かえる作文帖

小説(掌編・短編)や随筆などを書いています。読んでくれると嬉しいです。

夜半煢然として(随筆)

たとえばながいあいだ野菜を食べなかったときにはこんな気持ちになった。とても似通っているようだけれど、おなじではなく、なんなら野菜を摂ってみたところで治らないだろう。

 

あるいは欠乏の感覚なのかもしれない。しかし私を苛んでいるのは、満たしようのない欠乏である。きっと、この先どんなに満ち足りたことがあっても、心の片隅にはいつでもこの感情があって、黒い、些細なシミ、しかし、幸せな瞬間のただなか、ふとこのシミに気づいてしまったらば、瞬間、それは墨を水に垂らしたように広がって、幸せそのものを真っ黒く、駄目にしてしまう。

 

夜は早々に眠るほかない。空虚な日だったならば尚更で、日中に拵えた空洞に、夜半の風が入り込んで、ぼう、と不気味な音をたてる。

 

部屋の広さ、私が占める容積はほんの一部で、その一部ですら、私はまともに知りやしない。

 

 

これは貴女にだけ話すのだけれど、私の胸の奥は、空洞になっているんです。ふつうの人だったら心の入っているその部分が、球状に、きれいにくり抜かれている。

 

先日、本を買いに行った。

そろそろ私は私の周りのくすんだ色の物や光に耐えられなくて、白い、一点の曇りすらないほどに白い本を買いに、くすんだ色の(だがこれは他のくすんだものよりかは少しましで、いちばん酷いのはくすみきった音楽、あれには我慢しきれない。)自転車で、手垢だらけの空の下を滑るように、真っ黒いデパートに、吸い込まれ、周りの連中も、誰も彼も、どうしようもなく煤けている。

私は本屋に入って、醜いぶよぶよの雑多なくすみを掻き分けて、古びた、それでいて真っ白な本の並んでいる一角に入り込んだ。ずいぶんと奥まったところに、忘れ去られたようなその棚には、燦然と輝く本ばかりが並んでいて、私はどの一冊を買って帰ろうか、背表紙に触れようと手を伸ばすと、私の手も、煤けていて、以前はこんなことは無かった、煤けないように、煤けないようにするためだけに、私は、白い本、白い音楽を聴くように、より白いものばかり求めて、それだけを受容してここまでやって来たはずなのに、私の指、私の手、私の腕、煤けて、くすみきっていて、泣きそうになりながら俯くと、私の胸の奥底、球状に透明で、ぬか喜び、私の胸の奥底、白いわけではない、これは、空洞なんだ。外側は煤けてくすみきっていて、心の底は空洞な、それが私だったんです。

 

今日も、今日が昨日になろうとして、今日も、私は空虚な一日を拵えた。私の空虚と一日の空虚は相似形、共鳴して、透明な風が通い、音なく、しかし、かなしく鳴っている。