の下でいかにも安っぽく光る包丁が、……どうでも良い!おれは喋っている途中だった!

「キミドリのピアノはね、あれがジャズっぽさを演出していることはおれも確かに認めるがね、ただそれだけなんだよ!ジャズっぽい、だけ!……言いたいことはわかるかい?」

「ええ、……わからない、……いや、わかるかもしれないわ。」

彼女が持ってきた銀色の型抜き包丁は、ホイコーローの出汁の海へとかかる鋭い突堤のようだ。(この汁をあたたかい白米にかけて食らえばうまいだろう!)ホイコーローの汁へと沈んでいくその切っ先は鋭く、ホイコーローの汁の水面を、処処にできた油だまりの或る中央をちょうど指し示している。無機質に。よそよそしい型抜き包丁。つめたい。

「そう、わかってもらわなきゃ困るんだよ、まったく、ねえ!もちろんかれのピアノの演奏はそれなりの技術のうえで成り立っていることは否めないし、だが、ピアノの技術だけなら、技術だけならばピアニストの演奏を聴けばよろしかろうし、かと言ってバンドとしてのタマシイがこもった演奏でもないのだよ、アレは!」

「タマシイ?」

「そう、タマシイ!」

彼女は首を傾げ気味にしておれの、タマシイ、という単語を繰り返して、それは愛らしい。ところどころに滲む所作がいちいち可愛らしく愛らしいのだ。彼女の持ってきた包丁の背はくすんだ灰色じみていて、その刃の部分が白く輝いているのとは対照的に鈍く光を反射している。醜い光だと思う。ところどころ茶色く錆びている。

「けど、タマシイ、っていうのは、ずいぶん抽象的だと思うけど。」

「馬鹿だなぁ、きみはあんまり馬鹿だよ!つまりそうとしか言いようがないものをおれはタマシイと言いあらわしているだけで、たとえば音楽を聴いた情動を、あるいはその音楽自体を完全に数的に変換できるとするならば、そのときには誰ひとり音楽なんて聴きやしないだろうよ」

彼女が台所から持ってきた包丁はその持ち手から峰の部分にかけて奇妙に錆びている。どうしてこんなふしぎなかたちで錆びついているのかわからない。

「そういうものかしら」

「そういうものなんだよ!」

型抜き包丁は錆びた茶色をまといつつ、錆びを免れている部分の刃は、そのうすら寒いような鋭さで、鋭く、奥歯でアルミホイルを噛んだような金属的な痛みを視覚から脳へと惹起する。

「それは、そうだろうけど……」

「そうなんだよ。」

金属的な痛みといえば、いちど、こんなことがあった。小学生の時分の図画工作の宿題で、段ボールを切る必要があった。だがいつも使っていたハサミを学校に置いてきてしまっていたものだから、私は困って、そう、むかしはこんなことで困りきって泣きそうになっちまったものだけど、そんなふうになりながら部屋じゅうの引き出しをあさっていると、ふと、錆びついたカッターナイフを見つけたんだ。

「それではタマシイとしか言いようのないものをタマシイと、仮に言い表わすことにするよ、良いね?」

「ええ、良いわ」

それで、錆びついたカッターナイフの刃をチキチキいわせながら取り出して、お母さんがカッターナイフで段ボールを切るのと同じように、段ボールをカッターナイフで切ることが、あたしにも、出来るような気分になっていたんです。だからそのまま、つまり、お母さんがやっていたように、いやお母さんが使っていたのはこんな錆びついたカッターナイフじゃなかったけど、段ボールの折れ曲がった端から3センチの部分に刃をあてて、そのときちょうどおかあさんは買いものにでかけていたのだけど、だからこうしてあたしがカッターナイフで切るのを、錆びついた、茶色のしみにところどころ覆われた刃のカッターナイフで段ボールを切ることを、段ボールも茶色だ、あたしの血は赤黒かったよ。

「それは良かった。キミドリのピアノには秀でた技術もそれほどないが、かと言ってタマシイがあるわけでもない。決してない。……ボーカルは、ボーカルの求心力だけは認めるよ。歌詞は稚拙極まりないが、原始音楽みたいな妙な魅力は抗い難く、たしかに、かすかには、あった。」

包丁の切っ先の鋭い輝きが、包丁の背のどちらかといえば野暮ったい鈍さとともにあるなんてにわかには信じがたいのだ。鋭いものはいつだって、総体として統一的に鋭くうつくしくあってほしいとあたしは思う。

「ボーカル『は』?」

「そう、ボーカル『は』、ボーカル『だけは』、だよ!強調しなくてもわかるよね!ピアノは要するに宙ぶらりんだ、はっきり言うが、わかるかい!」

包丁の背ではなく刃の部分に強く惹かれる。誰だってそうだろう。しかしあたしはとりわけ刃の部分が好きで、何ならすべてが刃であれば良いとすら思う。包丁の横顔の平らな部分を撫でた瞬間、どういうわけだか指がスパリと切断されればいいと思う。構造としてそれが決してあり得ないことだと知ってはいても。

「ええ、そう言われれば、わかるわ」

「だったらもう、きみは、おれがこのバンドを、申し訳ないがきみが薦めてくれたバンドを好きではないことを理解してくれるね?」

刃物は危ないのだ。段ボールに染みるあたしの血が、こんなにもたくさん、ちいさなあたしの体の、これまた小さな指から溢れ出たのだ。泣きながら指を舐めて、ばんそうこうを自分で貼って、おかあさんはまだずっと帰ってこなくって、あたしは錆びたカッターナイフを泣きながら引き出しにしまうのだ。

「ええ、理解するわ」

あたしはなにも理解していない。

「それは良かった。」

彼は、それは良かったと言って笑う。

「……なあ、ところで、この包丁は何のために持ってきたんだい?食うものはもう何もないのに」

あたしは返事をしないで曖昧に微笑んだきり立ちあがり、回鍋肉の皿に置いた包丁を、手に取って流し台に持っていく。彼は後ろから何やらわめいている。あたしはそれを無視して包丁を洗う。スポンジでこすっても錆びは落ちない。あたしは包丁を丁寧に洗う。指を切らないように、背の部分から被せるようにスポンジを当てて包丁を洗う。

煙草を喫う(掌編)

『幼女と煙草』という小説を読んでひさびさに煙草を吸いたくなった。実家ではさておき、一人暮らしのこのアパートで私の喫煙を止める者は居ない。なので吸うことにした。

戸棚に隠すようにしてしまってある灰皿とライターと、煙草を一本取り出して、キッチンの換気扇の下で火を点けた。煙草を吸うのは数か月ぶりのことだったから、それに吸っていた時分に量をこなしたわけでもなくて、要するに、吸い方も忘れちまって覚束なく、つまり口で吸うと同時に肺に取り込めば良いのか、或いは一旦口だけで吸い、そこから更に肺に送り込めば良いのか、それすらも判然としない。どちらでも良いのだろう。どちらかが望ましいのかもしれないが、しかし私の知ったことではない。調べるほどのことでもない。とにかく吸う。私は煙草を吸う。

……そうやって、人間一匹、一人暮らしのアパートの、キッチンの換気扇の下に立って、二口、三口と煙草を吸っていると、あらかじめ酒を飲んでいた為か知らん、妙な具合に作用して、例えば換気扇の音が常より巨きく聞こえだす。自分の心音も普段よりかはよく響き、重力が幾分増したようにも感じられて、つまり世界が実体を増して感じられるとでもいうのだろうか。傍らの壁に寄りかかって、そんな高尚な思弁に耽りながら吸うわけだが、馬鹿の考えは休憩みたいなものだから、つまり私はぼんやりしていて、灰を灰皿に落とす積りで、火種までも落っことしてしまった。苦笑して、火を点けなおしてふたたび吸うと、今度は煙が目に入り、痛い。キッチンの水道で目を濡らし、ふたたび、もといみたび吸いはじめるわけだが、なんともはや格好がつかない。誰が見ているわけでもないのに首をすくめる。淋しくてたまらない。

かてて加えて、てんで煙草に弱くなっちまっているようで、一本吸いきるよりも先に気持ち悪さが去来した。勿体ないからあと二口だけ吸おうとして、一口は口だけでふかし、もう一口は肺に入れ、それでもう、吸い切ったことにした。吐き気や重力が耐えがたい。火を消し、口をゆすぎ、キッチンから抜け出して、敷いておいた布団に倒れ込む。

……煙草を吸うと、いや、吸ったあともしばらくのあいだ、世界が身近に迫ってくる。音が巨きく聞こえ、肌触りも鋭敏になり、重力もいつもよりか強い。その重力に促されるまま布団に横たわった私は、荒い呼吸をしつつ耳をそばだてる。開いた窓から流れ込む外の営みもいつもより大きい。車が走り去る音の合間に、正体不明のひどく間抜けな音が聞こえた。間抜けな音が身に迫って聞こえたことが厭わしい。翻って家のなかでは、換気扇の音は言わずもがな、はすむかいに置いた扇風機が、私の脚から横腹までをそっと撫ぜ続けている。仰向けになれば蛍光灯の白い灯りが目に染みる。煙草の課した重力と吐き気が弱くなるまで、布団のうえの私はひとり、荒い息して蛍光灯を睨みつける。

