あたしは時々、
……忘れたいひとの名前を、忘れたい忘れたいって思いつつ、
いつからこんなふうになってしまったのだろう。
かつてのあたしは、こんな自意識の檻にとじこめられてもがき苦しむことはなくて、自由闊達に、感性のおもむくままに、駄目だ!
あたしの感性、どうか、感性だなんて大仰なことばを使うあたしを、鼻で笑ってください。なぜって、こないだ納屋から出てきた、あたしのむかしの綴方の文章、書いていたそのときは、
今では、ほかのひとが何と言おうと、
個人の尊重も、自由な社会も、ぜんぶ、嘘だ。
……あの人は、感性も、魂も、自由意志だって、何だって信じていた。むやみに鼻息荒くして、そんなものは無いんだと打ち消そうとするあたしに、あのひとは、まともにとりあおうともしないで、きっとあの人こそ、うつくしさをその内奥に、むかしから、いまでも秘めている。誰がどう言おうと、誰があの人を馬鹿にしようと、あの人の心は、感性に満ちていて、あたしは、また、ふたたび、忘れたいあの人を考えている。
……けれど、あのひとの心のうつくしさだけは、きっと、ほんものだった。くたびれた賃金労働者の外套にだって、あるいはあたしの胸のすぐ横に彫られた一頭のちいさな蝶にも負けやしない。あのひとの、見てくれだとか立ち振る舞いや、みんなそれであのひとを小人物だと決めつけて、その心の内奥まで覗きこんだことなんて、覗いてみようと思ったことすら、無いんだろう。あのひとのこころは、ぜったいに消えることないつよい炎で、あたしは蛾か、もしくは羽虫です。ふらふらと火遊び、明るさと暖かさに惹かれて、あのひとの心へと近づきすぎてしまい、大火傷を負わされた。
ぜんぶわかっていたんです。何もない、自尊心だけは人並み程度のあたしが、あんなうつくしい心をした、触れれば指が切れるような鋭利、あたしは、しまいにはあのひとに構われなくなって、それも当然です。あたしには、何も無い。
わすれたい人の名前を、わすれたい人との思い出を、そのうつくしさの幻影を、安眠毛布を引きずるようにどこまでも忘れずに、もう二十ヶ月が経ちました。
あたしは、あのひとのことに、釘で打ちつけられてしまったかのように、たとえば、細く繊細な指先、眉目秀麗なひとが笑うときのえくぼ、それらは一瞬、あたしの気を引いて、次の瞬間あたしは、わすれたい人のことを考える。
わすれたい人を忘れられずに、うつくしさのないあたしが、それでもあたしは世界とひとりきりで対峙して、うつくしさもわすれたい人も、きっとみんな敵だから、あたしは、……あたしは、後味の悪さを呑み込んで、布団にくるまり、なにもかも放っぽり出して、眠るほかなかった。何もかもを放っぽり出したつもりでも、わすれたい人の思い出は、私のそばにいつでも付きまとい、あたしは布団のなか、きつく目をつぶるほかなかった。
あたしはふとんの中で、わすれたい人の名前を一度、こっそりと口にした。