かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

酒飲み女が仕送り増額を求め実家に送った手紙

拝啓お父さん、お母さん、お元気ですか。

私がこの街に来てから、はや二年になろうとしています。私が家を出る日の駅の、プラットフォームの見送りのとき、お母さんったらまるで今生の別れでもあるかのようにわんわん泣きながら、ズボラな貴女が果たしてひとりで立派に暮らしていけるのか知らん、いやきっと無理ね、大学の勉強についていけないようだったら直ぐに止して帰って来なさいよ、ああそれと、くれぐれも風邪には気をつけなさいね、貴女はほんっとうにズボラなんだから、云々。お母さん、鼻を出しながら喋るもんだから、私、あの光景を思い出すと、つい微笑んでしまいます。少し恥ずかしくて、けれども嬉しくもあり、なんだか私も泣きそうになったこと、今でも覚えています。

……ただ、列車のドアが閉まっていよいよ発車、列車の私とホームのお母さん、互いの姿が見えなくなるまで手を振りあって別れを惜しむんだろうなぁ、そんなことを考えていたけれど、ドアが閉まって列車が動き出すや否や、お母さん、手を振るのをやめて、私のことなぞ見もせずに、と言うより私の列車に背を向けて、お父さんと駄弁りながら帰っていったね。列車のなかから会話のさいしょのほう、お父さんに何て言ってるか、聞こえたよ。「やっと厄介娘が片付いたわね」って。お母さんの横顔、見えたんだ。あんなに大泣きしていたのに、もう、安堵しきった顔をしていた。

お父さんに言った言葉が冗談だったとしても、私はあの日のあのときのお母さんの顔、発言、それから私の愕然としたうまく言い表せない気持ちごと、私は決して、忘れられそうにありません。淋しかった。


昔話ばかりしていても仕方ないですよね。

お母さんから来る手紙には、つぎいつ帰ってくるんだ!とか、仕送りは辛いけれど懸命に働いて毎月ちゃんと生活できるだけの金額は送るから、サークルなどの費用はバイト等で稼いでくれ!だとか、そんなようなおなじことばかり書かれた手紙が月に一度は届いて、返さない私がわるいのだけれど、いまこうして返事を書きます。

帰省のことは、考えても見なかったです。そういえばもうすぐで、お父さんお母さんに会わなくて二年になるんですね。或いはほんとうに今生の別れになるかもしれないし、お母さん、プラットフォームで泣いておいて良かったね。

帰省する気はありません。


あっ、仕送り、とても役立っています、ありがとうございます。サークルもバイトもしていない私の唯一の収入源が仕送りなので、ありがたく使わせてもらっています。ただ、毎晩酒を飲む生活をしていると、どうしても月末がきついから、仕送りを増やしていただくことを願う所存です。


いや、こうして傲慢にも仕送りの増額を要求しているのは、ひとつの重大な問題ゆえです。


つまり、わたしは、大学二年間をとおして、完全に堕落しきってしまったのです。

あなたがたが実家で私を知らずにいる間、わたしはどうしようもない屑になってしまいました。

四年で大学を卒業することは、きっともう叶いません。それというのも、私はこの街の直線と直線がどこまでも交わっていく無機質さや、友達どころか知り合いすら出来ない大学生活に気が触れて、いま、脳病院にかよっています。


じつは、いま、大学を休学しているんです。

休学してどうにかなるわけではないのだろうけど、それに私は脳病院の先生を信用してはいないし……、そんなこんなで、まるで今は高等遊民のような生活を送っています。仕送りは美酒佳肴へと姿を変え、私の部屋では私だけがメンバーの酒宴が毎晩、開催されています。

そうしてひとりで酔いつぶれて、起きるのは午後三時、そこからとにかくなにをするでもなくだらだらとして、夕方が来るとまた酒宴。


毎晩酒宴をひらいているとお金が足りないもので、だから仕送りを増やして欲しい次第でございます。いや、私は私を酒宴が救ってくれるとすら思っている!酒宴によって、私は精神に元気を取り戻し、そうしてふたたび大学に行けるようになるでしょう。だから、ね?仕送りを、増やしてください。




夢を見たんです。

夢の中で私は高校生の制服を着た男の子で、私の隣にも高校生の男の子が居ました。海沿いを走る列車に乗っていて、お昼でした。私たちは学校から逃げ出して、こうして電車に乗っていました。乗客は私たち以外ありませんでした。

「なぁ」

隣の彼が私に話しかけました。

「俺たち、自由だよな、どこまでも逃げ出せるよな!」

どうやら私たち、もとい僕たちは、何もかも、例えば学校、進学、就職、眼前のものから逃げ出そうとしているらしかったんです。

「ええ、どこまでも行こう。どこまでも遠く、誰も知らない、就職も進学も、ぜんぶない、そうだ、俺たち知らない場所で、ソフトクリーム屋になろうよ!……」



ゆめのなかの私たちは、決してソフトクリーム屋にはなれなかったでしょう。そうしてこのまま休学を繰り返して逃げ続けるわたしにも、未来は決してないでしょう。だから、だからこそ、お父さん、お母さん、生活が苦しいのはわかっています、けれどもその上で、仕送りを増やし、私が、大学へ、「まともな」道へと引き返す手伝いをしてくれることを、切に望みます。