そうしていると、じきに世界が余所余所しさを取り戻した。音も触覚も重力も、今や私をおびやかさない。吐き気も薄れた。私は起き上がり、風呂場に行って歯を磨く。煙草臭さを残さないため、いつもより念入りに歯を磨き、口をゆすいだ。

それからこの文章を書いており、そうして今、書き終えた。ある虚しい人間が晩に一本の煙草を吸った顛末である。

 

四国を一週間旅した話(紀行文)

むかしの旅の話をしようと思う。

なぜむかしの旅の話をするのか?それは私の未来が真っ暗であるから、せめて明るい思い出にあやかろうとしてのことである。モラトリアムの終焉をすぐそこに控えた私はもう、ふたたび気楽に旅を出来る身分にはなり得ないだろうから、つまり、学生時代の追憶に縋るようにしてこれからの数十年を生きてゆくことになるのだけど、この文章は、これから先、周縁の労働者としてみじめな生涯を送っていくだけの私にも、僅かながらも輝かしい(旅の)思い出があったという事実を示すための文章であり、またその思い出を私みずからが辿るためのよすがとなる文章でもある。……要するに、今から私が書いていくのは、かつての旅の思い出の整理、その過程かつ結果そのものである。幸いなことに、旅のさなか私は数十枚の写真を撮っていたから、そういうものを見て当時を思い出しつつ、切なさに胸がきゅっとなる情動をとどめずに、懐かしさと絶望がないまぜになったような心境を、追憶に寄せてここに記そうと思う。

 

*一日目

今から三年前の六月十三日だった。三年前というと私はまだ大学二年生で、つまり未だスロットに出会う前、私のお年玉貯金が潤沢に残っていた時分だった。酒の味すらまだ知らず、今のように精神が堕落しきってはいなくて、また、他ならぬ自分が大学を留年するだなんて想像だにしていなかった時分でもある。(就活でこんなに苦労するとも当時は思っていなかった。或いは微かな予感はあったかもしれない。しかし、今となってははっきりしない。)とにかく、この旅は三年前の六月十三日から始まる。まずはそこから書きはじめよう。

六月十三日は平日ど真ん中の水曜日、もちろん大学の講義があった。私は二限と四限を取っていて、その日も私は二限に出るためいつも通りに教室に入った。講義のはざまの休み時間の、人の体温で生ぬるい教室、その教室のぼんやりとした雰囲気。教室に満ちた懈怠をかきわけるようにして私はいつもの席に座る。私の隣にはいつも通りの斎藤くんが居る。(斎藤くんとは知り合いだった。)いつもと全く変わりない、退屈な、休み時間の教室でしかし、私ひとりだけ、いつもと違ってわくわくしていた。或いは表情にまでそのわくわくが溢れていたかもしれない。

私は斎藤くんに話しかける。ねえ、私はいつもと違うこんな大きいリュックサック背負って講義に出てきたわけだけど、どうしてだと思う?(斎藤くんは怪訝な顔をする。私は続ける。)……そう、二限が終わったらそのまま旅に出るんです、講義なんか丸ごと無視して、ほぼ一週間、四国に行くんです!(斎藤くんは呆れていた。)この大きなリュックサックには一週間分の着替えだとかが詰まっていて、あとね、見てこれ、旅行の予定を書いたノートなんだけどどう思う?鉄道に詳しいひとの目から見て、あとほら、これはね……、

そのうちに先生が来て講義が始まり、講義が終わり、私は教室をあとにする。斎藤くんはたしか、去り際の私に、よい旅を、だなんて言ってくれたような気もする。私は斎藤くんを、教室を、文系棟を、大学を置き去りにして駅に向かい、空港に向かう電車に乗る。今日の四限も、明日明後日の講義だってもう知ったこっちゃない。私はこれからの旅路の素描を脳内でなぞる。駅から空港へ。空港から空港、それからフェリー。するともう、念願の、……四国!こうして私の旅は始まった。

(ここで諸氏が気になっているやも知れない点を補足しておこうと思う。諸氏は言うだろう、つまり、「何で二限には出席したのか?」と。私はそれに答えて言う、「飛行機が午後三時ごろの飛行機だったから、出席してから行けたのだ」と。もう一つ諸氏は問うかもしれない。つまり、「旅行なり何なりは長期の休暇にでもすりゃあ良かろうに、また何たって大学の学期中にそう逃げるように旅に出たのか?」と。それを聞いた私はニヤリとして答える、「そうまさに、私は『逃げるように』旅に出たかったのです、わかるだろう君ら、つまりあんな、すし詰めの教室に詰め込まれて、生温かい教室の、不愉快な講義を数回、数十回と受け続けていれば、しまいにはもう気が滅入ってきちまって、何もこんなことをするために私は生まれてきたわけじゃない、とそう思うわけです。もちろんそんな気晴らしは長期休暇にやれば良いだろうが、しかし私は逃げ出したかった。わかるかい君ら、一方では生温い教室でボンヤリと講義を受ける学生たち、一方では四国の太陽のもと、弾むように旅をする私、そのコントラスト!誰も私を知らない土地で、栩栩然として心遊ばせる心地を、君らわかるかい、しかもそれに、大学を一週間サボるなんて背徳感が混じり合って、それがまたいやましに旅情をかき立ててくれるとすれば!それはもう、講義をサボることでしかなし得ない、宝石のような日々であるのだよ。……さあ、実際に、私の旅は佳いものだった。私は生涯の選択で数限りない失敗を犯してきたが、講義を一週間サボって旅に出たあの決断だけは、胸を張って、正しい、とそう断言できるよ。まあとにかく聞いてくれよ、私の数少ない、輝かしい思い出の日々を」。諸氏は以降、しずかに私の話に耳を傾ける。)

さて、諸氏に長々と逃避行の良さを語っている間に、私を乗せた電車は新千歳空港駅に到着した。ここから飛行機に乗って神戸まで飛ぶのであるが、……まぁ、こんなところを長々と書いても仕方がない。私は飛んだ。新千歳から神戸まで飛んで、神戸に着いた。飛行機は速い。

神戸からフェリー最寄りの三ノ宮に着いたのは夕方だった。夜行フェリーの出発までにはかなりの時間があったから、中華街を散策がてら夕飯にし、それでもかなりの時間が余った。仕方がないからフェリー乗り場に早々に赴き、ぼんやりと時間を潰すことにした。果たして時間は潰れた。(要は三ノ宮はさして私の印象に残らなかった。)

さて、時間が潰れたあとの、夜中のフェリーターミナルである。乗船時間が近づくと、あんなにもがらんどうだったフェリーターミナルに人が続々と現れて、しかも平日の、ど真ん中の、水曜日の、こんな真夜中に!誰も彼もみな、私のように大学を抜け出して四国へ逃避行の旅に出るのかしらん、なんて思ったりして、おまけに旅情と深夜のコンビネーション、非常に昂っているものだから、或いは私、そのうちの一人にでも話しかけかねなかった。(こんばんは、あなたも四国に一人旅ですか?)幸い理性が働いた。私も彼らと同様に、黙りこくって乗船時間を待った。

フェリーターミナルの待合室は妙に静かな待合室で、たしかテレビが一台ついていた。そのテレビを見るともなしに見ている人、イヤホン付けてぼんやりする人、本を読む人、色々な人がそこには居たが、会話する人はひとりもおらず、うすら寒いような白い灯りの下で我々は、眠ることもできず、喋りもせず、ただ黙って座り、時が来るのを待っていた。(あるいはそれが夜行フェリーを待つ際のマナーであったのか?)そのうちに乗船が許可されて、すると私たちはみな生ける屍か何かのように、緩慢に、乗り込み口から、しずかにフェリーに呑まれていく……。

 

*二日目

六月十四日の早朝にフェリーは港に着いた。足を踏み下ろすとそこは、遂に念願の四国であった。「遂に!念願の!四国であった!!!」ではない。あくまで、「遂に念願の四国であった」、である。と言うのもそれは前日のフェリーの為であった。一人で夜行フェリーに乗るのが初めてだった私は、寝転がる場所の確保にまんまと失敗し、仕方がないからその辺の椅子に腰掛けて、何とか眠ろうとするものの、生来の不眠も手伝って全く寝つかれず、不本意な徹夜の果ての、遂に念願の四国であった。

しかしやはり、何と言っても念願の四国である。陽の射しかたからして北海道とは違っていた。陽の射し方の違いすら、なんだか妙に嬉しかった。

 

