かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

連れ出して!(掌編)

人、人、ひと!ほんの幼い子どもを金切り声で怒鳴り飛ばす母親、通路の途中で唐突に立ち止まる若者、申し訳程度に置かれたベンチに並んで座りその全員が淀んだ目で携帯を触っている家族づれ、コーヒーでも飲みながら腰を落ち着けようと思っても、どこの店にも長蛇の列、携帯、喧騒、人、人、ひと!

日曜日の昼下がりのショッピングモールは我々が地獄を垣間見るのに一番手軽な場所である。人がひしめき合って、彼らの頭のなかには飲食か服飾か、あるいは携帯ゲームのことがあるばかりで、ゾンビのようにうろつきながら、誰もかれもが苛立っているか何も考えていないか、ほら、またどこかで子どもが泣き出した!ざわめき、負の感情うずまく場所でも、君らはほんの少しでもすきまを与えれば、たといそれが通路のど真ん中であろうと、所構わず携帯を触っているね!そしてまた、人、人、ひと!

わたしはこの地獄から抜け出そうと、だが逆説的に、ショッピングモールの奥へ奥へと進んでゆき、何なら今よりか多少ましな場所でも見つけたら、直ぐにそこに飛び入ってコーヒーでも飲みたくて、だけれど、どこへ行っても人いきれ、尚一層悪いことに、服飾、婦人服売り場、スーツ、特価シャツ、ねぇ、聞いてくれよ、そもそも私は服飾関係の店が嫌いで、だって、目につく店の半分は服を売っている、馬鹿みたいじゃないか!服なんて、一種類あれば事足りるだろう、国民服でもなんでも良いが、いや、そうまで言わずとも、ねぇ、私はいちど両親に連れられて有名なアウトレットに連れていかれたことがあるんです。たとえばそこには、アフリカのお菓子の専門店だとか、もしくはガロ系の漫画の専門店など、よくわからないフェティッシュに満ちた、しかしそこに居るだけでなにか得体の知れないわくわくが湧き上がるような、そういう店、そんな出会いを期待していて、だが、現実は私の期待を平然と裏切る、九割の店が服を売る店で、私は退屈で死んでしまいそうだった!服、服、服!ブランド?こだわり?糞食らえだ!そのくせ人ばかり大量に居て、アウトレット、服、人混み、ああ!それ以来、私は服屋を見るたびに烈しく憎むようになって、だが君も、わかってくれるでしょう、私の憎悪を!

私は愛想を尽かしてショッピングモールを後にして、おもてに出た。家に居てもどうしようもないから、せめて退屈を潰そうと、こうやってショッピングモールに自転車で来たのだけれど、(家では、ほら今日は日曜日だから、父親も居て母親も居て、あと弟も。だが全員、死んだ目をしておのおの携帯を触って居るだけなのだもの、奴らは本を、漫画を読むことさえしない、食うかテレビか、携帯を触っているだけだ!)ああ駄目だ、なにもかも駄目だ!私は自転車に乗って、この街から、この退屈から、馬鹿みたいな虚しさから抜け出そうと、ふだんは行くことのない方角へ、自転車を走らせる。

 

途中、左手に公園があった。なにやら人がたくさんいて(ああ、ここにも人が居る!)、しかし老いも若きも、遊ぶでもなく一心不乱に携帯を見ながらぼんやりと突っ立っている。私はそれを一瞬目にしてなにもかも悟り、悔恨とともに目を背けた。晴れた日曜日の昼下がり、公園までやってきて、お前らは、ああ、携帯ゲーム!私は自転車を漕ぐ脚を速めた。一刻もはやく、この忌まわしい公園から離れたかった。

 

あてもなく自転車を走らせる。とにかくどこか、ここでない場所に行きたいと思った。欲をいえば、寂れた一軒の喫茶店を偶然目にして、そこに入り、静かに、(とうぜん携帯を触ることなく、)一瞬一瞬を味わうような時間の使い方をしたかった。小洒落た店内で、かつその雰囲気を壊さない程度のボリュームでジャズでも流してくれれば良い、私はコーヒーを飲みながら、一人で静かに、昨日読んだ本のことを考えたり、存在しない王国の宗教とその経済の関わりについて想いを馳せたりする。コーヒーの滑らかな舌触り。私は眼を閉じる。暗転。

 

…ああ、どこまでも開発され尽くされたニュータウン、私はがむしゃらに自転車を走らせて、まだ春前なのに汗をかきながら、しかし、一向にビルヂング、住宅地、郊外のチェーン店、国道、その繰り返しから抜け出せない!どこまで行っても、小洒落た喫茶店なんて無くて、もはや手入れの行き届いた公園と、人いきれのショッピングモール、郊外のチェーン店、それと住宅地、あるいは服飾店、馬鹿ばかりのアウトレット、どこまでもどこまでも、こんなものが続いているのか、風情、情緒、わびさび、そんな言葉は駆逐され、人工、住宅地、テクノロジーがそれに置き換わるのか!この街、この退屈で憎らしいニュータウンに越してくるまえ、気のおけない友人と日が暮れるまで駆け巡った自然は、無残にもショッピングモールと住宅地に敗北したのか!自転車でこの街の敷衍から抜け出そうともがく私の試みは全くの無意味であるのか!人間らしい時間を喫茶店で送りたい私の願望は一蹴されるべきものなのか!私は、もはや、この街から、この時代から、つまらなさから退屈から、ショッピングモールや住宅地や携帯や人混みから、抜け出すことは出来ないのか!

 

 

私は自転車を止め、いや、乗り捨てた。スタンドを立てずに手を離すと、がしゃんと音を立てて倒れた。私は自転車を蹴り飛ばした。

携帯を取り出し、現在地を調べると、二つ隣の街まで来ていることがわかった。幸い近くに駅があったから、そこから家に帰った。

夕方の電車のなかで、私はポケットからイヤホンを取り出し、携帯に繋いだ。音楽を聴きながら、ただぼんやりと、私が住む街に着くまで、携帯でネットサーフィンをしていた。

家に着くと、両親も弟もやはり居間で携帯を触っていたから、私もソファに腰掛けて携帯を触る。ニュータウンの住宅地の一角の家の居間で、家族四人が揃っていながら、誰も口を開かずにおのおの携帯を触っているなか、ただテレビの音だけがこだましていた。