かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

感情と不条理(掌編)

毎授業ごと、まずはじめに私のことを指名してくる先生が居たんです。日直が、起立、礼、着席、っていうふうに号令をかけて、すると先生は、じゃあ教科書の73ページを開いてくれ、この3行目から、山梨、お前読んでみろ、っていうふうに、いつも変わりばえしない日直の挨拶同様に、いつだって最初に私のことを当ててくる。

一度私は、先生に指名された直後に、ねぇ先生、どうしていつも私をはじめに指すんですか?って聞いたんだ。そうすると先生は、おれがこのクラスを担当することになった初回、教室に入ると、まず山梨のことが目に入って、つまりはそういうわけだ。ガハハ(、ほんとうに先生はこうやって笑うのだ、)。……んなこたぁどうでも良いだろう、ほら山梨、教科書音読してみろよ……って。

 

「ゆうちゃん(私のことだ)も、ほんと災難だよね。山川(これは先生のことだ)に気に入られちゃってさ。毎授業毎授業、一番最初に指名されて。嫌でしょう?」

私は、たしかにあまり良い気分はしないものだ、と答えた。

「だよねえ、山川はほんとうに気にくわないよね。」

私は、先生のことは好きではないが、気にくわないと言うほどではないと答えた。

「ええ、だってさぁ、山川って不条理じゃん。いっつもゆうちゃんを最初に当ててさ、ほかの人のことはテッキトーに当てるのに。ゆうちゃんを当てる理由だって、この前ゆうちゃんがきいてたけど、意味不明だったし。ほんとうに不条理。ゆうちゃんも、山川のこと、嫌でしょ?」

私は、当てられるのは嬉しいことではないが、それで先生を毛嫌いしようとは思わないし、私を指すことはそれほど不条理でもないだろう、と答えた。

すると彼女は、ふぅーん、といったきり黙りこみ、次の授業のチャイムが鳴ると、なにも言わずにじぶんの席へ戻っていった。

 

放課後、私は帰宅部だから、いつもそそくさと家に帰る。はやく帰って、ベッドの上で休みたかった。

だが、家につくと、母親がテレビのワイドショーを見ながら涙を流していた。私は、やっかいなことになりそうだなあ、と思った。

母親は私に気づくなり、やっぱり私に話しかけてきて、

「あら、おかえり。……ねえ、これ、この事件、可哀想ねぇ。5歳の男の子だったんだって。ほら、これよ、いま写真が映ってる。それがさあ、無職のさ、中年の男に殺されちまって……、まだ5歳だったのよ。あんなに可愛らしい男の子が、将来、やりたいこともたくさんあったろうに、不条理だわ、可哀想に……」

ぼんやりとそのワイドショーを、すこしのあいだ眺めてから、私は、たしかに理不尽に命を奪われるのは同情するが、しかし、首を一撃で綺麗に切断されたって言っているし、きっと苦しまずにすんだだけ、まだましだろう、と答えた。すると母は、その涙で濡れた目で私のことを、きっ、と睨んで、

「あんたは一体何てことを言うの!あんなに可愛らしい男の子が、5歳の男の子が、通り魔に遭って殺されてしまったんだよ!ああ、可哀想に、ああ、あんまりにも不条理だ……」

ワイドショーでは、5歳の男の子のほかにも、老婆や老人が数人殺されたと言っていた。母は何も言わず、さめざめと泣いている。私は、先ほどの私の言い方は不味かったなあと反省しつつも、ワイドショーと母のすすり泣きばかりがこだまする居間で、ただ立ち尽くしているのも阿呆らしいし、それに私は疲れていた。私は母に、学校で疲れたから、部屋ですこし休んでくる、夕飯が出来たら呼んでくれ、と伝えた。すると母は、ため息をついて、

「ほんとうに、あんたって子は、冷たい、性根の腐り切った子供だねぇ。誰があんたをこんなふうに育てたのかしら……」

と呟くように言ったきり、私のことを敢えて無視するかのように、ふたたびワイドショーを、食い入るように見つめていた。

私は、やり場のない怒りを、しかし内側に抑え込んで、二階の私の部屋へと上がっていった。

……ふと思い立って、階段の途中で居間を振り返ると、ワイドショーはタレントの不倫報道をはじめていて、だが母は、あいもかわらず、テレビに、食い入るように見入っていた。

 

 

翌日学校へ行くと、何やら教室がざわめいていた。みんなが私のことをちらちら見たり、昨日会話していた、私と話している途中で黙り込んでしまった彼女なんて、私と目があうと、ウインクしながら親指を立てて、だけれど、私にはどういうわけか、さっぱりわからなかった。

一限は、例の先生の授業だった。日直が号令をかけて、先生はいつものように私を指名する。だが、私が教科書を読みはじめるよりも先に、昨日会話した彼女が、はい先生、と言って手を挙げ立ち上がり、きゅうに話しはじめた。

「先生、そうやって山梨さんばかり最初に指名して、もうそういうことはやめて下さい。山梨さんも、そういうのが嫌だって言っていました。……山梨さんを当てるのをやめない限り、あたしたちはもう、先生の授業をボイコットします。」

昨日会話した彼女がそう言うと、みんな一斉に立ち上がり、教室から出て行ってしまった。先生はおろおろしていて、だけれど先生と同じくらい、私にもなにが起こっているのかわからなかった。そうやって私と先生が困惑している間にも、ほかのみんなは教室から出て行って、結局教室には、私と先生の二人きりが取り残された。

先生は、そうか山梨、当てられるのが嫌だったのか、ゴメンな……と私に詫びてから、ボイコットした生徒を呼びに廊下へ出た。

教室には、私ひとりだけ取り残された。

 

 

今日は散々な一日だった。話したこともない人たちが、山川先生の授業のあと、私の机に集まって、ワイワイと勝どきをあげて、そもそも、先生のその後のしょんぼりした様子を、悄然としきった授業のようすを、あなた方だって見ていた筈だろう、なんでそんなに喜んでいられるの?あなたがたのボイコットで、先生はああやって、10歳は老けてしまったようだった。

私は放課後の帰り道、横断歩道で信号が変わるのを待ちながら、今日の不条理な出来事について、ぐるぐると考えていた。すると、どこからか、危ない!って叫び声が聞こえて、見ると、猛スピードでトラックが、信号待ちの私のほうへ突っ込んできていた。

 

撥ねられて、宙に浮きながら、私は、べつに死ぬのは構わないけど、ただ、昨日の雨で雪が中途半端に溶けたべちょべちょの路面に倒れこむと、きっと制服が汚れてしまうから、それは嫌だなぁ、と、ぼんやりと考えていた。