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港からバスで運ばれ、朝の五時半頃には高松駅前に着いた。高松駅は想像と違い妙に立派で、だがほんとうに四国に来ているという実感が、「高松駅」のその文字のためにますます高ぶる。眠れずに疲れ切った身体に、なんとも言えない喜びが充満するような心地がして、疲労歓喜がその体内に同居する私は、まあ、とりあえず、手始めに栗林公園に行くことにした。

 

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栗林公園は松やら何やらがたくさん植わった公園であるという。"高松 観光"で調べるといの一番に出てきた場所で、こんな朝早くから開園しているとのことだったから、朝飯前の運動がてら訪れた。園内を散策すると、調べたとおりに松やら何やらがたくさん植わっており、それが池やら橋やらと組み合わさって風光明媚を形作る、なかなかに良い場所だった。……一時間弱の滞在で満足した。眠れなかった身体に広い公園はとにかくこたえる。腹も減っていた。そこで私は朝食にすることにした。

 

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栗林公園をあとにして高松駅前に戻り、ふと目についたうどん屋でうどんを食べる。肉うどん。肉うどん!私はうどんのなかでは肉うどんがいちばん好きだ。甘い出汁が肉に染みているのが堪らない。この肉うどんの肉も確か甘くて、それがまた言いようもなく嬉しかった。天かすも好きだ。天かす、それもつゆに浸ってヒタヒタになりかけているようなのが特に好きだ。うどんそのものも言うまでもなく好きだ。これも甘みが染みていて幸せだった。肉も天かすもうどんも、何もかもおいしい肉うどんを、つゆまですべて平らげた。その甘さが、やさしい味わいが、昨晩眠れずにボロボロだった身体の隅々にまで染みわたった。

幸福だった。四国に来て、うどんが美味しくて、そして何よりも旅は始まったばかりだった。私は自由だった。おいしいうどんで胃袋が満たされていた。もう望むところは何もなかった。……いやそれは嘘だ。自由で満腹な私は、これからの旅を、四国を堪能することを望んでいた。そこで私は高松を後にし、松山へ向かった。(今にして思えば、移動が多く、まるで何かに追われるような旅行だった。だがまあ、若い時分にはそんな旅行も悪くはないだろう。もっとも、「若い時分」を終えた私は今後、旅行すらままならないような社会の周縁に取り込まれてゆくのだろうが……。)

たしか特急電車で松山へ向かった筈である。はっきりとは覚えていない。何しろ写真もない。記憶にも残っていない。私は肝心ところで写真を撮っていなかったり記憶が無くなったりする。所詮留年生の脳味噌なんてその程度の出来でしかない。(この時点ではまだ留年してはいなかったが。)だがおそらく特急列車に乗った筈だ。何しろ私は特急列車にも数日間乗り放題の周遊切符を買っていた筈で、それになんだか、高松から松山まで特急列車で行ったような気がしてきた。今してきた。自由席に乗ってわくわくしていた想いが今まさに蘇ってきた。虚構の思い出か真実の思い出かは判然としないが。しかしそんなことは些末なことで、要は私はおいしい肉うどんを啜ったのちに、そのまま松山へと赴いた。

さて松山に着いた。松山と言えば道後温泉がまず挙がる。もちろん私はそんな有名な道後温泉に行かなかった。……そう、行かなかった。松山駅から歩いて行くには遠いから、もし行くなら市電に乗って行かねばならなかったのだけど、市電に乗るのが怖かったから、道後温泉には、行かなかった……。代りに近くの美術館まで赴いて、熊谷守一展を観てきた。轢死体の絵が妙に印象に残った。

(じつを言うと松山の市電にも乗ってみたかった。ただ、慣れないことをして手間取って、周囲から冷たい視線を浴びせかけられるようなことが怖くて、乗れなかった。臆病のために乗れなかった。……同じ理由で私は、札幌を走る路面電車にも乗ったことがない。札幌の大学に千葉くんだりからわざわざ入学したにも関わらず、怖くて、路面電車に乗っていない……。)

 

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昼食も松山で摂った。昼食の写真は撮っていない。(馬鹿か?)しかし昼食を摂った店の貼り紙を写真に撮っていた。セイロンライス。これを食べたわけではないが、右下の注釈をよく見てほしい、なんとこのセイロンライス、写真もメニュー名もあくまで「イメージ」なのである。写真もメニュー名も何もかもイメージであるのなら、いったい何を信じればいいのかわからない。しかし妙に美味しそうではある。そして「忘れられない味」というのには注釈がついていないから、「忘れられない味」というのだけは本当なのだろう。……食べてみれば良かった。旅に出ているくせに私は、ほとんど冒険をしなかった。市電しかり、セイロンライスしかり、私は、もう、どうしようもなかった。

そして松山を後にした。美術館に行って昼飯を摂って、松山をあとにして、電車に乗った。『私よ、私よ、なぜ慌てる?留年することを察して、恐ろしいのか?』なんて声が聞こえてきそうだが、そうではない、実はこの日の私の主たる目的地は下灘駅にあったのだ。うどんも良かったが、私は何よりも下灘駅を楽しみにしていた。諸氏も下灘駅の名前くらいは知っているだろうと思う。青春18きっぷのポスターに幾度か使用されている駅で、電車にとりわけ詳しい訳ではない私も、そのポスターをインターネットの画像スレッドで目にするようなことが間々あって、そこから醸し出される旅情にひどく憧れていた。いつかは行ってみたいと思っていた。下灘駅には感じたこともないような風情が、そう、素晴らしい風情が私を待っているものだと、手前勝手に信じ込んでいたのだ。無人駅の、海に面した無人駅の風情をひとりきり、素晴らしい風情を謳歌できる筈だと、そんなふうに、信じ込んでいた。

だが当然そんな風にうまくはいかなかった。

灘駅に私が乗った鈍行列車の着く直前から、何やら厭な予感がしていたんです。駅に電車がはいっていくと、ホームにはたくさんの、電車の写真を撮るひとびと、ああ嫌だなぁ、でも、私のずっと憧れていた駅だから、嫌な予感を抑えつつも降り立ってみて、しかし、私は下灘駅に、降りてみなければ良かった。降りるべきではなかった。

私は降りた瞬間、激しく後悔しました。私が想像していた風情や情緒は、それこそひとかけらもなくて、大学生の集団や、定年後の夫婦、それによくわからない人々が、ぺちゃくちゃと喋り散らして、写真をパシャパシャと撮り散らかして、そこには風情の、情緒のひとかけらすらまるでなくて、私は、もう、死んでしまいたかった。

とにかく人が多かった。そして騒々しかった。たとえばバイカーのおじさんが女子大生のグループにこれまでの旅の自慢をしていて、女子大生はそれを興味なさそうに聞き流していた。

いたたまれなかった。ひとりきりの旅情なぞ望むべくもなかった。そこでは私こそが他ならぬ異端者で、パシャパシャと写真を撮り散らかす彼らが、下らないお喋りをする彼ら、情緒の蹂躙者たる彼らこそが、正しかった。

もし人類が滅びたならば、私はそのときにこそ、もう一度下灘駅に降り立ちたいと考える。いいや、人類が滅びでもしない限り、ふたたび下灘駅に、行くものか。私はあの場所を、人間がいる限り、はげしく憎悪し続ける。あの場所には、もう、情緒も、風情のひとかけらすら、残ってはいない。

だけれど、下灘駅は、ひとが一人も居なければ、この上なく、愛おしい処であったろうと思います。もしそこにひとが一人も居なかったならば、下灘駅はなによりも美しい思い出になったでしょう。

 

……御高説は沢山だ。要するに私は下灘駅に全く馴染めやしなかった。次の電車が来るまでの一時間とすこしのあいだを、付近を散策するなどしつつ何とか潰して、鈍行列車が来るや否や私はそいつに飛び乗った。下灘駅のことなど早々に忘れて、今晩はもう、予定された宿に赴き、ただ眠るだけだった。私は車窓の景色も無視してスマホをいじっていた。あんなにも楽しみにしていた下灘駅があのザマで、それがあまりに悲しかった。

それから、乗り換えを経て宿泊地たる宇和島に着いた。夜の八時過ぎだったと思う。ここに至ってうどんの祝福が切れた。下灘駅での落胆が呼び水となり、昨晩の徹夜の疲れが私の身体に舞い戻った。二日分の疲労が私にのしかかった。そんなザマではもう、どこか気の利いた店を探す気にもなれず、それに翌朝も早いから、コンビニでパンをいくつか買った。旅をしている筈なのに、どこにでもあるコンビニのパンを買って晩飯にするなんて、なんだか勿体ないような気もするが、しかし、私は、疲れていた。

パンを買い込み、予約していたビジネスホテルにチェックインした。どこかうらぶれたビジネスホテルで、受付を、うだつの上がらない風体の男ひとりが切り盛りしていた。私と彼を除いては客も従業員も見当たらなかった。手続きをして鍵を貰い、ようやく休める、ようやく眠れると思いつつ、ふらふらと部屋に向かおうとすると、受付の男が私を呼び止めて言った。

「新聞をどうぞ」

見ると男は私に新聞を差し出していた。サービスなのだろうか。しかし新聞を読む気力も今はもう無いし、それに読まないものをわざわざ貰うのもなんだか申し訳なかったから、結構です、と私は告げた。すると男は驚いたような顔をした。

「ほんとうに良いんですか?」

「ええ」

「テレビ欄も?」

妙に食い下がってくるな、と思った。パンを食って風呂に入ってあとはもう眠るだけだから、テレビ欄も要らなかった。だから私はもう一度、断るつもりで、大丈夫です、と告げた。それを聞くと受付の男は不思議そうな顔をして、そうですか、とだけ言った。新聞を断られて不本意そうですらあった。私は彼にぺこりと会釈して、新聞を持たずに自分の借りた部屋へと入った。パンを食べ、風呂に入り、テレビを見ずに、ベッドに入った。たとい読まずとも新聞を貰っておいても良かったのではないかとふと思い、しかし次の瞬間には寝入っていた。

 

*三日目

六月十五日は朝の五時過ぎに起床した筈である。すぐにチェックアウトをして、新幹線に飛び乗った。

 

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周遊きっぷで新幹線に乗れるだなんて有難い。ここから江川崎駅まで新幹線に乗って、江川崎駅から中村駅まで、四万十川沿いをサイクリングで下るのが当日の予定だった。

想像してみてほしい。晴れた朝、四万十川沿いを延々と自転車で下ってゆく。その途中、しずかな碧色した四万十川にかかる沈下橋を、ひとりきり、自転車で渡ってみる……。それはもう、下灘駅と並ぶ私の夢だった。そして下灘駅が駄目だった以上、私の四国への、風情や旅情への憧れの成否は、このサイクリングの出来にかかっていた。そのためにはどうか、天気が佳いものでなければならない。祈るようにして、私は江川崎駅に降り立った。

 

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江川崎駅である。いやはや、なんとまあ、まさにサイクリング日和の、素晴らしい天気であった。すこし雨もぱらついていたような気もする。なぁ、もしかして、私のことが憎いのか、下灘駅に引き続き、そこまで私の旅を台無しにしたいのか?私はもう、どうしようもなくて、ぐるぐるとすべてを責め苛んだ。そもそも大学を一週間サボって旅に出るような、そんなイカレポンチの根性曲がりの、性根が腐ったやつなんかに、うまいこといい天気が噛み合う筈も無いのだ、私の人生はいつだってそんなふうで、やることなすこと何もかも裏目に出る、ならいっそ何もしないほうが良いのかもしれないが、しかし、もう、ああ、知ったこっちゃあない!雨が降るなら降れ、雷が鳴るなら鳴れ!殺すなら殺せ!……私は、もう焼けくそになって、最初決めたとおり、四万十川沿いをサイクリングで下ることにした。

 

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不幸は続いた。幸いにも雨が止み、サイクリング自体の支障は無くなったが、今度は沈下橋のほうに問題があった。折れているのである。折れていて立ち入れないのだ。天気も曇り、沈下橋も渡れない、そんな、もうどうしようもない、何もうれしくない状況で、しかし沈下橋は一本ではないから、泣きたいような気分で自転車を漕ぎ、次の沈下橋にたどり着いた。

 

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またもや、だった。またもや沈下橋を渡ることが叶わなかった。……だがここに来てようやく、私にも運が回ってきた。雲の隙間から青空がのぞきはじめたのだ。もちろん川面は空の色を照り返すから、曇りと晴れとでは川の美しさも異なる。半ば諦めきっていた私は、自転車を漕ぎながらすこしずつ良くなっていく天気を見て、期待で胸が高鳴った。或いは私が望んだような、素晴らしい四万十川を目にすることが出来るかもしれない。

そして、実際にそうなった。これまでずっと曇り空の川沿いを自転車で走っていた私は、そのとき、ようやく、晴れた川の美しさを目の当たりにしたのだ。

 

 

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幸運は続く。沈下橋はいくつもあって、そしてすべての沈下橋が折れていたわけではない。私は、渡ることのできる沈下橋までたどり着いた。

 

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周りには誰も居なかった。天気は晴れて、川面も言いようもなく美しかった。ずっと渡ってみたかった沈下橋を自転車で渡ることができ、そしてなによりも、こんなふうに旅情を感じていられるのが心の底から嬉しかった。沈下橋に腰掛けて、しばし恍惚とした。

 

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自転車で四万十川沿いを下る私は、そうして沈下橋を渡り、沈下橋に腰掛ける私は、あのときまさに、旅をしていた。旅の真っ最中で私は、「旅をしている!」と、そう強く感じていた。いま、ここで、他ならぬこの私が、旅をしている!奥底から沸き上がるような歓びで心は満たされた。旅情のある場所でひとりきり、旅情を満喫している嬉しさったらなかった。(私が四国の青空のもとでこんなにも自由な一方で、とおい大学の街の学生どもはすし詰めの教室で、概論の講義なりなんなりをぼんやりと受けている。それもまた少し頭をよぎり、しかしそんな底意地の悪い喜びはすぐに消え去った。)とにかく私は嬉しかった。幸福だった。生きていた。私が心底から「生きていた」のは、ほんとうはあのときだけだったかも知れない。私の生は、過去も未来も何もかもすべて、あの旅の、あのサイクリングの、あの沈下橋の、限りなく幸福なあの一点に集約されるために存在していたのかも知れない。そう思えるほどに幸せだった。私の旅の最も幸福な一点、或いは私の生涯の最も輝かしい一点は、まさにあの、四万十川での瞬間だったと言える。……ほんとうに、幸せだった。

 

 

昼には中村駅に着いた。自転車を返却して昼食にする。

 

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ふと目についた麺類の店で昼を食べた。食べたものの写真は撮っていない。おそらくサイクリングであまりに疲弊していたためだろう。自転車に乗っているとはいえ、普段運動とは縁遠い生活を送る人間にとって、40キロもの距離は体に響いた。どんなに心が景色によって満たされていても、疲れるものは疲れるのだ。

 

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その後電車に乗り、中村駅から高知駅を経て大歩危駅へと辿り着いた。大歩危駅の近くのホテルにチェックインし、温泉に入り、夕飯を食い、寝た。四万十川の幸福のために、私はその日じゅう満足し切って、昼食以降のことは特に記憶に残っていない。(都合の良いこと以外は何もかも忘れてしまう私は、政治家に向いているのかも知れない。)

 

*四日目

翌日、六月十六日の朝に目が覚めた。毎日一度は目が覚める。

ホテルをチェックアウトし、大歩危駅まで送迎バスで送ってもらう。大歩危駅に着く。しかし電車には乗らず、そこから更に別のバスに乗りかえる。本日まず目指すのは『かずら橋』である。四国に行くなら『かずら橋』も観に行くと良い、と私に教えてくれたのは、たしかツイッターの知己であった。その言葉にそのまま従い、私は『かずら橋』行きのバスに乗った。(ところで、私にそう教えてくれた彼女はいまどうしているのだろうか。顔も見たこともないが、元気にしていると良いと思う。)

長いクネクネとした山道を、バスに乗ってクネクネ走っていると、『かずら橋』に、まあ、すぐに着く、という訳ではなくて、つまりこの辺りは秘境だから、山道を長い間クネクネと走っていると、何も無い山のなかに、たとえば突然、温泉ホテルが現れる。周りにほとんど何も無いこんなホテルで、三日、あるいは一週間、二週間、だいたいそれくらいのあいだ温泉に浸かってノンビリできたら、脳みそがふやけて、ずいぶんと身体に良いだろうと思う。しかし私は一生涯そんな悠長な身分になれやしないだろうから、考えるだけ虚しくて、要するに、温泉ホテルを発ったバスはまた何も無い長い山道をクネクネとずっと進んでゆき、クネクネ、クネクネ、すると今度は山の斜面を切り開いて出来た小さな集落が現れる。こんな山奥の街で生まれ育ちでもしたらずいぶん面白かろうと憧れもするが、蓋しそれは気楽なベッドタウン育ちの人間の楽観的な妄想に他ならず、実際に私がそこに住めば虫やら不便さやらで三日も経たず根を上げるであろう。そしてまた私は悲しくなって、だがバスは私の感情など気にせずに、またクネクネと山道を進んでゆく。クネクネ、クネクネ、すると今度こそ『かずら橋』へと辿り着く。

 

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『かずら橋』とは蔓や木材(やワイヤー)で出来た橋である。渡るのには通行料が必要で、橋の向こう側にとくに用があるわけでもないが、せっかくなので渡ってみる。(通行料とはこの場合、体験料に他ならない。)

 

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思った以上に足場の木材の間隔が遠く、なるほどこれはいささか怖い。他の人々も大概みなおっかなびっくり渡っていた。(また、これらの写真はすべてスマートフォンで撮ったのだが、もし落としでもしたら恐らく川底へ真っ逆さまだと考えると、スマートフォンを持つ手にも力が入る。自分自身が落ちることよりも、スマートフォンを落とすことの方が数倍怖い。)

 

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なんとか無事に、奇跡的に無傷で橋を渡り切ることができた。死ぬかと思った。あんな怖い経験はもう私の生涯にはふたたび訪れないだろう。そんな恐ろしい橋を渡って左手の道をすこし行くと、雰囲気の良い料理屋があった。私はたしかここで串刺しの川魚を食べた筈だが、どういうわけだが写真を撮っていなかった。なぜ撮らなかったのか頓と判らない。過去を思い出しながら文章を書く際に、このような写真の不足は非常に困る。勘弁してほしい。もう一度四国に行ってどんな魚だったか確かめたい。もとい是非とも行かせてほしい。四国に行きたい。ふたたび四国に行きたい!

……『かずら橋』観光を終え、バスに乗り、長々と、クネクネとした道を戻って、大歩危駅へと帰ってくる。そこから私はふたたび電車に乗って旅をする。

さて、ずっと書こう書こうと思っていたことがある。四国を電車で回っていると、駅のホームで何遍か見かけたこいつについて。

 

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そう、らぶらぶベンチ。らぶらぶベンチについて書きたかった。見ての通り座面が中央に向かって傾斜しており、ここに座ったカップルはどうしてもひっつかざるを得なくなる、そんなトチ狂った代物である。「ア〜、タッちゃん、人前でそんなにくっつかないでよぉ(笑)」「なぁにミサこそくっついてきてるじゃないか、だいたいミサがこのベンチにおれと座りたいって言ったんだろ?(笑)」「もーッ、タッちゃんのいじわるぅ(笑)」みたいなバカップルが使うんだろうな、と、私はこのベンチを見る度に忌々しく思っていた。……が、このベンチに実際にカップルが座っているところを、私は旅行を通じて一度も目にすることが無かった。そもそもこんなふざけたベンチを使う人間が果たして一人でも居るのか、と諸氏は訝しむかもしれない。……ひとり、居たのだ。らぶらぶベンチに腰掛ける者を、私は大歩危の駅で目にした。

それは『かずら橋』から戻って来、ホームで電車を待っているときだった。私は普通のベンチに腰掛けて電車を待っていた。さすがに一人でらぶらぶベンチに腰掛ける勇気は無かった。それに普通のベンチもいくつか空いていた。なので私は持ち前の臆病を発揮して、普通に、普通のベンチに腰掛け、ぼんやりと電車を待っていた。……しばらくすると、駅舎から恰幅の良い一人の男が現れて、駅のホームにやって来た。まだ電車が来るまでは時間があったから、彼も座る場所を探していた。そのまま彼は、普通のベンチに腰掛けるのか、と私は思っていたが、なんと彼はとくに気にするでもなく、平然と、らぶらぶベンチの真ん中に、ひとりで腰掛けた。らぶらぶベンチに!一人で!他に普通のベンチがあるにも関わらず、彼はらぶらぶベンチに腰掛けたのだ。

それを見て私は雷に打たれたような衝撃を受けた。彼は私のチンケな価値観を丸ごと葬り去ると同時に、らぶらぶベンチの見えすいた意図も平然とぶち壊したのだから。お二人さま向けのコンセプトも、真ん中に寄っていく構造もすべて無視して彼は、最初かららぶらぶベンチのど真ん中に腰掛ける。他のベンチが空いているにも関わらず、らぶらぶベンチを避けもせず、普通のベンチと同じようにしてらぶらぶベンチに腰掛ける。私がらぶらぶベンチについてウダウダ考えている一方で、彼はひとり、男一匹、らぶらぶベンチに腰掛ける。らぶらぶベンチの中央に座り、それでいて平然とする彼に、私は強く憧れた。私もあんな、図太い男になりたいと思った。らぶらぶベンチの真ん中に男一匹で座る彼は、ただらぶらぶベンチに男一匹座っているというその事実だけで、私にとって崇高の対象にまで高められたのだ。私もらぶらぶベンチのど真ん中に一人で座るような男になりたい。私もあんな風に、暗に自分を対象から外しているようなものを、あるいはその構造を、あざやかに、かつ平然とぶち壊せるような人間になりたい。

……それから電車が来て、私は乗った。彼が私と同じ電車に乗ったかはわからない。ただ、私の脳内の片隅にあるらぶらぶベンチの、そのど真ん中には、いつまでも彼が腰掛けている。

 

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乗り換えを経て徳島駅に着いた。徳島で撮った写真はこれ一枚きりである。何を思って上の写真を撮ったのか、何故駅舎や駅名標ではなくてこれを撮ったのか、またどうしてそれ以外を写真におさめようとしなかったのか、今となってはわからない。しかし実際、徳島では私は特になにもしなかった。写真に撮っておくべきようなことは一つもしなかった。昼飯をなんとなく目についた店で食べ、周囲をすこし散策し、それからすぐ、鳴門に向かう電車に乗った。それだけだ。(ただ徳島が悪かった、という訳ではない。徳島にも四国の雰囲気が充満していて、そんなところに居られるだけで、たといなにか素晴らしい観光などしていなくとも、なんとなく嬉しくなってくる。その点において徳島は良かった。)

……そういえば徳島ではひとつだけ印象的に覚えていることがある。徳島城の公園をぶらぶらと散策していたとき、そこにはずいぶん人が居て、アァ徳島城は住民の憩いの場なのかなぁ、憩いの場とは良いものだ、羨ましいナァなどと考えつつ、しかし、彼らをよく見てみると、みなことごとく俯いて、スマートフォンを触っている。奴ら皆ポケモンGOをやっているのだと、そう私が察するまでに、あまり時間はかからなかった。こんな良い天気の、綺麗な公園で、みんなしてポケモンGOをやっている。面白いなぁと思った。とはいえ何となく不気味で、私はいそいそとそこから立ち去った。明るい日差しの綺麗な公園で、人々だけがディストピアじみていた。

 

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さて、鳴門へ着いた。鳴門は本日の宿泊地である。写真は鳴門駅のバスの時刻表で、と言うのも翌日にバスに乗って行く予定の場所があり、要は必要にかられて写真を撮ったのだ。そしてこれが六月十六日の最後の写真である。要するに、この日私は鳴門に着くなり、早々に活動を終えた。十五時過ぎに宿泊地にチェックインし、しばらくぼんやりとして、コンビニで買った晩飯を喰らい、またしばらくぼんやりとして、それから風呂に入り、最後にもう一度ぼんやりとして、それから、眠る。それで、おしまい。(旅に出ているときは何かするのも嬉しいし、一方で、旅に出ていながら何もしないのも、これもまた、楽しい。異化された旅の日々では何もかもが輝いて見え、幸福に感じられる。ビジネスホテルで何時間も意味もなくボンヤリとしていることすらも幸福だ。……幸福だった。)

 

 

*五日目

六月十七日に目が覚める。旅も早や五日目を迎えた。

チェックアウトをして鳴門駅前に向かい、そこからバスに乗る。市街をバスに揺られていると、本日の目的地にたどり着いた。

 

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そう、皆様ご存知、大塚国際美術館である。古今東西の名画の複製が、そりゃもう大量に展示されている美術館で、私もいつか一度は行ってみたかった。なので、行った。


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この美術館は展示されている複製の数の多さもさることながら、その入館券も非常に高い。前もって調べてその値段は知っていたものの、……2160円!2160円もあれば、一体何日間食い繋げるというのだろう。仮にも貧乏学生の端くれとして、わたくしは、券売機へと実際に2160円を投入する際、激しい逡巡がその脳内を駆け巡り、(2160円!)それが所作へと作用を及ぼして、私の手は激しく震え、小銭を取り落とし、(2160円!)発汗が止まらず、そのうえ、吐き気までもが、その、

……いや、止そう。誇張して言うのも阿呆らしいから正直に言うが、別に手が震えたとか、あるいは激しく逡巡したとか、そんなふうなことも別になく、要するに私は、券売機に淡々と2160円を投入し、平然とチケットを購入した。旅に出てまで金銭を気にかけるのは虚しいことだ。(もっとも、今後の私は、就活が全くうまくいっていない私は今後、きっと旅にすら出ることが出来ないような身分へと、薄給酷務の地獄へと、落ちこんでゆくのだろうが……。)

さてチケットを買い、実際に美術館の内部に入ると、非常に昔の美術作品(の複製)からはじまり、だいたい時系列に沿って累々と展示されていて、生真面目な観光客たる皆さんは展示順路に沿って、つまり時系列に沿って古代から観て回っていた。彼ら同様に私もたいへん生真面目な人間だから、最初は彼らと同じように、わかったような顔しながら、古代から延々と観ていたが、そのうちになんだかしゃらくさくなっちまった。こんなにもたくさんの人に混じって観るのも厭だったし(私は人混みがとにかく嫌いだ)、それに私は古代の美術作品には欠片も興味がなかった。わざわざ時系列に沿って観る義理もない。なので私はワープした。

 

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早々に現代まぎわへとワープした。これはたいへん効果的だった。誰も彼もみな時系列に沿って観て回っているものだから、こんな時代には未だ誰も辿り着いていないのだ。

 

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誰も居ない。

 

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誰も居ない!

私は現代の階層を、ただ一人きり、独り占めしてじっくり堪能した。ワープは完全な正解だった。もし早朝から大塚国際美術館に行く機会があるならば、諸氏、ぜひとも自分の興味ある時代にワープしてみることをオススメする。ひとりきり、好きな絵(の複製)を好きなだけ(、もとい後続の時系列連中がやってくるまで)たいそう静かに堪能できる。これはなかなか得難い経験だった。

さて現代まぎわの美術を長いこと観ていると、じき時系列連中が、そのなかでもとくに足のはやい連中(野暮天ども)が現れて、「現代アートはよくわからない」だとか「こんなもん俺にでも出来る」だとかの声で煩くなってきた。野暮天は嫌いだ。なので私は退散した。その時までに私はもう、充分に満足していた。

 

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美術館内にはレストランがあった。折角なのでそこで昼にした。プチブルめいた飯が出てきて、私はそれを哀しく食べた。Tシャツとジーンズの貧乏大学生(=私)には到底似つかわしくない飯だった。また、こんな飯を日頃食べるような身分になれやしないことを、当時から既になんとなく私は悟っていて、そのために私は哀しかった。飯を食べながら哀しかった。プチブルランチをひとり哀しく食べおえると、館内の残りのうちの一部をザッとさらうように観て、それから美術館をあとにした。(プチブルランチの哀しさは長く尾を引いて、絵を観るどころではなくなってしまったのだ。……もとい、現代まぎわの美術を非常にじっくり観ていたものだから、なんだか、疲れてしまった。)鳴門ではあと、渦潮を見た。海がぐるぐる渦巻いていて、ナルホド渦潮とはあんな感じのものなのだなぁ、と思いました。楽しかったです。

……鳴門の街並みも、美術館の周りも、ずいぶんと気持ちが良い処だった。晴れた清々しい天気の下ですべてが輝いて見えた。或いは旅の異化作用のためにそう思えたのかも知れないが、私の旅路のなかでも鳴門はとくにその雰囲気が良かったように思われる。そんな鳴門の街をあとにして、私はふたたび電車に乗る。今度はどこへ?ふたたび高松へ!だがそれは旅をするためではない、旅を終えるためにである。

 

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高松に着いたのは十八時ごろだった。夕飯はもちろん肉うどんだ。たしかこれは高松駅内のうどん屋の肉うどんだと記憶している。肉うどん尽くしの生活が送れる香川県民が羨ましい。

……さて、何事にも終わりがある。とうぜんこの旅にも終わりがあって、つまり翌日、私は神戸まで戻り、そこから飛行機で帰らねばならなかった。ふたたび大学のある街へ、退屈な日常へ、帰らなければならなかった。(高松に戻ってきたのも翌日の高松発の高速バスのためだった。)残念だったが、しかしまあ、満足もしていた。電車で四国を回ってみるようなことなんてそうそう出来ることではないし、かずら橋も、大塚国際美術館も楽しかった。言わずもがな高松のうどんは美味しかった。下灘駅は最低だったけど、でも私には、四万十川沿いを自転車で下る思い出が出来た。総体として幸福だった旅のなかで、そのなかでもいっとう満ち足りていたあの思い出さえあれば、懈怠まみれの日常なんて屁でもないような気がした。今後の人生だって、何とかやっていけるような気がした。(そして今もなお四万十川の思い出に私は助けられている。私の生涯はもはや、どうしようもない所まで来てしまったが、それでもあの沈下橋でひとりきり憩っていたあの瞬間を思い出せば、ふと胸が軽くなる。もうだいぶ色褪せてしまった思い出だが、それでもやはり、私のたいせつな思い出であることに変わりはない。)

うどんを食べ終えた私は高松駅からしばらく歩き、ビジネスホテルにチェックインした。翌日に神戸まで行く手段を再確認し、風呂に入り、名残惜しいが、眠った。

 

*六日目

六月十八日、目が覚めた。今日は北海道に戻る日で、旅の終わりの日であった。本来ならばその筈であった。本来ならば、というのはつまり、不測の事態が起こったのだ。

2018年6月18日の8時前に、大阪北部で最大震度6弱地震が発生した。高松に居た私はその時間には未だ寝ていた。そして地震の揺れでも目が覚めなかった。

 

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八時半過ぎに目が覚めた。目が覚めてから少しして撮ったのが上の写真である。なぜベッドの写真を撮ったのか?諸氏は私に問うだろう。私は答える。それはこのベッドの寝心地が、あまりに良かったためである。ほんとうに良かった。ぐっすり眠ることが出来、またすっきりと起きられた。朝目が覚めてまず、私はひどく驚いた。寝覚めが最高だったのだ。大袈裟に言っているのではない、現にこうして写真に残すほどに感動した。そのために、つまり私を感動せしめたベッドが何だったのかを記録するために、ベッドの上の紹介文を撮ったのだ。それが上の写真の顚末である。

最高の寝覚めでルンルン気分の私は、何とはなしにテレビをつけ、そしてまたもや驚いた。自分が眠っているあいだに、大きい地震があったのだ。そのことをテレビを通して初めて知り、しかし私は楽観的だった。電車ならともかく、バスで神戸まで戻るのに、さして影響はないだろうと(根拠もなしに)思っていたのだ。楽観的ではあったものの、それでもすこし不安だったから、ちょっと急いでチェックアウトし、高知駅へと向かった。

 

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高知駅に着いてまず私は何をしたか?バスの運行状況の確認?いや違う。……そう、肉うどんを食べたのだ。地震のあとだから交通機関が乱れているかもしれない。本来ならばそれらを朝食よりも先に確認するのが筋だろう。だが、もし交通機関がことごとくダメだったなら慌てたところでどうしようもなく、しかし交通機関がダメだと知ったら否応なしに慌ててしまう。そうなったらもう、ゆっくり肉うどんを食べるような気分には到底なれないだろう。だから私は何よりも先に、肉うどんを食べた。交通機関の状態を調べるよりも先に、肉うどんの食べ納めをしたのだ。私がしているのは通勤でも通学でもない、旅である。四国をめぐる旅の、それも最終日なのだ。だからこそ、四国での最後の食事は、慌てることなく肉うどんで〆たかった。なのでそうした。美味しかった。

肉うどんを食べ終え、高速バスの案内所に赴くと、乗る予定だった高速バスは運休していた。神戸へ向かう高速バスは軒並み運休で、高速バスの復旧を待っていたらどうあがいても飛行機の時間に間に合いそうもなかった。さてどうしたものか、と私は思った。予約した航空会社の窓口に電話をかけてみるものの、地震が起きて間もないから、とうぜん全く繋がらない。さて、どうしたものか。非常に困った。旅の最終日にこんなトラブルに巻き込まれるとは、まったくツイていなかった。

 

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なので私はもう少し、電車で旅をすることにした。飛行機は夕方だったから、うまくいけば電車でも間に合うはずだった。私は電車で神戸まで向かおうと、不規則な運行のなかなんとか神戸に近づいてゆき、そうして、なんと!

岡山で力尽きた。岡山までは何とかなったが、岡山からはどうあがいても神戸に近づくことが出来なかった。私以外にも岡山駅で足止めをくった人々が、周りにはあふれていた。さて、どうしたものか。

来ない電車を待っていても仕方がないから、航空会社に電話をかけることにした。こうなった以上、何とかして電話を繋げて、飛行機の予約を変更してもらうほかない。そう、なんとしてもここで電話を繋げなければならない、たとい何十回、いや、何百回掛け直そうが、繰り返しかけ直して、頑張らなければ、……なんて気合いを入れるまでもなく、数回目で電話はアッサリ繋がり、地震のせいで本日は神戸まで辿り着けない旨伝えると、無料で(そう、無料で!)翌日の飛行機に替えてくれるとのことだったから、そうしてもらった。こうして無事、飛行機の算段はついた。そのあとすぐに、岡山のビジネスホテルを予約して、あとには旅の、おまけの一日だけが残った。

時刻は昼のすこし前だった。とりあえず飛行機と宿の算段がつきホッと一安心した私は、チェーン店の牛丼屋で牛丼を食べた。牛丼を食べながら、段々と冷静になっていった私は、しかしなんでこんな処でわざわざ牛丼を食べているのだろうと考えだした。高知でもう少し状況を見てそのまま留まっていれば、今日の昼、今日の晩、明日の朝と、もう三食肉うどんを食べられた筈だ。それを慌てて岡山まで出てきて、そればかりでない、あろうことか何処でも食える牛丼を喰らっている。何をしているのだろう。(牛丼を食べているのだ。)しかしまぁ、落ち込んでいても仕方がないので、折角だし、岡山でもひとつ観光らしいことでもしようと思い立った。そこで私は牛丼を食べ終えたのち、後楽園に行くことにした。

……後楽園までの道中で一度、リヤカーを引いたお菓子売りに捕まった。お菓子を買ってくれという。イエ結構です、と言って断ろうとしたが、それなら少しだけ商品を見ていってください、見てもらえるだけで大丈夫です!とのことだったから、別に急ぐ旅でもないし、そこまで言うなら、と思い、しばらく付き合うことにした。すると奴さん、水を得た魚のように、私にお菓子のセールスを次々と仕掛けてきて、そしてそのどれもが高い!しかし話が進んでしまった以上、途中で会話を打ち切るほどの勇気は私にはなくて、だから仕方なく、イヤ大福はチョット冷やして持って帰れないから厳しいですね、バームクーヘンはしかしお高い、アアそのお菓子は私はあんまり好きではなくて……、っていう風にノラリクラリとかわしていたら、しまいには奴さん、ムッとして、リヤカー引いて私から離れていってしまった。申し訳ないことをしたと思う。(旅を終えてから三年が経ったが、彼は今も岡山の駅前でリヤカー引いてお菓子を売っているのだろうか。今度もし岡山に行く機会があって、もしそこで彼に偶然会いでもしたら、ふたたびお菓子を売りつけようとしてくるのだろうか。そのときは私、三年前にも会ったよね、って思い出話をしてあげよう。そして私は、再開の折にはきっと、彼の売るお菓子を、やっぱり買わない。高いから。)

 

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リヤカー引いたお菓子売りを撃退し、無事に後楽園へとたどり着いた。後楽園はなんかスゲェ公園らしいので期待していた。

 

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そして実際良い処だった。園内の茶屋で抹茶と餅?のセットが売っていたから、買った。抹茶を飲むなんていつぶりのことだろう。そこから見える景色も良かった。良い景色を眺めながらの飲食は心が洗われるようで、たとえば私は団子喰らいつつ月見するような経験がないが、この風景のなかで飲むこの抹茶の美味さを思えば、或いは月見にもやってみる価値があるだろう。

のどかな公園だった。時間がゆっくりと、もとい、時間本来の質を取り戻したように、ただ流れるがまま流れている。老後はこんな、後楽園のひとときのようにのどかに過ごしたいと考えた。(あるいは今すぐ年寄りになっても構わなかった。)……まぁもっとも私たちの世代に、その中でもとくに私のような人間に、安逸な老後が訪れるとは到底思えないが。

後楽園を堪能し、朝からの地震のための慌ただしさが私のなかからすっかりと抜け落ちた。このあとどこか別の場所に行っても良かったのだが、しかしもう、ここいらでお終いにしたいような気もしたから、そのまま、予約したビジネスホテルにチェックインした。諸々済ませ、眠りについた。旅のおまけの一日は、慌ただしさから始まって、静謐のうちにその日を終えた。

 

*七日目

目が覚めた。帰る日である。この日は札幌に帰るだけだ。電車で岡山から乗り換えを経て三ノ宮、さらにそこから神戸空港へ。この日のことはまったく覚えていない。書くことは何もない。神戸空港に着き、そこから新千歳に飛ぶ。新千歳から札幌に電車で戻り、家まで帰り、それから寝た。旅の帰路は翌日の日常が浸出して生臭く、楽しむどころではなくて、それはもう、単なる作業に他ならなかった。つまり、私の6+1日の旅行のうち、旅行じみていたのは最初の六日間だけであった。

 

 

さて、三年前の旅の足跡を辿り直す長々とした工程が、ここでようやく終わりを迎えた。そして今、今に至ってようやく気がついたのだが、題名の「四国を一週間旅した話」、これは嘘である。嘘、もとい誇張である。私が実際に四国に着いたのは旅の二日目の早朝であり、私が四国をあとにしたのは六日目の朝であるから、つまり、要するに、私は四国に百時間程度しか滞在していないのだ。なので私は題名を「四国をめぐって一週間旅した話」、あるいは「四国を中心として一週間旅した話」とでも書き換える必要がある。だがまぁ、許してもらいたい。百時間は実質一週間みたいなものだ。月曜から金曜まで働いた、あるいは学校に行った諸氏は、(今週も一週間ガンバッタなぁ)と思うだろう。だがそれは五日間に他ならない。そうして私の旅も、二日目から六日目までの五日間の四国であった。どちらも同じ五日間であるならば、私の旅だけが一週間とならないはずは無いだろう。なので私の旅とは畢竟、「四国を『一週間』」旅したことに他ならないのだ。

……書き終えてしまうのが名残惜しい。書き終えてしまえば私は、四国の旅を二度終わらせたことになる。然しそれは同時に、四国の旅を二度楽しんだことであるのだから、二度目の終わりも甘んじて受け入れなければならない。

旅の追憶を辿るのは楽しいものだった。紀行文とでも言うのだろうか、しかし書くまでに三年の間が空いていて、それに適宜、話に流れを持たせるための、文体上の、あるいは細部のいくつかの脚色や省略、補完もおこなったから、精確性には欠けている。だが大まかな流れはこれまでに書いた通りのものだ。そのなかでもとくに、四万十川沈下橋での情動や幸福感は、本文でも幾度か示したとおり、今でも私のたいせつな思い出であり、またその際の記述は、当時の私の心境に寄り添っておこなった。諸氏も、もし四国に行く機会があれば、四万十川沿いを自転車で下ってみてほしい。それもなるべく若いうちに。

……いよいよもう、書くことが無くなった。今後あんな、四国での一週間のような日々を私が送ることはもう無いだろうから、非常に名残惜しい。これからの私はきっと、若さも時間も失われて、収入も少なく、ただ疲弊して老いてゆくのだ、たぶん。

可能ならば旅のはじまりの日に戻りたい。そうして私はふたたび四国を旅したい。全身で四国を、もう一度感じてみたかった。

 

就活で書いた作文です(随筆)

ままなりませんね、就活。ほんとうにもう、如何ともしがたい。とくに面接が駄目、まったく駄目、一次面接をこれまでに一回も突破できていない。わたくしの就活は一次面接すら突破できずに終わるんではないでしょうか。そうしたら一体どうするんでしょうね。首でも括るんでしょうか。しかし、よしんばどこかに滑り込めたところで、わたくし程度の人間が入社できるような御社は真っ黒な、薄給激務のクソ職場であるのは今からもう、わかりきっているのですから、わたくしの生涯、過去にもろくな思い出がなく、そうして未来も真っ暗な、そんな生涯なんてもう必要ないし、いっそ就活が最後までうまくいかず、そのせいで心の調子を完全に崩して、シレッと死んじまえたら、それがおそらく一番マシなわたくしの生涯の終えかたなのでしょう。もとい、そんな終結をわたくしはいま、望んですらいる。わたくしが今こうして生きているのは、ただ死ぬ勇気が足りないという、まさにそのためだけなのですから、希死念慮が死の恐怖を大きく上回り、或いは絶望の力を借りて、つと死んでしまえるのが、いちばん良いように思われます。生きていたところですべて、何もかも、ろくでもないのはわかっている。かと言って死ぬる勇気も今は無い。ならばいっそ、貴社どもが、とことんまでわたくしをコケにしてくれれば良いと思います。わたくしが確実に死に至れる手段を取るほどに、わたくしのなかの希死念慮と絶望が増大するためには、ぜひともあまたの貴社どもの不採用が必要なのである。ですからどうか、これからわたくしを落とす貴社ども、どうかよろしくお願いします。

さて、ところで、一次面接を受けた貴社のひとつから先ほど不採用通知が届きました。また駄目だったんですね。残念です。それで、その貴社は書類選考で作文を課していたんです。面接で落ちてしまえばエントリーシートも作文も何もかも無意味でしかないのですが、時間をかけてせっかく書いたわたくしの作文が、貴社のシュレッダーにかけられてそれきりおしまい、なんてどうにも味気ない。ですからまあ、ちょうどこうして(誰も読まない)ブログを開設していることですし、折角ならインターネットの片隅にでも遺しておこうと思う所存です。

作文のお題は「好きな本」、指定字数は原稿用紙二枚。わたくしが作文につけたタイトルは「吉田健一『汽車旅の酒』」です。以下本文です。

 

 

 吉田健一の書く文章にはどうも、深刻さが欠落しているように思われる。と言ってもそれは、専ら肯定的な意味での欠落である。

 私がはじめて彼の文章に出会ったのは、大学の前期試験を終えた翌日の、新千歳空港においてであった。実家から遠路はるばる受けに行った入学試験の手応えがなく、私はずっと悶々としていた。新千歳空港で復路の飛行機を待ちながら、私の頭の中は「後期試験」や「浪人」といった言葉で埋め尽くされていた。

 ひどく気分が落ち込んでいた。今にして思えば大げさな反応だが、私は半ば絶望してさえいた。入学試験の失敗は、それほどまでに当時の私にこたえたのだ。

 そんな憂鬱を少しでも取り除こうと、縋るようにして入った空港のなかの小さな本屋で、偶然手に取ったのが『汽車旅の酒』だった。パラパラとめくって中身を見てみると、どうやらエッセイ集のようだったから、あまり考えもせず(またさして期待もせず)購入した。これなら今の気分でも読むことができ、或いは少しは気を紛らしてくれるかもしれないと思ったのである。

 過小評価だった。いざ読みはじめてから吉田健一の文章に引き込まれるまでに、ほんの数分もかからなかった。主題である旅や酒や食べ物の味わいをこの上なく引き立てる彼特有の文章、深刻さや陰気の代りに機知や諧謔をたっぷりと盛り込んだ彼の文章は、私の憂鬱をいともたやすく霧散させた。一冊の本がこうも易々と私の憂鬱を消し去ってしまったことが信じられず、だがそんなことはどうでも良い、今はみずからの機微を彼の文章に委ねようと、夢中になって読み耽った。一つのエッセイ、あるいは際立った一文を読むたびに嘆息させられ、しばしの間恍惚として余韻に浸った。

 吉田健一楽天的な、人を酔わせるような文章のために、当時の私は確かに救われたのだ。

日々の澱(随筆)

風光明媚に惹かれて入った大学に所属してはや五年目になるが未だにその構内をのんびり散策したことすら無かった。大学構内の散歩はかねてより私の望むところのものではあったが、まァそんなことはいつでも出来るサ、なんて懈怠がうそぶいて、いつまでも引き延ばし引き延ばし誤魔化してきたものだから、或いはこのまま、その見目好い景色を堪能し尽くすことなしに業を卒える(もしくは中退して大学を去る)ことになるやも知れなかった。だから実際にそうなる前に、私は大学構内を散歩しなければならなかった、それもなるべく早いうちに。

なので私はそうした。今日そうした。やるべきことすべて放擲して大学へと向かった。遠路はるばる入学した大学の景色を愉しみもせずに大学を去る愚かさに比べれば、卒業論文のための勉強もエントリーシートも些末なものだ。

要するに、卒業を一年留年のために遅らせた人間が、遅ればせながら始めた就活を一時放擲し、遅ればせながら大学構内へと今日、散歩をしに行った。

 

十三条門から大学に入ると、色づきもせず茂ってもいないイチョウ並木が私を迎えた。散歩にはいくぶん時期が悪かったようだ、青葉繁る初夏でもなければ樹々が色づく秋でも無い、長い冬がようやく終わりつつある時分だった。そこここにまだ雪の小山が忘れられたように残っていた。私のような大学生、あるいは大学関係者の姿こそあれ、観光客らしい人々の姿は見られなかった。

例年の秋、イチョウが色づくころには、それこそこのイチョウ並木めあてに観光客が大挙して押し寄せたものだ。黄に色づいたイチョウの樹々が長々と続く一本道はたしかに壮観で、観光客はあるいは嘆息し、あるいは写真を撮り散らかし、ずいぶんと呑気に、楽しそうにしていた。私は観光客でなく大学生だったから、講義に向かわなくてはいけなくて、しかしそんな時分に観光客は邪魔でしかなかった。黄に敷き詰められた道の上に、我が物顔で立ち止まり、また不意に歩き出す、たくさんの観光客の隙間を、縫うようにして講義に向かった。私にとってイチョウ並木は、その美しさではなしに、視野狭窄な観光客の集団と銀杏の臭いとして記憶に残るものであった。(しかし、もし私も彼らと同じ、つまり観光客として訪れる立場だったら、彼らと同じように振る舞っていただろう。つまり、嘆息し、立ち止まり、写真を撮り、不意に歩き出し、また立ち止まり、……そうして、『こんなイチョウ並木を毎日目にするこの大学の学生は幸せだなぁ』だとか思ったりするのだろう。自分たち観光客が、その当の大学生の邪魔をしていることにも気づかずに!)

 

イチョウ並木が終わるとそこは丁字路で、右に曲がれば教養棟へと続く道、左へ曲がれば我が文学部のある文系棟やクラーク会館へと続く道である。文系棟にはなんとなく近づきたくは無かったから、右に歩を進めることにした。

そういえばこの辺り、つまり丁字路の交点の近くの空き地のようになっている箇所では、初夏の時分から、サークルの集まりか何かだろうか、ジンギスカンをやっている集団をよく見かけた。旨そうな匂いをさせながら楽しそうにジンギスカンに興じている集団の傍らを、私は眼を伏せ足早に通り過ぎる。そんなことも度々だった。私がそこに、ジンギスカンをやる側の人間としてその空き地に立つことはついぞ無かった。

 

教養棟のほうへ向かって歩いていると、向かいからどこかのサークルの勧誘員が歩いてきて、私の前を歩いていた女にチラシを渡した。今や大学五年生の私は、もし新入生に間違われてチラシを渡されたらどうしようか、だなんて心配をしたが、杞憂に終わった。私は新入生には見えないようだ。顔が老けたからだろうか。歩き方が諦観に満ちているからだろうか。目が濁りきってしまったためだろうか。傍目にも分かるほどに私は、大学生活の数年で、歳を取ったのだろうか。

散歩なんて気晴らしで、景色を愉しむために出たはずの散歩なのに、さっきからずっと、妙に余計なことばかり考えていた。その余計な考えは、教養棟への長い直線の退屈さのためにずっと続いた。

何かサークルに入っておけば良かったと、今さらながら思っていた。もう取り返しがつかないのだけど、たとえば講義を受けたあと、下宿以外にもひとつ居場所が、たとえばサークルの部室があって、気が向いたときに顔を出し、そこに誰か知己が居れば、それはとても心地よいことだろうと思う。私が大学生活をつうじて苛まれつづけてきた孤独が、どんなにか和らいだことだろう。サークルに入らなかった私の、すべて憶測に過ぎないから、サークルのじっさいの価値なんてわからないけど、今の私は、人との関わりがあまりに恋しくて仕方がない。それならなぜ、まだ若かったころにサークルに入らなかったの、と聞かれるかも知れないが、あの頃はほんとうに、今よりももっと他人が怖かった。人との関わりへの恋しさ以上に他人への恐怖があった。そんな他人への恐怖は孤独のために麻痺してしまって、今ではもう、人恋しさばかりが残っている。サークルに入っていれば良かったと思う。しかしもう、何もかも手遅れだ。

あるいはサークルでなくても良かったはずだ。教養棟での勉強を終え、二年生になったときにでも、すっと研究室に馴染みでもしていれば、それも私の孤独を救っただろう。有能な同期と接することで、勉強も頑張れたはずだ。当時もまだ人が怖くて、そうしてこれも手遅れになった。

なにかバイトに打ち込んでみるのも良かったかもしれない。バイト先での人間関係を築くのも、稼いだバイト代で好きなように旅行したり美味しいものを食べたりするのも、この淋しさを紛らわすには充分だっただろう。それもしなかった。

私は人が怖く、私は怠惰だった。そのせいで、大学生活そのものをおじゃんにしてしまった。ほとんど何も残らなかった。勉強もろくにはしなかった。なにもせず、ときおり思いついたかのように図書館に赴き、わずかな冊数の本を読んだり映画を観たりした。ほんとうにそれきりだ。

 

 

教養棟を目にして、ふいに私は悟った。大学の構内をぼんやりと散歩するには、ここにはあまりに私の日々の澱が積りすぎている。イチョウ並木も、丁字路の空き地も、サークルの勧誘員も、ほぼ足を踏み入れなかったサークル会館へと続く道も、北部図書館も、目に映るもの何もかもが、私の大学生活の虚しさをあからさまに惹起する。私が俯いて歩いた日々、私が人々を呪った日々、私のむなしい日々などが、澱となってそこいらじゅうに偏在しているこの大学では、私はもう、散歩はおろか、心を休めることなんて叶いはしない。

入学前はあれほど憧れていたはずの、風光明媚な大学が、今の私には呪わしいものでしかない。